「少女の爪は、その淡き想いに似て、薄いピンクをしていた」 さらりと肩から溢れる、黒く長くつややかな髪。 白磁のように滑らかで透き通るような白い肌。 原稿を読むために伏せた睫が、長い影をその白い肌に落とす。 夕陽の差し込む薄暗い部屋の中、それはまるで一枚の絵画のよう。 「少女は、その切ない、狂おしく胸焦がす感情を持て余し、うち震えた」 朱に染まる唇から零れおちる声は、夏の日の竹の葉ずれのよう。 心地よく、部屋の中に響き渡る。 私は眼を閉じて、その声に聞き入った。 静寂に満ちた夕暮れの教室。 聞こえてくるのは、少女の声だけ。 まるで、ここが現実とは切り離された空想の世界のように思えてきてしまう。 どこか夢のような、美しい調和。 「少女が、想い人に手を伸ばす。その人は幽かに困ったように笑みを零し、その手をとった」 少女の朗読は、続く。 私は、ただそれに耳を傾ける。 「二人の指が、絡み合う。その瞬間、少女の体に電流のような刺激が走りぬけた。体が熱を帯び、飢えに喉が渇く」 その声は、本当に心地よくやわらかく、美しい。 「その瞬間、少女の中の、獣が目を覚ました。己を突き上げる強い感情のまま、少女は自分の恩師であるその女性を、黒板に押し付け、もどかしく自分の唇を重ねる。美しい人は、花のような香りがした」 レトロな制服に身を包む少女は、天使、と呼ぶのに相応しい清純さ。 「身を捩り、少女を振りほどこうとする教師を押さえつけ、少女は更に深く唇を吸う。そしてその淡いピンクをした爪で、想い人の首筋に爪を立てる」 陶然として上気するその白い肌は、芸術品のよう。 本当に、絵に描いたような美少女なのに。 「そして更に強く抵抗しようとする美しい人に、少女は馬鹿にしたような笑みを浮かべた。その白い手はスカートの中に入り込み………」 ああ、もう、本当にこいつは全くもう。 「…………まって」 「美しい人の秘めた場所は、すでに朝露に濡れた花のように潤っていた」 「まってまってまってまって!」 「首筋を赤くし、顔を伏せる想い人に、少女は………」 「だから待て!!」 私が少女から原稿を取り上げると、ようやく少女の朗読が止まった。 夢から覚めたように、はっと表情を改めて私を見上げる。 「………先生?」 「先生、じゃありません」 「まあ、どうしました?今からいいところなのに」 「………一応誤解かもしれませんから聞きます。この後どういう展開になるんですか?」 「これから少女が女教師を押し倒して、無理矢理縛りあげて、その体の全てを暴くんです。そして二人は捲るめく官能の世界へ……」 「あほか!」 最後まで聞かず、私は少女のうっとりとした説明をさえぎった。 思わず手にもった原稿の束で少女の頭をはたこうとする。 っと、危ない危ない。 体罰はいけない。 今の世の中、いつ訴えられるかわかったもんじゃない。 PTAも怖いし。 まだ職を失いたくない。 「私は、文化祭に出す文芸部の会誌の原稿を書いてこいと言ったのです。誰がフランス書院に投稿する原稿を書けといいましたか!」 「まあ、憧れのフランス書院でデビュー出来るレベルでしょうか!」 「そんなことは言ってません!」 ああ、殴りたい。 この馬鹿を殴りたい。 こんな馬鹿にも教育的指導出来ないなんて、なんて嫌な世の中なんだ。 私が本気で怒っていると分かったのか、少女は寂しげに頬を膨らませた。 ああ、本当に外見だけはかわいらしすぎるぐらいの美少女なのに。 「せっかくの力作でしたのに」 「こんなもん文化祭に出したら、校長の血圧があがって倒れます」 「校長は、ダイエットするべきだと思うんです」 「それは同感ですが、今はそんな話をしていません。だいたい、どうしてこんな話になったの」 「モデルは勿論私と先生ですのよ」 スパーン。 しまった思わず原稿で、頭を殴ってしまった。 ああ、裁判になりませんように。 