前 
「私が一緒にいるよ!」 そう言ったあいつの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、真っ赤で、 それはもうブスだった。 けれど俺を抱きしめる腕とともに温かく、優しく、安心できて、 最高に胸が熱くなった。 俺にとって一番大事で、一番温かい思い出。 今年の冬ようやく再会を果たした相手は、相変わらずだった。 ずっと訪れない相手を待ちわびる日々は長かった(5年てありねえよ)。 それでも忘れられず、来ると知った時は本当に嬉しかった。 けど、やっと会えたと思ったら忘れられてるし。 俺はあいつにとってそんなに大した人間じゃなかったのか、とか 本当に嫌われているんじゃないか(結構ひどいことしてたし)、とか それなりに悩んだりもした。 それもつい3ヶ月程前に色々誤解だったと判明したし、その、一応 なんとなく進展があったような気がしないでもない。 あいつはあの後いつもどうりだったから反応読みにくいんだけど…。 まあとにかく、5年の空白を埋めるぐらいの再会だったと思う。 次の再会の約束もできた。 今度は、すぐに。 そして桜が咲くにはまだ早い三月初め。 俺はこの汚い街を訪れた。 あいつが来るの待ってたら、次いつになるか分かんないし。 ……はい、で待ち合わせ時間からすでに30分経過。 一向に来やしねえ…。 予想はしてたけどな。あいつのことだし。 それにしても久々に会う相手に対してこの仕打ちはねえだろ。 一応余裕を持って設定したんだけどなあ。 忘れられてるわけじゃないよな。昨日電話したし。 てことは……道に迷ってたりして……。 電車に乗り間違えたとか……。 まさかなあ…。 更に15分経過。 いくら電話してもつながらないケータイを見るのも飽き飽きしてきた。 流れては消えていく人混みを見るともなしに眺める。 春に近づいて、街中の色は明るい。 俺の家はまだまだ寒いけどな。 足早に消えていく人間。俺と同じように周りを見渡す人間。 その有象無象を切り裂いて、3ヶ月ぶりの姿が目に入ってくる。 鈴鹿だ。 どんな人混みでも一発で見分けられてしまう自分が悲しい。 あーあー、あんなに人にぶつかって。 こんな人の多い街で育ってなんであんなに人混み歩くの下手なんだ。 小走りで人にぶつかり、謝り、こちらに向かってくる。 その変わらない姿にイライラしていたことも忘れて頬が緩む。 俺のところまで後10メートル。 5メートル。 3メートル。 1メートル。 0。 1メートル。 「ておい!通り過ぎるなこの馬鹿!」 「え、駿君!?」 小走りのまま俺の前を通り過ぎようとした鈴鹿を思わず呼び止める。 俺は一発で気づくのにこいつは気づかないわけね…。 ため息が出る。 鈴鹿は俺の声に気づいて慌てて方向転換する。 そんな急いで方向転換したら…! 「うわ!」 「馬鹿!」 地面に顔面衝突する前に救助成功。 少し後ろによろめくが持ちこたえる。 ……よし、今度は倒れなかった。 本当にはずさない奴。 もう一度ため息。 …なんで俺、こんな奴長年好きなんだろ。 トロいし。 ドジだし。 胸ないし。 色気ないし。 そんなに飛びぬけてかわいいって訳じゃないし。 「ご、ごめん。駿君。ありがとう」 そう言って鈴鹿は俺を見上げて照れたように笑う。 まあ確かに飛びぬけてかわいい訳じゃないんだけど、たれがちの薄い色の 目は、パンダのような愛嬌があるとも言えるし、今日の白いふわふわした スカートとGジャンの組み合わせはよく似合ってたりしないでもないし、 いや、田舎では寒いからずっとパンツ姿だったし。トロいけど一生懸命だし、 色気はないけど性格は悪くないし…。 「駿君?」 鈴鹿を抱えたまま固まっていた俺を不思議そうに見上げてくる。 「重い、さっさとどけ」 内心の焦りを隠してぞんざいに体を押しのける。 「ひど!そこまで重くないよ!」 「ふーん」 思ったとおり喰いついてくれる。俺の動揺は伝わっていない。 