「だから、それをやめろって言ってんだろ!」
「具体的にはどれを?」
「………ぜ、全部!」
「やめたらなんか見返りある?」
「あるかそんなもん」
「じゃあ、俺に得ないな。やめない」
「な、何がいいの!?見返りって何!?」
「なんでも聞いてくれる?」
「却下!」
「我儘だな」
「どっちがだ!」

きゃんきゃんとじゃれ合う声が後ろから聞こえる。
一人は冷静で一人はどんどんテンションが上がっていく。
掛け合い漫才みたいなそれを聞いて、つい笑ってしまう。
そんな風に噛みつくから、喜ぶのに。

「またやってる」
「またやってるな」

笑いながら言うと、隣の背の高い人も笑った。
いつからか定位置になっているこの距離。

彼は私の隣に。
彼女は、彼の隣に。

「本当に仲がいいなあ」
「仲いいよな」
「妬ける?」

少し意地悪して見上げると、藤原君は酸っぱいものを食べたように口をつぐんだ。
本当に、素直で少しだけ優柔不断で優しくて、かわいい人。
彼はごまかさずに困ったように笑った。

「ちょっとだけね」
「どっちに?」

更に聞くと、藤原君は少しだけ目を伏せて考えた。
基本的に正直な人だから、適当な嘘をついてごまかそうとはしない。
優しすぎて優柔不断だから、結果的に嘘になることはあるけどね。

「どっちにも。置いてかれたみたいで、寂しい」

その答えに、私は笑った。
とても共感できるものだったから。
別に野口君はなんとも思ってないから、由紀にヤキモチ焼いたりはしないけど。

「私も」

でも、置いて行かれた気分なの。



***




あの日、由紀と殴り合いのケンカをした後、私は藤原君から全てを聞いた。
私は怒った。
殴った。
グーで。
泣いて殴った。
何度も殴った。

親友を騙していたのは許せない。
悩んでいた藤原君にも由紀にも気付けなかった自分も許せない。

ただ自分だけが辛い片思いだと思っていた自分が許せない。
由紀をなじってしまった自分が許せない。
藤原君を責める自分が許せない。

何もかもが許せない。

だから、殴った。
何度も何度も殴った。

そして、逃げた。
そんな誤解があって、由紀も藤原君も納得したって言われても、そんな簡単にはいそうですか、なんて言えない。
由紀とケンカしてしまった。
由紀にひどいことをしてしまった。
そんな事態をもたらした藤原君と、全てを水に流して付き合おうなんて思えなかった。

そもそも藤原君を好きになったのは、由紀がいたからだ。
由紀の隣にいる藤原君がとても優しかったから。
だから、羨ましくなって、憧れて。
そして、好きになってしまった。
話せば話すほど優しいこの人を、好きになってしまった。

大好きな親友。
今まで親友、なんて言葉使ったことなかったけど、でも使いたくなるぐらい、大好きな由紀。
由紀を裏切るのは嫌だった。
由紀を傷つけるのは嫌だった。
由紀との仲をめちゃめちゃにされたのが、許せなかった。

由紀と出会ったのは入学式。
出席番号で後と前だった。
だから何気なく話しかけた。
運動神経の良さそうな背の高い、筋肉質の女の子。
お洒落には気をつかっていなかったけど、きりりとした表情が凛々しかった。
ちょっと怖い子かな、って思った。
でも、話しかけたら、表情が一気に崩れた。
顔を真っ赤にして、たどたどしくしゃべった。

