普段と変わらない様子の夕暮れの住宅街。
けれど、明らかにいつもとは違う。
人の気配がなく、車が一つ通れるぐらいの細い道がただただ先まで続いていた。
家の影が長くのびて暗闇を落とし、より一層不気味な印象を与えている。
赤と黒のコントラストに、不安な気持ちが押し寄せてくる。
そういえばいつもは見えている、それなりに高いビルなんかは視界にない。
明りの灯らない人のいない住宅が、長く続いているだけだ。

「な、なにここ」
「さあ。俺に聞かれても分からないよ。とりあえず何かの術みたいだけど」

天はいつもと変わらない冷静な様子で辺りを見回している。
その表情に焦りや動揺なんかは一切見られない。
もどかしくて、つい天の腕を掴んで責めるように聞いてしまう。

「術って、なんで」
「だから俺に聞かれても知らないって」
「でも!」
「うるさい。ちょっと黙ってて」

天が鬱陶しそうに眉を潜めて俺の手を振り払う。
そこで自分が酷く焦っていたのに気付いて、我に返る。
俺も、落ち着かなければいけない。
落ち着け落ち着け落ち着け。

「………」

天は辺りを見渡し、力を張り巡らせて様子を窺っていたようだ。
しばらくして、ふっと短く息を吐いてからポケットから水晶で出来たストラップを取り出す。
一つを地面に置き、呪を素早く唱える。

「白峰」

するとすぐに顕現されたのは二つの尾を持つ美しい白い狐。
その白い毛並みは光り輝いて、銀色に見える。

「ごめんね、道を探してくれるかな」

天が愛しげにその顔を撫でると、白峰は気持ちが良さそうに眼を細めた。
それから身を翻して俺たちの前を歩きはじめる。
天がその後ろについて歩きはじめるので、俺と志藤さんも慌てて付いていく。

「この世界をぶっ壊してもいいけど、とりあえずは平和的な解決を試みてみようか」

天がすたすたと歩きながら、そんな物騒なことを言った。

「ぶっ壊すって………」
「力叩きつけて負荷をかけつづければ多分いけるんじゃないかな。俺の力が勝てばね」

天は基本的に冷静で慎重な性格だが、時折こんな乱暴なことを言いだす。
冷静なのも慎重なのも確かだが、面倒くさがりなのも確かだ。
力が勝てばというが、恐らく並大抵のものには負けないのではないだろうか。
けれど無尽蔵の力を持つ弟は、軽く肩をすくめた。

「まあ、俺の方が上か分からないし、壊れた時に二人が無事かどうかも分からないしね。俺は多分平気だけど」
「おい」
「だから平和的解決」

本当に物騒な発言だ。
平和的解決を選んでくれてよかった。
沈黙が落ちたので、前を行く白峰が慎重に歩いているのを見る。
白峰は黒輝と違って、四天以外の人間を完全に見下しているので少し苦手だ。

「そういえば、黒輝じゃなくて白峰なんだな」
「探査能力とかスピードは白峰の方が上なの。黒輝の方が単純な力は上だし人間慣れしてるから人に化けさせるのとか向いてるんだけど」
「へえ、そういう特徴があったんだ」

俺からしたら二体ともものすごい強い、としか思ってなかった。
黒輝の方がやや優しくてとっつきやすいけど。
そういえば黒輝は人に対して、白峰ほど厳しくない。

「黒輝って人間慣れしてるんだな。確かに触っても嫌がられないし」
「昔から気が向いたら人といたみたいだから」

そういえばこの前すごい長生きだ、というようなこと言っていたっけ。
昔から人のことそこまで嫌いではないのか。
そう考えるとちょっと親近感が沸く。
天が疲れたようにふっとため息をついた。

「にしても俺も小さな使鬼、持ってればよかったかな。白峰はいい子なんだけど力食うし」
「だ、大丈夫か?」
「今のところはね。どれくらいかかるかによるけど」

なんでもないように言っているが、確かにここから抜けるのに時間がかかったらどうなるか分からない。
天ほどの力をもっても、この状況では決して楽観視はできないだろう。
天がふと足を止めて、志藤さんへ振り返る。