「ま、前々から言おうと思ってたけどね、駿君はもうちょっと年上の人間を 敬う気持ちと言うものをね!」 「へー、だったら年下の人間を知らない街でひとりぼっちで放っておかないでよ、 年上のお姉さん」 鈴鹿は言葉につまる。 罪悪感と悔しさが混ざり合った、眉の下がった情けないツラ。 犬みてえ。 俺が一番見ている表情かもしれない。 「……すいませんでした」 「はい、よろしい。で、なんで俺はこんなに待たされたの?」 「……逆方向の電車に乗った後、道に迷いました」 ………どこまでもはずさない奴。 ようやくその場から離れることが出来た俺は、今度は別の電車に乗って 鈴鹿の家に向かう。 駅と駅との間が離れているため、道に迷ったらしい。 ……一本道だったけどな。 二人並んで電車にゆられる。 それにしても、本当に人が多い。 少しゆれるたびに、人に押される。 密着して、困る。 「純君元気?」 なんとか体を離そうと苦労している俺のことなんか気づきもせず、 すぐ上からそんな言葉が降ってきた。 まだ目線は鈴鹿の方が上だ。くそっ。 でも、俺は成長期だし、この3ヶ月でもだいぶ差をつめた。 後、少しだ。 「元気。今回もすげーこっち来たがってた」 「純君も来ればよかったのに」 誰がこさせるか。 我が弟ながら油断も隙もない。 鈴鹿姉ちゃんに会いたい!とか言ってだだこねやがって。 純太はかわいいが、それとこれとは話は別だ。 「ただでさえ、手間がかかる奴がいるのに、これ以上いらねえよ」 「……手間がかかるって誰?」 「自分の胸に手をあてて、よーく考えてみましょう」 「う、うう……」 また困り眉の犬ヅラ。 それがかわいいとか思ってしまう自分も相当末期だけど。 ガタン、と電車が大きく揺れた。 鈴鹿が人ごみにまぎれて押しつぶされそうになっている。 こいつはこんなところでもとろくさく、もみくちゃにされている。 バッグを取り落としそうになったり、流されていきそうになったり。 ……ったく。 鈴鹿を囲うように、ドアに手をつきガードする。 圧力が両腕にかかる。同じぐらいの背の奴をかばうのは中々難しい。 これ、結構きつい…。 けれど、ここでガードを解くわけにもいかないし、なにより右隣の 男が鈴鹿によりかかるがのむかつく。 ガタン、とまた電車が傾く。 前方によろめいた。 ……ておい、密着してる、密着してる! しかもこれ、なんか鈴鹿を抱きしめているような格好。 ……つ、辛い。嬉しいような気もするが、辛い。 うわ、やわらいかい。てかこの俺の胸の辺りに感触って……。 ねえと思ってたけど、結構……。 じゃない!考えるな!今考えたら負けだ! 頑張れ俺の上腕二頭筋!三角筋!前腕屈筋群! 傾いていた電車が元に戻り、ゆとりが少し出来る。 はあ、ようやく離れた……。 気を抜いた瞬間にまた後ろから押される。 またかよ! ていうかよるんじゃねえ、右隣の男! ………目的地に着くまで、後どれくらいなんだ…。 ようやくその駅に到着した時、俺は消耗しきっていた。 肉体的にも、精神的にも。 酷使した両腕はガタガタだし、天国のような地獄を味わい続けた心は 疲弊していた。 ああ……疲れた。長い闘いだった…。 それでも俺は鈴鹿のなんともないように振舞う。 なんともないようにするのは、昔からの得意技でもある。 「駿君」 「何?」 「ありがとね」 「……何が?」 「かばってくれてたでしょ?」 「……別に」 そんな一言で、回復してしまう俺が哀しかったり……誇らしかったり。 こいつはそんな細かなところで柔らかい気持ちをくれる。 「でも駿君、私より小さいんだから無理しなくてもいいのに」 「……だったらこちらが無理しなくてもいいようにしっかりして下さい。 年上のお姉さん」 「……うう、ごめんなさい」 で、相変わらず俺の神経を逆なでするのがうまい。



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