「ほら、何とか言えよ」 言いながら、敦の腹に蹴りを入れる。 敦は苦しげに眉をひそめるが、うめき声も上げなかった。 でかい図体を情けなく丸めながら、ただ耐えていた。 「ち、つまんねえの」 イラついて、もう一度蹴りあげる。 今度はさっきよりも強く蹴りあげたが、やっぱりうめき声一つあげなかった。 くそ、つまらなねえ。 顔を拳で殴りつける。 殴られ慣れている敦は歯を食いしばって、痛みに耐えている。 やはりつまらない。 鼻を殴りつける。 がつりと音がして、鈍い感触がした。 前に一度折れたことがある鼻は治った後、より高くなったようだ。 敦が小さく呻き声をあげる。 鼻から血が溢れる。 顔が赤く染まる。 鼻から口に入ったらしく、ゲホゲホと汚らしく咳き込みながら顔をしかめる。 俺より10センチ近い背丈を丸めて、弱々しく目尻に涙をためる。 「きったねえな、このゴミ」 それを見て、ようやく少しだけ満足する。 けれど、やはり敦の目は、何も映していなかった。 そしてその目を見て、俺はまた苛立ちを募らせるのだ。 敦と俺はいわゆる幼馴染という奴だ。 小さい頃は犬コロのように一緒に駆けまわって遊んだ。 楽しくて楽しくて、日が暮れるのに気付かないぐらい、夢中になって遊んだ。 それが、いつからだろう。 敦が俺から離れていったのは。 距離をとって、遊ばなくなって、話さなくって。 一番の友達だと思っていた。 親友だと思っていた。 大人になっても、ずっと一緒だってそう信じていた。 それなのに敦は、俺から離れていった。 俺は必死で、敦にすがりついた。 「なんだよ、敦、なんで俺のこと避けるんだよ!」 「………いいから、放っておいてくれよ!」 「敦!」 敦は笑顔をなくし、表情をなくし、俺を冷たい目で見る。 なんでいきなりそんな冷たくされるのか、分からなかった。 楽しいゲームを一緒にしようと言った。 裏山に遊びに行こうと言った。 レアなカードをあげるといった。 それでも敦は鬱陶しそうに、俺を見るだけ。 眉をひそめて、汚いものを見るように俺を見るだけだった。 いきなり何歳も年をとったような大人びた態度で、俺を馬鹿にしていた。 「おい!少しくらい、理由ぐらい言えよ!」 たまらなくなって、一度敦の顔を殴った。 その時、敦は驚きと痛みで顔を歪めた。 「………あ」 久々に、敦の表情を見た。 冷めた目で、無表情に俺を見るのではない。 本当に、ずっと、見たかった、敦の表情だった。 「………そっか」 ああ、殴ったら、声を出すのか。 表情を見せてくれるのか。 だったら、もっと殴ったら、敦はもっと表情を見せてくれるだろうか。 最初は、ちょっと小突いたりするぐらいだった。 けれど、それに慣れると、また敦は表情を無くす。 そうすると、また俺はつまらなくなる。 だから、エスカレートさせていった。 平手は、拳に。 一発は二発に。 二発は三発に。 三発は四発に。 そして数えきれない暴力に。 顔を腫れあがるほど殴った。 角膜に傷がついて、敦の視力がずっと落ちた。 歯が折れて、口から血が溢れた。 内臓が痛んで、熱を出して、学校を休む。 けれど敦は、それにも慣れてくる。 だから俺はまたそれをエスカレートさせていく。 物を隠して。 捨てて。 壊して。 ああ、お母さんから買ってもらったというキーホルダーを川に投げ捨てた時はよかった。 あの時の、あいつの顔。 切望に染まって、声を上げた。 あの無表情な敦が、叫び声をあげた。 それがとても楽しかったことを覚えている。 あの時は、ほんの少しだけ罪悪感を覚えた。 あいつのお母さんは、すでに死んでいた。 その、形見の品だった。 だが、俺は悪くない。 敦が、すべて悪いのだ。 あいつの引き攣った顔と、叫び声に、罪悪感すら快感で。 蹲るあいつを殴りながら笑った。 あの時は、本当に楽しかった。 その後は、敦は何も持ってこなくなったし、何を捨ててもなんの反応も示さなくなったが。 俺の親父は、この町の権力者で俺のやることに口出しする奴はいない。 その上、敦の親父は俺の親父の会社で働いている。 俺が一言なんか言えば、簡単にクビになるだろう。 だから敦も、黙って俺のオモチャになっている。 誰もあいつに話しかけない。 唯一の肉親すら、助けてくれない。 一度手下に、あいつの友達のフリさせて悩み相談とかさせたこともある。 そいつに心を開いて、手紙とか書かせて、それをクラス中に全公開。 顔を真っ青にしたあいつを、クラス中で嘲笑ったっけ。 特に、友達役だった奴に、罵らせてリンチさせた時のあいつの顔はなかった。 あれもめちゃめちゃ笑えた。 それから、あいつはますます無表情に、無口になっていった。 最近ではもう、何をしてもなんの反応も返さない。 敦と話したのは、いつが最後だったっけ。 俺が殴っても、罵っても、なんの反応も返さなくなった。 ああ、あれが最後か。 一年前の、夕暮れ。 真っ赤に染まった、河原。 ぼっこぼこにして顔中を痣だらけにしたあいつに、問われた。 「………原口、お前、何したいんだ?」 その問いに、俺は一瞬言葉を呑む。 夕日と、あいつの流す血が一体化して、目が眩むほど赤かった。 