目をあけると、そこはすすけて黄ばんだ木目の天井。 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。 全力疾走した後のように、心臓がバクバクと激しく波打っている。 何も考えられないのにシーツの感触だけがいやにリアルに感じる。 軽い吐き気と眩暈を感じて、唾を飲み込んだ。 「今の、は………」 呆然とつぶやいた声は、うるさく聞こえるほど、大きく響いた。 「………おはよう」 「はよ、どうしたんだ?なんか暗いな」 「………また、夢、見た」 ぼそりと告げると、クラスメイトは漫画を読んで緩んでいた顔を強張らせた。 回りに視線を巡らせ、誰も聞いていないことを確かめる。 授業前の教室はざわついていて、誰もこちらに意識を向けていない。 「とりあえず、座れよ」 高橋は顎で、俺に座るように促した。 足を引きずるようにして、高橋の前の席に座る。 俺が座ったのを確かめてから、高橋は漫画を机において身を乗り出してくる。 大きな体のこいつに近付かれると、少しだけ圧迫感を感じる。 「………で、どんな夢だったんだ?」 「お前は、どこまで行った?」 「俺は特に展開はない。この前とほぼ変わってない」 「………そうか」 少しためらう。 今朝の夢の話を、こいつにしていいのか。 きっと、こいつもショックを受けるだろう。 あれは、俺の胸にだけしまっていればいいのではないだろうか。 でも、いずれこいつも知ることだろう。 このまま、夢を見続けるなら。 高橋は黙って、俺が話し始めるのを待っている。 落ち着いた大人びた態度は、まるであいつのようだ。 その目はただ穏やかに、俺を見つめていた。 夢の中の、彼と同じように。 「………今日」 その目に促されて、そしてやっぱり黙っていられなくて、俺は口をあける。 高橋も小さく喉を上下させた。 「お前ら、また夢見たの?」 「うわ!」 しかしそこで突然かけられた声に、飛び上がった。 急いで後ろを振り向くと、そこにはもう一人のクラスメイト。 「お、驚かせんなよ、水守!」 「あ、ごめんごめん。つーかなんでそんな驚いたんだよ」 「…………」 「また、夢?」 俺は、黙って水守を見上げて、頷いた。 夢。 その単語だけだとごく普通の言葉だ。 しかし、俺たちの間でそれは特別な意味を持っていた。 夢、それを口にする時、それはひとつのことを意味する。 そう、それはここ最近になって急に見始めた夢。 現実のようにリアルで、連続性のある夢。 連続性といっても映画のように続いたりするわけじゃない。 毎日見る訳じゃない。 決まった日に見るわけでもない。 不定期に、ドラマの1シーンを順不同に見せられるようなシーンの再現。 登場人物や舞台はほぼ一緒。 たまにメンバー交代はあるが、主人公は、間違いなく一緒。 主人公、つまり夢の中での自分はいつも一定の人物なのだ。 主人公を自分で見ることはできない。 主人公の目を通してしか、その世界は見えない。 主人公の思考は、まるで自分で考えているかのようにはっきり分かる。 干渉することはできないが、まるで自分の感情のように違和感なく受けいられられる。 それはまぎれもなく、自分、なのだ。 その生々しさ。 そして、舞台設定の、リアルさ。 その不思議な夢を俺たちはこう結論付けた。 前世。 それはきっと、俺たちが生まれる前の夢なんだろう、と。 きっかけは、仲間内での他愛のない会話。 変な夢見るんだよ、と高橋や水守に話していたところ、仲間内五人の人間が全員そんな不思議な夢を見ていたのだ。 登場人物とか舞台は違ったりしたが、連続性のあるリアルな夢というのは一緒だった。 特に高橋と俺は、同じ舞台で、同じ登場人物を共有していた。 お互いの夢の中でお互いが誰であるかがはっきりとわかった。 最初は興奮した。 すごい現象だと思った。 集団催眠か何かじゃないかと疑ったりもした。 なんでこんなことがと混乱したりもした。 テレビに売り込んでみようかととも考えた。 しかし絶対馬鹿にされるだけで終わるだろうからやめた。 何か金儲けとかに使えないかとかも考えた。 けれど利用法も分からない。 誰かに言っても頭がおかしくなったかと思われるかもしれない。 ぐるぐると、考えて考えて。 考え続けて。 結局今、俺たちはどうすることもできず、ただ毎日の夢を持て余していた。 