そして、更に不毛な二週間。
ああ、なんて人生を無駄にしてるんだろう。

一か月もあったら色々できた。
と言っても、毎日会社行って、残業して、帰って酒飲んで寝る。
遊びに行く友達も減っちゃったし、週末には家の掃除して、洗濯して、気分が向いたら買い物にでも行って。
最近は合コンの誘いも減っちゃったし。
まあ、今更出会って恋愛してってのも面倒なんだけどね。
気合入れて化粧するのも面倒くさい。
そろそろ見合いでもして結婚するか、って感じだったし。
………どっちにしろ、無駄な毎日だったのかな。

いや。
いや、ちょっと待って。
でもここにいるよりはマシ!
そうよ、ここにいることに比べたらどこだって天国よ。

ていうかちょっと待って、そもそも大前提としてこれは夢。
とんでもなくロングランな夢。
私の貧困な想像力が生み出した、長編大作。
きっと何か問題を解決したら、気付いたら私の狭いワンルームって次第よ。
夢オチ夢オチ。
ああ、懐かしい私の汚いワンルーム。
お気に入りのミルクボウル。
続けようと思っていたダンベル体操。
そういえば、ここ来て、絶対太ったわ。
こっから出してもらってないし。
二の腕辺り肉つきまくってるし。
ああ、もういや。
まあ肌の調子とか髪の調子はこっち来てからのほうがいいけど。
でもパーマは伸びるし、プリン状態だし、すっごいみっともない。
毛の処理は慣れてきたけど、やっぱり与えられるのはだっさいワンピースのみ。
買い物に行きたい。
もうすぐ夏のバーゲンが始まるところだったのに。
ああああ、本当にもういや。
お願いだから早く覚めてくれないかしら。

「どうした、セツコ?」
「………なんでもない」

目の前にはなぜかミカ。
この馬鹿王は、何かにつけては私の勉強部屋に顔を出しては何が楽しいのか邪魔していく。
王って職業はそんなに暇なのか。
ずっとって訳じゃないけど、毎日少しは顔見ている気がするわ。
税金で飯食ってるんだから、二十四時間びっちり働いてろこの給料泥棒。

まあ、悪魔と二人きりにされるよりは精神衛生上とってもよろしいんだけど。
性格はアレでも顔は極上だし。
正直、このセクハラ王と話すようになってから格段に語学力は向上した。
悪魔とは脳内会話できちゃうし、ライティングはともかくヒアリングとスピーキングが中々向上しなかった。
それが、話す人が出てきたらなんだか突然理解が早くなった。
やっぱ実践が一番いいんだなあ。
改めて納得。

ミカと話す際に悪魔を通訳にすると何言われるか分からない。
この馬鹿王につっこみを入れ続けているうちに大分向上した。
未だに助詞の使い方は分からないし、文法もめちゃくちゃらしいけど、単語でしゃべれるようなってきた。
それに、ゆっくりと簡単な単語を使ってもらえればなんとなく言いたいことは感じとれる。
気がする。
多分感じとってる。

「今日もセツコは美しい、お前の美貌は****************、その声は********、その表情は******************」
「はなせ、簡単に、ばか王」

悪態をつくと、ミカは楽しそうにくすくすと笑う。
分からないってのに高度な文法と過剰な修飾語で私の言語力を馬鹿にするかのような会話を繰り広げる。
しかもそれで私が文句を言うと、心底楽しそうに笑う。
悪戯っぽい子供のような顔で。
くそ、中身最低だと分かってるのに、美中年の子供のような笑顔にすべて許してしまいそうになる。
憎めない。
それがこいつの最大の武器だ。
しかも絶対分かってやってる。
タチが悪い。

「陛下、邪魔するなら***********」
「****************、セツコは******、楽しい。お前は*******、少しくらい、****************」
「分からない、話。むかつく。嫌い、あんたたち」

くすくすと笑いながら話されると馬鹿にされている気がする。
ていうか馬鹿にしてんだろ、絶対。
この馬鹿王、そのうっとおしい不精髭剃り落としてやるから見てろよ。

『陛下にもあなたの頭の中で考えていること、見せたいですねえ』
『勝手に通訳でもなんでもすればいいじゃない。もうミカに好かれようが嫌われようがどうでもいいわよ。処刑とかされないならいい』