『わ、私三田由紀。よろしく』

そして、ぎこちなくにこっと笑った。
少しだけ怖い印象のシャープな顔が、すると少しだけ幼くなる。
それがかわいいなって、初対面で思ったのだ。

後で聞いたら、友達が出来るか不安で緊張で怖い顔になっていたらしい。
美香が話しかけてくれて本当に嬉しかった、なんてぶっきらぼうに照れくさそうに小さく言われた。

強くて凛々しいのに、不器用で照れ屋なかわいい子。
少し卑屈すぎるところが玉に瑕。
でも、それでもその不器用さも強さも、私には好ましかった。

ずっと一緒にいれると、思ったのに。
それを崩した藤原君が許せなかった。
自分に告白しようとして間違ったって言うドジさもムカついた。

そんな私の気持ちを変えたのは、眼鏡をかけた冷たそうなクラスメイト。
由紀いわく野良猫の、野口君。
確かに彼と話していると、シャム猫のしっぽではたかれている気分になる。

『あのさ、そろそろ藤原、許してやってくれない?』

無表情に彼はそう言った。
私は横から口を出されるのが腹立たしくて、冷たく返す。
何もかも知っていたのに、私に何も言わなかった、この人も許せない。

『野口君には関係ない』
『三田も藤原も友達。関係なくないね。藤原嫌い?』
『………』

嫌いかそうじゃないかって言われたら、言葉に詰まる。
彼が許せない。
けれど彼を見ると、やっぱり胸が痛い。
彼と過ごした日々は、やっぱり楽しかった。
胸躍る会話は、決して嘘じゃない。
あの優しさにもう一度触れたいと、そう思うこともある。
でも、それは許されないことだとも思う。

『まあ、嫌いになるのも当然だけどね。あんな優柔不断男。空気読めないし馬鹿だし』

親友を助ける気があるのかないのか、野口君はあっさりとそう言った。
あまりにも冷たいから、つい咄嗟に少しだけフォローしてしまう。

『………優柔不断だし、要領悪いけど、だけど、でも、優しいとは、思うよ』

すると野口君は小さく笑った。
それはなんだか、馬鹿にされているようにも感じる。

『まだ、愛想つかしてないんだ。じゃあ、まだ好きなら応えてやってよ。嫌いになったら嫌いになったでメッキがはがれて嫌いになりましたって言ってやって。今のままじゃ生殺し』
『……………』

野口君の言葉は、納得するところがある。
確かに私はちゃんと彼をふってはいない。
それは、彼にとっては、辛いことだろう。

でも、それでも。

黙り込んだ私を、野口君は冷たく見下ろす。
表情の動かない、猫のような子。

『三田に気を使ってる?』
『………由紀を傷つけたのは、絶対に許せない』
『それって、自分のプライド守るためじゃないの?』
『え?』
『間違って告白した上に、親友に惚れかける。女のプライド刺激されるよね』
『そんなことっ』
『ない?』

くすりと笑って、野口君は首を傾げる。
それはよく由紀と藤原君に見せている、性格悪そうなチェシャ猫のような笑い。

『親友のおさがり、ほしくないよね。それに、親友の彼氏とって、悪者にもなりたくないよね。気持ちは分かるよ』

由紀がよくこの子を性格悪いと言っていたが分かる気がする。
指摘されれば、それは確かに私の中にある感情な気がしてくる。
否定しても否定しても、それがあっているような気がしてくる。

私を好きだと言いだせなかったのも許せない。
私を好きなくせに、ほかの女と付き合っていた男として情けないところも許せない。
私を好きなくせに、由紀に惹かれていたのも許せない。
そんな気持ちのままずるずると由紀と付き合っていたのも許せない。
親友のおさがりをもらうようなのも、許せない。

『本当に三田が大事だってんなら、さっさと決着つけてよ。あいつはもう心の整理つけてる。あんたが藤原をどうにかしないと、あいつはふられ損な上に、ちっぽけなプライドすらズタズタ。せっかく譲ってやった宝物をいらないって言われるんだから』