「で、木下、どんな夢だったんだ?何があった?」 「………」 水守も真剣な顔で俺の隣に立つ。 教室内は更に騒がしくなってきている。 人が、増え始めている。 今ここでは、話すことはできない。 「………後で、話す」 「………分かった」 水守と高橋は静かにうなずいてくれた。 「それで、どうしたんだ、木下」 そして昼休み。 俺たちは屋上に来ていた。 真砂は用事があって外している。 人は結構いるが、みんな思い思いにグループで過ごしており、俺たちの話を聞いたりはしないだろう。 これなら、いいだろう。 「………その」 「うん」 「ショック、受けないでくれ、高橋」 「………分かった」 高橋はゆっくりと静かに頷く。 水守と、そしてメンバーの一人の瀬戸も、俺たちを静かに見つめている。 同じ舞台を共有しているのは俺と高橋だけ。 二人は、それぞれ別々の舞台を持っている。 「………その、昨日の夢で」 やっぱり、躊躇う。 目覚めたときのあの衝撃。 あれを、高橋にも与えていいのだろうか。 それに、あまり言いたくない。 けれど、いずれ分かることだ。 「大丈夫だ、続けてくれ」 「………うん」 大きく深呼吸をする。 覚悟を決めろ。 別に今じゃないんだ。 あれは、前世のことなんだ。 「その、昨日」 「うん」 「高橋と俺の子供を出産した」 辺りが静まり返った。 昼休みの喧騒が、遠のく。 俺たちの周りに、沈黙が落ちる。 「…………く」 高橋が大きな手で顔を覆った。 苦しそうな呻き声が漏れる。 気持ちは、分かる。 「………それは、辛かったな」 瀬戸が、俺の肩をポン、と叩く。 俺は、大きくため息をついて頷いた。 「………痛かった。女すげえ」 そう俺の夢の中の主人公は、女だった。 つまり俺の前世は、女だ。 最初はラッキーとか思っていたが、夢の中では俺だから別に裸見てもなんとも思わない。 目覚めた後はなんか冷静だから興奮も何もないし。 それよりも女のアレコレを知って、色々ショックだ。 夢とか結構打ち砕かれていく。 「ていうさか、出産シーン一瞬で流れて出産後だったんだけどさ、出産後もいてーんだよ!すっげ、痛かった。死ぬかと思った。グロかった。怖かった。超やべー。スプラッタとか目じゃない。お前、へその緒とか切っちゃうんだぞ。超こええ」 幸いなことにダイジェスト版だったから、そこまで生々しくなかったが、思い出すと軽くホラーだ。 マジ血まみれ。 夢の中で女じゃなかったら、トラウマレベル。 「けどかわいいんだよ!子供かわいいんだよ!なんかやばいんだよ、すげえ優しい気持ちになっちゃったよ、俺!女ってすげえよ!出産すげえ!」 ショックとか感動とかいろいろ混じり合って、軽く興奮して皆に説明する。 しかし高橋は沈み込んだ顔のまま、膝を抱えた。 でかい図体でそういうことをすると、より一層痛々しい。 「………ていうかやっぱり木下と結婚するのか」 「木下っていうな、ゆきって言え。あれは前世だ。今の俺じゃない」 そう、そしてもうひとつショックなこと。 それは夢の中の俺と、高橋がどうやら恋仲、ということだ。 同じ村で育った幼馴染。 俺である『ゆき』は、高橋である『太助』はお互いを憎からず思ってるのを感じ取れる。 特にくっついている気配はなかったのだが、昨日の夢で決定的になった。 「分かってる……、分かってるんだけど……」 「まあ、複雑なのは分かる。お前ものっすごい、やにさがって息子抱いてた。ベロベロバーとかやってた」 「う………」 どうやら高橋のほうがショックがデカそうだ。 俺も最初太助が高橋だと知って本気でキモかったが、もう夢の中は女なのだからファンタジーなのだと受け入れた。 ゆきと俺って、完全に違うものだし。 あれはなんかこう、バーチャル的なものってことで。 高橋は太助と同じ男ってことで近いものもあるので、受け止めきれないようだ。 「おめでとう、二人とも」 『やめろ!』 水守が慈愛に満ちた笑顔で祝福する。 俺と高橋は同時に突っ込んだ。 バーチャルって割り切っているものの、複雑は複雑だ。 出産も男と付き合うのも、『夢』を見るまでは想像もしなかった世界だ。 「更に、怖いこと言っていいか?」 「………これ以上怖いことなんてないだろう。いいぞ」 高橋は悟ったような顔で頷いた。 