もぞもぞとした感情が、胸の中を這いまわる。 俺は、なんで、敦を、殴るんだろう。 少し考えて、正直に答えてやった。 「………お前が、泣きわめいて、顔を歪めるところが見たいから」 敦は腫れた目を冷たく細めた。 そして、諦めたように切れた口を拭って、溜息をついた。 それがムカついて、俺はまた敦を殴った。 もやもやした気持ちが消えないまま。 「おい、明弘、お前木村のところの息子をいじめてるそうだな」 夜遊びから帰ってくると、珍しくリビングには親父がいた。 これまた珍しく話しかけられる。 なんだよ、俺のことなんて、これっぽっちも興味がないくせに。 「………なんだよ、急に」 「ほどほどにしておけよ。殺しでもしたら厄介だからな」 親父は俺以上に、非情で狡猾だ。 別に俺がいじめやってようが、暴れていようが、金がかからず問題にならなきゃどうだっていい。 人として最低の部類。 人を蹴落とすのも、傷つけるのもなんも感じることはない。 油ぎった汚ねえ成金。 まあ、その恩恵にあずかってんだから、文句はねえけどな。 「分かってるよ」 「まあ、ムカつく気持は分からないでもないがな。あいつの女も、当てつけに自殺なんてしやがって」 「は?」 なんの話か分からず、俺は二階に行こうとしていた足を止める。 振り向くと、親父は酒を飲みながらぶつぶつと愚痴をこぼす。 「少しいい女だと思って遊んでやったら、人のマンションで首なんて吊りやがって。後始末がどんだけ大変だったと思ってんだ」 頭が真っ白になった。 あいつの女って。 木村の、女、ということか? それは、もしかして敦の母親の話か。 敦の母親が死んだのは、いつのことだ。 5年前、ぐらいだったはずだ。 そう、敦が俺から離れていった、あれぐらいの、ことだった。 ということは、どういうことだ。 親父がなおもぶつぶつ言っているのを無視して、俺は家を飛び出した。 なんだ。 どういうことだ。 敦が、俺に冷たくなったのは、そういうことだったのか。 つまり、俺の親父のせいで。 ああ、だめだ、何も考えられない。 どうしたらいい。 どうしたらいい。 どこへいけばいい。 混乱を抱えながら俺は敦の家まで走る。 昔は、何度も何度も一緒に歩いた、懐かしい道。 「………あ………」 「…………」 もう少しで、敦の小さな家が見える。 けれどその前に、ひょろりと背の高い男が立っていた。 まだ制服のまま、痣だらけの顔で無表情にこちらを見ている。 「な、なあ敦!」 突然のことに驚いたが、俺は知らずに話しかける。 けれど、その後が続かない。 どうしたらいいんだ。 何もわからない。 頭が真っ白だ。 「その………」 今更謝っても、どうしようもない。 どうにかなるものでもない。 俺は、なんでこんなところまで来ているんだろう。 なんだ、あんなつまらない話で、今までのことを後悔しているのか。 後悔するようなことを、今までずっとやってきたのか。 「もう、うんざりだ」 「え」 知らず俯いていたらしく、地面の敦の影が視界に入っていたことに気付く。 久々に話しかけられたことに驚いて顔を上げると、敦がすぐ傍にいた。 「………あ、つし」 そのまま、一歩敦が踏み出して、体がぶつかる。 腹がいきなり熱くなって、俺は何がなんだか分からず、その場に膝をつく。 「え」 腹から、何かが生えている。 認識した途端、腹から全身に掻きむしりたくなるほどの痛みが広がる。 「あ、ああ、ああっ!」 痛い痛い痛い痛い。 腹を押さえて、どくどくと溢れて行く液体を止めようとする。 だが腹に埋まっているものは太く鋭く、ぽっかり穴をあけている。 「………は、はは」 敦が跪いた俺の顔を蹴りあげる。 俺は混乱したまま、その場に倒れこむ。 敦はそのまま俺の脚に乗り上げて、俺の腹に埋まったものを抜きだす。 腹の中がひっぱりだされる感触がして、俺は喉が潰れるほど叫び声をあげる。 「うが、ああああああ!!!」 「どうにでもなればいい。あっはははは!あはははははは!あははは!もうどうでもいい!どうだっていい!!!」 ざしざしと、音がして、腹の中が熱くなる。 何度も何度も、腹の中に、冷たいものが入ってくる。 痛みで、気が遠くなる。 「ざまあみろ!あはははは!!!あはははっあはははは!!」 甲高く耳触りな声が、頭の中に響く。 薄れゆく意識の中で、俺はそれを聞いた。 霞む目を凝らして、上を見上げると、敦は大声で笑っていた。 ああ、敦が、笑っている。 『お前、何がしたいんだ?』 敦の言葉、うっすらと蘇る。 ああ、わかった。 今分かった。 俺、きっと敦が笑うところが、見たかったんだ。 前みたいに、笑って欲しかったんだ。 「あははは、あは、あははは」 ああ、敦が笑ってる。 よかった。 また、笑ってくれてる。 なら、いいや。 それならいいんだ。 このまま、ずっと笑っていてくれたら、いいんだ。 できれば、また、一緒に遊びたいけど。 そうしたら、また、今みたいに、笑って欲しい。 「あははは、はははは」 敦の声が、聞こえる。 ずっと、聞きたかった敦の、笑い声。 俺は満足感に笑いながら、目を閉じた。 |