「セツコ!どうしたんですか、その怪我!?」
「遅い!」

気付くのが遅いのよ、このへたれ眼鏡。
ていうか何しに来たのよこの役立たず。
なんかどう見ても、私を助けに来たとかじゃないわよね。
全力で驚いているし。
さっき私のことも切りかけたわよね、このアホ。

ああ、惚れかけて、馬鹿を見た。
トキメキ損よ、全く、トキメキ損。

「どうして、こんなところに!?陛下ですか!?でも………」
「うるさい!」

上から降りかかる声がキンキンと響いて、頭が痛い。
なんか、寒気がする。
そのくせ、傷は熱を持っているようで、熱い。

「………とにかく、休ませて………」

もう限界よ。
足も手も腹も顔も喉も、全身、痛くないところなんてない。
ズキズキズキズキ、これまでの人生感じたことのないようなすさまじい痛み。
気が抜けたと同時に、痛みは勢いを増して襲ってくる。
特に陶器の欠片でズタズタになった手の平と、先ほどまで締め付けられていた喉が痛い。
いまだに締め付けられているようで、圧迫感を感じる。

意識を失いたいのに、興奮と痛みでまだ頭が冴えている。
変な高揚感が、まだ続いている。

「………そうですね」

ぐったりと座り込んだ私を、エリアスが覗きこむ。
そして足と背中に手が回されたかと思うと、そのまま担ぎあげられた。

『痛い!』
「すいません、少し、我慢して」

打ち身やら切り傷やら、とりあえず色々なところに響いて思わずうめく。
エリアスはなるべく傷に触らないように、そっと抱き上げてくれた。
ひょろっとしたもやしだと思っていたが、その腕は予想以上にたくましい。
女一人抱えあげてビクともしない。
女って、結構重いんだけどね。

「手当して、城に、帰りましょう」
「………うん………」

あ、やばい、温かさに包まれて予想以上にほっとした。
一気にささくれ立った精神が、穏やかになっていく。

ああ、助かった。
もう、死なないんだ。
生きている。

ようやく、じわじわと実感が沸いてくる。
安心して、緩みっぱなしの涙腺から少しだけ涙がこぼれた。

「もう、大丈夫です」
「…………うん」

エリアスは私の顔を見ないまま、落ち着いた声でそう告げてくれた。
何よ、ちょっと男前じゃない。
へたれのくせに。
もういいわ、許してあげる。
例え私を助けにきてくれたんじゃなくても、偶然でもここを通りかかったこと褒めてあげる。

ああ、運命じゃない?
運命ぽいかも。
そう思っておくわ。
たまたまついでに通りかかって、結果的に助かった、じゃないわ。
運命、ね。
そう考えた方が気分いいし。

エリアスに抱えられたままちょっと先へ行くと、なんかわらわらと人がいた。
10人ぐらいだろうか、松明やランプ、そして全員剣を持っている。
馬も沢山いて、なんだろう、なんだか物々しい雰囲気。
山狩り、といった感じだ。

「エリアス様!」

その中の一人が、こちらに駆け寄ってくる。
エリアスの腕の中にいる私を見て、驚いたような表情を見せた。
だがエリアスはそれに気にせず、先を促す。

「どうなっている?」

落ち着いた、低く冷静な声。
うわあ、エリアス偉そう。
超偉そう。
いつもミカやネストリの前ではおどおどしてくせに。
なにこの人、部下の前では威張るタイプなの?
ひくわ。

「五人******人は*******、死んだ*********、城は*****」

早口だし、疲れていてヒアリングを拒否していることで、ほとんど聞き取れない。
なんだろう、この人たちは何をしているんだろう。
ああ、でももうどうでもいいや。
早く休みたい。

「お前たちはこのまま*********、何かあったら連絡しろ、私は城に先に****あちらに*******、死ぬ******、*********残り******」
「はい」
「********気をつけろ」
「分かりました」

何やら命令を出しているエリアス。
私はそれをぼんやりとした意識の中聞いている。
あ、だめだ、そろそろ本当に落ちそう。
体中痛くて眠れなさそうって思っていたが、それ以上に疲労が上回る。
眠い。

「セツコ、もう少し、待ってください。手当てをします」

ああ、早く休みたい。
とりあえず、今寝かせてくれるなら、金払ってもいい。
けれどそれはまだまだ許されず、ゴールまでの先は長い。

簡単に止血をして、結局馬で帰ることになった。
馬車を手配するのにも時間がかかるということで、打ち身やら何やらにものすごい響くが、あの場所にずっといるよりマシだ。
とにかく早く城に帰りたい。
ベッドに横になりたい。
灰色に壁に囲まれて、丸くなりたい。
もう、安心なんだと、感じたい。
幸い、動かしちゃいけないという傷はないみたいだった。

