「……てことで、母さんから押し付けられたんだよ…」
「あ、そ、そうだったんだ…お、おばさん…」

拍子抜けしたように、肩に入っていた力を抜いた鈴鹿。
お互いの顔が見れない。
真っ赤になって、2人して俯いている。

情けない経緯はすべて白状した。
あれは今、俺のポケットにしまいである。
出ていると、とんでもないことになりそうだ。

ここは鈴鹿のじいちゃんちだ。
すぐそばには俺のうちもある。
何も考えるな、俺。
精神統一だ。

「…………」
「…………」

いい加減、沈黙が痛くなってきた。
俺は邪念を振り払うためにも、鈴鹿に別の話をふることにする。

「それで?」
「え!?やだよ!」
「いや、そうじゃなくて!なんでお前はそんな愉快な勘違いしてるんだよ」
「え?え?」

何を考えていたのか、顔を真っ赤にして頭をふる鈴鹿。
その一瞬の躊躇もない拒絶は、ちょっと傷つく。
別に何かしようとか、考えてないけどさ。
とりあえず俺はこの空気はどうにかしたかったから、話を元に戻すことにする。

「人が浮気してるとか何とか」
「あ」
「なんでそんなこと考えたんだよ」
「いや、ね?解決したから、いいじゃない、ね?」
「…………」

手をパタパタとふって、笑って誤魔化そうとする鈴鹿。
俺はただ黙ってそれを見つめていた。
しばらく視線を彷徨わせてどうにか話を逸らそうとしていたが、無言の重圧に耐えかねたのか、とうとう鈴鹿は情けなく眉を吊り下げた。

俺の好きな、犬みたいな間抜けな顔。

「うう……」
「話せよ」

再度うながすと、鈴鹿は情けない顔のままぼそぼそと話し始めた。
相変わらず、混乱すると話がこんがらがる癖は変わらない。

「だから、駿君、なんか冷たいし、態度変だし、どうしたのかって聞きたくって、駿君の部屋にいって、駿君いなくて、しょうがないから待ってたら、そしたら、その、えーと、アレが…」
「ああ、うん、言わなくていい別に」
「あ、そう、えーと、それがあって、てっきり冷たくなったのは、他に好きな人ができたのかって、思っちゃって」

ちらりと上目遣いでこちらの様子を伺ってくる。
その視線をうけて、俺は一つため息をつく。

そして殴った。

「痛い!」
「このバカ!」
「うー!」
「うなるな」

あまりといえばあまりな勘違いに、思い切り怒鳴りつける。
ていうかどうしてそこで、俺の相手が自分だと思わないんだろう。
そんなところも、ちょっと寂しいて哀しい。

「で、でも元はといえば駿君が悪いんじゃん!変な態度で、いきなり冷たくなって」
「あ、う……」

そう言われて、今度は俺が言葉に詰まる。
元はといえば、確かに俺が悪い。
今回は結構全面的に俺が悪い。
あんなに反省して、地の底まで落ちたのに、全然生かされてない。
素直に、鈴鹿に謝ろうと思ったのに、結局また鈴鹿に甘えてしまっている。

「駿君」
「……はい」
「今度は駿君がちゃんと話して」
「………」

できれば、黙り込んでしまって誤魔化してしまいたかった。
俺の情けない八つ当たりなんて、隠してしまいたかった。
でも、謝ると決めた。
苦しくても辛くても、謝って許してもらって。

それで、一緒にいたいと思ったんだ。

「駿君」
「……分かりました」

再度の促す言葉に、俺はゆっくりと頷いた。
でも恥ずかしくて、俯いてしまう。
色あせた黄色い畳の目が、眩しかった。

「情けなかったんだよ、俺」
「え?」
「お前、いつのまにかすげー大人っぽくなってるし、将来のこととかちゃんと考えてて、夢持ってて、そのために勉強して、バイトとかして、俺に会いに来るにもすげー負担かけて」
「………負担とかじゃないよ?」

それは分かってる。
鈴鹿がそんなこと思わないのは、重々承知していた。
分かってる、気にしているのは、俺。
俺のちっぽけな意地。
捨ててしまってかまわない、むしろ捨ててしまったほうがいいぐらいのどうでもいいプライド。

「それでも!俺はバイトもできないし、自由になる金なんてないし、お前に甘えっぱなしだ。それなのに、お前守ってる気になって、偉そうに命令して、いい気になって。すっごい情けなくて、自分が、嫌になって、ムカついて、それでお前に八つ当たりして、それで、そんなガキな俺がますます嫌になって」
「………」
「俺、ただでさえ長男で、こんな田舎住んでて、もしかしたら家継がなきゃいけないし、母さんの老後だって面倒みなきゃだめだし、お前は先に社会に出て、色んな男と出会うだろうし、そしたらこんな田舎のガキなんて飽きちゃうだろうし、ここは職もないし、お前に不自由させない暮らしをするにはどうしらたらいいのかとか考えたら公務員しかないのかと考えたり、と言ってもお前がこっちに来てくれなかったどうにもならないし…」