どうやら、何を言っても処刑とかはされないらしい。
だったらもういくらでも文句を言うわよ。
私がこんな状況に置かれてるのは、こいつのせいでもあるんだし。
ああ、いらつく。
勉強は進まないし。
少しは分かるようになったといっても、やっぱり難しいし。
なんなのよ、この文字。
人を馬鹿にしてるの。
せめて英語にしなさいよ。

「エリアス、お茶!」
「は、はい」

隅っこで相変わらずおろおろとしていた赤毛の男は、私の言葉に慌てて用意してあったお茶を注ぐ。
エリアスは、基本的にミカとセットだ。
ミカが来る時はたいていついてくる。
いないときは、ミカがまいた時ぐらい。

魔法瓶ほどではないが、何で出来てるんだか割と保温効果の高いポットから、ぬるいお茶が出てくる。
まあ、猫舌だからこれくらいで許してあげる。

「どうぞ」
「ありがとう」

ぞんざいにお礼を言って、私はカップのお茶をがぶ飲みする。
うん、温いけどまずくない。
正直、メイドさんが入れてくれるお茶よりおいしい。
この世界に来てからよく飲む、ハーブティーみたいな、ちょっと青臭いけど爽やかなお茶。
ああ、でも今日はちょっとフレーバーが違う。
お茶っぱ、変えたのかな。
ふと視線を上げると、エリアスが何かいいたげにこちらをじっと見ている。

「………お茶」
「は、はい!」
「いつもと、違う」
「お茶を、変えたんです。新しいものに」

エリアスは他の二人と違い、私にも分かりやすいように簡単な単語でゆっくりと丁寧に話す。
です、ます口調は私の勝手な脳内つけたし。
敬語表現はあるらしいけれど、私が習得していないので使わないようだ。
でも、なんとなくエリアスのしゃべり方はですますってイメージだ。

エリアスは不安そうに私の次の言葉を待っている。
26歳らしいけれど、どうにも学生の雰囲気が抜けきらない新卒のような頼りなさ。
向こうの世界の後輩を思い出し、私はちらりと笑ってしまう。

「あの、おいしいですか?」
「おいしい」

にっこり笑ってそう言ってやると、エリアスは顔を輝かせる。
勢いこんで、早口で話し始める。

「そのお茶はですね!**********、***************だから、頭が*********************************!それから!」
「分からない!ゆっくり話せ!」
「すいません!」

これが、この子の欠点の一つ。
興奮すると、気遣いを忘れてしまう。
まあ、それもかわいいっちゃかわいいんだけど。
小動物みたいだわ。
見た目は物静かな青年風で、かっこいいのに。
今もしゅんとして、落ち込んでしまっている。
ミカと悪魔がエリアスをついいじり倒してしまうのも分かる。

「お茶、どうしたの?」
「あ、あの、このお茶は、******で、***********なんです」
「単語、わからない。ネストリ!」

向かいに座っていた悪魔は心得たように通訳してくれる。

『集中力を高め、知識を吸収しやすくする効果がある、と言っていますよ。ちなみに単語はこう書いて、文法的にはこうです』

さらさらと勉強用の汚い板に流麗な文字で文法と単語をつづる。
私はまた一つ単語を叩きこまれて、小さくため息が出る。
ああ、もう毎日毎日、なんで今さら語学の勉強なんてしなきゃいけないのか。
英語だってこんな真剣に勉強したことない。
このスキル、帰ったら転職か婚活に役に立つのかしら、まったく。
立つわけないけど。

「おいしかったら、よかったです」

エリアスがちょっと照れくさそうににこにことしている。
ああ、和む。
この最低な世界で、エリアスと酒だけが癒しだわ。

「エリアス、こっち」
「あ、は、はい」

エリアスは呼ばれて、近づいてくる。
話を聞こうと顔を近づける赤毛を、思い切り胸に抱きこむ。
ちょっと硬めの感触の赤毛は、ちくちくとするけれどさわり心地がいい。

「あ、ちょ、ちょっと、セツコさん。あ、だ、だめです」
『ああ、、かわいいわ。何このかわいさ。本当にかわいい。癒される。もう、かわいすぎる』
「せ、セツコさん」

エリアスは真っ赤な顔をしたままジタジタと腕の中で暴れている。
本気で逃れようとすれば私の腕なんて払いのけられるだろうに、強い拒絶はできないらしい。
今にも倒れそうなくらい耳まで真っ赤にして、必死に逃げようとしている。
本当に26なのか、この男は。
かわいすぎる。
ああ、この感情がもうおばさんなんだなあ。
昔は年上の頼れる人が好きだったけど、今はジャ○ーズに心癒される日々。