でも、これは勝てる気がしないでもない。 しょうがないと思うんだけど。 むしろ殴った方が彼女のためだと思う。 でもまあ、それが通用しないのがこの職業だ。 「先生に嫌がらせをするんじゃありません!」 「まあ、嫌がらせなんかじゃありません!私、大好きな先生に嫌がらせなんてする人間じゃありません!」 「あ、ちょっと言いすぎ……」 「これは愛あるセクハラです!」 「なお悪い!」 もう一度原稿で殴った。 もういい。 もうクビになってもいい。 本当にもうこいつはもう。 怒りで頭が熱くなりすぎて、言葉がうまく出てこない。 それでもなんとか落ち着くて、最後の理性で教師として彼女と接する。 「あのね、あなたはちょっと、悪ふざけがすぎるわ」 「悪ふざけなんかじゃありません。私は真剣です!」 「だからそれはね」 「先生、私の想いをいつ受け取ってくださるんですか」 少女は、大きな目に涙を浮かべて、私を見上げてくる。 私にそんな趣味はないが、思わずくらりと来てしまいそうな愛らしさだ。 彼女は、その外見は天使のように美しい。 大きな目も、小さな鼻と口も。 華奢な体も、それでいて主張する胸も、長く白い足も。 長く綺麗な髪から漂う、甘い香りも。 それは咲き誇る可憐な花のよう。 私は大きくため息をついて、彼女の肩を掴む。 ゆっくりと諭すように、目を合わせる。 「いい?」 「まあ」 少女は頬を赤らめて顎をあげて、目を伏せた。 殴った。 「眼を閉じない!」 「キスじゃなかったんですか!?弄んだんですか!?ひどい人!」 「勝手に勘違いするんじゃありません!」 私はさっさと肩から手を離して、溜息をつく。 動悸が激しい胸を抑え、何回も深呼吸を繰り返す。 怒ってはいけない。 怒ってはだめだ。 彼女はちょっと好奇心が旺盛なだけ。 彼女は生徒、私は先生。 私は先生、私は先生。 何かあったら責任問題。 自分の怒りをなんとか鎮めて、少女を説得する言葉を探す。 「…あのね、あなたぐらいの歳で、それに、女子高ってことで、あなたは勘違いしているのよ」 「勘違い?」 彼女はあどけなく首をかしげて、私を見上げる。 なんの穢れも知らない、無垢な子供のように。 私はじっと彼女の眼を真摯に見つめる。 分かって、お願い。 ていうか分かれ。 「こう言うと、あなたは反発するかもしれないけど、あなたぐらいの歳だと、恋とか性とかに興味を持つのは当然よ。でも、この学校には身近な男性がいない。だから手近な人間にその興味を向けてしまうの」 「…………」 「それは、仕方のないことよ。でもね、卒業したら、そんな想いすぐになくなっていまうわ。だから、恋をするな、とは言わないけど、自分を大事にして。本当の運命の人に出会うまで」 少女は口を尖らして、私を上目遣いに見上げてくる。 その目尻には少し涙を含み、幽かな罪悪感がよぎる。 自分でも言っていて、陳腐だな、と思う。 でも、しょうがない。 納得してもらうしかない。 私は教師で、彼女は生徒。 その想いを受け取る訳にはいかないのだ。 ていうかそもそも女同士だし。 女子高だからそういうのもありだと思うけど、頼むから生徒同士でやってくれ。 責任問題になったらどうしてくれるんだ。 あんたたちは青春の一ページで済ませられても、私は人生かかってくるんだ。 私は結婚相手は男にしたい。 涙目で見上げながら、少女は直も言いつのってくる。 正直、こんな美少女に好かれるのは悪い気はしないのだけれど。 「私の、運命の人は、先生です」 「そういうこと言うのは、もっと広い世界を見てからにしなさい」 「先生を想って、毎日シーツを濡らすほど、好きなのに」 「ふふ、ありがとう。でも文芸部の部員として、その言い回しはだめだよ。枕を濡らす、でしょ」 「いいえ、枕ではなくシーツです」 「は?」 少女はさきほどまでの沈んだ顔はどこへやら、にっこりと花のように笑う。 