「………みや、もり?」

静まり返った資料室に、藤吉の心配そうな声が響く。
俺は返事をしようとして、それができずに呻く。

「う、ぐ……、うあ」
「大丈夫か!?」

藤吉が駆け寄って、崩れ落ちた俺の体を支える。
笑って平気といいたいのに、なんとか返事をするのがやっとだった。

「あ………平気………、ちょっと、待って」

ただでさえ力を飲み込むには、たとえ身内であろうと面倒な手順を踏むのだ。
無理矢理飲み込んだ力は、俺の中で暴れまわる。
俺の力に染まるのを嫌がり、俺を乗っ取ろうと、中から喰い荒らす。

痛い痛い痛い。
苦しい。
気持ち悪い。
吐きだしてしまいたい。
頭が痛い。
内臓が痛い。
どこもかしこも痛い。
痛い。
いやだ、苦しい。
気持ち悪い。

まだわずかに残っていた力で、黒い力をねじ伏せようとする。
ちゃんと、飲み込めた。
俺の中に、収めることができた。
なら後はねじ伏せて、これを俺の力にすればいいだけ。

でも、ねじ伏せるための力が足りない。
わずかに変換した力でまたねじ伏せようとするが暴れまわる黒い力の方が強い。

「ぐ、うう………」

まだ飲み込まれたら、駄目だ。
四天が来るまで、耐えろ。
このまま、俺の中にとどまらせ続ければ、俺の勝ちだ。

「宮守………」
「へい、き、だから………、俺から、離れて………」

でも、藤吉は離れてくれない。
くそ、この馬鹿。
駄目だ、飲まれたら、こいつをどうするか分からない。
絶対、意識を手放せない。

酸か何かで、中から溶かされているような感触。
内臓を引っ掻きまわされるような痛み。
ジェットコースターを何周もしているように、目が回る。
中から、俺という存在を壊そうとして、暴れまわる力。
自分とは違う存在を飲み込む、異物感。

痛い。
怖い。
気持ち悪い。
意識を手放してしまいそうだ。
むしろ、手放したい。

「う、あ、うぅ、く………」

額に浮かんだ汗を、藤吉が拭ってくれる。
だめだ、まだ、手放すな。
まだ藤吉が、いる。
こいつらだけは、守るんだ。
くそ、あと少しだけ。
少しだけでいいから、力があれば。
そうしたら、こんなのねじ伏せて、俺の力にしてやるのに。

苦しくて喉を掻き毟ろうとすると、藤吉の手に止められる。
転がりまわって内臓を吐き出してしまいたい。
けれど肩を抱く藤吉によって、それも出来ない。

くそ、止めるなよ。
苦しい苦しい苦しい。
いやだ、苦しい。
苦しいよ、助けて一兄。
一兄助けて。
助けて、四天。

助けて助けて助けて。

「う、ぐ、がっ」

獣のようなうめき声を上げ続けて、それを必死で藤吉が宥める。
どれくらい、そうやっていっただろう。
霞んできた視界が、白い光で焼かれる。

「あ………」

白い力が、学校中に満ちる。
一瞬にして、闇の残滓が吹き飛ばされる。
空気が、神域のように清浄になる。
呼吸が、少しだけ、楽になる。
あの、化け物。

「………き、た」
「え?」

その言葉に藤吉が不安そうな顔をする。
あ、そうか、わからないのか。

「もう………、大丈夫」

ちゃんと説明したくても、うまく話せない。
体中の力が一気に抜けて、今度こそ意識を手放しそうになる。
後、少しだ。
もう、後少しで、休める。

早く、早く来て、四天。
早く、早く、早く。

そして、開けっぱなしのドアから、闇夜でも白く輝く姿が現れる。
少し長めの黒髪に縁取られた白い顔は、いつものように少し不機嫌そうだ。

「………おそい、んだ、よ、馬鹿………」
「わざわざこんな時間に駆け付けてあげた優しい弟に対する言葉がそれ?」

俺の理不尽な文句に、いつも通りの嫌みで応酬する。
そのやり取りが、涙が出そうになるほど、安心する。

「また、ボロボロになってるし」

流れるような仕草で、天が近づいて屈みこみ、俺の顔をすくい上げる。
藤吉にもたれかかりながら、睨みつけようにも、力が入らない。
その時四天の後ろから、大きな影がこちらに寄ってきた。

「大丈夫か、三薙?」
「いち、にい!」

その声を聞くだけで、力が湧いてくるような気がした。
必死で目を凝らすと、そこにはダークグレーのスーツを纏った長身の兄の姿。

「いち、に」

一兄は近づくと、俺を藤吉の手から受けとった。
懐かしい長く逞しい腕の中におさまって、いまだに腹の中はぐちゃぐちゃだけど、心から安心する。
俺を抱えあげながら、一兄が頭をくしゃりと撫でてくれる。

