「じゃあ、俺は仕事に行くけど絶対にこの部屋から出ないでね」
「………うん」

今日はいよいよ、本殿での邪気払い。
明日の大祭の前夜祭的位置づけでもあるため、今日は村の主要な人間もくるらしい。
祓いは夕方からのため、もうすでに昼過ぎだ。
天の格好も、宮守の正式な舞装束である千早を身に着け、前天冠をかぶっている。
成人するまで正式な場での舞は、女衣裳。
代わりに女の場合は、男衣裳となる。

「本番で寝ているなんて、いいご身分だね。本当に、何しにきたんだか」
「ごめん………」

布団に寝ころんだままの俺を見下ろして、天は秀麗な顔をつまらなそうに歪めた。
いつもなら反発を覚える言葉にも、今は何も感じない。

軽く化粧をしたその顔は、とても綺麗だ。
男にも女にも見えない、無性的な美しさ。
正装をした天は、どこか人間離れをしている。

「いい?じっとしててね。今度こそ言うこと聞いてね」

そう念を押して、天は部屋を出て行った。
最後まで疑り深く俺の顔を見ていたが。
まあ、無理もないか。

体が熱を帯びていて、頭の芯が重い。
それなのに寒気を感じて、少し布団を引き上げる。
深く長く、息をつく。
息にすら熱がこもり、だるい。

静かだ。
ただ蝉の鳴き声がかすかに聞こえる。
館に、まるで誰もいないようだ。
お手伝いさんとかは、いるはずなんだけど。
目に入る天井は、手入れはされているが古いせいで煤けていて黒い。

昨日の怪我のせいか興奮からか熱が出てしまい、俺は一人部屋で寝込んでいた。
まあ、熱がなくてもこの怪我じゃ、何もできなかった。
天の嫌みも当然のことだ。
仕事をしにきたのに、体調の管理すらできない。
また天に全てを任せている。
情けなくてほとほと自分が嫌になる。

でも、少しほっとしてもいた。
家族を一人失っても祭りを続行する、東条家の面々を見ていたくなかった。
死に触れると穢れになるとして、秘密裏に村外れの家に置かれている望君のことを思い出してしまうから。

こういう家がなにより、しきたりや体面、伝統を重んじることを知っている。
宮守の家も、そうだから。
でも、やりきれない。
天のようには、割りきれない。
弟の強さが、少しうらやましい。
あんな風になりたいと思いつつも、けれど同時に恐怖する。

寝ている間に、何度も夢を見た。
小さな体の手足が、変な方向に折れ曲がっていた。
どこか驚いたように空を見上げていたあどけない顔。
小さな小さな手が、俺の方に伸ばされる。
でも俺はその手をつかめない。
力いっぱい伸ばしても、俺の手は届かない。
そして小さな手は血まみれになって、闇に消える。

「…くっ」

また、どうしようもない感情が沸きあがって嗚咽を漏らす。
天の言うとおりだ。
俺がここで泣いていても、何にもならない。
俺ができることは何もない。
泣いていることすら、ただ俺の感傷にすぎない。
俺はただ一つ課せられた義務すら、満足にこなせていない。
ただの、役立たずだ。

どうして、どうしてこんなことになったんだろう。
なんで望君は、あんなところに一人でいったんだろう。
もしかして、あの化け物どもに、襲われたんだろうか。
逃げて逃げて、そして。

くそ。
最初の日にあの化け物どもを一掃していれば、こんなことにはならなかっただろうか。
俺はまた守れなかったのだろうか。
平田と同じように。
くそ、くそくそくそ。

あんな化け物どもに襲われてさぞ怖かっただろうに。
どうして、ワラシモリは助けてくれなかったんだ。
そうだ、ワラシモリ。
なんであいつは、望君を助けてくれなかったんだ。
最初、あいつらから俺を助けてくれたのに。
望君を見殺しにしたのか。
所詮、神といえど、人とは違うものだ。

『あいつらも、私のお友達よ』

そう言って笑った、神秘的な少女。
黒輝に襲いかかられて態度を豹変させた、人ならざるモノ。
神と邪は、元はといえば同じもの。
その姿から警戒をすっかり解いていたが、心を許してはいけないものだったのか。
あいつも、望君を追い詰めた奴らの仲間なのか。

