「おかえり、三薙」
「一兄!」

家に戻り四天と別れて自室に向かうと、部屋の前には長身の兄の姿があった。
スーツ姿で微笑む一兄の姿を見ると、家に帰って来たと実感できて、全身の力が抜けていく。
嬉しくなって駆け寄ると、腕を掴まれ引き寄せられた。
顎を掴まれ持ち上げられ、マジマジと顔を覗きこまれる。

「怪我はないか」
「ちょっとだけ。腕の傷が………」

大小のかすり傷があるが、一番大きいのは阿部によってつけられた腕の傷が少しだけ開いてしまったことだ。
でも縫うほどではないし、痛みもあまりない。
そこで、気になっていた同級生の姿が脳裏に浮かぶ。

「あのさ、阿部って、まだ……」
「ああ、意識は戻ったらしいが、まだ記憶に混濁が見られるようだ」

そうか、まだ話せないのか。
対面しても何を話せばいいのか分からない。
あいつは、やっぱり俺を恨んでいるのだろうか。
会っても実りのある話はできないかもしれない。
でも、一度は、話したい。

「………そっか」
「話が出来る状態になったら教える」
「うん」

一兄は大丈夫だと言った。
なら、きっと大丈夫だ。
阿部は大丈夫。
一兄がふっと優しく笑う。

「怪我は大丈夫か」
「うん、平気。今回、俺、四天の手伝い、ちゃんと出来た」

と、思う。
天を、助けられた。
でも、それ以上に迷惑をかけてもいただろうか。
引き摺りこまれたのは俺だったし。

「そうか。よくやったな」
「まあ、ちょっとトラブル起こしたの、俺ってのもあるけど」
「でも、やるべきことは出来たんだろう?」
「………と、思う」

天も、素直にありがとうって言ってくれたし、そう思っていいだろうか。
弟を助けられたことは、とても嬉しかった。
今回は役立たずじゃなかくて、よかった。

「四天と喧嘩はしなかったか?」
「う、ん」

喧嘩、じゃない。
よりによって志藤さんの前で、あんなことをされた。
あの後、謝ってくれたけれど、あれは許すことは、出来ない。
どうして、あんなことをするんだろう。
それが、理解できない。

「またしたのか?」

一兄が困ったように苦笑して、俺の頬を擦るように親指で撫でる。
その大きな掌に眠たくなるような気分になる。

「近づけたと、思っても、すぐ、何考えてるんだか分からなくなる」
「やっぱり、まだ一緒に仕事するには早かったか」
「ううん」

それには首を横に振る。
そうは、思わない。
今回は、一緒に仕事にいけてよかった。
色々あって、怒ることも、許せないこともあったけど、でもいけてよかった。
また少しだけ、近づけた気がする。
天は、俺に助けられることもあると言った。
それを信じていいだろうか。

「大丈夫」
「ならいいが、何かあったら言えよ。俺でも先宮でもいい。お前らの喧嘩で仕事で損ねるなんてことはあったらいけない」
「うん。すごくトラブルになりそうだったらいう」
「ああ、そうしてくれ」

一兄が優しく笑いながら、髪を撫でてくれる。
そして目を真っ直ぐに見て、力強い声で言ってくれる。

「お前はよくやってる。自信をもて」
「………うん」
「俺はちゃんと知っている」
「うんっ」

嬉しい。
一兄に褒められると、とても嬉しい。
でも、これも、甘やかされているのだろうか。
俺は頑張ってないって、否定した方がいいのだろうか。
どうしたら、いいんだろう。

「じゃあ、そろそろ仕事に戻るか」

一兄が腕時計を見る。
どうやら仕事中に抜けだしてきてくれたらしい。
わざわざ俺に会うためだろうか。
一兄の顔をじっと見ると、目の下が黒くなっている。
それでも、かっこいいのは変わらないんだけど。

