そりゃね、死ね、とか殺すって何度も言ったことあるわ。
簡単に使ってきたわ。
だって本気じゃないもの。
あんなの、ただの冗談。
だから、何も考えずに、ただ使ってきたわ。

誰かを本気で殺そうと思ったことも、死ねばいいと思ったこともない。
まあ、消えてほしい、とか思ったことはあるけど。

でも、人を傷つけようと思ったことはない。
少しはいびったり、意地悪したり、軽くどついたことぐらいはあるけど。
そりゃ、あるけど。

でも、ひどく傷つけたい、だなんて思わない。
血なんて見たくない。
暴力は、嫌い。
人をいじめた後は、さすがに後ろめたく思うし、罪悪感も沸く。

そんな、善良な小市民だ。
平均的な、平和な日本人。
人を殺す、とか、殺される、とかそんなものから最も遠い、ただのOL

痛いのは嫌い。
痛くされるのはいや。
そして、痛くするのもいや。

だから、あの夜の光景が脳裏から焼き付いて離れない。
怖かった、死ぬかと思った。
暴力、悲鳴、血、そして死。
そんなものが簡単に作りだされた一夜。

そして、私もそれを作り出したのだ。

ああ、手がまだべたべたしている気がする。
包帯が巻かれているが、その下は真っ赤に染まっている気がする。
ぎゅっと、強く握ると鈍い痛みが掌に伝わる。

痛みは少ない。
ネストリが、痛みを和らげる術をかけてくれた。
どうせなら痛みを全部消してくれればいいのに。
そう言ったら、痛覚を全部消すと、何も感じなくなって危険性増すけどいいいいですか、とか言われた。
いい訳あるか。

どうやら怪我を治したりしている訳ではなく、ただ痛みを感じる部分を鈍くしてくれた、ということらしい。
今かけられている最悪デバガメ術の応用らしい。
どうせ魔法の世界なら、こんな傷ぐらい直してみせろ。
あの役立たず。

ああ、そして脳を勝手にいじれるというなら、この記憶を消してくれればいいのに。
あの夜のことなんて、綺麗さっぱり忘れてしまいたい。
忘れて、またお気楽極楽に暮らしたい。
ただ、何も考えずにルーティン作業をこなす日々に帰りたい。

自分の汚い部分を見てしまったのがいや。
あいつらに、罪悪感のようなものを感じなくちゃいけないのがいやだ。

あいつらが悪いのに。
私悪くないのに。
それなのに、どうしてこんな気持ちにならなきゃいけないの。

ああ、いやいやいやいやいや。
もう何も考えたくない。
私は何も悪くない。
悪くないもの。
あいつらが全部悪いの。
そして、こんな世界に呼び出した馬鹿どもが悪いの。
だから私は何も悪くない。
それでも、恐怖ともやもやとしたものが、心から消えない。

ずっと同じことを考えて、ベッドの上でうずくまる。
何もする気になれない。
三日間、部屋の外に出ていない。
食欲もない。
いや、食べてるけど。
でも、いつもより全然食べてない。
あ、痩せるかも。
それならいっか。
いいかも。

ここから出るのは、怖い。
早く帰りたい。
家に帰りたい。
あの世界に帰りたい。
ここでじっとしていたら、そのうち帰れるかしら。
この悪夢は、さっさと覚めるかしら。
どうしたら、この夢は覚めるの。

『もう、やだ………』

考えることにも疲れて、目をつぶる。
でも、じっと目をつぶっていると、あの夜の光景が浮かんでくる。
暗い森。
二つの月。
溢れかえる血。

疲れた。
眠ると夢を見る。
起きていても思い出す。
疲れた。

バタン!