なんだか自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
鈴鹿に何を伝えたかったのかも分からない。
一旦そこで言葉をきって、反応のない鈴鹿のほうを盗み見る。
鈴鹿はびっくりしたように目を丸くしていた。
やっぱり、呆れているのだろうか。

「………」
「………なんだよ?」
「駿君って、すごいねえ」
「は?」

本当に感心したように、鈴鹿はほうっとため息をついた。
俺は訳が分からなくて首を傾げる。

「私そんな将来のことまで考えたことないよ」
「いや、お前のほうがすごいじゃん」
「私はもう高校2年だし、進路決めなきゃいけないから決めてるだけで、勉強も受験があるからだし、バイトだって、その……ただ駿君に会いたいだけだし」
「………」

まっすぐにこちらを見ながら伝えてくれる言葉。
ストレートで素朴な言葉に、胸が温かくなる。
それにともなって、耳も熱くなってくる。

「そんな将来設計とかって考えたこともないよ。ましてや中学生の頃なんて、全く考えてなかった。駿君、すごいよ」
「でも…、俺って、いっつもお前に甘えてるだけの、ガキだ。お前がいつも言ってくれるような頼りになるような奴じゃ全然ない。こんな情けないこと言ってばっかりだし」
「駿君はすごく、頼りになってかっこいいよ」
「そんなこと、全然ない。4つも年下の、ガキだし…」

鈴鹿がせっかく、そう言ってくれるのに俺は素直に受け取れない。
まだつまらない意地を張ってしまう。
こんなところまで、ガキくさくて嫌になる。
俺の拗ねた態度に、けれど鈴鹿ははにかんだように笑った。

「えへへ」
「何笑ってんだよ」
「駿君がね、4つ年下でよかったって、時々思うんだ」
「は?」
「今もね、そんな弱気なこと言ってる駿君、かわいくて、嬉しい」
「な、かわいいって言うな!」

いつもの癖で、つい文句をつける。
鈴鹿はごめん、といいながら気にした様子もなく、にこにこと笑っている。
なんとなく、それが鈴鹿を年上の女だって思いださせた。

「ごめん。だってね、いっつも私が駿君に頼ってて、不安になって泣いてばかりで、私ばっかり弱くって嫌だなあって思ってたの」
「………」
「だからね、駿君もそんな風に気弱なこと考えるんだあ、って嬉しくなったの」
「………」
「一緒なんだなって」

そう言って鈴鹿は俺の手をそっと包み込むように両手で握った。
小さくて力を入れたら壊れてしまいそうなのに、温かくて安心する。
ずっと小さかった頃、出会った頃から変わらない、力強さ。

情けなくて年下で器小さくてバカで、そのくせ偉そうなガキ。
そんなガキでも、鈴鹿はいいと言ってくれる。
嬉しいって、言ってくれる。

「…鈴鹿、俺でいいかな。俺、こんな情けなくて頼りなくて、ガキだけど」
「前にも言ったよ、私、駿君が大好きだよ。前から好きだったけどね、そんな風に弱いところ見せてくれて、今もっと好きになった。すごくすごく好き」
「………っ」

心が熱くなって、目が潤む。
鈴鹿を見てられなくて、俯いた。

「駿君こそ、私でいい?年上のくせに泣いてるし、頼ってばっかりだし、ドジだし、間抜けだし」
「………そんなところもひっくるめて全部好きなんだよ」
「えへへ、私もね、駿君の弱いところも強いところも、好き。大好き」
「…………」
「大好きだよ」

今度こそ、涙が出た。
俯いてたけど、畳に一粒落ちたから、鈴鹿も絶対分かったと思う。
でも、鈴鹿は何も言わなかった。
ちらりと見上げると、ただ優しく微笑んでいた。
なんか本当に俺がガキで、鈴鹿が大人で。

それでも、好きだなって思った。

「それによく考えてよ。私が駿君と同い年だったら、きっと駿君私なんてどんくさすぎて興味ないよ。4つ年上で、ようやく同じ立場って感じがする。私これくらいでいい」
「ぷ、自分でいうなよ」
「あ、笑わないでよ!結構真剣に考えてるんだから!」
「でも、俺はきっと同じ年でもお前を好きになった気がする」

そう、素直に告げると、今度は鈴鹿が真っ赤になった。
うー、とか、あーとか、言葉にならない言葉を繰り返して視線を彷徨わせる。
それが、とんでもなくかわいかった。

「なあ」
「何?」
「キスしていい?」
「え!?いや、え、えーと」
「ダメ?」
「え、えっと、い、いいですけど」
「ありがとう」
「改まって聞かれると、なんていうか…」
「目つぶって」

俺の泣き顔を見られないようにそんなことをお願いする。
素直に従う鈴鹿の緊張して上気した頬に口付ける。
その後、顎を軽く持ち上げて、ほぼ一緒に位置にある唇にもう一度キスを落とした。
柔らかくて、温かくて、不安で冷たかった心が溶けていく。
温かいもので、いっぱいになっていく。