「一兄、寝不足?クマがある」
「ああ、昨日は少し遅かったからな」
「じゃあ、こんな時間に帰ってくるなよ!そのうち倒れるよ!」

仕事を早くこなして、さっさと休んでほしい。
こんなことのために、仕事の時間を伸ばしてほしくない。
けれど一兄は笑うだけだ。

「少しくらいどうってことないさ。お前の仕事の成果聞きたかったしな」
「そんなのいつでもいいよ!」
「そんな邪険にするな」

噛みつく俺を宥めるように、髪をぽんぽんと撫でる。
それでつい、黙ってしまう。

「お前にとってはおっさんかもしれないが、25なんて社会的にはまだまだ若造なんだからな」
「おっさんなんて思ってないよ!」
「まだ体力に任せて無理が出来る年だ」
「………一兄が強いのは知ってるよ。でも無理、しないでよ」
「大丈夫だ、ありがとう。お前の顔を見れたしな」

一兄が俺の額に、額を当てて、悪戯っぽく笑う。

「お前も早く休め」

髪を撫でられて、目を覗きこまれると、それだけで眠くなってきてしまう。
誰よりもこの手に撫でられると、落ち着いてくる。
大好きな、頼もしい手。

「………うん」
「じゃあ、俺も今日は早く帰って休む」
「絶対だよ」
「ああ」

最後に一兄が頭をもう一度軽く叩いて、踵を返す。

「………いってらっしゃい」
「いってくる。お疲れ。よくやったな」
「うん」

頼もしい広い背中は、何もかもを受け止めてくれる気がする。
でも、俺はそれに、どこまで甘えていいのだろう。



***




部屋に入り荷物を解いてるところで、メールが届いた。

『家にいるなら外に出てこい』

もう辺りはすっかり暗く、7時過ぎになっていた。
メールの送信元は、クラスメイトの女の子。

「岡野!?」

メールを返すことも考えられなくて、慌てて部屋を飛び出した。
家を出たら何があるのかなんて、思いつきもしなかった。
ただ、外に出ろと言われたから、出た。
家を出てきょろきょろと辺りを見渡す。

「岡野、どうしたの!」

岡野は家から少し先の道のガードレールに座っていた。
冬でもミニスカートの足は、見ているこっちが寒くなる。
駆け寄ると見ると、岡野は鼻と耳が真っ赤になっていた。

「寒いだろ、中入れよ!」
「すぐに帰るからいい」

隣には自転車が置いてある。
これで来たのか。
こんな寒いのに。
でも、嬉しい。
岡野の顔が見れて、嬉しい。

「えっと、どうしたの?」
「怪我は?ないな」
「う、うん」

あるって言ったらすごい殴られそうで、思わず嘘をついてしまった。
まあ、大した怪我はないし、いいだろう。
いいとする。

「ならいい。ほら、これ」

岡野は満足げに頷くと、手にしてたビニール袋をずいっと渡してきた。
袋はなんだかほんのり温かい。
中を見ると、紙袋が更に入っている。

「えっと、なにこれ?」
「コロッケ。作りすぎたから。親戚が、じゃがいもアホみたいに送ってきたから。だから、消費できないから、あんたに、処理させようと思って。ただ、余りそうだったから、持ってきた。せっかく私が作ったんだから、食えよ」
「え、岡野が作ったの!?」
「なんだよ。意外?」

岡野が憮然として唇を尖らせる。
意外だ。
すごく意外だ。

「コロッケって家で作れるの!?」
「………」
「すごい。どうやって作るの?」

家であまり出ることもないし、家で作れるとは知らなかった。
すごい。
こんなもの、どうやって作るんだ。
岡野が呆れたような顔でこちらを見ていた。

「あんたって、本気で坊ちゃんだったんだな」
「………」

確かに、俺は台所にもろくに立ったことがないお坊ちゃんなのは確かだ。
反論はできない。
だから、黙っていよう。

「開けるな」
「どうぞ」

開けてみると、まだ少し温かいコロッケが4つほど入っていた。
さっくりと揚がっていて美味しそうだ。
夕食もまだだったし、手がつい伸びる。

「食べていい?」
「ここで?」
「うん、駄目?」
「いいけど」

許しが出たので一個取って、かぶりつく。
少し柔らかくなっていたがさくさくとして、じゃがいもはほくほくだった。
何より岡野の手作りだ。
美味しくない訳がない。
ソースも何もかかっていないが、風味だけで十分美味しかった。

