後少しで新年を迎えると言う頃、祭りを前にして、家の中の空気は張りつめていた。
今は舞殿の方で、着々と準備が進められているはずだ。
奉納舞の他にも、色々とやることはある。

「はー、緊張する」
「ですね」
「私も緊張しちゃう」

しかしもう衣装を身につけ、ただ待つ身としては緊張が高まるばかりだ。
外は寒いから家の中で待っているのだが、衣装が嵩張って自由動くことも出来ないし、化粧が落ちるから飲食も控えている。

「そういえば、三人とも今年が初めてなのか。まあ、俺が初めてってのは普通だろうけど」

三人とも緊張して椅子に座っているのを見て、そういえば皆最初だったのだと思い至る。
そんなに沢山祭りに参加できる女性がいるわけでもないから、奉納舞を何回も舞っている女性はいる。
四保子叔母さんなんかも、もう何回も舞っていると言っていた。
基本的に女性が舞うものだから俺はともかくとして、五十鈴さんと栞ちゃんが初めてだというのは意外かもしれない。

「そういえばそうね」
「じゃあ、いよいよ真打登場ってことで」
「あはは、そうね」

栞ちゃんが冗談めかして言うと、五十鈴さんが朗らかに笑った。
なんとなく和んだ空気の中、栞ちゃんがこちらを見る。
成人とされる十八までは男女は異性の装束を身につけるから、俺は女装束で栞ちゃんは男装束。
狩衣で髪を後ろで結っている姿は、凛々しくも可愛らしい。

「そういえば三薙さん、クリスマスいかがでした?」
「え!?」
「ご兄弟、皆さんでやったんですよね?」
「あ、うん!」

あのプレゼントの話かと思って一瞬身構えるが、そうではなかったらしい。
ほっと息をついて、説明をする。

「楽しかったよ。いつもプレゼント交換しないんだけど、今年は皆にあげたんだ。喜んでくれてた。今年で最後かなって思って」

いつまでも兄弟達を拘束しているのも、申し訳ない。
来年も友人と過ごせるかどうかは分からないけれど、いい加減三人とも好きなように過ごしてほしい。
文句は沢山言ったけれど、毎年のクリスマスは楽しかった。
なくなれば、寂しくなるだろう。
だから、最後の記念にプレゼントをあげることにした。

「何をあげたんですか?」
「皆に、同じデザインで色違いのペン。あんま使うことないだろうけど」

PCを使うことが最近は多いし、ペンなんてあまり使わないだろう。
ストラップとかも考えたのだけれど、兄弟でお揃いのストラップというのはそれはそれで痛い。
ペンも痛いかもしれないが、なんとなく、一緒にしたかったのだ。
いつか皆は、バラバラになってしまうだろう。
俺は力の供給があるからどうなるか分からないけれど、でも今のままではいられない。
だから、最後かもしれないから、なんか記念になるものが欲しかった。

「素敵ですね!今度しいちゃんに見せてもらおっと」
「うん」
「それで岡野さん、喜んでくださいました?」
「え、へ!?」

いきなりの不意打ちに噴き出す。
慌てて栞ちゃんを見ると、栞ちゃんはにっこりと笑っていた。

「どうでした?」

けれどその天使のような微笑みは、今では悪魔のように見える。
栞ちゃんは、決してかわいいだけの女の子ではない。
さすが天の彼女なだけある。
黙秘権を行使したかったけれどプレゼント選びに付き合ってもらった恩があるので、黙っている訳にも行かない。

「………う、うん。その、ありがとう。喜んでた」
「わ、本当ですか!よかった!」

けれどそうやって、我が事のように手を叩いて喜んでくれると嬉しくなる。
俺のために喜んでくれる、優しい子だ。

「何、なんの話?」
「この前ですね」

しかし興味津々に聞いてくれる五十鈴姉さんに、嬉々として事情を話すのはやめてほしい。
天にも言ったらしくて、家族でのクリスマスパーティーでは皆から散々にからかわれた。
ああ、栞ちゃんに頼んだのは失敗だったのか正解だったのか。

