もう、なんでよ。 どうしてこうなるのよ。 これもあの悪魔も仕業? いい加減にしてよ。 どうして、どうしてよ、私が何をしたっていうのよ。 くそくそくそ! もうやだ、もうみんな死ね。 神様なんてもんは、いないのね。 知ってたけどね。 もう何度も思い知ってるわよ、人生なんて思い通りにならないもんだってね。 『くそ!!』 口汚く罵って、私は周りを見渡す。 手は血まみれで、何かを掴むのも痛い。 体力はすでに限界で、立つのも辛い。 もう座り込んで眠ってしまいたい。 いっそ、楽になりたい。 これまで諦めっぱなしの人生だ。 あんまり根性なんてない。 諦めちゃいたい。 でも、ここで諦めたら本当の意味で終わりだ。 まだ死にたくないのよ。 死にたくない。 ただそれだけだ。 だめだ、諦めるな。 そうよ、これくらい注文書間違って200個のところを2000個受注しちゃった時に比べればなんともないわよ。 たかが男二人ぐらいなんだっていうのよ。 資材部の鬼と言われたセツコさんを舐めないで。 逃げてやる。 絶対に逃げてやる。 逃げ足の早さだったら誰にも負けないんだから。 どうやったら逃げられる。 後ろからはまだ男の叫び声が聞こえる。 あっちは多分平気。 前には隙のない二人の男がじりじりと距離を詰めてくる。 くそ、一人づつ来いってのよ。 せめて、油断でもしてくれればいいのに。 もう、瓶は粉々で使い物にならない。 二人の男にさっきの不意打ちは危険すぎる。 ああ、こんなに頭使うの久しぶり。 受験の時よりも、入社試験の時よりも使ってる。 こんなに頭使ったのは、うっかり消した顧客データをどう誤魔化そうかと思案したとき以来だわ。 後ろにじりじりと下がると、踵に何かが触れる。 ああ、そういえば裸足だった。 全身痛すぎて、忘れてたわよ。 何があたったのかしら。 前から目を離さないようにして、ちらりと下に視線を移す。 長い、硬くて冷たい感触。 剣だ! そうか、さっきの男の手から落ちた、剣。 私は跳ねるようにして一歩後ろに飛ぶと、しゃがみこむ。 そして剣をしっかり握って、立ちあがった。 『きゃっ』 が、すぐにその場に座り込む。 何、この重さ。 もう一度腰に力を入れて立ちあがろうとするが、剣はずりずりと動くだけで持ちあがろうとしない。 何キロあるのよ、このガラクタ! ダンベルじゃないんだから! 『何、なんなの、ちょっと、持ちあがってよ!お願いよ!』 どんなに力を入れても、祈っても、剣は持ちあがる気配を見せない。 くそ、くそくそくそくそ。 こういう時くらい、少しは奇跡が起こってもいいじゃない。 火事場の馬鹿力とか、あってもいいでしょ! なんでどうして、本当に何一つうまくいかないのよ。 男たちが、私がもがいているのを見ておかしそうに笑う。 けれど油断はなく、やはりじりじりと距離を詰めてくる。 いやだ。 いやだいやだいやだいやだ。 どうしよう。 剣は持てない。 武器は粉々のガラスしかない。 あの剣をどうにかできるはずない。 『もうやだ!』 もう降参。 白旗よ。 許してよ。 土下座して謝るから許してよ。 でも、きっと許してくれないわよね。 金髪燃やして、赤毛をあんなにして。 正当防衛じゃない。 私何にも悪くない。 て。 あ。 そうだ。 赤毛! 閃いたアイデアが、私の体を突き動かす。 私は咄嗟にそこらに転がるガラスの破片を大きいやつを一つ拾い、後を振り向き駆ける。 『**********!******************!』 男たちが声を荒げ、同じくかけ足になる。 大丈夫、捕まらない。 5歩ほど走って、私は蹲って転がっている赤毛の傍らに座り込んだ。 血まみれの男は苦しそうに呻いて顔を押さえている。 その顔を押さえる手から、止められない血が溢れて行く。 噎せ返る血のにおい。 気持ち悪い。 吐きそう。 私が、これをやったんだ。 くそ、怯むな。 血なんて毎月見てるだろう。 気にするな。 一旦目をつぶって、大きく息を吐く。 顔を上げ、赤毛の髪を掴み、喉元に私はガラスを突き付ける。 「動く、だめ。この人、死ぬ」 私の言葉に、男たちは動きを止める。 よし、止まった。 知るかよって、一緒に切りかかられたらどうしようかと思った。 一応この赤毛には、人質の価値があるらしい。 よし。 これを利用して、逃げる。 「この人、死ぬ。いやだったら、あっち、いって。何もしない。あっち、いって」 男たちが思案するように顔を見合わせる。 考える時間なんて、与えちゃだめだ。 部長に文句を言うときは、反論する隙なく畳みかける。 「早く!剣、捨てて!」 もう一度、男たちは迷ったように剣とこちらを見る。 だから私は男の喉にガラスを突き付け、少しだけ皮膚を切った。 男から新たな血が流れる。 