「うう………」 休み時間に机につっぷして唸っていると、頬にぺたりと冷たい何かが触れた。 「わ」 驚いて顔をあげると、藤吉が俺の頬にペットボトルの水をくっつけていた。 眉を顰めて心配そうに俺を覗きこんでいる。 「大丈夫か?気分悪そうだな。水どうぞ」 「あ、ありがと」 「本当に大丈夫か?体調悪いなら無理しないで帰れよ」 優しい言葉に、とてもいたたまれない気持ちになる。 心配してもらって申し訳ないけれど、この気持ち悪さと頭の痛みは自業自得と言う奴だ。 もらった水を半分ぐらいまで一気に飲み干すと、少しだけすっきりする。 「宮守?」 「ふ、二日酔いだから、気にしなくていい」 そう、これは昨日飲み過ぎたワインのアルコールによる吐き気と頭痛。 朝に一度吐いてある程度すっきりはしたのだが、頭痛は酷く残っている。 あんなに飲むんじゃなかった。 昨日の醜態を思い出すと、ますます机に顔を埋めたくなる。 いっそ全部吹っ飛んでいればいいのに、生憎記憶はちゃんと残っている。 双兄はともかくとして、志藤さんに酷く迷惑をかけてしまった。 恥ずかしくて、叫びながらジタバタと暴れまわりたい。 「宮守、酒なんて飲むんだ」 「いや、いつも飲んだりはしないんだけど」 落ち込みプラス双兄のノリに飲まれてしまったというか。 いや、言い訳はよくないのだが。 こんなことになるなら、酒なんてもう飲みたくない。 って、前に飲み過ぎた時も思ったっけ。 あの時も一兄に吐いてしまうわ、いきなり歌うわで大変だった。 思い出したくない黒い思い出が昨日の記憶と一緒に襲ってくる。 「ああああああ」 「な、なんだ!?」 「いや、なんか、やらかしたなって………」 「何、何があったの?何やらかしたの?」 「な、何もない」 楽しそうに好奇心に顔を輝かす藤吉から目を逸らす。 やらかした黒歴史なんて、このまま墓まで持って行きたい。 「ただ、落ち込んでたとは言え、飲みすぎたなって」 「なんか飲むようなことあったのか?」 「………」 飲んだら最近の鬱々とした気分がなくなり、楽しくなってしまった。 それで嬉しくて、どんどん飲んだ。 今も、昨日よりもずっと心が軽くなっている。 前向きに考えようって気になっている。 アルコールのおかげというよりは、双兄と志藤さんのおかげかもしれないけれど。 「別に言いたくないならいいけど」 黙りこんだ俺に、藤吉がちょっと声を低くした。 それは別に俺を責めている訳でなく、気遣っているようだった。 俺の家の事情をある程度知っているせいか、藤吉はその辺は適度な距離感を保ってくれる。 本当にいい奴だ。 だからこそ、なんとなく甘えて口を開いてしまう。 「………あのさ」 「うん」 「すごく、抽象的な話になるんだけど」 「うん」 「その、聞いても意味分かんないかもしれないんだけど」 「うん」 「………あ、でもやっぱり」 「あー、もうそれはいいから!」 「は、はい!」 何度も逡巡していると、さすがに面倒くさそうに手をふられた。 ここまで言ったのだから、言ってしまおう。 でも全部を言う訳には、絶対にいかない。 少しだけ考えて、ぼかして伝えることにする。 「その、今度、仕事でさ」 「仕事って、お化け退治的な?」 「うん、そう」 力に関することだから、嘘ではないだろう。 一つ頷いておく。 「俺、弱いからさ、一兄と四天のどちらかに力を借りることになって、今後ずっと二人の力を借りることになりそう、なんだ。俺は一人じゃ何も出来ないから、二人に迷惑をかける。それが、嫌なんだ。二人に迷惑をかけるのが、嫌だ」 どうしても、二人に迷惑をかけてしまう。 二人はいいって言ってくれても、やっぱり辛い。 どうしても納得できない。 でも、結局俺は、自分がかわいいから二人を利用するんだ。 「嫌なんだけど、でも、どうしてもやっぱり、俺のエゴなんだけど、どちらかを選ばなきゃいけなくて、どちらからか力を借りたいんだ。借りない訳には、いかない。それが嫌だ。後、どちらかを選ぶことも出来ない。どうしようって思ってて」 「うーん」 「こんなぼんやりとしたこと、困るよな」 悩むように眼鏡を直す藤吉に、思わず苦笑いしてしまう。 俺がこんなこと言われても困るだろう。 抽象的すぎる上に、答えのない問いだ。 