嫌なな予感がして、眉間に皺が寄る。 「先生を思って夜な夜な、もよおしてしまって、シーツがもう……」 「生々しいこといわない!」 「私の妄想の中の先生はもうそりゃすごいことになっていましてよ。それこそフランス書院もびっくりなオールカラー無修正ハードコアですわ!」 「人の肖像権を勝手に侵害しないで!」 「大丈夫!営利目的じゃありませんから!もったいなくて人には見せられません!」 「その前にまず人をオカズにするな!!」 スッパーン!! 私はもう一度手にした原稿で、その頭をひったたいた。 ああああ、もう前言撤回。 この子の好意は私の人生の最大の障害だ。 ていうか本当にこの子は女子高校生なのか。 性欲持て余した男子高生だろう、これじゃ。 ていうかおっさんだ。 本当にかわいらしいのは外見だけ。 ああ、外見がいいってだけで警戒心を解いちゃうからいけない。 少女は悲しげに、思わずこちらが謝ってしまいそうなか細い声を出す。 涙目の上目遣いで。 わかってやってんじゃねーだろうな、こいつ。 「……先生、ひどいです、心で想うことも許してくれないのですか?」 「想う内容にもよります」 「R15ぐらいならいいですか?」 「着衣必須です」 「まあ着衣プレイですね!燃えますわ!」 ズバン! もう一回、私は彼女を叩いた。 うん、いい音がした。 さすがに彼女は頭を押さえる。 裁判になるならなれ。 これ、絶対私が勝てる。 強制わいせつ罪だろ、これ。 だめだ、こんなんじゃこの子には効かない。 はっきり言うしかない。 今は分からなくても、いつか分かってくれるはず。 冷たい先生と噂を流されても構うものか。 というかこのままじゃ、職以前に私の貞操が危険だ。 「あのね」 私は表情をただすと、大きくため息をついた。 そして、さも嫌そうに顔を歪める。 「はっきり言います。あなたの想いは迷惑です」 「…っ」 彼女は息をのんで、黙り込む。 その眼には泣きそうな色が滲む。 少しだけ、ちくちくと、刺がささった感じがする。 「私は教師で、あなたは生徒。住む世界も違います。あなたの気持には応えられません。応える気もありません。一方的な気持ちの押し付けは、暴力です」 「………せ、んせい……」 「私はあなたを生徒としか思えません」 少女はついに、俯いた。 その細い肩が、震えている。 長い髪で隠れて、表情は見えない。 ごめんなさい。 でも、これがあなたのためです。 一時の勘違いで、道を踏み外してはいけません。 それも若さかもしれませんが、私を巻き込まないでください。 外見だけはかわいいんだから、早くまともに恋をしてください。 もう校則とか不純異性交遊とかどうでもいいから、他の人間に恋してくれ。 犯罪とか妊娠とかじゃなきゃもう何してもいいから。 私はちょっと声を和らげる。 そして、その細い肩に手を置いた。 少女は、今度は顔を上げなかった。 「ごめんなさいね。あなたの気持は嬉しいし、生徒として、あなたはかわいいわ」 「………私は一人で、突っ走りすぎた、んです、ね……」 「………恋は、二人でするものよ」 またまた陳腐な言葉を吐く。 なんかむずがゆい。 ああ、それにしても、ようやく納得してくれそうだ。 長い道のりだったわ。 話せばわかってくれるのね。 やっぱり勘違いさせる前に、はっきり言わなきゃいけないのね。 男も女も一緒だわ。 うん、勉強になった。 教師として、ひとつ成長できたかもしれない。 「さ、遅くなったわ。暗くならないうちに、帰りなさい。原稿は、また書き直してくること」 「………はい……、帰ります。……お先に失礼しますわ」 「ええ、気を付けて」 少女は顔をあげず、肩を落としたままトボトボと部室から出て行った。 その背を見て、やっぱりちょっと胸が痛む。 人を傷つけるのは、やっぱり苦手。 でも、やっぱりこれでいいと思うわ。 