「あ………」
「さっき村から追い出されたから、あいつら、今増えてるよ」

ぴょん、と飛び跳ねて一歩前に出て、ワラシモリが座りこんだ俺の前に立つ。
その笑顔はとても鮮やかで大人びている。
無邪気であどけない、けれど底の見えない笑顔。

ワラシモリの言葉に、この森が昨日よりも気配が濃い理由が分かった。
そうか、俺たちが社の祓いを行ったせいで、邪が捨邪地に集まったのか。

「………そっか」
「どうかしたの?わたしを呼んだでしょ?」

ワラシモリはつややかな黒髪をさらりと揺らして、小首を傾げる。
そこで、ようやく俺がここにきた意味を思い出す。
身を乗り出して少女にすがりよる。

「あ、そうだ!ワラシモリ、雛子ちゃんと、望君を知らないか!?」

俺の言葉に、ワラシモリは引き込まれそうなほど黒い眼を少しだけ大きくする。

「雛ちゃん、いないの?」
「ああ、今朝からいないみたいなんだ」

ちょっと考えるようにワラシモリは首を巡らせ、俯いて目を瞑る。
そしてしばらくして目をそっと開けた。

「雛ちゃん、知らないよ。どこにも、いない。どこにいるか、分からない」
「………そっか」

少なからず期待していたから、その言葉に心がしぼむ。
つい視線を地面に落してしまうと、ワラシモリが少しだけ眉を下げる。

「ごめんね」
「いや、ごめん。しょうがないよ」
「雛ちゃん、探して。お友達なの。探してね、お兄さん」

そういえば、雛ちゃんと呼んでいる。
もともと友達だったのか。
子供が妖しのものと知り合いになることは、そこまで珍しいことではない。
まして、管理者の東条家の直系の娘だ。

「………うん」
「約束よ」
「……………」

俺が頷くとワラシモリは念を押すように、目を見つめてきた。
その約束という言葉に、昨日の雛子ちゃんを思い出して胸がざわつく。
約束したんだ。
一緒に遊ぶって、約束したんだ。

「ここには雛ちゃんはいないよ、お兄さん」

ワラシモリはもう一度、そう言った。
軽くため息をついて、別をあたろうと考える。
立ちあがりかけて、ふと気になったことを聞く。

「………そういえば、どうしてお前はここにいるんだ。本殿が家じゃないのか?」
「あそこも、おうちよ。でも、ここもおうち。村中がわたしのおうち」

ふふ、とワラシモリが笑う。
祀ってある社があるんだから、そこが家かと思ったのだが、そりゃそうか、土地神なんだから。
この地は、すべて彼女のものだ。

「でも、ここにはあいつらもいるし、危なくないか?」

俺の言葉に、ワラシモリは目を丸くした。
そしてしばらくして、小さく吹き出した。
堪え切れないように体を震わせてくすくすと笑う。

「ふふ、うふふ、あはは、馬鹿ね、お兄さん。あいつらも、私のお友達よ。私は神よ?」

そう言えば、そうだった。
馬鹿な質問をしてしまった。
まだ笑い続けるワラシモリに、恥ずかしくなってくる。
少女のような外見をしているが、この子は俺なんかよりもよっぽど強大な存在だ。
顔が熱い。

「………悪かったよ。そんなに笑うなよ」
「お兄さん、本当に面白いわね。そういえば、この前きた宮守の人達も面白かった」
「この前?えっと父さんたちのこと?」
「今日は力があるね。あの人の匂いがする」

笑いを止め、ワラシモリがまた急に会話を変えてくる。
本当にテンポがよくつかめない。
力は確かに、昨日よりはよほど残っている。
あの人って、天のことか。

「匂いって………、なんかやだな」
「お兄さんならね、すごく強くなれるよ」

ワラシモリが、座りこんだ俺の頬を両手で包んだ。
そしてどこかうっとりと笑う。
目を細め、赤い唇を持ち上げるその顔は、幼い顔にそぐわないほど大人びている。

「ああ、本当にお兄さんって、素敵ね」
「………ワラシ…も……?」

それまでと全く違う様子に戸惑い、動けなくなる。
ワラシモリが徐々に顔を寄せてくる。
その黒く大きな瞳は、人形のように光っていて、少しだけ恐怖を感じる。
振り払わなきゃ、とぼんやりと思うが、なぜかその手をどかすことができない。
後10センチのところまで近づいた時。

「ガゥ!」

茂みが揺れ、黒いものが飛び出した。
ワラシモリ目がけて飛んだそれは、けれど身を翻したワラシモリの着物の袂で払われる。
バシリと音を立てて払われた体をくるりと反転させ地に降り立ったその黒い毛並みは、見覚えがある。