堅いベッドの上で転がりながらただ時間が過ぎるのを待っていると、突然乱暴に扉が開いた。
驚きと恐怖で飛び上がる。
ここは安全だと分かっているのに、人影を見るとあの時の恐怖がよみがえる。
だが、侵入者の姿を見て、肩から力を抜く。
ブラウンの髪と目の、大柄な男が大股で歩いてくる。

「な、なに?」
「セツコ、外に出るぞ」

狭い部屋の中、ミカの長い足であっという間に距離が詰められる。
こちらが何か言う前に、ミカは私を肩の上に抱えあげた。

「きゃああ!?」
「こんなところ****気分を変える*******外はいいぞ」
『な、何!?なんなの!?やだ!離して!』

大きな男の手の乱暴が怖くて、身が竦む。
恐怖で涙が滲んでくる。
ばしばしと背中を叩いて暴れるが、ミカの逞しい体はビクともしない。

『や、やだ!離して!お願い、離して!おねがっ』

声が鼻声になってくる。
舌がもつれてうまく話せなくなってしまう。
怖い。

『や、やめっ、おねが………ひっ、く』

そして、とうとう、ボロボロと涙があふれ出す。
みっともない。
でも、怖い。
止まらない。
男の手が、怖い。

ミカの足が止まる。
抱えあげていた私を、ゆっくりと下ろす。
ほっとする間もなくぎゅっと抱きしめられた。
アルノやエミリアと違って、男臭い逞しい腕に、恐怖がくすぶる。

「………ほら、泣くな」

だが、堅い豆だらけの大きな手が私の背中を撫でる。
それは力強くて、頼もしい。
やっぱりその力強さが少しだけ怖いが、混乱が徐々に収まってくる。

「部屋の中にずっといる、よくない。外に出よう」

落ち着いた私が大人しくなると、ミカの低いハリウッド俳優のような渋い声が優しくそう告げた。
ゆっくりと私はミカの厚い胸に埋めていた顔を、上げる。
ミカのブラウンの目は深く静かに、私を見下ろしていた。

「………うん」

だから、私は大人しく、その言葉に頷いた。



***




「どこ、行くの?」
「いいもの、見せる」

小さな子供のように手をひかれて、私はおっさんの後を付いて行く。
ミカは悪戯っこのような性格の悪そうな笑みを見せて、ゆっくりと歩く。
ミカの大きな手は、頼もしい。
一歩前を行く、この距離感が、落ち着く。

三日ぶりの部屋の外は、何も変わっていなかった。
広い城の中を、ただ歩く。
どこに行くのだろう。
もう、あの通路はごめんだ。
絶対にもう、あそこにはいかない。

思いだしかけて、頭を強く振る。
考えない。
忘れる。
もう、考えたくない。

幸い、ミカの向う場所はあの秘密の通路ではなかった。
城の正門へ向かう方角。
だが、その手前の通路を曲がり、なにやらまた引っ張られる。
大きな広間のような場所に出て、その先のベランダらしきところに連れて行かれた。
久々の太陽に、焼かれるような感触。
眩しくて、眩暈がする。
だが、太陽は、温かい。
月のような、冷たい光とは違う。

「セツコ、見ろ」
「………何?広場………て」

ベランダの下には、中庭ではない、小さな広場のようなものが広がっている。
中庭の手入れされた草木とは違う、自然のままに放っておかれた木々が根を生やしていた。
けれど、ある程度切り開かれた、少し薄暗い印象の庭。

「ほら、これでもう怖くないだろ」

ミカが私の肩を抱き、ベランダの手すりに寄せる。
その声は、とても得意げだった。

その真ん中には、井戸のようなものがあった。
そして、その周りに、何かが転がっている。
丸い、ボールのようなものが、6つ、7つ。
もっと、あるか。

「…………」
「大分********殺す********」
「……………き」

そしてその周りは、赤く染まっていた。
そう多くはないが、ボールの周りを、赤い絨毯のように彩っている。
そのせいで、遠くからでも、そのボールの正体が、わかる。

「き?」
「きゃあああああああああ!!!!!!」

あの森で見た、エリアスの剣で切り落とされた。
そうだ。
あれは。

人の、首。

『いやああ!!!きゃああきゃああああ!!!いやあああ!!』

何も考えずに、肺から声が絞り出されていた。
頭が真っ白で何も考えられない。
すぐに逃げようとするが、ミカの逞しい腕が、私の肩を抱いている。

「セツコ!?おい、セツコ!?」
『もうやだあああ、離して!!離して!!』

太い腕を振り払おうともがいても、馬鹿は私を落ち着けるために余計に力を込める。
私が暴れれば暴れるほど、ミカは力を込める。

『もう、やだああ!!家に帰る!!!もうやだあああ』

足の力が抜けて、その場にへたり込み、私はそのまま泣き続けた。






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