「ええ!?それなら私も行きたかったわ!」
「五十鈴姉さん、一兄に速攻でついてちゃっただろう!」
「だ、だって」

もういい加減からかわれるのは嫌なので、言い返す。
五十鈴姉さんは顔を赤らめてしょぼんと肩を落とした。
かわいい。

「それで、どんな子なの?三薙ちゃんが好きな子って」
「す、好きって、そ、そういう訳じゃ」
「ないの?」
「………」

じゃない、とは言い切れない。
だって、それがどういう感情であれ、俺は岡野が、好きなのだから。

「………厳しくてしっかりしてちょっと怖いけど、でも優しくて気遣いの出来る、いい子、だよ。友達だけど」

だから、正直に答える。
怖くて優しくて乱暴で頼もしい、可愛い女の子。

「きゃああ!」
「うふふふ」

すると女性二人は途端に色めき立った。
にやにやしながらこちらを見てくる。
栞ちゃんと雫さんの時もそうだったが、なんで女性ってこんな風に恋愛話が大好きなんだ。
双兄にからかわれるのとはまた違う居心地の悪さがある。

「お、俺、ちょっと散歩してくる!」

だから俺はたまらず、部屋から飛び出した。



***




「はあ」

熱い顔を冷やすために、庭に面した廊下に出る。
少しだけガラス戸を開けると冷たい風が入ってきて、火照った頬を冷やしてくれる。
しかし今は温かいからいいけど、この寒さの中奉納舞をするのは風邪をひきそうだ。

「三薙さん?」

声をかけられて、そちらを振り返る。
そのやや高めの男性の声は、最近聞きなれたものだ。

「あ、志藤さん」

何か紙袋を手に持った志藤さんが、廊下のちょっと先にいた。
俺はガラス戸を閉めてそちらに近づく。

「志藤さんも祭りに参加するんですか?」
「………」

志藤さんは俺の顔を見て、眼鏡の奥の目を丸くしている。
口も半開きにして、何かに驚いているようだ。

「志藤さん?」
「………」

どうしたのかともう一度聞くが、やっぱりただ呆然と俺を見ているだけだ。
仕方なく志藤さんのスーツを引っ張って、やや強めに名前を呼ぶ。

「志藤さん!」
「あ、す、すいません!」

そこでようやく我に返ってくれて、慌てて頭を下げる。
俺の顔を見て驚いていたようだが、何か変だろうか。
いや、変かと言われれば衣装を着て化粧をしたこの格好は変以外のなんでもないんだが。

「どうしました?俺なんか変ですか?一応ちゃんと着付けてもらったんですけど」
「え、いえ、お綺麗です!」
「へ」

自分の衣装を確認しながら聞くと、勢い込んで答えられた。
何を言われたか分からなくて首を傾げた。
志藤さんはなんだか、興奮した様子だ。

「すごくお綺麗なので驚きました」
「え、あ、うん、確かにこの舞装束は綺麗ですよね」
「いえ、三薙さんもお綺麗です!」
「え、えっと」

綺麗と言われても何がなんだか。

「すいません、つい、見とれてしまって」
「あ、あの………」

そこで俺が戸惑っているのが分かったのか、志藤さんがまた我に返る。
そして再度慌てて頭を下げた。

「あ、す、すいません。し、失礼なことを」
「いえ、あり、ありがとうございます」

礼を言うのもなんだか微妙な感じだが、志藤さんは俺をからかったりする人ではない。
純粋に褒めてくれただけなのだろう。
複雑な気分になりながらも、褒められたのだからと受け止める。

「俺も、後一年すればようやく男装束になれるんですけどね」
「十八までは女装束ですっけ」
「ええ、子供の頃の巫子は無性ってことで」

早く男装束になりたい。
自分が似合ってるとも思わないし、化粧をするのも抵抗がある。

「でも」
「志藤さん?」
「あ、な、なんでもありません」

志藤さんが言いかけて、言い淀む。
そんなことされると余計に気になってしまう。
だから袖を引っ張って、またちょっと強く言う。
志藤さんには強く出れるから不思議だ。

「なんですか?」
「………以前、四天さんの舞装束姿を、みたことがあるんです。綺麗でした。確かに、無性に見えました」
「そうですね、確かに四天は男か女かどっちか分からなくなります」