「うまい!」

思わずがつがつと、あっという間に食べてしまった。
本当においしかった。
なんか、腹以上に胸がいっぱいだ。

「すごい、おいしかった」
「ふん」

感想を言うと、岡野はそっぽを向いて鼻を鳴らした。
でも、その耳は寒さだけでなく赤くなっている。
岡野は照れ屋で、かわいい。

「岡野、料理うまいな。すごいな」
「チエの方がうまいよ」
「でも、岡野のコロッケおいしい」

槇も料理がおいしいのかもしれないけれど、岡野の料理はおいしい。
どっちがなんて比べることはない。
岡野のコロッケは美味しかった。
それに、持ってきてくれたことが嬉しい。
多分、怪我がないか、確かめにきてくれたんだろうな。
それが、すごく嬉しい。

「ありがとう。嬉しい」
「………なんであんたってそうなんだろうな」
「え?」
「なんでもない」

岡野がまたそっぽを向く。
でもそれからじろりとこちらを睨みつけるように見る。

「仕事、危険なことなかったの?」
「え、と、うん」

あったはあったけど、言わない方がいいだろう。
殴られる気がする。
でもつっこまれたら終わりな気がする。
誤魔化そう。

「えっと、露子さんって面白い女性がいた」
「ふーん」
「当主なんだけど、強くて、賢くて、ちょっと怖くて」
「へー」
「そういえば俺の周りの女性って強い人が多いな。露子さんといい、雫さんといい、岡野といい」

その瞬間頭を思い切り殴られた。

「痛!」
「ふん」
「ご、ごめん」

強いって言ったのがいけなかったのだろうか。
一応褒め言葉だったんだが。
女性に対して言う言葉では確かにないな。
でも、強いって俺の中では最上級の褒め言葉だ。
強く、なりたい。

「なあ、岡野、あのさ」
「何よ」
「えっと、さ、俺って、強いかな」
「はあ?」

前に、岡野は俺のこと強いって言ってくれた。
それが、とても嬉しくて力になった。
もう一度言ってほしくて、つい聞いてしまう。

「ごめん!なんでもない」

でも、そんなの、聞いてどうする。
言葉を強請ってどうする。
強いって、確認すること自体、すでに弱い。
だから、駄目なんだ。

「あんたはぐじぐじしてて鬱陶しくて泣き虫でどうしようもないへたれ」
「う」

岡野は前を向いたまま、ストレートに言う。
本当のことだが、ひどい。
どんどんへこんでくる。
でも、ちらりとこちらを見て、悪戯っぽく笑う。

「でも、逃げない。泣いても怪我しても喚いても、逃げない。立ち向かう。どうなにみっともなくても、前を向いてる」

それから不敵に、からかうように、眉を持ち上げた。

「あんたは、頑張ってる。強いんじゃないの?」
「………」

その笑顔が可愛くて、綺麗で、力強くて、胸に突き刺さって、痛くなる。
体が熱い。
目が熱い。

「だから泣き虫だっつってんだよ」
「ごめ、ん」

涙と勇気が、後から後から溢れてくる。
どうして岡野は、こんなに俺に力をくれるんだろう。
岡野のおかげで、俺は強くなれる気がする。
いつだって、岡野が俺に勇気をくれる。

「あり、がとう、岡野」

岡野と一緒にいたい。
もっといたい。

だから、俺は、選ばなきゃいけない。
誰かを犠牲にすることを、選ばなければいけない。



***




「入れ」
「失礼いたします」

宮城さんに打診すると、先宮にはすぐに会うことが出来た。
屋敷の中心にある広間には、先宮が静かに座っている。
ごくりと、唾を飲み込み、前に座る。
深呼吸して、逸る心を落ち着ける。

「どうした?仕事の報告は、明日四天と共に受けると聞いているが」
「その、儀式のことで」

もう一度深呼吸。
決めなければいけない。
俺の勝手で、犠牲にする人間を決定しなければいけない。

「共番の儀のことで」
「ああ」

これ以上迷っても、また一から迷うだけだ。
なら、心が決まっている今のうちに話すのが一番だ。
決心がにぶらないように。

「儀式の相手には、あ、本人が良ければなのですが、本人の意思を確かめてほしいのですが」
「ああ、分かっている。それで、どちらを選んだ」
「………」

目をつぶって、心臓のあたりをぎゅっと握りしめる。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
許してくれ。

「四天を」

俺は強くなるから。
お前に迷惑にかけないよう、強くなるから。
俺が利用出来るなら、してくれていいから。

「四天に、頼みたいと、考えています」

お前を利用する、俺を許してくれ。






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