「あれ、お前その傷何?すごいな」

誰だったけか、こいつ。
確か、藤原とか言ったっけ。
女にモテそうな男前だ。
俺はちょっとだけ考えて、正直に答えた。

「痴情のもつれ」

俺の右脇腹には、小さくはない傷跡が残っている。
見る奴が見れば、刃物によるものだと分かるだろう。
大きいが幸い深くはなく、命にかかわるような傷ではなかったが。
痴情のもつれの刃傷沙汰。
懐かしい傷跡だ。

「へえ、チジョウのモツレか」

男前は分かったような顔で頷いている。
こいつ、絶対何も分かってないな。

でも、ちょっとだけ小気味よかった。
別に隠してもない傷跡だけれど、周りは何も触れてこない。
まあ、そりゃそうだろ。
絶対何かありそうな傷に、あえてつっこむ馬鹿はいない。
皆遠巻きにちらちらとこちらをうかがっているだけだ。
こいつはどうやら馬鹿らしい。
馬鹿は大好きだ。

「お前、藤原だっけ?」
「そう、お前はえっと」
「野口」
「そっか、よろしく野口」

そう言って、邪気なく笑う藤原。
俺は汗臭い体育後の更衣室で、恋に落ちたのだ。



***




「でさ、雪下がさ」

最近のこの男の話すことは、新しく出来た彼女一色だ。
マエカノも俺のキスも綺麗に忘れて、ただ今を生きている。
本当に馬鹿だ。
都合の悪いことはすぐに忘れやがる。

まあ、その馬鹿なところに惚れたんだけど。

「幸せそうだな」
「え、あ、うん」

恥ずかしそうに顔を赤らめてうつむく。
純情と無神経と優しさと優柔不断の見事なミックス。
ついつい、こういう顔をされると突き落としてやりたくなってしまう。

「三田泣かせて幸せになったんだから、せいぜい罪悪感は忘れるなよ」
「わ、わかってるよ」

途端にしゅんと犬のように尻尾を垂れて悲しそうな顔をする。
やっぱり、とんでもなく好みだ。

こんなにいじめても、まだ俺に寄ってくるんだから、Mなんじゃないかとも思う。
まあ、俺はこの手の優柔不断タイプに、好かれやすいんだが。

このお綺麗な顔を歪むくらい、汚いことを突き付けてやりたい。
誰も信じられなくなるぐらい、裏切ってやりたい。
手足を縛って、無理やり拘束して、犯し尽くしたい。
夜も昼も分からなくなるぐらい、前も後もぐっちゃぐちゃにしてやりたい。

無邪気で優しいこいつが、俺の顔を見て怯えるようになったら、楽しいだろうな。
俺はきっと、それに満足しながら、絶望する。
こいつが俺を毛嫌いすることに傷つきながら、こいつの恐怖をコントロールすることに快感を覚える。
俺の顔を見て顔を歪めるこいつに、哀しみながら喜ぶ。

「野口?」
「ん?」
「どうした、変な顔して」
「ちょっと、妄想してた」
「ふーん」

ここで、流せてしまうのがこいつのいいところだよな。
あまり深くものを考えない。
頭もいいし、顔もいいし、運動神経もいい、完璧な男なのに、馬鹿だ。
そんなところが、たまらなく好きだったんだけどな。

だが、ようやくその執着もおさまってきた。
こいつは触れてはいけないもの。
一度触れてしまえば、俺は我慢できなくなっただろう。
閉じ込めて、手足をもいで、俺のことしか見えないようにしてしまう。
また昔の過ちを繰り返す。

なんとか我慢することが出来た。
道を踏み外さずにすんだ。
今度は失敗せずに、すんだ。

まあ、片思いも、中々楽しかった。
こいつの泣き叫ぶ顔を思い浮かべながら、手の触れられないもどかしさ。
その焦れる感じが、胸が焼きつく感じが、哀しみが、憎しみが、すべてが快感だった

『お前は、一番好きな奴には、手を出すな』

ああ、本当だな。
あんたは、いつも正しい。
いつだって正しかったよ。
言うこと聞いておいてよかったよ。
今は、藤原の友達として隣にいれる。

「藤原」
「何?」
「お前の友達で、よかったわ」
「な、なんだよ急に!」

目を見開いて、顔を赤くして慌てる。
うん、お前の泣き叫ぶ顔はきっと快感なんだろうけど。

やっぱり笑顔が一番好きだと思うから。
無邪気でも無神経でも優しくも優柔不断でもないお前なんて、たぶんお前じゃないから。
壊さなくてよかった。

我慢してよかった。



***




「あんた、こんなところで何してんの?」

部活を終えて教室に戻ってきた三田は俺を見て、首をかしげた。
着替えてはいるものの、今まで全力で運動していたんだろう。
シャツが汗でぬれて、健康的なエロスを感じる。

「あんたを待ってた」
「は、何?なんか用事?」

鈍いな。
まあ、今までモテない人生で、男に興味ないふりして生きてたんだから、当然か。
だから俺は丁寧に説明してやった。

「あんたと一緒に帰りたくて」

三田は途端に耳まで真っ赤にした。
最近手入れをしているらしい肌を朱に染めて、言葉を失う。
暗い教室の中、そわそわと視線を彷徨わせた。

「ば、そ、じゃ、しょ」
「一緒に帰ろ」

何が言いたいんだかさっぱりわからないが、あえてつっこまないでやる。
男慣れしていないその反応は、新鮮だ。
新鮮で、かわいい。
同年代の女の子に、こんなことを思うのも初めてだ。