天の舞装束姿は、男でもなく女でもなく、ただ綺麗な存在だ。
無性であることっていうのはこういうことなのか、と思い知る。
人間離れした、美しさ。
昔見た一兄や双兄も綺麗だったが、天が一番美しく見える。

「はい、四天さんは性別を感じません。けれど、三薙さんは、女性に近い感じがします」
「へ」
「あ、勿論男性なのですが、なんでしょう纏う空気が柔らかいと言うか………」

それは、女装が似合うと言われているのだろうか。
自分では微妙としか思えない格好だが、似合っているのだろうか。
というかこれは褒められているのかなんなのか。

「………その、すいません」

俺が黙りこんでしまったからか、志藤さんが申し訳なさそうに謝る。
それからもう一度俺を見て、微笑む。

「でも、よくお似合いで、とてもお綺麗です」
「え、えーと、ありがとうございます」

駄目だ。
褒められても複雑な気分にしかなれない。
志藤さんが純粋に褒めてくれるだけいたたまれない。
いっそからかわれた方がいい。
話を変えよう。

「あ、そうだ。志藤さんも祭りに参加するんですか?」
「いえ、謳宮祭に出席出来るのは、家人の中でもかなり長い間務めたものぐらいですので。私は付近の見回りです」
「そうなんですか」

そう言えば、謳宮祭に出てる人は、一族の人間と、ごく限られた使用人だけだった気がする。
他の祭りとは違って、準備からも一族が総出で行っているから、使用人はあまり必要ないのかもしれない。

「三薙さんの舞を、拝見してみたかったです」
「た、大したものじゃ、ありません」
「熊沢さんも双馬さんも、三薙さんの舞はとても美しいと仰っていたので」
「………」

志藤さんが目を細めて、穏やかに微笑んでいる。
そこにはからかう様子は、本当に一切ない。
ただ純粋に言ってくれている。
なんか、この前の時から、志藤さんの態度というか、性格が微妙に変わっているような気がする。
一番最初の時はもっとこう、自信なさそうな感じだったのに。

「な、なんか」
「あ」

恥ずかしくて顔が熱くて俯いてしまう。
志藤さんが小さく声を立てて、すっと俺から離れる。

「三薙か?」
「い、一兄!」

廊下の角から、一兄の姿が現れた。
一兄も準備をしていたのだろう、今日は衣冠の正装をしている。
ピンと伸びた背筋には、スーツだけではなく和装もよく似合う。

「こんなところでどうしたんだ?もうすぐ奉納舞だろう」
「あ、気分転換。緊張しちゃって」
「そうか」

志藤さんと話していたところを見られたのではないかと、内心焦る。
誤魔化せているだろうか。
一兄は近づいてきて、傍に控えて頭を下げている志藤さんを冷たい目で見る。

「お前は、志藤だったか」
「はい。お疲れ様です」
「さっさと戻れ。不用意にこちらに近づくな」
「はい。お忙しい時に失礼いたしました。外の見回りに戻らせていただきます」

志藤さんは俺に視線も送らずに、もう一度深々と頭を下げて去っていく。
ちょっと寂しいが、仕方ない。
仲良くしているところを見られたら、怒られるかもしれない。
しかし、志藤さんの俺となんか話してなかったですよ、というような態度は完璧で、あの人が演技なんて出来たのかとそれも驚く。

「お前は、志藤と仲がいいのか?」
「え、この前仕事で一緒だったから」
「ああ、双馬と行った奴か」
「そう」

一兄の黒い目で見つめられると、落ち着かない。
友達付き合いしようと思っていることが、ばれてしまうんじゃないだろうか。
変な態度は、取ってないと思うのだが。
一兄に嘘をつくなんて、俺には向いてない。

「あまり使用人とは度を超えた付き合いをするんじゃない。情は判断を鈍らせる時がある」
「う、うん」
「いい子だ」

一兄がどう思ったのか分からないが、それだけ言ってふっと笑った。
それで威圧感が薄れて、ほっと肩から力を抜く。
さっき話していたのは、聞こえてないだろうか。
それならいいんだけど。