「よく、頑張ったな」
「………こんどは、まもれ、たよ」
「ああ」

優しく笑って、くしゃくしゃと頭を撫でてくれる。
それだけで、俺のやったことが全て肯定された気がした。
苦しくても、自然と頬の筋肉が緩む。
それから一兄は藤吉に視線を移す。

「ありがとう。えっと、君は」
「あ、俺は藤吉って言って、こいつのクラスメイトです」
「そうか、ありがとう、藤吉君。迷惑をかけたね」
「いえ!」

藤吉がぷるぷると頭を思いっきり振る。
そして長兄は、後ろに立っていた末弟に俺を差し出す。

「四天、三薙の供給を頼む。俺は後始末をする」
「役割、逆の方がよくない?」
「三薙の供給はお前の役割だ。そうだろう?」
「…………」

二人はしばし見つめあう。
それから、最初に息をついたのは四天だった。
肩を竦めて慇懃無礼に礼をする。

「はい、先宮の仰せの通りに」

そしてポケットから水晶を取り出すと、その場にそっとおく。

「黒輝」

みるみる闇が濃くなり、瞬きする間にも黒い狼がそこに具現する。
後で、小さく息を飲む声が、聞こえた。
それには構わず一兄は俺をそっと黒輝の上に乗せる。
黒輝は嫌そうに鼻を鳴らしながらも、俺を振り落とすことはしなかった。

「どうせここじゃ嫌なんでしょ?」
「嫌に、決まってる」
「はいはい」

そのまま資料室から出て行くと、黒輝もそれに続く。
二つ隣の教室に入ると、黒輝は俺をその場に置いた。
何かの展示をするらしく、パネルが沢山ある教室だ。
埃にまみれた床の上、俺は力なく仰向けに転がる。

痛い。
苦しい。
早く楽に、なりたい。

四天が傍らに跪き、俺の顔を覗き込む。
それから形のいい眉を潜めた。

「………さっき言ってた奴、飲み込んだんだね」
「うん………」
「………また、馬鹿な事をするね」

忌々しげに、そう吐き捨てた。
自分でも馬鹿だと思うが、さすがにむっとする。
けれど言い返す力もなく苦しげに息をする俺に、軽くため息をついた。

「とりあえずは、供給するよ」

肩を持ち上げられ、上半身を起こされる。
背に回された手が、熱い。

「宮守の血の絆に従い、此の者に恵みを。此の者に巣食う闇を浄化せよ」

天が簡略化された呪を唱えると、体に衝撃がきた。
ビリビリと、背から電流を流されたような痛みが走る。

「あ、ああああ、ああっ、うあ、あ、て、ん、あああ!」

自然と背が軋むほどに仰け反って、呻くような叫び声が上がる。
痛みなんだかなんだか、よく分からない衝撃が、体を駆け巡る。
天の腕に爪を立て、痛みから逃れたいと訴えるが、弟は冷たい目で見下ろすだけ。

「それくらい我慢して。中、綺麗にするから」

俺の中に巣食う闇を祓っているらしい。
けれど衝撃が大きすぎて、涙が溢れてくる。

「て、ん、たす、けて、う、あ、ああああ」
「ほら、黙って」
「んっ、あ、う、く」

天の唇が、そっと重なる。
ゆっくりと舌を絡められ、天の唾液が触れた瞬間、先ほどの強い衝撃とはまた違う感覚が流れ込んでくる。
白い力が、体の中に溢れて、黒い闇を圧倒していく。

「んっ、うぅ………は、あ」

乱暴に中を掻きまわされる痛みと、力を与えられる快感に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
苦しくて苦しくて、でも気持ち良くて、痛くて、訳が分からない。
体を離したくても、背中をしっかりと捕えられそれも敵わない。
それならと、すがるように、目の前の人間の背に必死にしがみつく。
その痛みも快感も、この手に与えられているものなのだが。

「あ、あ……うぅ、くっ」

苦しくて、息継ぎの合間にも呻いてしまう。
無理矢理注ぎ込まれるものに、涙がボロボロに溢れてくる。
それは、そんな長い間じゃないはずだが、ずいぶんと長い時間に感じた。
体の中を巣食っていたものがなくなると、天はそっと体を離した。
黒いものはなくなっていたが、まだ力は万全じゃない。