「しょ、しょうがないわね。帰ってやるわよ」
「ありがとう」

三田はなんでもないふりをしようとして、さっさと教室に入ってくる。
けれど、扉のヘリに足をつまづきちょっとよろめく。
顔を赤くして、俺の方を見ない。
そして、焦りをごまかすように、手をわきわきと動かしている。
そのかわいらしい反応に、思わず笑ってしまった。

「な、何よ!」
「本当に、あんたってかわいいな」
「………馬鹿にしてんの?」
「本心です」

女らしい自分が嫌いで、筋肉がつきまくって堅い体で、化粧が下手で。
男に媚びるのが苦手で、それなのに藤原には媚び媚びで。
実は男の気を引きたくて。
乱暴で、口が悪くて、卑屈でひねくれていて素直じゃない。

俺に興味がないってふりをしながら、やっぱり好きって言われるのは嬉しくて。
だんだん俺が気になり始めていて。
何を言っても、素直に反応してくれて。
一生懸命不器用に頑張って。
泣いて笑って遠吠えて。

本当にいつも自分で言っているように、野良犬のようで。
野良犬の、子犬。

ああ、かわいいな。

「三田」

こいこい、と手招きすると三田は首を傾げながら近寄ってくる。
人を中々信用しないくせに、こういう時は嫌に素直だ。
警戒心を時折忘れる。
こういうところも、かわいい。
その隙に乗じて目の前まで来た三田を、ぎゅっと抱きしめる。

「うわあ!!」
「汗臭いな」
「ちょ、や、だめ!」

女の子の汗の匂いって、臭いものの男のそれとは違う。
かすかに酸っぱくて、シャンプーとデオドラントの匂いが混じっている。
首筋に顔を埋めて息を吸うと、その生々しい匂いになんだか興奮してくる。

「や、やめ!今臭いから!」
「うん、汗臭くて、いい匂い。欲情してきました」

三田は顔を首筋を真っ赤にして、じたばたと腕の中で暴れる。
まるで、子犬の抵抗のようで、かわいい。
堅いものの、わずかに主張する胸にもドキドキする。
つい、汗ばんだ三田の首筋を舐めてしまった。

「うひゃああ!!!」
「しょっぱい」
「あ、う、ああっ!!」

このまま舐めつくして、押し倒して、入りたいな。
気持ちいいだろうなあ。
三田の中は、気持ちよさそう。
筋肉付いてしまってそうだし。
ああ、入りたいな。

「ねえ、三田、このままヤっていい?」
「いい加減にしろおおおおお!!!!」

つい聞いてしまうと、三田のたくましい拳が、俺の顎を殴りあげた。
目の前がちかちかとする。
相変わらず、いい拳だ。
はずみで、体を放してしまった。
三田は急いで俺から2Mぐらいはなれて、肩で息をする。

「ひどいな」
「ひどいのはどっちだ!このケダモノが!」
「好きな子とヤりたくなるのは、自然の摂理じゃないか」
「TPOを考えた上で、手順をふめ!!」

まあ、そりゃもっともだ。
つい暴走してしまった。
俺の悪い癖だ。

「わかった。次は気をつける」
「次はない!」

顔を真っ赤にして、指を突き付けて仁王立ち。
警戒心丸出しの子犬。
かわいくて、微笑ましい。

「ま、気長に待つよ」
「ないったらない!」
「さ、帰ろうか」

そう言うと、三田は俺を警戒しつつ自席まで戻って荷物を持ってきた。
ここで、一人で帰るってならないところが、三田のかわいいところ。
顔を真っ赤にして1M離れながら、それでも一緒についてくる。

藤原やあの人を好きだった時の、狂うほどの熱さはない。
痴情のもつれで刃傷沙汰になるほどの、執着もない。

かわいいかわいい同級生。
ただ、温かさが胸に満ちる。
壊そうなんて、思わない。
いじりたくはなるけれど、優しくしたいと、思う。

うん、いい感じ。
きっと、これくらいが一番いいんだ。

俺にはいまだに、普通の恋愛とかの程度が分からない。
でも、きっとこれが普通なんじゃないだろうか。
これがたぶん、ちょうどいい。

「何よ?」

黙って見ていたら、まだ警戒している三田が上目遣いで睨んできた。
まだ焦りが残る、その赤い目元は、ムラムラする。

「いや、あんたが好きだな、って思っただけ」

そう言うと三田は、また顔を真っ赤にした。
素直じゃない癖に、表情はとても素直。
あんたとずっと一緒にいたら、きっと楽しいんだろうな。

あんたが、全力で自爆するような子だから、たぶん俺は、藤原を諦められた。
不器用で、でも一生懸命でかわいいから、手伝いたくなってしまった。
そして俺も、不健全な妄想から、解き放たれた。

やっぱり、あんたが好きだと思うよ。
かわいいかわいい、俺の子犬。





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