「志藤さん」
「は、はい」
「仕事には一回出ただけですっけ」
「………はい」

志藤さんが不安そうに顔を曇らせて肯定する。
すると天は特に馬鹿にする様子もなく頷いた。

「分かりました。落ち着いて行動してください。この場では俺の指示に従ってくれますか?」

志藤さんが俺の方を不安そうに見るから、一つ頷く。
この状況では天の判断に従うのが、一番正しいことだろう。
それは、分かっている。
俺が頷くと、志藤さんはほっとしたように表情を緩めた。

「はい、勿論です。四天さんにはご迷惑をおかけいたします。至らぬ身ですがなんなりとお申しつけください」

そして、再度天に振り返って、しっかりと答え頭を下げる。
天は少しだけ表情を緩めて頷いた。

「ありがとうございます。とりあえず俺から離れないでください。兄さんもね。勝手な行動はしないでよ」
「わ、分かった」

そして俺にも冷たい視線を向け、釘を指す。
まあ、確かにこの場で一番勝手な行動しそうなのは俺なんだろうな。
一瞬だけムカっとするが、これまでの俺の行動を考えれば仕方ないので素直に頷く。

「くれぐれも、勝手な行動しないでね」
「………」

それでもなお念を押す弟に頷きながら、腹が立つと同時にへこむ。
これまで俺は本当に天に迷惑をかけていたんだな。
気を取りなおすようにただただまっすぐ続く道に視線を向ける。
夕暮れの住宅街は、これ以上日が暮れる様子もなくずっと黄昏時のまま。
曲がり角はたまにあるが、そこも同じような街がずっと続くだけだ。

「………なんなんだろう、この街」
「多分、術者が作った異空間、かな。双馬兄さんの夢の世界みたいなものだと思うよ」

この術を組み立てているのが、人なのか化け物なのか、それは分からないが酷く不安になる光景。
そこで自分が何気なく考えたことに、背筋が寒くなった
人なのか化け物なのか、分からない。
つまりは、人の可能性があるのか。
人だったとしたら、一体誰が、なんのために

「………術者」
「人だと思うよ。多分ね」
「………」

寒くなってぶるりと一つ震える。
すると隣を歩いていた志藤さんが気遣うようにそっと見下ろしてくる。

「大丈夫ですか、三薙さん」
「………はい、大丈夫です。ありがとうございます。志藤さんも、大丈夫ですか」
「はい」

志藤さんが安心させるように、俺に笑いかける。
そしてそっと前を歩く天に聞こえないように小さな声で言う。

「四天さんは、頼もしいですね。あんなにお若いのに」

その言葉に、ちらりと嫉妬が胸を焼く。
志藤さん、俺のこと頼もしいって言ってくれてたのに。
いつもそうだ、誰だって完璧な弟を賞賛し信頼する。
力だけでなく、性格や行動、実績、何をとっても弟に敵うものはないのに俺は懲りずに嫉妬する。
天が大変だってことも知ってるし、あいつが別に勝ち誇るようなことをしている訳じゃない。
本当に、いっそ、この嫉妬の気持ちをなくしてしまいたい。

「………はい。四天は強いし、経験も沢山、あるから」
「三薙さん?」

一瞬言葉に詰まってしまった。
俺は志藤さんに笑いかけて、大きく頷いた。

「あいつがいるなら、きっと大丈夫です」
「はい、そうですね」

でも、確かにそうだ。
こんな状況で不安で落ち着かないが、それでも大丈夫だと思えるのだ。
天がいるなら、最悪の事態にはならないと、信じられるのだ。
弟を嫉妬しながら、確かに俺は弟に頼っている。

「そうだ、志藤さん、これを」
「は、はい!」
「っ」

天がまた急に振り返って、俺たち二人は驚きで飛び上がる。
そんな俺たちを気にすることなく、天はさっさとストラップの水晶をいくつか取り外して志藤さんに渡す。
言われるがままに頷きながら、志藤さんが小さく首を傾げた。