「多分、一人目じゃない」 「うわああああああ!!!」 けれど告げた途端叫んで高橋はコンクリートの床に転がった。 ったく、うたれ弱い奴め。 「俺のほうがショックだっての!お前、なんで俺この年で母親の気持ちとか理解しなきゃいけないんだよ!すげえ優しい気持ちになるんだぞ、おい!ガキなんてうざいとか思ってたのに、この子が健康で育てばほかに何もいらないって気分を味わえるんだぞ!」 「知るかよ、この年で知らないうちに子供ができた俺の気持ちにもなれ!童貞なのになんでこんな失敗した気分なんだよ!」 身に覚えもないうちに父親になった男。 それは確かに辛そうだ。 同じ男として、分かる。 「まだゆきと太助、若そうだったんだけどなあ」 「………」 「やっぱ農村なんかやることないから子供ガンガン生まれるんだろうなあ。労働力だろうし」 回りの人は、今度もいい子だね、とかにこにこ笑顔だった。 ゆきも、この子も元気に育つわ、とか慣れた調子で子供をあやしていた。 幸せな親子の像。 けれど夢が覚めた今はただひたすら複雑だ。 瀬戸がうんうんと腕を組んで頷く。 「労働力は必要だわなあ。あー、俺昨日葡萄収穫したわ。ワインの前にジュース作るんだけどさ、めっちゃうまかった。やっぱワイン最高だわワイン。俺お前らと違ってほら、ヨーロッパだし、たぶん」 「馬鹿お前、日本の農業技術なめんなよ!世界最高峰だぞあれ!ていうか昔の日本人マジはんぱねえ、あいつら竹でなんでも作りやがる!」 「ばっかお前西洋もすげーんだぞ、いいかワインはな!」 そしてまた瀬戸といつもの言い争いになる。 瀬戸と今ここにはいない真砂は、日本ではない夢を見るらしい。 言葉は分からないのに、なぜか夢の中では理解している、と言っていた。 脳内で認識していて、夢が覚めるとさっぱり分からないらしいから試験とかには全くといっていいほど役に立たないが。 そもそもなんの言語なのか分かっていない。 「しっかし、前世思い出すのは別にいいんだけどさ、なぜ農民」 高橋がようやく復活したらしく、大きくため息をついた。 俺たちも不毛な言い争いをやめ、続いてため息をつく。 「本当だよな。見事に五人とも農民」 「自慢することもできねーよな。農民」 「地味なんだよ、本当に農民」 そう、俺たち五人の夢の共通点のもう一つ。 それは夢の中では全員農家の人間だったということだ。 現実の俺たちは全員農家とは関係もへったくれもない生活をしている。 なのに、夢の中の俺たちは本当に生々しく農業を勤しんでいる。 「俺もうボットン便所とか何も感じなさそうだわ」 「あー、分かる分かる、虫とかキモイだけだったのにさ、今ミミズとか見るといい土なんだなあ、とか思い始めてる」 「花壇見るたびに土の具合考えちゃうわ」 「スーパーの野菜見ると、こんなの本物の野菜じゃない、とか思っちゃうしな」 そう、最初はファンタジーな夢を使って何かできないかと考えた。 前世を思い出すなんて、なんか意味があるのではないかと。 世界を救うとか、力があるとか。 でもすぐにそんなことはないと分かった。 だって農民だ。 「まあ、考えてみりゃ当たり前だよな。いつの時代だって農民が一番多いんだろうしさ」 「そうだよなあ、支配者層なんて数えるほどだよな、実際には」 「平安時代の貴族とか100人ぐらいしかいなかったらしいしな」 「そりゃ、確率的にいって農民が一番当たるよな」 「貴族とか戦士とか魔道士とかは、大当たりだよな」 「宝くじより当たらないんじゃね?」 「つーかそもそも魔道士はねーだろ」 そしてまた、議論はふりだしに戻る。 昼飯のパンを膝に放り投げて、空を見上げる。 空ははっきりしない薄水色をしていた。 「どうすっかねえ。この無駄な知識」 「ほんっとに無駄だよな。トリビアすぎ」 「明日つかえねーよ」 「でももったいないよなあ」 「俺なんて出産の知識まで備わっちゃったよ」 「それ将来使えそうじゃん」 「ああ、俺、この上なく嫁さんを気遣ってやれる気がする」 そうして愚痴愚痴と生産性のない話をしていると、黙っていた水守が顔をあげた。 そしてゆっくりと俺たちを見まわす。 「なあ、ちょっといいか」 その落ち着いた声に俺たちは自然視線を水守に向ける。 少しだけひるんだように視線を下に向けるが、すぐにもう一度顔をあげた。 