平然と、望の居場所を知っていると言った。
邪気なく笑った。
その時には、望君はあの姿になっていた。

あいつも、所詮化け物なのか。

でも、雛子ちゃんは友達だと言った。
それに、嘘はなかった気がする。
いや、それすらも信じたいだけか。

分からない。
何も分からない。
考えたくない。

頭が重い。
熱を帯びた体がだるい。
氷枕も、だいぶ溶けてしまった。
額に手を置くと、少しだけひんやりとして気持ちよかった。

喉が乾いた。
力は昨日供給されたから、そっちは調子がいい。
これは単なる発熱による乾きだ。

ああ、だるい。
暑い。
寒い。
力が入らない。

もう何も考えたくない。
このまま寝ていれば、もう明日になる。
明日の午前中、祭りが始まる前にはもう俺達は帰る。
祭りは村の人間だけで行われる。
そしたら、もう終わりだ。
ここから、離れられる。

早く、帰りたい。
一兄と双兄の顔を見たい。
自分のベッドで、寝たい。

そうしたら、きっと何もかも忘れられる。
もう疲れた。
何も考えたくない。
望君のこともワラシモリのことも全て忘れてしまいたい。
何もかも忘れて、日常に戻りたい。

熱に浮かされてつらつらと、こちらにきてからのことを思い返す。
まだ、3日目だ。
まだ3日しか経ってないのに。
もう、忘れてしまいたい。

初仕事でうかれて、わくわくしながらこの村に訪れた。
天の弟と間違えられて腹がたって、婆ちゃんの態度にびくびくした。
天とケンカして飛び出して。
そして。

だめだ。

記憶の中で、熱でまとまらなかった意識が、ひとつのことに収束する。
雛子ちゃん。
雛子ちゃんだ。
そうだ、雛子ちゃんは、まだ見つかってない。

ワラシモリも、知らないと言っていた。
雛子ちゃんは、まだ無事なんじゃないだろうか。
まだ、希望はある。
でも、もう、あんなのは見たくない。
いや、でも、探さなきゃ、あんな姿になってしまうんじゃないだろうか。

どうしよう。
でも、どちらにせよ、俺にはこの村の中のことなんてわからない。
東条家の人や村の人が探しても見つからなかったのだ。
ワラシモリさえ、わからないのだ。
俺が探して見つかるはずがない。

喉の渇きがおさえられなくて、なんとか体を起こす。
枕もとに置いてあった水差しからコップに水を注いで、一口飲む。
温くなっている水は、それでも乾いた体に優しい。
少しだけ、意識がはっきりとする。

どこに、いるんだろう、雛子ちゃん。
そう、ワラシモリとも約束したんだ、雛子ちゃんを見つけるって。
あいつが、本当に雛子ちゃんとお友達なのかなんて、もう分からないけど。

この小さい村で、忽然と姿を消してしまった雛子ちゃん。
この地を統べる神ですら、どこにいるのかが分からない。

あれ。
この地を統べるって。
なんか、ひっかかる。

えっと、なんだっけ。
ワラシモリが、言った言葉。
えっと。

『あそこも、おうちよ。でも、ここもおうち。村中がわたしのおうち』

そうだ、そんなことを言っていた。
土地神なのだから、この地のことはよく知っているだろう。
それこそ、隅々まで分かるはずだ。
望君がどこにいるかも知っていたし、俺が呼んだらすぐに出てきた。
村の様子も、把握していた。
会ったことのない天のことも知っていた。

それなのに、なぜ雛子ちゃんの居場所が、わからない。

なんか、おかしい。
いや、すべてあいつの言葉に嘘がないと仮定するなら、の話だが。
もしかしたら雛子ちゃんの居場所を知っていて、それでいて俺たちを弄んでいるのかもしれないけど。

でも、もし、あいつの言っていることが本当だとしたら。
なぜ、土地神が分からない場所がある。

コト。

小さく音がした。
音の方に顔を向けると、いつの間にか障子の前に、人影があった。





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