その背に乗りしがみつくと同時に、黒い獣は走り出した。 先ほどよりもスピードが速く、振り落とされそうになって首に捕まる。 けれど剣を持っているせいで、片手でしか掴まれない。 それどころか剣すら取り落としそうだ。 「っ」 もっとゆっくりしてくれと言いたかったが、この状況でそんなことは言えない。 そして言う余裕もない。 黒輝が突然大きく身を捻った。 咄嗟に落ちないように、強く首にしがみつく。 黒い蛇のようなものは俺たちをめがけて幾重にもその手を伸ばしてくる。 「く、そっ」 黒輝が軽々と身を捻り、飛び上がり、その蛇たちを避けて前に進む。 俺は手にした剣を振う余裕すらなく、ただ落とされないように必死だ。 「ぐぅ」 黒輝が小さく唸ったのが聞こえて、顔を上げる。 黒い狼は足に絡みついた蛇を忌々しそうに噛み切ろうとする。 赤黒い姿にはふさわしくなく、蛇に禍々しさは感じない。 むしろ神々しさすら感じる蛇は、けれど威圧感と敵意を持って襲いかかってくる。 黒輝がもう一度唸って、その牙をむく。 その足は黒い蛇が強く食い込み、今にも千切り取ってしまいそうだ。 「黒輝!」 慌てて身を起こし、黒輝にしがみつきながら剣をしっかりと握る。 いつのまにか俺たちを囲んでいた黒い蛇をその剣で振り払うと、まるで蒸発するように蛇は消えていった。 どうやら、この剣で退けることは可能なようだ。 「この、消えろ!黒輝から離れろ!」 黒輝におぶさったみっともない格好のまま、何度も何度も剣を振り払う内に、黒輝に絡みついた蛇が一瞬だけ全てなくなる。 その好機を黒輝は見逃さず、龍の背を蹴る。 大きく飛び上がるり、僅かに残った蛇すらも振り払い、駆けのぼる。 頭をガンガンと揺らされながらも、目を閉じないよう、舌を噛まないよう、歯を食いしばる。 襲い来る蛇を、一兄の懐剣によって、何度も何度も振り払う。 「あ、つっ」 そのうち、いくつかが俺の身にも触れた。 まるでそれは熱された鉄が巻きつくように、触れた部分が焼け爛れる感触がする。 じくじくと疼き火ぶくれになり血が滲むような痛みを感じる。 黒輝が小さく唸って、更にスピードをあげる。 こいつも大分ダメージを食らっているはずだ。 このままじゃ、二人して消耗してしまう。 早く、早く辿りつかなきゃ。 後少しだ。 汗を掻いて、それを吸った礼装が重く感じる。 こんな時和服なのは、苛立たしく感じる。 脱ぎ捨ててしまいたい。 「がうっ」 黒輝の前足の両方に、一際大きな蛇が巻きつく。 苦しげに声をあげて身を捻り、飛び上がる。 俺も必死に剣をふるって、それを切り捨てる。 すぐに消えてなくなるが、後から後からくるのでキリがない。 「黒輝、平気!?」 黒輝は返事をしないまま、ただ足を進める。 早く、早く着いてくれ。 黒輝は俺よりも多く蛇に攻撃されてる。 俺の体にも、何度も蛇がまきついてくる。 痛い。 痛い。 苦しい。 早く。 後少しだ。 後少し、ちょっと手を伸ばせば、刀に手が届く。 「ぐぅ!」 「黒輝!」 黒輝が、これまでで一番苦しげな声をあげる。 その黒く美しい体にいくつもいくつも蛇が絡みつく。 黒輝を飲み込み、そのまま俺ごと喰らいつくそうとする。 「くっ」 剣を振うが間に合わない。 飲み込まれる。 「わっ」 その途端、黒輝が大きく体を振り、俺の体を揺らした。 咄嗟に捕まるが何度も何度も揺らされる。 痛いのだろうか。 まるで俺を振り払うように、何度も何度も体を大きく揺らす。 「がう!」 黒輝が蛇にまみれながら、俺を振り返って睨みつける。 忌々しげにもう一度体を揺らす。 それで意図をようやく察することが出来た。 振り落としたかったのだ、俺を。 慌てて手を離し、蛇を切り捨てながら、黒輝の背から転げ落ちるように下りる。 幸い、ここは龍神の首のすぐ下の辺りで、平らになっていた。 これなら歩くこともできそうだ。 「ありがと、黒輝!」 