幼く純粋で臆病で卑屈な三男が聞いてくる。

「俺、本当に駄目だよな…。一兄も俺に付き合ってて、嫌にならない?」

今にも泣きそうな表情と、怯えたような言葉に、また何かがあったことが分かる。
不安定で自己評価が低い弟は、どうしても自分が信じきれない。
人との関わりが少なく、家族以外とはろくに話すこともない。
だからこそ、無償で自分に向けられる好意を確かめたくて仕方ない。

「嫌になるわけがないだろう。お前は俺のかわいい大切な弟だ」

そう笑いながら言って、いつものように頭を撫でると、安堵して笑顔を見せる。
俺の言葉に一喜一憂する様子は、幼いころから変わることはない。
愛しさが溢れて、その同年代の人間と比べて頼りない体を抱きしめる。

「大好きだよ、三薙。お前はいい子だ」

なんの疑いも曇りもなく、絶対の信頼と敬愛を捧げてくる純粋な存在を、どうして愛さずにいられるだろう。



***




三男が生まれた時、宮守家は喜びで満ち溢れた。

弟は母親の体から切り離された後、力をゆるやかに失い、呼吸すら止まりそうになった。
それは、家中の人間がずっと待ち焦がれていた資質だ。
待望の『器』の誕生に、沸き立った。

元々『器』の候補は力を作り出すのを不得手としているが、自分が生きていくための力すら生み出せないことは稀だ。
しかしそれは、それは『器』として極上の資質を持っていることが多い。

『器』は女が多い。
母の腹の中にいる子供が男だと分かった時は、落胆された。
男が『器』になることはあまりないからだ。
ただし、稀に生まれる男の『器』は、強い力を持つことが多い。

今回生まれた三男はその稀なる極上の『器』成り得る、候補だと言うことだ。

「兄さん、おめでとう。これで五十鈴と合わせて候補は二人だな。宮守は安泰だ」

祝いに駆け付けた父の弟の、三千里叔父がどこか複雑そうな顔で笑う。
従妹の五十鈴は、今まで一番の候補だった。
ただその力の弱さが、やや懸念はされていた。

奥宮を輩出した家は、宮守の中で権力を持つ。
基本分家になった後は、一代までしか生活の保証などはされない。
だが奥宮や先宮を出した家は、その後もだいぶ優遇される。
生贄を捧げる見返りを十分に受ける。

今の三千里叔父の表情は、愛娘が『器』になる可能性が低くなったことへの安堵か、名誉と権力と富を受け損なうかもしれない落胆か。
どちらなのだろう。

「おめでとう、一途兄さん。夕子義姉さんが帰ってきたらお祝いしましょうね。三千里兄さん、次だって私にもチャンスがあるかもしれないわよ。うふふ、でもそのころには私、あがっちゃってるかしら」
「お前、四志子。やめろ、はしたない」
「あら、ごめんなさい」

悪びれず下品な冗談を飛ばし、三千里叔父にたしなめられている四志子叔母は、次代の奥宮の候補だった。
ずっと二番手の候補として扱われ、この前の選定で、選ばれなかった。
まだ次期奥宮見込みに何かあれば、候補に浮上する可能性は残っているが。

「二葉姉さんと道五はどこにいるのかしら」
「いい、放っておけ」
「一途兄さんたら。私が久しぶりに会いたいわ。ねえ、一矢、二人を探してきてくれない?」

ちらりと父に視線を向けると、父は諦めたようにため息をつき頷いた。

「はい、分かりました」
「ありがとね、一矢。まあ、兄さんに似て男前になってきたわねえ」
「どうもありがとうございます」

末席に座っていた俺は立ち上がり、一礼して外に出る。
四志子叔母は、少し苦手だからちょうどよかった。
まあ、すぐに戻らなきゃいけないんだろうけど。

「一矢様、誰かお探しですか?」

当代の先宮である祖父の代から仕える使用人は、いつもの通りひっそりと気配なく現れた。

「宮城か。道五叔父さんと二葉叔母さんを」
「道五様は、そこの部屋でお見かけしました。二葉様は拝見しておりませんね」
「そうか、分かった」

相変わらず、家中のことを把握しているその様子に少し怖くすらなる。
監視カメラでもつけているのだろうか。
この古めかしい家の中に監視カメラがあると思うと、笑えるような笑えないような。

そんなことを考えながら、教えられた部屋に入る。
空いている一室で、まだ年若い叔父が一人で酒を飲んでいた。

「道五叔父さん。四志子叔母さんが呼んでいます」

端正な顔を赤くし、目が据わっている。
近づくだけで、だいぶ酒臭い。
もう、結構飲んでいるようだ。

「………祝いの席か」
「はい」
「っ」

そこで道五叔父が持っていた杯を放り出す。
畳なので割れることはなかったが、中身がこぼれて染みを作る。
掃除が大変そうだなんて思った。

「祝いになんか、いけるか」
「………」
「何が、祝いだ!生まれたばかりの赤ん坊が生贄に出来るって、なんで喜べるんだよ!あいつら異常だ!」

激昂する叔父は、声を張り上げ、目を血走らせている。
端正な顔立ちだからこそ、その様子は滑稽だ。

「お前は、何も思わないのか!一矢!」

何かと言われても、まだ何も分からない。
まだ顔も見ていない弟に、なんの感情も沸かない。
それに前々から言われていたことだ。
前回は失敗だったが、次に生まれる子供は、お前の番になる可能性がある『器』だと。