「え、はい、これは」
「俺の力が蓄えてあるので、俺の使鬼が呼べます。名は黒輝。水晶はどれでもいいです。残りはエサとして使ってください。これで少しの間は顕現できるはずです。はぐれた時に呼んでください」
「使鬼、ですか。黒輝、さん?」
「はい、使鬼がいれば俺を探すことができるはずですから」

最初呆然としていた志藤さんだが、渡されたのが天の使鬼だとようやく分かったのか急に背筋をぴんと伸ばす。
そしてまるで機械仕掛けのようにぶんぶんと頭を横に振る。

「そ、そんな、勿体ない!」
「はぐれても一人で対処出来ますか?それならいいんですけど」
「………でも」
「俺の指示に従うと言いましたよね。あなたを見殺しにするとか後味悪いので、説得に時間かけさせないでください、面倒です」
「………」

天の優しいんだか冷たいんだかよく分からない言葉に、志藤さんが困ったように眉を潜める。
志藤さんが戸惑う理由は、よく分かる。
宗家の人間の力を、自分の身を守るために利用するなんて、志藤さんには受け入れがたいだろう。
けれど、今回は天の言うことが、正しい。

「志藤さん、借りておいた方がいいと思います」

俺も重ねて勧めると、しばらく困ったように視線を彷徨わせる。

「自分の力の無さを、認識しないと、駄目ですよね」
「…………はい」

重ねて言うと、志藤さんがきゅっと唇を噛んで顔を引き締めた。
そして天に深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、四天さん。お心遣い感謝いたします。ではこちらを少しの間拝借いたします」
「はい、あなたは結構力の量は多いみたいだし、足りなくなったら自分の力食わせてもいいです。干からびない程度にね」
「………は、はい」

天は志藤さんに面倒くさそうに言ってから、また歩きはじめる。
俺は、今の天の言葉に引っかかった。

「志藤さん、力が多いのか?」

天の隣に駆け寄って、小さな声で聞く。
別にこそこそと話す必要なんて、ないんだけど。
天は前を見たまま、頷く。

「うん、結構多いみたいだけど」
「………そっか」

志藤さんを俺と同じように思っていたのだが、そうだったのか。
経験を詰んでいけば、きっと俺なんかよりずっとずっと強くなるだろう。
いいことなんだけれど、なんだか、寂しくて哀しい。
それに、したり顔で志藤さんを諭していたのも、恥ずかしい。

「嫉妬は後でね」
「………っ、分かってる」
「自分のせいじゃないんだから、いい加減に受け入れればいいのに」
「………」

自分のせいじゃないからこそ、受け入れられないのだ。
努力でどうにかなるのなら、どうにかしたいのに。

「ここで、落ち込んでいても仕方ない、よな」

鬱々としていた気持ちを吹き飛ばすように、自分にいい聞かせる。
落ち込むことは後でも出来る。
今はここから抜けだすことが、大事だ。

「はぐれないように、しないとな」
「うん、出来ればそうして」

そうだ、志藤さんは黒輝がいるからいいとして、俺は何も持ってない。
はぐれたら二人に会えなくなってしまうかもしれない。
そんなことを考えていたら、天が前を向いたまま言う。

「兄さんは俺の血結晶飲んでるから、多分平気」
「あ、え」
「探すことが出来る」
「あ、そっか」

そういえば、そうだ。
でも、俺は何も言ってないのに、何を考えているのか分かったのか。
こいつの敏いところは、感心するとともに時々怖くて呆れる。

「お前のそういうところ………」
「何?」
「………なんでもない」

でも、そんなこと、つかっかっても仕方ない。
こいつは色々なことを考えて、ここから抜けだそうとしている。
文句なんてつけている場合じゃない。
俺たちのことを考えてくれているのを、感謝しなければいけない。
一つ、深呼吸をする。