「黒輝!」

名を呼ぶと、黒い狼は体勢を整えて俺の方をちらりと見る。
そして、ゆっくりと俺とワラシモリの間に立ちはだかった。
四天のお気に入りの使鬼の、黒い狼。

ワラシモリは俺と黒輝の前に立ち、秀麗な顔を嫌悪で歪めた。
そうすると整った顔も相まって、ぞくりとするほど迫力がある。

「卑しき獣の分際で」
「………ワラシ、モリ?」

地に這うような低く響く声で、ワラシモリが吐き捨てる。
黒輝は小さく唸って、身を低くし、警戒を解かない。

「生意気な宮守の小倅の飼い犬か。興が削がれた」

ふん、と幼い外見に相応しくない様子で鼻を鳴らすワラシモリ。
けれど、その一瞬の後、にっこりとあどけなく笑う。
こちらまで微笑んでしまいそうなほど無邪気な、輝くような笑顔。
一瞬の変化。
ちょっと前までの態度は、まるで幻だったかのように。

「お兄さん、雛ちゃんは知らないけど、望はね、あっちにいたよ」

澄んだ高い声に戻り、その細く白い指が森の奥を差す。
自然と、そちらに視線を向ける。

「雛ちゃん、見つけてね」

吐息を感じそうなほど耳元で囁かれ、飛び跳ねるように振り返る。
けれど、そこにはもう神秘的な着物姿の少女はいなかった。
ワラシモリも化け物も、まるでそこに何もなかったように森が広がっている。

しばらく呆然として、少女がいた場所を見つめ続ける。
なんだったんだ、今のワラシモリ、は。
あどけない少女の姿をした、神。
今の、は。

座りこんだままの俺の狩衣の裾を、黒い獣が催促するように引っ張る。
そういえば、この黒い狼が傍にいた。

「………黒輝、お前、どうしてここに?」

白峰と違って俺が触っても怒らない黒輝の鼻先を撫で、俺は聞いてみる。
黒輝は少し嫌そうにじろりと睨んだが、じっとしていてくれる。

どちらにせよ、聞いてもこの姿の時は言葉はしゃべれないんだけど。
天はある程度の意思疎通はできるようだが、俺にはさっぱりわからない。
まあ、でも、こいつがここにいる理由は一つしかない。

「………天が、送ってくれたんだよな」

主人の命令しか聞かない賢い獣が、それ以外で俺を助ける訳がない。
黒輝はくいくいと俺の袖をひっぱる。
ゆっくりと立ち上がると、森の出口の方向に連れて行こうとする。
だがまだ行けない。

「悪い、あっちまで付き合ってもらえるか?」

さっき、ワラシモリが差した方向に足を向けると、黒輝はぐるると低く唸る。
とても不満そうだ。

「ごめんな」

頭を撫でると、さも嫌そうに頭をふり俺の手を払った。
相変わらず、かわいくない。
でも黒輝でよかった。
白峰ならどつかれて無理矢理引きずっていかれているだろう。
まあ、黒輝もいざとなったらそれくらいやるだろうけど。

それでも少しくらいは付き合ってくれるようで、俺が歩き出すと着いてきた。
本当に黒輝でよかった。

ワラシモリが指差したのは、こっちだった。
いつのまにかサンダルが脱げている。
森の中は石やら木の枝やらが落ちていて、足の裏を傷つける。
痛い。
帰る時はサンダルを探していこう。
かじられて肉が少し殺げている足首も両腕も、痛い。
あいつらの口が小さくてまだ、よかった。
でも、じくじくと痛み、白い狩衣が赤く濡れる。
手当しないと、やばいかも。
貧血になりそうだ。

一際大きな木の先に行くと、そこはぽっかりと開けていた。
暮れゆく陽が急に差し込んで目がくらむ。
木々が、切れている。
隣の山が、一望できる。
崖、か。

ぞわり。

背筋に寒気が急に走る。
嫌な予感がして、痛みも何もかも忘れて、崖に駆け寄る。
柵も何もない崖から身を乗り出すと、バランスを崩して落ちそうになる。
だが、寸前で後ろにひかれる。
黒輝が俺の服の背中を咥えて支えている。

それに礼を言うこともできなかった。
今一瞬目に入ったあれは。
あの、影は。

もう一度崖から身を乗り出す。
そこまで高くない。
ほんの5メートルほど。
茂みにひっかかるようにして、仰向けに倒れているあれは。
壊れた人形のように、手足がめちゃくちゃに曲がっている、あれは。

「う、ああ」

ぐらりと、体が傾ぐ。
落ちる前にぐいっと強い力で引っ張られて、森の中に転がる。
強く肩を打ち、痺れるような痛みが走る。
だが、それ以上の痛みが体をさし貫く。
耐えきれなくて、倒れたまま、叫んだ。

「う、うわああああああああああああ!!!」





BACK   TOP   NEXT