「綺麗だな。お前は舞装束がよく似合う」
「さっき、あ、うん」

一兄が俺の装束姿を見て、目を細める。
さっき志藤さんにも言われたよって思わず言いそうになって慌てて口をつぐむ。
いきなり俺が自爆してどうする。

「どうした?」

焦って何度も頷く俺に、一兄が不思議そうに首を傾げる。
ここは笑って誤魔化そう。

「ううん。早く男装束の方着たいなあって」
「もう来年なんだな。似合ってるから少し残念な気もするが」
「俺はやだ!」

思わず声を荒げると、一兄がくすくすと笑った。
それに絶対に似合ってない気がする。
天の方がずっとずっと似合ってるし。
岡野とかが見たら指をさして笑いそうだ。

「三薙」
「何?」

一兄がそっと俺の頬に触れるか触れないかの位置で手を添える。
触れると化粧が落ちてしまうから、触れないのだろう。

「………奉納舞、見ているからな」
「うん」

一兄も双兄も天も、先宮も母さんも、皆見ているだろう。
腑抜けた舞は出来ない。
緊張は抜けたような気がするし、後はもう頑張るだけだ。
緊張が抜けたっていうか、それどころじゃなかったて感じだけど。

「さ、戻るか」
「分かった」

後は、頑張るだけだ。



***




「宮守の地に神留まります掛巻も畏き奥宮に、恐み恐み奉り申し上げる。夜須美より壌より奈保留を受け入れし……」

先宮の祝詞が、朗々と舞殿とその周囲に響く。
場を支配するような威厳に満ちた深みのある声を聞いていると、引きこまれそうになる。
夜の宮守の庭は、まるで異次元のようだ。
暗く凛として張りつめた空気は、居心地が悪くなるほどだ。

木々に囲まれた深い森の中、奥宮のある方に対峙した形で舞殿はある。
俺達が舞を奉納するのは、奥宮。

ドンッ。

先宮の祝詞が終わり、闇の中に太鼓の音が響く。
しばらくして笙の音も響き始め、俺たちも舞を始める。

扇と鈴を持って舞う奉納舞は、その涼やかな音も相まってとても綺麗な舞だ。
扇を翻しながら自分の力で、じわりじわりと辺りを染める。
心が真っ青に染まっていき穏やかになる。
隣で舞う栞ちゃんと五十鈴姉さんの力と溶けあい、混じり合い、辺りを染め上げていく。

栞ちゃんの力は不思議な色をしている。
灰色に近い、青だろうか。
五十鈴姉さんの力は双兄に似ている薄めのオレンジ。
全く違う色を持つ俺たちの力だが、混じり合うととても美しい色になっていく。

力に身を任せ、力と一体になっていく心地よい空間。
雑念が消えていく、心地よい時間。
供給を受けている時のようなトランス感。
寒さすら感じなくなっていく。
体という檻からも解放されている気がする。

動きを覚え込ませた手足は、自然と次の動作を行う。
目を閉じても、栞ちゃんと五十鈴姉さんの動きが分かる。
太鼓と笙の音しか、耳に入らない。
何もかもの感情から解き放たれるこの瞬間が、ずっと続けばいいとすら思う。

けれど静かに舞は終わり、太鼓と笙の音も名残惜しく響き終える。
その場に膝をつき、ゆっくりと額づく。

終わったと、息をつこうとした時だった。

「う、あっ」

その場一帯の空気が揺れる。
叫び声のような、不快な音が、辺りに木霊する。
音ではない、脳内に直接響くようなこの不快な音は、聞いたことがある。

いつだったっけ。
自分の一番柔らかいところを引っ掻き汚されるような、不快感。
けれど、あの時よりもずっと、ひどい。
その不快な音が、俺の中をかき混ぜ汚す。
痛くて、苦しい、苦しい。
抵抗しようとしたせいか、急激に力が失われていく。

「くっ」
「三薙ちゃん!?」

五十鈴姉さんの焦ったような声が聞こえる。
けれど、答える余裕なんてなくて、その場に崩れ落ちる。
吐き気と不快感と痛みが耐えきれない。
喉が渇く、渇く渇く渇く。
力が欲しい。

俺は舞殿に横たわると同時に、意識を手放した。





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