『セツコ、それは<セクハラ>ではないのですか?』

く、無駄にこっちの言葉を覚えやがって、この悪魔。
私はしぶしぶ、腕の中で暴れる赤毛を解放する。
エリアスは、ずれてしまった眼鏡を直しながら慌てて距離をとった。

「何するんですか!」
「ごめんね、かわいい」
「か、かわいいって言わないでください!」

エリアスは涙目になりながら、怒ってみせる。
ああ、怒られても全然痛くもかゆくもない。
かわいい。
もっといじり倒したい。
…なんかおばさんていうか、おじさん?
…自重しよう。
冷静にみると、本当に痛いわ。
こんなの営業の後輩にしたら、確実に痛い噂が立つわ。

「セツコ、俺も」
「黙ってろ」

ミカが手を広げてアピールする。
私は冷たく切り捨てた。
なんか、言葉を覚えるのが早くなったのはいいけれど、どうでもいい言葉を覚えている気がする。
くそ、ミカめ。

『さて、セツコ、遊ぶのもいいですが、そろそろ勉強にもどってください』
『ああああああ、もう、うんざりよ!毎日毎日勉強勉強で!私ここにきて1か月、太陽も見てないわよ!?外ぐらい出しなさいってのよ!体に悪いのよ!太るし!!あと風呂入れなさいよ!湯船につかりたいのよ!サウナだけじゃ物足りないの!もひとついい加減、私がここに来た目的を教えて!!!』

思わず声に出して全部吐き出してしまう。
いい加減、もうこの何もかも分からない状況はうんざり。
ていうか何度も訴えてるのに悪魔は聞いてもくれない。

『集中力を高めるお茶より、気持ちが安らぐお茶の方がよかったですね』
『いい加減にしてよ!エリアスと酒だけじゃ、もう我慢できない!一から十までしっかり説明して!』
『うーん』

悪魔は眉を寄せて首を傾げる。
急に興奮した私を、もてあましているようだ。

「どうした?」

ミカが急に怒りだした私に不思議そうに視線を送る。
私はミカから視線を逸らす。
この馬鹿王と話しているのも腹が立ってくる。

『セツコが**************』
『**************、*********************?』
『****************************、**********』

悪魔がなんかしらを説明している。
ミカは得心した、といったように何度も頷く。
そして私に視線を再度向ける。

「酒飲むか?」
「死ね」

人が酒飲めば機嫌がよくなると思いやがって。
いや、まあ酒は友達よ。
酒は潤いよ。
でも、今はそれどころじゃない。

『刺々しいですねえ』
『うっさい!もう、今度という今度は我慢しないわよ!』

この暗い石造りの城に閉じ込められて一か月。
ストレスも破裂寸前だ。
夢はいまだに終わりを見せない。
ていうか私の心が見えるなら、そろそろ限界なことなんて、わかってただろう。

『まあ、そうなんですけどね。そりゃ不安ですよね。外は、そうですね。そろそろ出してもいいかもしれません』
『じゃあ、出してよ!!』
『はあ、分かりました。まあ、誰かしらつければ大丈夫でしょう。後入浴について』
『お風呂入れてよ!』
『回数は今と変わりませんが、湯船につかるというのはできますよ。もともと我が国の文化としてはそちらが基本ですし』
『はあ!?じゃあなんで私あの訳のわからないサウナに入れられてるのよ!』
『あれはもっと北方の国の文化なんですけど、陛下の第三妃がやりたいといって急遽作成した入浴場なんですよ。上流階級の方々の流行りらしくて、喜ぶと思ったんですが』

隣にいたミカの方を向く。
そして一発その頭を殴っておいた。

「なんだ?」

ミカは殴られた頭を押さえて、不思議そうにしている。
怒る気配も見せやしない。
ある意味心が広いな、本当に。

『女のために血税使ってんじゃないわよ!この馬鹿王!』

日本語で怒鳴りつけたせいで、ミカは訳わからないように悪魔に説明を求める。
悪魔は簡潔に何かを説明すると、ミカはまたくすくすと笑い始めた。
ああ、でも今はミカにかかわっている暇はない。

