志藤さんが駆け寄ってきて、座り込んでいた俺と四天の前にひまずく。 「三薙さん、四天さん、ご無事ですか?お怪我は?」 「あ、だ、大丈夫です。この通り」 「俺も無事です」 俺と四天が答えると、志藤さんはぎゅっと泣きそうに顔を歪めた。 そして大きく息をついて、肩の力を抜く。 「………ご無事でよかった」 「その、心配かけて、ごめんなさい」 「いえ、お守り出来なくて、申し訳ございませんでした」 「いや、俺が警戒してなかったのが悪いし、それに、龍神は悪い人じゃなかったし」 「宗家の人間をお守りできなかったなんて、使用人失格です」 「そんなこと!えっと」 駄目だ、このままではまた謝罪合戦になってしまう。 志藤さんは俺と同じようにネガティブ思考だ。 ここは話を変えるとしよう。 「どうやって、ここまで、来れたんですか」 「あ、白峰さんに連れて来ていただいたんです」 「え、白峰?」 その言葉に辺りを見回すが、白い毛並みを持つ狐の姿はどこにもない。 俺の仕草に、志藤さんが苦笑する。 「ここに来ると同時に消えてしまわれました。私達をここに運ぶこと自体すごく嫌そうでしたから」 「そ、そっか」 まあ、白峰は天以外の人間には一切心を許さない。 ここまで連れてきてくれただけでも結構奇跡かもしれない。 志藤さんが天に向かって頭を下げる。 「四天さん、白峰さんをお貸しいただき、ありがとうございました。おかげでここまでこれました」 「白峰は気難しい。曲がりなりにも従うならあなたを気に入ったのでしょう。俺以外にも扱える人がいるなら便利だ。ちょうどよかった」 俺に黒輝を貸してくれたように、志藤さんに白峰を貸したのか。 白峰、俺の言うことなんて絶対聞いてくれないだろうしな。 志藤さんは、気に入ってもらえたのか。 いいな。 「まあ、今回は別に来ていただく必要はなかったんですが」 天がぼそっと呟くと、志藤さんが目を丸くする。 「え、え、え」 「ま、いいです。結果論だし」 そこは素直に感謝しておけばよかったのに。 まあ、確かに今回は、後は龍神が返してくれるという話だったし、助けに来てくれなくても大丈夫だったのか。 でも、それは本当に結果論だ。 俺があれ以上手こずっていたら、二人の助けはすごく嬉しかっただろう。 「お二人ともお怪我はないか」 俺たちの様子を見守っていた露子さんが、近づいてくる。 角隠しはとってあるが、高島田と花嫁装束はそのままだ。 この白と青の世界の中、まるで露子さん自体もこの世でないもののように美しく浮かび上がっている。 「え、は、はい」 「それはよかった。申し訳ない。この詫びは後でさせていただこう。当家の不始末のせいのようだしな」 髪が乱れることも気にせず深々と頭を下げる。 そして顔をあげると、俺たちの後ろにいる龍をじっと見据える。 「引き摺りこんだのはお前か、新妻を目の前にして他の人間を引きずりこむなんてひどい話だ。浮気は感心しないぞ」 咎めるような口調は、仮にも神に対しての態度には見えない。 びくびくしてしまった俺とは対照的に、露子さんは楽しそうに龍神を咎めている。 「なんでまた三薙さんと四天さんを引っ張りこんだんだ。もしかして男色に走ったか?」 なんでそうなるんだ。 この人は本当にどこまでいっても、態度が変わらない。 龍神は怒ったりしないのだろうか。 そこで天が、龍神の後ろを指さす。 「露子さん、あれに見覚えは」 「ん?」 露子さんがその指の先を辿って、視線を向ける。 そこには苦悶の表情で倒れている、男性の姿。 露子さんはそれを見て、片眉をわずかに上げた。 「ああ、あれは智和か」 けれど感情の揺れはそれだけで、冷静な声でぽつりと言った。 智和、その名前には覚えがある。 確か立見家の統治に反対をしていた、桂家の長男。 露子さんに気があったはずなのに、霧子さんと一緒に失踪してしまったと言われていた人だったはずだ。 あの人は、智和さんだったのか。 ここに、いたのか。 「ふむ、止水もあるな」 俺が龍の背から落とした刀は、龍の前にそっと身を伏せていた。 露子さんがすたすたと歩いて行って、刀を拾う。 「あ、あぶな」 「刃こぼれや傷はないようだな」 刀に拒否をされ酷い目にあった俺は、露子さんの身を案じて飛び出しそうになる。 