「まあ、困るな」 「………だよな」 「力、借りないといけないんだよな」 でも、藤吉は真面目な顔で聞いてきてくれた。 こんなどうしようもない話を、真剣に考えてくれるようだ。 「………うん」 「じゃあ、借りなきゃ仕方ないよな。それは決まってるんだろ?」 「えっと」 「借りないって選択肢はないんだろ?今の言い方だと」 首を縦に振る。 結局、それ以外に選択肢はない。 「それで、何を悩んでるの?」 そう言われて、結局答えは出ているのだと改めて気づく。 悩んでいるのは、自分の感情の問題。 「………結局、自分の中の問題なんだよな。一兄と天は、いいって言ってくれてるんだ。でも、俺が申し訳ないって気になるだけで…」 「向こうがいいって言ってるならそれは宮守の自己満足でしかないだろ。あっちがいいって言ってるのにいつまでもお前が迷惑かけちゃ、とか言ってたらあっちも困るだろうし」 もごもごと言い訳するように話す俺に、藤吉がきっぱりと言った。 思わず息を飲んでしまう。 「相手が許してるのに必要以上に謝るのってさ、自分はこんなに反省してるんだから許してくれるよなってアピールになると思わない?」 藤吉の言葉がずきっと胸につきささる。 「………」 「なんて、偉そうに言っちゃったけど、そんなに悩むことないんじゃないの。力を借りるしかなくて、向こうもいいって言ってるなら。なんて事情も知らずに好き勝手言ってるけど」 苦笑する藤吉に、首を思い切り横にふる。 好き勝手な相談をしているのはこっちの方だ。 こんなぼんやりとした質問に、藤吉は真剣に答えてくれている。 「………いや」 「ごめんな」 「ううん。ありがとう。そうだよな、申し訳ないって思ってるのも、俺の勝手だ。確かに、そうだ」 申し訳ない気持ちは消えないけれど、覚悟は決めることが出来る気がする。 必要以上に、二人に謝っても、仕方ないのだ。 どうせ道は一つしか、俺には選べない。 それはもう、双兄も言っていたように開き直るしかないのだ。 感謝の気持ちだけは忘れないけれど、いつまでたっても申し訳ないと考えても仕方ない。 二人は許してくれているのだから。 「それなら、後は、一兄と、天、どちらにするか、なんだ」 それが最後にして最大の悩みでもあるのだけれど。 そういうことをしなければいけないと考えて、どちらがいいか、なんて選べない。 生々しすぎて、想像もしたくない。 二人とも、あんなことをしてしまったけれど。 「宮守?」 「な、なんでもない」 思い出して顔が熱くなってくる。 駄目だ、こんなところで、思い出すな。 「どっちか、かあ。一矢さんがいいんじゃないの?」 「え、なんで」 軽く言われて、思わず食いついてしまう。 双兄と天自身に、天のことを勧められていたので、一兄にしろという意見は気になる。。 身を乗り出す俺の勢いに、びっくりしたように藤吉が身をひいて目を丸くする。 「え、単に宮守、一矢さんのことすごい好きじゃん。ずっとこれからも力借りるっていうなら一矢さんの方が気があうんじゃないの。あの人大人で頼もしいしって、軽く思っただけで。なんか何も考えてない答えで悪いんだけど」 「………うん」 「無責任なこと言っちゃった?」 「ううん」 確かに、一兄と天のどちらかの力を借りるとしたら、一兄の方が借りやすい。 申し訳ないとは思うけれど、天よりは遠慮がない。 それに、そういうこと、するなら、やっぱり一兄の方がいいような気もする。 ああ、だから、そういうことをここで考えるな。 「い、たた」 考えを振り払うように頭を思い切りふると、頭にズキズキと痛みが響く。 頭をおさえて机にもう一回つっぷしてしまう。 「だ、大丈夫、宮守」 「へ、へーき、ありがとう」 どちらを選べばいいのか。 そうだ、力を借りると決めたのなら、問題は、そこなのだ。 「………阿部」 放課後帰宅のために下駄箱に行くと、ちょうど靴を取り出しているところだった阿部がいた。 俺に気付いて、こちらを睨みつけている。 以前よりもずっずっと暗く鋭くなった目に、嫌な感じの汗がじわりと浮かぶ。 こいつは、こんな荒んだ目をしていたっけ。 あまり対面しないように逃げるように避けていたのだが、油断していた。 「女とイチャついて、守ってもらって、いいご身分だよな。この人殺し」 「………っ」 ドキドキと、心臓が急にスピードを増して、周りの景色が灰色になる。 