『とにかく、じゃあ次からは湯船のある方に入れて。あれはもういや。ていうか私が不満持ってることなんてわかってたでしょ!』
『いえ、あなたには不満がありすぎてどれがどの不満なのかよく分かっていませんでした。人一人の思考の情報量って結構すごいんですよ。全部聞いてたらこちらが破裂してしまいます。なので、ある程度必要のない情報は聞き流しているんです』
『………その割には私の聞かれたくないことはきっちり聞いているわよね』
『それはまあ、面白いですから』

殴りたくて拳をぎゅっと握る。
しかし、悪魔は指を一本立てる仕草をする。
くそ、殴りたい。
ミカより誰より、こいつを一番殴りたい。
けれど、殴ったら即座にあの静電気が走るだろう。
ああ、本当にこの悪魔。
この首輪をはずしたときを見てろよ。
地獄を見せてやる。

『怖いなあ』
『………で、最後の一つ、私はなんでここに呼ばれたの?』
『そうですね、言葉もだいぶ覚えられましたし、そろそろいいかもしれません。本当のことを話しても』

ああ、ようやくここまで来たか。
ハリウッド映画だったら別世界に着いた瞬間に、説明されることじゃないの。
全く。
随分と長いオープニングだこと。
こっからが本編。
それでエンディングまではどれくらいかかるのかしら。

『********************、******************』
『********、*************************』

ミカとネストリが何かを話している。
エリアスがそれを不安そうな顔で見ている。
さて、一体何をやらされるのかしら。
世界を救えとか、この国の未来を導けとかそういったやつかしら。
いいわよ、なんでもこいってのよ。
家に帰れるんだったら、なんだってしてやるわよ。

『セツコ、こちらへ』

悪魔が立ち上がり、手招きをする。
私も立ちあがろうとすると、ミカがそっとエスコートをした。
さすが、手慣れている。
そのまま手をひかれて部屋の外まで導かれる。
エリアスが、後ろからついてきた。

『で、どこまでいくのよ』
『すぐそこです』

言葉どおり、そう長くもない時間歩いて、奥まった一室に着く。
人気のない場所にある、重厚な扉で閉ざされた一室。
あまり人が近づいていないらしく、少々部屋周りは埃っぽい。
何か秘密の匂い。
自然と、唾を呑む。
何かしら、何を言われるのかしら。
少しだけ、鼓動が早くなる。

ミカが懐から綺麗な細工のされた銀の鍵を取り出した。
鍵がかかっているらしい。
ゆったりとした仕草で、差し込むとカチャリと、音がなる。
そのままミカが重い扉をゆっくりと開く。

埃の匂いがする。
鼓動がますます早くなる。

ミカの大きな体の後ろから、部屋の中を恐る恐る覗きこむ。
部屋の中は薄暗い。
ミカがエリアスから受け取って、匂いのするランプを部屋の中に差し込む。
ほの暗い明かりが、部屋の中をぼんやりと映し出す。

「…………なに、これ?」
「******************」
「わからない、ネストリ」
『我が国の財務省というか、なんというか、そこまでの規模もないですね。経理室ですかね』
「は?」


部屋の中には小さな机が二つほど。
本棚と、そして床に積み上げられた本と書類で埋め尽くされていた。
乱雑に積み上げられたそれは、埃にまみれて狭い部屋を圧迫している。

『どういうこと?』

後ろにいた悪魔を振り返る。
悪魔はにっこりと笑った。

『あなたには、我が国の経理をしていただきたいんです』

一瞬何を言われたのかわからなかった。
脳内に直接響く言葉は、聞き間違えとかないはずなのに。

『は?』
『経理を。というか経理の補助を』

いや、まあ、経理はやってたはやってたわよ?
一般事務ってことだけど、小さな会社だから庶務だろうが、営業事務だろうが、経理よりの仕事だろうが、なんでもやらされたわ。
勤続年数長いしね。
最近だと、そっちの仕事の方が多くなってたわよ。

『………経理?』
『の、補助を』
『それが、私がここに呼ばれた理由?』
『はあ、まあ、なんというか』
『…………』

じわり、とようやく何を言われたか認識出来てくる。
ちょっと待って。
なにそれ。
どういうこと。
それがこのくそファンタジーの、オープニング?
いくらなんでも。

『スケール小さいにもほどがあるわよ!!』

私の叫びが狭い部屋に、響き渡った。





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