「………、それが宮守の家のためになることなら」
「お前も、洗脳済みかよ!そんなガキのくせに!」
「………」
「狂ってる!こんな家!」

ため息が出そうになるのを、こらえる。
その代わり、聞くことにした。

「なら、どうして、来たんですか?」
「………」

そこで道五叔父が黙り込んで、唇を噛み、眉間に皺を寄せる。
この人が来た理由は、分かってはいる。
それで余計に荒れてもいるのだろう。
先宮の候補であった、父の弟。

「四志子叔母さんが呼んでいるので、もしよかったら広間においでください」

黙り込んだ叔父にもう一度声をかけ、外に出る。
一応呼んだのだから、役目は果たしただろう。

「次は、二葉叔母さんか」

唯一家に残って同居している父のすぐ下の妹。
二葉叔母さんは、どこにいるかはなんとなく分かる。
縁側から庭に降りて、そこを目指す。

やはり、叔母はそこにいた。
広く深い庭の、桜に似た濃いピンク色の花が咲き誇る一角。
庭師が入っているが、庭の手入れが好きな二葉叔母はよく花などを植えて世話をしている。
ここは、叔母の春のお気に入りのサクラソウが咲いている。

ピンク色の花の中、叔母は着物姿で優雅に穏やかに佇んでいた。
そして、俺の気配に気づき、こちらを見て柔らかく微笑む。
叔母は、父よりわずかに年下なぐらいだが、だいぶ若々しく見える。

「あら、一矢?」
「はい」
「どうしたの?」
「四志子叔母さんが呼んでいます」
「あら、四志子が。そうねえ、じゃあ、そろそろ行きましょうか」

この人はとても穏やかにおっとりと話をする。
感情を荒げたことなんて見たことがない。
他の叔父や叔母や、二葉叔母の友人の師範などの話だと、若い頃はもっと感情的で泣いたり笑ったり、起伏が激しかったらしいが。

「おめでとう、一矢。弟が出来たわねえ」
「………はい、ありがとうございます」

けれど今の叔母は、ただただ穏やかで、波一つない海のように、静謐だ。

「可愛がってあげてね。いっぱいいっぱい。色々なこと教えてあげて。愛してあげて。生まれてきてよかったって思わせてあげてね」
「………」

可愛がることも、面倒見ることもするだろう。
それが、俺の役目だ。
ただ、『器』として生まれてきた子供は、生まれてよかったなんて思うのだろうか。

「あなたも大変よねえ。こんな小さいのに眉間に皺よせて。本当に一途兄さんとそっくり」

つい黙り込んだ俺の眉間をそっと、白い指が触れる。
伸ばす様にぐりぐりとされて、反応に困って見上げる。

「二葉、叔母さん」
「苦しまなくていいのよ、なんて言っても、どうしようもないよねえ」

二葉叔母さんは歌うように言って、俺のことを抱きしめる。
ふわりと、花の香りがする。

「苦しいね。でも、いっぱいいっぱいあなたも楽しんで愛して、愛されてね」
「………」
「あなたも誰かを愛して、愛されて、幸せになってね」

そう言って、俺の体を離すと悪戯っぽく笑った。
何を言ったいいか分からない俺の頭を、もう一度優しく撫でる。

「さあ、私も行きましょうか。そうそう、夕子さんにもおめでとうって言わないと」

そうしてくるりと振り返り、家の方に向かって歩き出す。

「私は、今度生まれた子のためにも、もしかしたら五十鈴ちゃんかもしれないけど、どっちにしろ頑張らないとねえ。100年でも200年でも、頑張らないと」

次代の奥宮。
今の奥宮は、そろそろ寿命だと言われている。
当代先宮の祖父も、その気配を感じとり、父を先宮とする準備を整えている。
そして父と番となるのが、この叔母だ。

「二葉叔母さんは………」
「なあに?」
「………」

聞いてはみたものの、何を聞きたいのか、よく分からない。
俺は、何を聞こうとしたのだろう。
二葉叔母は、振り向いて、それはそれは、嬉しそうに笑う。

「私はねえ、幸せなのよ。沢山沢山愛されて、楽しいことして、哀しいこともあって、嬉しいことあって、思い出作って」

まるで少女のように、はにかむ。

「何よりね、愛する人に出会えて、幸せなの」

分からない。
二葉叔母の言うことは、難しくて分からない。

「次の子がどうなるか分からない。私とは違うしね」
「………」
「でも、一矢。あなたの番となる子が、幸せだといいわね」

俺は、次の次の、先宮候補。
そう言われている。

「どっちにしろいっぱい、愛してあげてね」

だからこそ、生まれてきた弟を、五十鈴を、愛し守り、『器』を作り上げなければいけない。





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