水守は一度つばを飲み込むと、意を決したように話し始める。 「あのさ、知識、活かせばいいんじゃね?」 『は?』 一瞬何を言われたのか分からなくて、三人で声をそろえて首をかしげる。 水守は一回話し始めてふっきれたのか、身を乗り出すようにして説明を始めた。 「俺考えたんだけどさ、せっかくだから知識活かさない?」 「活かすも何も、農業ぐらいしか活かしようがないじゃん」 「だからさ、農業」 「へ?」 「農業やらね?」 突然の提案に、俺たちは黙りこむ。 本当にあまりにも予想外の話すぎて、どう反応していいのか判断できない。 水守はもどかしそうに、身振り手振りを加えてさらに言葉を重ねる。 「なんかさ、今、日本農業あぶねーし、なんかロハスぽくてよくね?」 「え、っと」 「農業………?」 「そう、農業!」 それは考えても見なかった選択肢だった。 あれは夢の話だ。 ここはビルに囲まれた、ってほどでもないが、自然なんて意識しなければ見つからない街中。 土にまみれるなんて、遠足とか自然教室以外ではありはしない。 「え、ええっと」 「いや、農業って、いや、地味すぎだろ」 「………農業はないだろ」 戸惑う俺に高橋と瀬戸も困ったように目を見合わせる。 しかし熱くなり始めて水守は止まらない。 「農業、いいじゃん!ありだよ!」 「いやいやいやいやいや」 「俺なんか夢の中の収穫見てさ、そのあとスーパー見ると悲しくなるんだよ。俺ならもっといい野菜作れる、とか思っちゃうんだよ」 「………あ」 それは、なんか分かる気がする。 農業は楽なことばかりじゃない。 むしろ辛いことのほうが多い。 断片的な夢でしか分からないが、それは感じた。 けれど、収穫の時に見る太助や家族の笑顔は、本当に幸せそうだった。 トラクターも何もない環境で作った米や野菜は、とてもおいしそうで、生き生きとしていた。 スーパーで売っているような綺麗なものではないが、もっと力強かった。 瀬戸がゆっくりと頷く。 「………俺も思うわ。ワイン、俺ならもっといいワインが作れる、とか」 「だろ!俺、いい野菜作れるんだよ!絶対!マジ作れる!イケル!」 「いや、でも、農業って」 「今さ、農村ギャルとかいるしさ!よくね!エコだよエコ!エコポイントとかあるしさ!はやりじゃね!?」 「………なんかそういわれると、いい気がしてくる、農業。いや、でも、いや」 「いいって農業!野菜作ろうぜ!俺たちでいい野菜作ろうよ!」 「俺、葡萄つくりてーなー。自分でワインつくりてー」 「ワインと野菜は相いれないだろ」 「今なんか、農村過疎らしいしさ、なんとかもぐりこめないかな!とりあえず試しだけでも!」 水守がついに立ち上がって、握りこぶしを作る。 こんな熱い奴だったけ、こいつ。 半ば気押されながら、俺は水守を見上げる。 「なんでお前そんな熱いんだよ」 「いや、なんか夢に影響されて庭でプチトマトとか作り始めたらさ、止まらなくなっちゃって」 「………楽しいか、それ」 「楽しい!」 一片の迷いなく水守は言い切った。 隣の高橋を見る。 高橋も俺を見ていた。 反対側の瀬戸にも視線を向ける。 瀬戸は、なんだかそわそわしながら水守を見ている。 「なあ、やろうぜ農業!」 力強い声が、俺を誘う。 曇りのない笑顔の水守が、とても眩しく見えた。 そして、俺の中には、小さな、本当に小さな決意が、生まれていた。 それが俺たちの、農業生活がスタートの合図だった。 「博士、どうやらテストケースは成功のようです」 「ああ、どうだった彼らは」 「はい、植えつけた偽の記憶も定着して、前世だと思い込んでいるようです」 「効果は?」 「とりあえず学校で農業部を作り始めたそうです」 「そうか、どうやら成功のようだな」 博士と呼ばれた初老の白衣を身にまとった男は、ふっとため息をついて、窓の外を見降ろす。 そこにはコンクリートに囲まれた灰色の街が広がっていた。 「これで、日本の農業が救われるといいんだが………」 「きっと、きっといけますよ」 「そうだな、信じるしか、ないか」 博士はそういって、一度大きく頷いた。 「たとえ、悪魔といわれても、大罪を犯そうとも、私はやり遂げる。この日本を救う。必ず日本の食糧自給率をあげてみせるっ」 苦しげにはきだした博士を、眼鏡の男は痛々しそうに眼を細めてただ見守っていた。 |