「あ、ありがとう」
「は?」
「志藤さんと俺のこと、守ろうとしてくれて、ありがとう」
「………」

天は振り返って、眉を寄せて皺を作り、何言ってんだこいつって顔をした。
素直に礼を言ったのに、その反応はなんだ。

「あのさ………」

そして天が呆れ顔で何か言いかけたところで、急に前を向き直した。
俺も自然と道の向こうに視線を向ける。
白峰が身を低く伏せて、甲高い声で鳴く。

「な、何」

今まで誰もいなかった道の先の空間に、誰かがいた。
逆行ではっきりとは見えないが、ひょろりとした影は確かに人影だった。

「………っ」

その影がふらりと動き、こちらに近づいてくる。
白峰はますます身を伏せて前を睨みつける。
天も落ち着きはらってはいるものの、鞄の中から懐剣を取り出す。

「ゆかり」

こちらに近づいてくる影が、澄んだ高い声で、何かを言った。
それは、女性の声だった。
近づいてくると徐々にその輪郭が、明らかになってくる。

「ゆかり」

二十代後半から三十代前半ほどのまだ若い女性。
妖しい様子はなく、肩で切り添えた髪と、化粧気のない顔が清潔感を感じる。
どこにでもいる、普通の女性に見えた。

「おかあ、さん?」
「え」

横にいる志藤さんが呆然とした声で、つぶやいた。
近づいてくる女性が、穏やかに笑って手を伸ばす。

「縁、こっちへいらっしゃい」
「………なんで、お母さんが」

志藤さんが青ざめた顔で、一歩下がる。
唇も白くなって、小さく震えている。

「志藤さんの、お母さん?」
「………」

女性がどんどん近づいてくる。
そう言われれば、その少し神経質そうな硬質な目鼻立ちは、志藤さんに似ているかもしれない。
随分若く見えるが、いくつなんだろう。
いや、それ以上に、なんでここにいるんだろう。
明らかに、本物ではないのだろうけれど。

「縁」

女性が、もう一度恐らく志藤さんの名前なんだろう、ゆかりという名を呼ぶ。
志藤さんがまた一歩、後ずさる。
駄目だ、天から離れたらいけない。

「志藤さん」

志藤さんの手を引いて、引き寄せる。
それと同時に、天が懐剣を無造作にふって力を放った。

「失せろ」

白い力が道を迸り、女性に襲いかかる。
しかし力がぶつかる寸前に、ふっと女性の姿が空気に溶けるように消えた。

「あ………」

志藤さんが、それを見て小さく声を漏らした。
いまだに震える志藤さんの手を、ぎゅっと握る。
寒いとは言え、氷のように冷たくなっている。

「………大丈夫ですか」
「は、い………」

天はじっと前を見たまま、冷静な声で志藤さんに話しかける。

「志藤さん、今日兄さんに会いに来るって誰かに言いましたか?」
「あ、え、熊沢さんにはお伝えして、三薙さんの学校を伺いました」
「なるほど」

頷くと天は考え込むように、目を一度伏せる。
どうかしたのか、と聞こうとする前に、天が顔を上げた。
そして眉をきゅっと寄せて、険しい顔で前を睨みつける。
俺もまた道の先に視線を向ける。

「え」

女性の姿はなかった。
その代わり道の先にいたのは、女性の半分ほどしかない小さな影。

「子供?」

その子供もまたゆっくりとこちらに近づいてくる。
徐々に明らかになるその姿は、どこかで見覚えがあった。
白の長着と灰緑の馬乗袴を身につけた幼い少年。

「お兄ちゃん」

少年が、無邪気ににっこりと笑う。
そして手を伸ばして、澄んだ高い声で俺を呼ぶ。

「三薙お兄ちゃん、こっちだよ」

俺を兄と呼ぶのは、一人しかいない。
その天使のように整った顔の愛らしい少年は、確かに見覚えがある懐かしいものだ。

「………天?」

隣にいる弟が、苦虫をかみつぶしたような渋面で、それでも笑った。

「誰の趣味だか知らないけど、悪趣味」

俺の弟は、ここにいる。
では、あれはなんなのだろう。








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