思わず手が出ていた。
けれど野口君は私の手を掴んで、頬を叩かれるのを阻止した。
悔しくて、唇をかみしめる。

『それとも、自分を好きな男を生殺しにしておくのが、楽しい?』

そのまま、しばらく睨みあう。
眼鏡の下の目は、やっぱり静かに私を見下ろしている。
どこまでも冷たい目。

お腹の中でぐつぐつと煮えたぎる怒りのぶつける場所がない。
握られたままの手をぎゅっと握る。
爪が刺さって、掌が痛かった。
その痛みに、徐々に熱は冷めていく。
怒りは消えないけれど、温度は急激に下がっていく。

先に目をそらしたのは私。
目をつぶって、大きく息を吐きだした。
目を伏せたまま話す。

『野口君って、由紀の言うとおり、本当に性格悪い』
『よく言われる』
『でも、勉強になった。確かに、私もそう言うところある。藤原君の情けなさが許せない。悪者になりたくない』
『うん』

そっと手が解かれた。
一回殴ってやろうかと思ったけど、無駄な気がしたからやめておいた。
だから私は顔をあげて笑ってやった。

『でも、みんなずるい。安全圏から眺めていようとする私もずるい。由紀と付き合って、それでも私と付き合おうとする藤原君もずるい。全部知ってた癖にずるずる藤原君と付き合って、罪悪感に耐えきれなくなったから私に押し付けようとする由紀もずるい』

野口君は面白そうに、唇を持ち上げた。
そういう冷たい笑い方が、とても似合う子だ。

『そんで、人の恋路につべこべ口出して人を批判する野口君は一番ずるい。高見の見物で、そりゃ皆馬鹿に見えるでしょ』
『違いない』
『そんで、そんなに達観したようなしゃべり方も、すっごいムカつく』
『そう思う』

ああ、本当にこの子はどこまでも人の神経を逆なでする。
でも、まあ今はいい。
今のぐちゃぐちゃしてどうしようもない気持ちをすっきりさせる方法は、わかった。

『じゃあ、私も勝手にする。藤原君ともっかい話す』
『そうしてやって』
『一応気持の整理が出来たから、お礼は言っておくね。ありがとう』

もう一回息を吸って、吐く。
やらなきゃいけないことはいっぱい。
怖い。
でも、やらなきゃ。
やりたいことは、努力はしてみるのが、私のモットー。
それが失敗しても、努力だけはする。
後悔はしたくない。

『由紀とも話す。どうなってもいいや。すっきりする』
『あんたって本当にさっぱりしてていい性格だよね』
『ありがとう。褒め言葉だよね』
『うん、最上級の褒め言葉。でも俺のタイプじゃない』

その言葉に私は笑う。

『よかった。私も野口君はタイプじゃない』

その後もう一回話すために呼んだ藤原君は笑ってしまうほど情けなかった。
泣きそうな顔でしどろもどろで。
何度も何度も謝って土下座しそうな勢い。
由紀に対しても何度も謝っていた。
大きな体を縮こませて、みっともなく眉毛を下げて。

そして、何度も私が好きだと言ってくれた。

だから、ほだされてしまった。
優しくてかっこいいこの人に憧れた。
淡い淡い恋をした。
親友の彼氏に、切なく胸の痛む思いをした。
それから、親友から彼氏を奪い取って。

情けなくてみっともなく女々しいこの人に、もう一度恋をした。



***




「私達も、仲良くしようね」

見上げて言うと、藤原君は耳まで真っ赤にして頷いた。
親友を泣かせた人。
私も泣かせた人。
優しいというよりも、優柔不断な人。
頭もよくて顔もよくて運動神経も抜群で。

なのに、どこまでも情けない人。

「う、うん。ずっと、仲良くしよう」

そんなこの人が可愛くて、私は大きな手にそっと絡める。
藤原君は嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。
ああ、かわいいな。

そして私は後ろを振り向いて、野良猫のような子に声をかける。
二人はまだ楽しそうにじゃれていた。
ああ、妬けるな。
二人だけ、ずるい。

「野口君」
「何?」
「由紀を泣かしたら許さないからね」

野口君は、チェシャ猫のように笑った。





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