彼女もきっと、これから素敵な恋が見つかるだろう。 うん。 一人になった部室で、大きく伸びをする。 「あー、すっきりした!!」 これで問題がひとつ片付いた。 職を失わないですみそうだわ。 よかったよかった。 今日は一人祝杯をあげよう。 「先生、こんにちは」 「はい、こんにちは」 次の日、彼女はちゃんと部活に現れた。 幽霊部員が多いこの部に、きちんと毎日現れるのは彼女ぐらいだ。 もう来ないかと思っていたが、ちゃんと来た。 ちょっとクマがういて病み上がりのように顔色が悪い。 昨日、眠れなかったのかしら。 やっぱり、ちょっぴり罪悪感が疼くわ。 でも彼女は、にっこりと笑って挨拶をした。 傷ついたところなんて見せないように。 それに、ほっとした。 ちょっと暴走するところがなければ、いい子なのだ。 成績もいいし、真面目だし、責任感あるし。 彼女の恋心さえなければ、かわいがってあげたいのだ。 うん、教師と先生という一線を忘れずに、きちんと導いてあげたい。 「先生、新しい原稿を書いてきました。確認していただけますか?」 「あら、もう?昨日の今日なのに。偉いわね。でも、無理しちゃいけませんよ」 「はい、大丈夫です。ちょっと夜更かししちゃいましたが」 失恋の痛手を、何かで紛らわそうとしたのかもしれない。 その気持は、私にも分かる。 だから、それ以上追及せずに、私は原稿を受け取った。 「どれどれ」 描きだしは、昨日と同じ。 女教師と、女生徒の、禁断の恋。 けれど、始まりが穏やかになり、プラトニックな心の通い合いになっている。 うん、耽美だけれど、美しい青春小説だ。 「うん、いいわね」 パラパラと読みすすめていると、少女ははらはらとそれを見守っている。 その様子を微笑ましく思いながら、先を進める。 そして、動きが止まる。 「………ちょっと」 「はい?」 「どうして途中からマキルドサドもびっくりなエログロSM小説に早変わりしてるのかしら!?」 「つい、欲望のままに書いていたらそんなことに」 「だから誰が官能小説を書けといいいましたか!」 見るのもおぞましいが、もしかしたら何かオチがつくのかと思って流し読みしてみる。 けれど、結末としては、少女に性奴隷として調教された女教師が少女の恋心に目覚めると言う超展開で幕を閉じていた。 しかもつづく、とか書いてある。 つづくな。 「体から始まる恋っていうのも、ありじゃないでしょうか?」 「ありかもしれませんが、女子高校生がそんなもの知らなくてよろしい!ていうか一応聞くけど、これのモデルは誰!」 「勿論、私と先生です」 少女の言葉に迷いはない。 そのまっすぐな眼は純粋で強い。 ていうか。 「昨日、諦めるって言わなかった!?」 「いやだ、私、そんなこと一言も言っていませんわよ?」 「だって、一人で突っ走りすぎた、って」 「はい、性急に私の心を伝えすぎたかな、と。まずは私という人間を知ってもらおうと思って、私の妄想の一部を文章にしてみました!」 昨日と何もかわってねーよ! ああ、もう、どっから矯正すればいいんだ。 ていうかもう私にこの子を指導するのは無理。 お願い誰か助けて。 真剣に貞操がピンチな気がする。 私はじりじりと少女から離れようと後ろに下がる。 けれど少女はその分距離を詰めてきた。 「だから!私とあなたは教師と生徒で!」 「そんなこと、私は気にしません!」 「私が気にするんです!!」 「誰にもいいません!安心してください!」 「だからそういう問題じゃなくて!」 「禁断の秘めた恋っていうのも、燃えますわね!」 少女の目は夢と希望に充ち溢れている。 若者の、けがれをしらない美しい眼。 ああ、もう本当に。 「いい加減にしろこの馬鹿が!!!」 私の叫びと、彼女の頭を原稿でどつきまわす音が教室内に響き渡った。 お父さん、お母さん、私、田舎に帰りたい。 |