しかし露子さんは、なんともない。 そうか、刀の主は、立見家の人間。 露子さんに害意を向けるはずがないのだ。 「龍神は俺たちにあれをどうにかしてほしかったようですよ」 「なるほど」 天の説明に、露子さんが一つ頷く。 その落ち着きはらった様子にどうしても違和感を感じて、恐る恐る尋ねる。 「あの、智和さんって………」 「うん、私が刺した」 「え!」 あっさり帰ってきた答えに、聞いたこっちが絶句してしまう。 もしかして、智和さんの死因に関わっているんじゃないかとは思ったが、直接手を下したのが露子さんなのか。 信じられない。 だって、露子さんはこんなにいつも通りだ。 焦ったり困ったりする様子はない。 「このところの龍神の不調はそのせいか。始末しておかないといけなかったんだな。龍神の力ならなんとでもなると思ったんが。というかお前、昔は人食いの荒神だったくせに、何で死体一つで弱体化してるんだ」 その上、また龍神を責め始める。 何がなんだかわからなくて、ついていけない。 ちらりと見上げると、なんだか龍神は怒ると言うより戸惑っているように見える。 なんか、ちょっと不憫に思えて、龍神をフォローする。 「えっと、その、止水ですっけ。あれに刺されてて、本調子じゃなかったようで………」 「なるほど」 「あれを龍神に刺したのは………」 「私だな」 本当に、何がなんだかわからない。 露子さんの言葉の意味が、理解できない 「………なんで、って、聞いていいですか?」 「よくある痴情のもつれだよ。なあ、たつみ」 露子さんが笑いながら、龍神を見上げる。 たつみっていうのは、龍神のことなのか。 俺も釣られて見上げると、龍神はなんだか身をひいてびくびくしているように見える。 まるで神らしくない態度。 さっきまであんなに威厳があって、神々しかったのに。 「………なんか、怯えてる?」 そういえば黒輝も言っていたっけ。 怒りもあるが、戸惑いや恐れの感情が大きいって。 もしかして、龍神が怯えているのって、露子さんになのか。 強大な力を持つ神が、なぜただの人の子を恐れているんだ。 露子さんは、力もそれほどないはずなのに。 「こいつは意気地なしなんだ。そもそもお前が霧子を選んだりするからこういうことになる。ずっと私に惚れていたのは明らかなのに」 「えっと」 何と言ったらいいか分からなくて、言葉を探していると露子さんが小さく笑う。 「私は幼い頃からこのたつみに惚れていてな。事あるごとに叔母の元を訪れるたつみに会いに行き、湖に向かって話しかけて、お嫁さんにしてとかわいいプロポーズをしていた。一途で愛らしいだろう。こいつも絶対まんざらじゃなかったはずだ。鼻の下を伸ばしていたしな」 鼻の下を伸ばす龍神。 想像が出来ない。 いや、そうじゃない。 なんかもっと大事なことを考えなきゃいけない気がする。 情報が許容量越えで、うまく処理できない。 「勿論私も努力したぞ、料理裁縫武術に勉学、当主修行に花嫁修業。愛しい旦那様に相応しい可愛い花嫁になるべく血が滲むような努力を重ねた。いや、それもまた楽しかったんだがね」 胸に手をあてて、露子さんは誇らしげに言う。 思い返すように目を閉じるその顔は、嬉しそうだ。 けれど目を開けると、鋭く龍神を睨みつける。 「それなのにこいつは土壇場になって霧子を選んだ。このロクデナシが。私の深い愛に恐れをなしたらしい」 ふんと鼻を鳴らして、露子さんは口を尖らせる。 「えっと」 「プロポーズしたんだ」 戸惑う俺は気にせず、露子さんが先を続ける。 少しはにかむその表情で、まさしく恋する乙女そのものだ。 「愛している。私がお前の最後の花嫁だ。私が死ぬ時はお前も一緒に連れていく。次の花嫁なんて選ばせない。私は叔母のように、愛しい夫が他の女を抱く姿を見て身を引くなんて出来ないからね。想像しただけで嫉妬で気が狂ってしまいそうだ。正直、叔母から奪い取りたいと何度思ったことか」 「………」 けれど背筋にぞっと寒気が走った。 怖い。 露子さんが、怖い。 「それくらいでビビってしまって。この意気地なしめ」 露子さんが拗ねたように頬を膨らませて、龍神を責める。 いや、俺も、それは、ビビる。 ていうか龍神がいなくなったら、この地はどうなるんだ。 