この後もきっと、障害や不安になることがいっぱいあるんだろう、って思う。
でも、こうしている今だけはすべてのことを忘れられる。
傍にいて、くっついていられればどんな事にも負けないくらい、強くなれる気がした。

鈴鹿と再会して、前よりずっと親しくなって近くなって。
それで苦しくて、辛くて、哀しくて、情けなくて。
こんななら、遠く離れていたほうがよかったって思った。
遠くから想っているだけなら、傷つかないし、苦しくない。

それでも。
それでもやっぱり、一緒にいたいって、改めて思った。
鈴鹿を守って、鈴鹿に支えられて、一緒に一歩づつ進んでいきたいな、って思った。



***




「結局、全然一緒にいないまま、明日最終日だな」
「ね、もったいないことしちゃった」
「ごめんな」
「ううん、私もごめんね」

向き合ってくっついたまま、おでこをこつんとあわせる。
近づきすぎて、あんまり表情が分からないのがありがたい。

「駿君、不安なこととかあったら言ってね」
「うん」
「私もね、駿君にわかって欲しいこととかあったら言うから、駿君も溜め込まないでね」
「うん」
「駿君が私を守ってくれるように、私も駿君を守るからね」
「お前が?俺を?へー」
「うわ、ひどい!!さっきまであんなにかわいかったのに!」
「かわいいって言うな」
「だってかわいかったもん!」
「……でも、俺、お前に甘えてるから。俺も」
「う」
「なんだよ」
「なんか、駿君がすっごくかわいくて、こう、ムラムラきたっていうか」
「……変な言葉遣いするな」

こんなくっついている状態で、そんなことを言われるとよくない気がおきてしまう。
考えなしな鈴鹿の言葉は、時に心地よくて、時に頭が痛い。

「焦らなくてもいいから、一緒に徐々に分かり合って、一緒にいような」
「うん、一気になんて難しいから、ゆっくり、一歩づつ、2人で進んでいこうね」

そうして、俺達は手を握ってもう一度顔を寄せた。
鈴鹿の柔らかい体に、何も想わなかったといえば嘘だけど、ただ今はくっついて、キスして、体温を感じていたかった。
それで、いっぱい色々なことを話したかった。

焦らなくてもいいから、二人で一緒に歩いていこうって、決めたんだから。
ずっと一緒に、いれるように。

不安も、弱さも、苦しさも、悲しさも、愛おしいものだから。
一緒にいられる、その時間をずっと一緒に大事にしよう。



***




鈴鹿も帰ってしばらくしたある日。

「母さん、これ返す」

それは、ケンカの原因にもなって、俺が変な態度をとってしまった原因でもあるそれ。
あの後すっかりこれのことを忘れてくれた鈴鹿からドサクサに紛れて取り返したままだ。
鈴鹿が思い出さなくてよかった。
本当によかった。

しかし母さんはその小さな箱をみて首を傾げてみせた。

「へ?あれ、これ、なんだっけ?」
「お前が渡したんだろう!!」

あんまりと言えばあんまりな反応に、俺は全力でつっこんでしまった。
母さんはそれを押し付けられるがままに受け取り、しばらく首を傾げる。

「あーあーあーあ、そういえば渡したわね。あら使ってないじゃない」
「使えるか!息子の年齢思いだせ!」
「えー。せっかくいいチャンスだったのに、ケンカの後とか燃えるわよー」
「だからいっぺんお前は常識とか正しい教育方針とかを考え直せ!」

俺が本気で殴りつけると、母さんは頭を押さえて口を尖らせた。

「まったく堅いわねー。まあ、出来た息子で安心ですよ、母親としても。でも本当にいいの?」
「いらない、俺にはまだ早い」

まだ、怖い。
両想いになっただけでこんなに不安で怖いのに、触れることなんて、怖すぎる。
俺がどうなってしまうのか分からなくて、怖い。
興味は溢れるほどにあるけれど、実行するには度胸が足りない。
想像はいいけれど、いざ前にしても、絶対無理だ。
興味本位で傷つけるのは、怖い。
まだもうちょっとだけ、もどかしい気分を味わっていたい。
もったいない気もする。
大事に大事に、していきたい。

いい失敗例が目の前にいるわけだし。
まあ、いつ我慢できなくなるか分からないけど。

「そ、じゃあそのときまで母さんが預かっとくわ」
「いやいい」
「なあに、大事よ。こういうのは」
「そのときは自分で買うよ。本当に必要になったら」

そもそも親にこんなことを管理されるなんて冗談じゃない。
そう言い切ったら、母さんは驚いたように目を丸くした。

「あらあらあら、ちょっと男前じゃなーい」
「俺はいつでも男前なんだよ」

そう強がって、笑って見せると、母さんもにやりと意地の悪い笑い方で返してくれた。





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