人を傷つける感触は、本当に気持ち悪い。 「早く!」 私が本気だと分かったのか、男たちは大人しく剣を捨てて一歩下がった。 よし。 よかった、この人たちが仲間思いで本当によかった。 仲間って大切よ、本当に。 友情は大切に、あんたたち、きっといいことあるわ。 「いって、見えない、場所、いって!」 憎々しげに顔を歪めて、男達は後を振り向いて歩き出す。 私はそれを見つめる。 見えないところに行くまで、動けない。 あいつらは、絶対に追いかけてくるに決まっている。 どうしよう。 逃げてもまた一緒だろうか。 この人質を連れて歩く? だめだ。 そんなの無理。 そんな体力はない。 それに、この人早く手当しないと、死んじゃう。 血が、ずっと流れてる。 早くあいつらに渡さなきゃ。 私、人殺しになんて、なりたくない。 何か武器。 そうだ、この人他に武器を持っていないだろうか。 すでに荒く呼吸をするだけで動かない手の中の男の服を漁る。 血の匂いにだんだん慣れてきている。 気持ち悪い。 ポケットに、小刀ぐらいのナイフが入っていた。 頼りないが、私が持って歩ける程度の刃物だ。 逃げる時間を稼ぐぐらいにはなってくれるだろうか。 あいつらの姿はまだ遠くに見ている。 私がここから逃げ出すのを見計らってこちらに来るだろう。 でもここにいてもどうしようもない。 どこか人のいるところに行って、助けを求めなきゃ。 このままこの人が死んだら、この人の人質としての価値もなくなる。 そうだ、この人が生きている間にここに放置したら、きっと一人はこの人の介抱に回るだろう。 そうしたら私を追う人間は一人になる。 よし。 距離は十分だ。 大丈夫だ。 どこに逃げる? 分からない。 でも、逃げるしかない。 どうにかなる。 どうにかなる。 恐怖に竦みそうになる体を、奮い立たせる。 どうにかならなかったことなんて、今までないわ。 どうにか、なる。 まだ行ける。 薄汚れたスカートを破る。 血まみれの手に巻く。 不器用な感じでボロボロだけど、血は見えなくなった。 見えないってだけで、だいぶ違う。 ナイフを持ってもそんなに痛くない。 傷だらけの裸足の足にも巻いておく。 気休め程度だが、ないよりいい。 そして、静かになった男の顔にも手ごと巻いておく。 ごめんなさい、手をどける勇気はなかった。 どうか、死なないでね。 人殺しになんて、なりたくない。 一通り準備を済ませて、もう一度立ちあがる。 眩暈がした。 だが、止まっている暇はない。 私はひとつ息をつくと、駆けだした。 でも、もうそろそろ何もかもが無理がきている。 足の裏はずたずた。 手もボロボロ。 三十路を越えた体は、体力の限界を訴えている。 頼むから、少しだけ休みたい。 周りには何もない。 木、木、木、岩。 人気のある場所が見つからない。 同じところをぐるぐるしているような気がする。 せめて、どこか隠れるようなところはないの。 お願い、ちょっとでいいから、休ませて。 でも、休んだらあいつらが来ちゃう。 『きゃあ!』 でも、やっぱり限界だった。 足が言うこと聞かず、木の根に躓き私はその場に倒れこむ。 もう膝の痛みなんて感じない。 手を踏ん張って、もう一度立ちあがろうとして、座りこむ。 もう、立ちあがれない。 駄目だ、もう無理。 もう、駄目。 お願いちょっと休ませて。 その場に座り込んだまま、私は荒く息をつく。 もう駄目だ。 眠い。 疲れた。 休みたい。 ああ、でもこのままじゃ、誰か来たら、ダメだ。 どうしよう。 でも、休みたい。 ああ、あそこ、岩と岩に囲まれて、木でちょっと隠れている。 一見よく見えないようになっている。 あそこ。 あそこで休もう。 ずりずりと体を四つん這いのまま引きずって、私は岩場に行くとそこに背を預ける。 体重を全て投げ出して、大きく息をつく。 疲れた。 本当に疲れた。 でも、誰か来たら、どうしよう。 ああ、そうだ。 なんか前に、映画かなんかで見た。 あ、あの木に巻きついてるの、ちょうどいいや。 もう動けない体を引きずって、私は目についた木に近づくと、蔓をひっぱってちょうどよさそうなところでナイフで切り取る。 えっと、それで。 どうしよう。 だめだ、疲れて頭が働かない。 えっと。 ああ、そうだ。 スカート。 スカートでいいや。 私はスカートを大きく破く。 スカート大分短くなっちゃった。 まあ、でもいいや。 誰も見ちゃいない。 ちょっと頼りないけど、これでいいか。 一通り作業を済ますと、私はまた岩場に戻って背を預ける。 どっと疲れがこみ上げる。 ああ、もう駄目だ、本当にもう動けない。 もう、眠れればいい。 眠ったまま死んだら、それはそれでいいかもしれない。 そんなことを考えながら、私は意識を手放した。 |