土地神を失ったら大変なことになってしまうんじゃないのか。 「………うわ、いったー」 天が、ぼそりとそう漏らした。 けれど露子さんは一切動じない。 「一途な愛と言ってくれ」 「龍神が人じゃなくてよかったですね。ストーカー規制法案が適用されない」 「嫌なら私なんて喰い殺してしまえばいいのさ。それをしないってことはこいつもやっぱり愛しているのさ。今はただ私の想いを受け入れる準備が出来ていないだけね」 そうなのかな。 どうなのかな。 正直、俺は露子さんが怖い。 「なあ、たつみ、そうだろう?」 露子さんが龍神に手を差し伸べて、甘く甘く囁く。 その瞬間、龍神が姿をふっと消した。 「逃げやがった。根性なしめ」 露子さんが口汚く言い捨てる。 龍神がビビって逃げ出すって、どういうことなんだろう。 静まり返った空間で、露子さんがふっと息を吐く。 「ま、気長に口説くさ。20年待ったんだ。待つことには慣れている。愛しいたつみが、私の存在意義だからね」 「あの、露子さんが愛しているたつみって………」 「ん?ああ、龍神のことだよ。勿論この地も家も家族も愛している。でも、私の感情を心底揺さぶって、喜怒哀楽の怒と哀を教えてくれるのは、今までたつみしかいなかった。嫉妬も怒りも哀しみも苦しみも、教えてくれるのは龍神だけなんだよ。あの龍神が私の心を捉えて離さない。それ以外のことなんてどうでもよくなってしまうほどにね」 感情が喜怒哀楽の喜楽に偏っていると言っていた露子さん。 それでも腹を焼く嫉妬を感じることもあるって言っていたっけ。 あれは、龍神に対してのことなのか。 そのためなら、この地の土地神もを奪ってもいいのか。 そして、人を、殺めることも、厭わないのか。 「えっと、その、智和さんは………、それと、霧子さんは………」 智和さんはあそこで、亡くなっている。 では、霧子さんはどうしたのだろうか。 最悪の想像が思い浮かぶが、それに気づいてか露子さんは首を横に振る。 「霧子は死んでないよ、多分。逃げたがっていたから逃がしただけだ。手配をして努をつけて金を渡して、あの二人生活能力なさそうだから少し心配だがね。まあ、ほとぼりが冷めたら帰ってくればいいさ。私が当主になったらいくらでも生活を保障しよう」 「霧子さんが強いって、言ってたのって………」 「霧子は強いよ。なんだかんだで、今の安楽な生活を捨てて愛する男と逃げる道を選んだんだからね。それに龍神の魅力に参らなかった自制心もすごいな。あんないい男を捨てていけるのだから」 「えっと………」 「智和は私が花嫁になると告げたら逆上して襲ってきたのでね。ついうっかり刺してしまった」 「………」 うっかりって。 襲ったなら、智和さんは悪い。 正当防衛と言えるかもしれない。 でも一切悪びれる様子がない、露子さんが理解できなくて、怖い。 「申し訳ないことをしたな。落ち着いたら手厚く葬るとしよう」 人の死というものを、なんとも思っていないようだ。 どこか冷たい印象を受けるとは思っていたが、その印象がますます強くなる。 「時系列としては、婚礼の儀の前の晩にはもう霧子と努を逃がして、三日目に智和に話があると連れ出されて湖に捨てた。三人の失踪といったが、同じ日じゃなかったんだね」 露子さんが親切に解説してくれるが、それもまた不安な気持ちが大きくなるだけだ。 微笑みすらしている露子さんに、人間味を感じない。 邪を相手にしている時のような、恐怖がある。 「………嘘、ついてたんですか」 「嘘はついてないよ。少々誤解されやすいように話して、黙っていただけさ。誰も私に、三人の行方を聞かないんでね。聞かれたら言うつもりだったが。叔母は薄々気づいているようだけどね」 「………」 露子さんが怖い。 でも、嫌いだとは、思えない。 ここまで、悪びれなくてサバサバしてると、なんだかそれが正しいことのようにすら感じてくる。 複雑な、気持ちだ。 「まあ、ここまで種明かししてなんだが、黙っていてくれるかな。厄介なことになりそうだしね。そのうち色々片付ける」 答えたのは天だった。 ため息交じりに呆れたように言う。 「勿論黙っていますよ。公表して俺たちになんの得もない」 「ありがたい。報酬は弾んでおこう。