「とりあえずは、ここまで。残りは帰ってからね」
「う、ん」

強い衝撃に真っ白になった頭で、反射的に頷く。
しばらく現実に戻ってこれない。
天の腕に支えられたままぼうっとしていると、結構強い力で頬を叩かれた。

「ほら、しっかりして」
「………うん、ありがと、て、ん」

ようやく戻ってきた意識に、床に手をついて体を支えながら四天に礼を言う。
せっかく礼を言ったのに、弟は目を丸くした。

「どうしたの、素直だね」
「だって、助かった」

体に力が戻っている。
気が狂うんじゃないかと思った痛みも、治まっている。
脳がしっかりと機能し始めた。

「………助けられたんだ、やっと、助けられたんだ」

そう言うと、ようやく実感が沸いてきた。
あいつを、祓うとはいかなかったけど、捕えることができた。
みんなを守れた。
それだけが、ただ嬉しい。

「よかった。みんな無事で、よかった。俺でも、出来たんだ。もちろん天とかいなきゃ、ダメだったけど、でも、出来た」

手をぎゅっと握る。
この手で、やっと守ることが出来た。
後始末は一兄や四天に結局任せてしまったが、でもあの三人だけでも守れたんだ。
ふつふつと、心に熱いもの溢れてくる。

「そう」
「うん!」

飛び上がって踊り出したいぐらい、嬉しい。
本当に嬉しくて嬉しくて、たまらない。
でも、それに水をさすのは、いつもこの弟。

「それが自分の身の安全を確保した上で、だったら俺も褒められるんだけどね」
「………それ、は」
「それと俺や一矢兄さん達に泣きつかないようになればね」
「………ごめん」
「兄さんは、強くなる必要ないのに」

四天が、いつものセリフを口にする。
俺はそれに黙り込む。
せっかく嬉しかったのに、みるみる喜びは萎んでくる。
四天の言うとおりだから言い返すことはできない。
でも、それでも、俺は強くなりたい。

「ま、いいや。さて、帰ろ」

四天は立ち上がり、膝についた埃をはらう。
その言葉に、俺はやらなきゃいけないことを思い出す。

「あ、槇と岡野に大丈夫って伝えなきゃ。それと、ほかの奴ら、どこにいるんだろう」
「とりあえず白峰に校内探らせてる。なんか見つけたみたいだよ」

みんな、無事だといい。
無事でいて。
お願いだから、無事でいて。
祈るような気持ちで、一兄と藤吉と合流して、とりあえず視聴覚室に向かう。
結界を破ってドアを開けると、岡野と槇が飛び出してきた。

「宮守、藤吉!」
「宮守君!藤吉君!」

そのままぶつかるように岡野が俺に飛びついてくる。

「わ」

長身の岡野の体重を支えられなくて、二歩ほど後ろに下がる。
甘い匂いがして、全身が熱くなった。
が、そんなこと考える暇なく平手を喰らう。

「って」
「この、タコ!かっこつけんじゃねえよ!」
「あ、と、えっと、ご、ごめん」

その剣幕が怖くて、思わず謝ってしまう。
岡野は涙ぐんでいて、目の周りの化粧が落ちたらしくて黒くなっていた。
でも、それは今まで見たどんな表情より、かわいいと思った。

「よかったあ。ホントに何もなくて、よかった」
「あ、え、な、泣かないで!」

槇も俺の傍にきて、ぼろぼろと泣き始める。
白い肌に綺麗な涙の粒が零れて、焦る。

「いやー、モッテモテだなー、宮守。うらやましー」
「助けろよ、藤吉!」

藤吉がちょっと離れてその様子をにやにやとして見守っていた。
いや、面白がっていた。
一兄もなんだか面白そうに見ている。
う、これは後で絶対からかわれる。

ひたすら謝って二人から解放してもらうと、四天と何か話していた一兄がこちらにやってくる。
そしてぽんと俺の頭に手をおいて微笑んだ。

「三薙、ほかの子たちも衰弱してるが無事のようだ」
「本当に!?」
「ああ、一晩眠れば大丈夫そうだ。疲れはしてるだろうけどな」
「よかった………」

無事なんだ。
他の奴らも、無事なんだ。
浜田も、ほかのクラスの奴も、みんなみんな、無事なんだ。
助かったんだ。

「あは、は、よかった………」

安心から、また涙が溢れてくる。
咄嗟に目をこするが、それでも止められない。
後から後から溢れてくる。

「また泣く」
「本当に泣き虫だなあ」

岡野と槇が呆れたように、でも笑いながら俺を小突く。
藤吉も見ているのに、恥ずかしくて仕方ない。
でも、止まらない。

「ご、ごめんね、あは、あははは、あは。よかった。あは」

ようやく、何も、失わないで、すんだんだ。





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