エリアスの抱えられるようにして馬に揺られていると、先ほどまでのことは、まるで夢のように感じる。
私の体に障らないようにゆっくりと走る馬が、かすかな振動を伝える。
夜の散歩に出かけたのが、遠い過去のようだ。
ようやく遠い空がオレンジに染まってきている。
ずっと私を見ていた月が、白く消えつつある。
ああ、夜明けだ。

頭が働かなくて、何も考えられない。
今にもエリアスに寄りかかって眠ってしまいそうだ。

「セツコ、あと少しです。眠らないで」
「分かってるわよ!うっさい!馬鹿!」
「す、すいません」

学生の頃、母親に起こされて逆ギレした時のように怒鳴りつける。
眠りたいのに眠れない苦しみ。
ああ、イライラする。

「………あなた、あそこ、何、したの?」
「ああ、探す*******、ネストリが****、あの村に*****」
「分かんない。もういい」

眠気覚ましに話を振ったが、わからない単語だらけ。
今はいちいち聞き返している余裕なんてない。
ていうかどうでもいい。

「………エリアス」
「はい、どうしました?」
「歌って」
「は!?」
「はい、歌う」
「せ、セツコ!?」

とにかく眠い。
でも眠っちゃいけないとか、拷問。
熱が出てきているようで、頭がくらくらする。
体中痛くて、もう大声出して泣きだしてしまいたい。
イライラするので、エリアスに絡む。
ひたすら無茶ぶりし続けると、エリアスの声に泣きが入る。

「………許してください」
「ふん」

その情けない声を聞いて、少しだけ気が紛れた。
やっぱりエリアスはこうじゃなきゃ。
あんな偉そうな態度とか、あんな怖い顔とか、こいつには似合わないのよ。

「怪我は大丈夫ですか?」
「痛い。すごく痛い。すごくすごく痛い」
「すいません、後少しですから」

エリアスが手綱から手を離して、私の髪をそっと撫でる。
そして耳元で優しい声が聞こえた。

「よく、頑張りましたね」
「………………」

エリアスの温かな手に、頭を寄せる。
優しく髪を梳かれるのが、気持ちいい。
イライラが、少しだけ収まる。

『…………エリアスのくせに、生意気』

少しだけ、きゅんとしてしまったじゃないか。
涙が、またかすかに溢れてくる。

勉強になったわ。
男も女も、やっぱり口説くのは弱ってる時ね。

うん、今後の参考にしよう。



***




そして、懐かしい城が見えてきた。
朝日に輝く灰色の壁。
あの城を見て、こんな感情を抱くとは思わなかった。

こみあげてくる、熱い感情。
なんて形容したらいいか分からない。
小さい頃、迷子になって大泣きして、お母さんを探して探して。
心細くて、周りが全部敵に見えて、冷たくて。
そうして、ようやくお母さんに会えた時。
その時、こんな気持ちだったかもしれない。

城を囲む堀を越えて、門へ続く橋を渡る。
門をくぐって、城の中に入るまでの中庭。
そこに、懐かしい顔が見えた。

「………あ」

ゆっくりと馬が、足を止める。
エリアスが先に降りて、私を丁寧に降ろしてくれる。
エリアスに触れられた手も、地についた足も痛い。
だが、駆けよってくる人たちを見て、自然とそちらに足を向けてしまう。

懐かしさに、胸がいっぱいになる。
たった一晩。
たった一晩なのに、なんでこんなに帰ってきたって気になるんだろう。

「セツコ様!」
「セツコ」

普段通り、にこにこと笑っているネストリ。
不安げに泣きそうになっているエミリア。
心配そうに顔を曇らせているアルノ。

懐かしい人たち。
ああ、帰って来たのだ。
ぼんやりとした実感ではなく、強く感じる現実。

ネストリ。
エミリア。
アルノ。

えっと。
うん、やっぱり。

「アルノ!」

私は痛む足をこらえて駆けだして、アルノの胸に飛びつく。
アルノは薄い体で一度よろめくが、優しく私を抱きとめてくれた。
歳をとった男性特有の、かすかな匂いがする。
その匂いが、たまらなく私を安心させてくれる。

「う………」

細い腕が、私の体を強く抱きしめてくれる。
その優しい感触に、全身の力が抜ける。

ああ、もう大丈夫だ。
私、生き残ったんだ。

『う、うう……ううううう、ひっ』

昨日の夜から壊れたんじゃないかってぐらい出てくる涙が、まだ溢れてくる。
次から次へと流れおちて、アルノの服を濡らす。

「セツコ、大丈夫。もう、大丈夫」
『う、あああああ、怖かったよ!アルノ!ひっ、い、ああ、こわ、こわかった』
「大丈夫だよ。もう、大丈夫から」

アルノの大きな手が私の頭をゆっくりと撫でる。
その優しい抱擁に包まれて、私はただ泣き喚いた。





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