最近は毎日が楽しすぎて、自分が罪を背負っていることすら忘れそうになってしまう。 なんて自分勝手で最低なのだろう。 そうだ、俺は平田を助けられなかったのだ。 「俺は、絶対許さないからな」 阿部が俺に近づいてきて、睨みつけながら低く吐き捨てる。 ぶつけられた負の感情に、胃がキリキリと痛む。 「阿部、なんなの?またあんた宮守に絡んでる訳?どんだけ粘着質なんだよ」 その時後ろから、凛と澄んだ声が聞こえた。 聞いているだけで力が沸いてくるような強い声。 肩に入った力が、抜けてしまう。 「他にすることねーのかよ、この暇人。だから頭悪いんだよ。んなことする暇があったら帰って単語の一つでも覚えろよ」 俺の隣まできた岡野が、冷たく笑いながら言い放つ。 阿部の顔が一瞬で赤く染まる。 「………こ、の!」 阿部がぎゅっと拳を握りしめたので、岡野と阿部の間に移動する。 阿部の視線が、痛い。 「やめてくれ、阿部」 「………」 阿部は俺を視線で射殺そうとするかのように睨みつける。 それから、靴を履き替えさっさと出ていった。 その背中を見送って、ほっと息をつく。 体温を失っていた体に、熱が戻ってくる。 「なんなの、あいつ」 岡野が俺の隣にきて、忌々しそうにつぶやく。 頼もしくて優しくて強い女の子。 助けてくれたのはとても嬉しい。 「岡野、ありがとう。でも、この前の時もそうだったけど、あんな風に挑発するの、よくない」 「ムカつく奴に正直に言っただけでしょ。何か悪いの?」 「殴られたりしたら大変だろ」 岡野は気が強いところが魅力的だが、誰かれ構わず喧嘩を売られると困る。 美人で口の回る岡野に責められると、余計にきつく感じる。 相手を激昂させて、岡野に害が及んだら大変だ。 「別に。あんな奴に殴られたってどうってことねーし」 「俺が嫌だ」 岡野が傷つく姿なんて見たくない。 そんなの見たら、俺が相手を殴ってしまいそうだ。 暴力は嫌だと思っているけれど、頭に血が上ってしまう気がする。 「岡野が傷つくのは絶対見たくない。だから、岡野には危険な真似をしてほしくない」 「………っ」 「せっかく綺麗なんだから、怪我とかするなよ」 白い肌と整った目鼻立ち、岡野はとても綺麗だ。 誰が傷つくのも嫌だけれど、岡野が傷つくのはすごく嫌だ。 「こ、のヘタレ!」 「痛!」 いきなり岡野に脛を蹴られて、痛みに足から力が抜ける。 攻撃が不意打ちすぎてまともに食らってしまった。 「本当にもう、あんたタチ悪い!」 「え、ちょ、待って!」 岡野は目を吊り上げて俺を怒鳴りつけると、さっさと靴を履いて昇降口から出ていく。 なんでそんなに急に怒ったのか分からず、今自分が言った言葉を考える。 そして、何を言ったのか理解した。 体温が、急上昇する。 「あ、ち、違う!違くて!綺麗とかじゃなくて!」 「ああ!?」 「いや、綺麗なんだけど!いや、ち、違う!いや、違くない!」 自分でも何を言っているのかよくわからない。 どうしたらいいのか分からない。 「痛!」 もう一度、今度は頭をはたかれた。 そして岡野は俺を殴るとすぐに振り返り、足早にずかずかと歩いて行ってしまう。 「ま、待って!」 慌ててその後ろを駆け足で追いかける。 そして上下運動をしたところで、忘れかけていた頭の痛みがぶり返した。 さっき殴られたのも効いたのかもしれない。 呻いてその場にうずくまる。 「つっー」 「宮守!?」 岡野が焦った声で名前を呼んで、近づいてくる。 そして心配そうに俺の顔を覗き込んだ。 「大丈夫?」 「あ、へ、平気」 「平気じゃないだろ。保健室行こ」 心配の表情をうかべて、優しい口調で言われると申し訳なさと共に嬉しさがこみ上げる。 岡野が焦って俺のことを心配してくれた。 それだけで、うずうずと体中がこそばゆくなるような照れくささと喜びを感じる。 どうしよう、嬉しい。 「宮守?」 思わずにやけてしまうと、岡野が不審そうに眉を吊り上げる。 「あ、ごめん。い、いや、違う。そ、その、二日酔いで」 「はあ?」 更に顔が強張っている。 あ、怖い。 「………そ、双兄に付き合ってたらいつの間にか」 「人のせいにすんな」 「………はい、すいません」 「ふん!」 もう一度脛を蹴られたが、なぜかちっとも痛いと感じなかった。 |