龍の背に足がつくと同時に、走り出す。 刀はほんの少し先。 後二歩も走れば辿りつく。 もう少し、もう少しだ。 「わ!つっ」 その途端足を取られ、勢いよく倒れ込んだ。 足に鋭い痛みを感じて、声にならない悲鳴を上げる。 足首に、蛇が絡みついている。 「く、そ、放せ!」 剣を振うが、その間に他の蛇たちが俺に絡みつこうと襲ってくる。 他の蛇が足にまた絡みつき、腕に絡みつく。 焼け爛れる痛みに、とうとう叫び声をあげてしまう。 「ああああ!」 熱い、痛い。 痛い痛い痛い。 でも駄目だ。 諦めるな。 俺がやるんだ。 俺が、天を助けるんだ。 俺が、出来るんだ。 「がう!」 獣が威嚇する声がして、足の圧迫感が消える。 後ろを振り返らない。 じくじくと痛みを感じる手足を叱咤して、引きずるように立ち上がる。 そのまま倒れ込むように前のめりに刀に向かう。 龍神の首に中ほどまで深々と刺さった、刀。 その美しい拵えを持つ柄に、手が、触れる。 ひやりと冷たい感触。 握り締める。 「ぐ、が、あああああ!あああ!」 黒い蛇から感じた熱と痛みが、手を焼き、そのまま内臓まで焼きつくすように体の中に入ってくる。 痛い痛い痛い痛い。 赤い。 赤い力。 赤黒い、血のような色の力。 刀の拒絶を、感じる。 手にした刀が、俺を全力で拒んでいる。 手を離せと、訴えかけ、攻撃している。 右手に持っていた懐剣を投げ捨てる。 一兄へ対する罪悪感が一瞬浮かんだが、すぐに振り払い両手で刀を握り締める。 手の皮がずぶずぶと溶かされ、タンパク質が焦げる匂いがする気がする。 抜こうと思い切り力を込めても、びくともしない。 痛みに任せてのたうちまわりたくなるが、足場の悪いここではそれも許されない。 少しでも下手な動きをしたら落ちてしまう。 「く、そ、離す、か!」 この熱を抑え込む力は、俺にはない。 神を制する刀は、神の血を吸い更に力が増している。 その圧倒的な力の前には、俺の力なんて児戯のようなものだ。 でも、俺にも出来ることはある。 対抗することは出来ない。 でも、正面からぶつかることはできなくても、俺には出来ることがある。 そうだ、黒輝が言った通り、俺には出来る。 俺には出来るんだ。 この熱を、飲み込む力なら、ある。 「宮守の、血の力をもって、龍神を制するこの力を、我がものと………」 途切れ途切れになりながらも、呪を唱え、術を組み立てる。 呪の長い精密な術は作りあげることは出来ない。 でも、何度もやったことだ。 俺は何度も、人の力や、邪気を飲みこんできた。 だからこの体は、この力を飲み干す術を知っている。 「我に従い、我が身の内に宿れ!」 術を作りあげ、身の内で暴れる力を変換していく。 赤黒い力を、無力化するために白に近づけていく。 そして、また、俺の色に変換していく。 俺の中に存在する、ぽっかりと空いているタンクに力を満たして行く。 何度満たしてもすぐに空になるタンクには、いくらでも注ぎ込める。 「く、うっ、ぐ」 黒い蛇が俺の体に巻き付き、ギリギリと引き絞る。 体中が焼けつくようだ。 中も外も熱くて、痛い痛い痛い。 溶けた鉄を飲み込まされたようだ。 痛みに目の前が赤くチカチカと点滅する。 この力も、全部全部飲み込んでやる。 うまく変換ができないから、消耗の方が激しいけれど、負けるもんか。 「う、くぅっ」 刀をもう一度握り締める。、 襲い来る力を、全て、俺の中に飲み込んでいく。 刀の抵抗が少しだけ弱まっていくのを感じる。 握りしめた刀が、少しだけ動く。 まだ抵抗はあるものの、更に力をいれると、ぐらりと傾いで揺れる。 いける。 「ぬ、けろ!」 そのまま、最後の力を振り絞って思い切り刀をひっぱる。 刀は嫌がるように龍の背にとどまろうとする。 だが、それを許さず、更に力を飲み込み、最後の力を振り絞る。 ずる、り。 その瞬間、龍の背から抜き落ちた美しいひと振りの刀が、俺の手に収まった。 |