口止め料だ」 「お心遣い感謝します」 言わなくて、いいのだろうか。 でも言って、どうにかなるのだろうか。 ならないだろう。 そもそも言うって、誰に何を言えばいいのだろう。 警察沙汰とかになることは、絶対にない。 ただ、場を混乱させるだけだ。 天の言うことが、正しい。 「少しだけ聞いてもいいですか」 「どうぞ、なんなりと」 天が、立ち上がって、露子さんに向かいあう。 露子さんは面白そうに、天からの質問を待っている。 「あなたは、自分の目的のためなら、周りの人間が苦しんでも何とも思わないですか?」 「そうだな、積極的に苦しめようとは思わないよ。私はどうにも感情が不自由な人間でね。智和が死んでも霧子が逃げても、残念にも哀しくも思うが、それ以上に面白い自体になったと思ってしまうんだ。だから、自分の楽しいようにしていたら、こうなってしまった。そうだね、自分の欲望のために周りの人間が苦しんでもあまりなんとも思わなようだ。私がたつみと共に添い遂げるという目的が、何より優先なんだ。そのためなら、この地が失われても構わない。どうせ、管理者も龍神も、いなくなったとしても人はたくましく生きていくさ。それが自然の摂理だ」 露子さんは、そこで少しだけ哀しそうに笑った。 「でもね、苦しんでるより怒ってるより、笑って幸せにしてるほうがずっと好きだよ。その方が楽しいと思う。だから、本当なら皆幸せでいてほしいのだけれどね。智和にも、私になんて執着しないで、普通に幸せになってほしかった」 人に執着されるのが苦手だと言っていた。 誰に対しても愛おしく感じ、嫌われても嫌だと思わないとも言っていた。 何となくわかった、この違和感。 この人は、本当に人に対して、執着がないのだ。 対等な位置にはいないのだ。 だから違和感と恐れと親しみを感じる。 この人は人間臭いくせに、黒輝や白峰と、どこか一緒なのだ。 「………なるほど」 「参考になったかな?」 「もう一つ、智和さんをどうやって殺したんですか?それと、龍神をどうやって刺したんですか?」 際どい質問に思わず天を見るが、弟は無表情だった。 なんでこんな質問をしているのだろう。 これ以上突き詰めることになんの意味があるのだろう。 他家の事情に関わるなというのは、天なのに。 露子さんは困ったように苦笑する。 「それはまあ勢いで。過ぎたことは気にしなくていいだろう」 「誰にどう思われようと構わない?」 「正直構わないな。私は、皆が笑って幸せなら、それが一番いい」 露子さんの答えは答えになっていない気がする。 けれど天はそれを気にすることはなく、意地悪く唇を歪めて笑う。 「そういうあなたの態度が、この事態を引き起こしたんでしょうね」 「耳が痛いな。今反省しているよ。私はもっと、周りを気にするべきだった」 「今更ですね」 「まあ、その通りだ。今更遅いから今後頑張ることにするよ」 「………」 露子さんは朗らかに、悪意も何も感じさせず笑う。 天は忌々しそうに、眉間に皺を寄せた。 「俺は確かにあなたを羨んでいるようです。でも、参考になりました」 露子さんは優しく目を細めて、柔らかい声で言う。 「四天さんは、きっと潔癖で優しいのだろうね。もう少し肩の力を抜けば、楽に生きられる」 「そうですね。そう出来れば、きっと楽なんだ」 二人の会話の流れがよく分からなくて、首を傾げる。 二人が何を話しているのか、分からない。 「………天?」 見上げると、弟はこちらを見ないまま一つため息をつく。 そして、首を横に振った。 「戻ろう。どうすればいいのかな。分かりますか、露子さん」 「そうだな、たつみ!そろそろ戻してくれ!」 露子さんが声を張り上げて、龍神を呼ぶ。 そして、その後にやりと笑った。 「まあ、私だけはここに残してくれて構わないぞ」 その瞬間、体が浮き上がる感じがした。 水流が起こり、その渦の中に巻き込まれる感じだ。 呼吸は全く苦しくないが、水に体が押し上げられる。 「わ!」 隣を見ると、露子さんも同じように花嫁衣装を肌蹴させて体を押し上げられていた。 ここに残りたいという希望は、叶えられなかったようだ。 「このツンデレめ。でも私は拒まれれば拒まれるほど燃えるからな。首を洗って待ってろよ!」 そして不敵な顔で笑って、宣言をした。 |