「ごはん、買ってきたよ!」 両手に小さな包みを抱えた薄い金色の髪の少女が、森の中を一人駆けぬける。 骨が浮かぶほど細い腕を大きく振って、満面の笑みを浮かべている。 <御苦労だったな> 夕暮れに赤く沈む木々の中、横たわっているのは少女なんて一口で丸のみできそうな巨大な銀色のドラゴンだった。 駆ける少女の姿を見て、わずかに首を持ち上げる。 少女はドラゴンの元へ駆け寄ると、荷物を持ったままその大きな体に力一杯抱きついた。 鱗に覆われたその体は堅く冷たいが、少女の細い体を頼もしく受け止めてくれる。 「あのね、今日の街は、いい人ばっかりだったよ。お買いものいったら、いっぱいおまけしてくれたの。ほら、飴くれたよ。スラオシャも食べる?」 <いや、私はいらぬ> 「スラオシャは、もうご飯食べた?」 <ああ、さっき鹿がいたからな。満腹だ> 「そっか」 少し落胆して肩を落とす少女の姿に、わずかに喉を振わせてドラゴンはその金髪を軽く食む。 少女は擽ったそうに首をすくめながらも、くすくすと笑った。 「じゃあ、私もパン食べるね」 そう言って、ドラゴンに寄りかかるようにして座りながら手にした包みを広げ始める。 パンと干し肉、わずかな果物が、少女の今日の夕食だ。 <うまいか> 「うん、今日のパンは、柔らかい」 <そうか。よく噛んで食べろ> 「うん!」 小動物のようにちまちまと食べる少女に、ドラゴンは目を細める。 <寒くはないか?> 「スラオシャがいるから、あったかいよ」 <火によくあたれ> 「はい」 口うるさいドラゴンに、少女はくすくすと笑う。 自分には必要ない癖に、火を起こしておいてくれたドラゴンの優しさが嬉しい。 労わられる心地よさというものを、少女はドラゴンに出会って、知った。 「今日の街にも、マナフさんはいなかったみたい」 <そうか。では明日は次の街にいくとしよう> 「うん」 粗末な食事を嬉しそうにたいらげて、少女は満足げに息をつく。 そしてそっとドラゴンによりそい、目を閉じる。 その冷たい体を温めるように撫でる。 「ねえ、スラオシャ、あたし、早くドラゴンになりたいなあ」 まだ、15にも満たないだろう少女だが、それにしてもその体は小さい。 骨が浮かび傷跡が残る貧相な体は、痛々しさが際立つ。 <ああ、そうだな> 「早く、スラオシャも人間になれると、いいね」 <ああ> ドラゴンは、そっとその尻尾で少女を風から守るように囲い込んだ。 少女は買物の途中で、いつも自分を酷く扱う少年たちの集団に出くわしてしまった。 その顔を見てそそくさと逃げようとするが、少年たちは目ざとく見つけにやにやと笑い始める。 「おい、化け物がいたぞ!」 「ひっ」 その言葉と共に、拳大ほどの石が投げつけられる。 その石は少女の背中に当たって、薄い背中に大きな痛みを衝撃を与えた。 抱えた包みを落とさないようにする余り、バランスを崩して地面に倒れ込む。 「うろちょろ歩いてんじゃねえよ、化け物!」 「痛い!やめて、やめて!痛い!」 3人の少年たちは少女を囲い込み、面白そうに石を投げ、蹴りつける。 穴があき擦りきれ垢まみれの服を身につけた少女は、身を丸めてその暴挙から自身を庇う。 「お前、本当はドラゴンの子なんじゃねえの」 「ああ、かもな。気持ち悪い目、しやがって!」 「だから人間とは違うんだ、この化け物がっ!目ざわりなんだよ!」 口々に罵り、少年たちは少女に暴行を加え続ける。 少女は啜り泣きながら、身を縮めて少しでも痛みから逃れようとする。 逆らえば、もっとひどくされる。 物心ついたころから繰り返される暴力に、抵抗する術を知らなかった。 「痛いよ、痛い、やめて」 「お前はドラゴンの子なんだろ!それなら火ぐらい吹いてみろよ」 「魔術を使ってみろ」 「出来ないよ、やめて、痛いよ!」 本当に火が吹けるなら、魔術が使えるなら、どんなにかいいことだろう。 街で魔術を使えるのは、おばば様だけだ。 あんな風に未来を見通して、風を起こし、魔物を操る力があれば、きっとこんな風に痛い思いはしないのに。 いっそ化け物なら、いっそドラゴンの子だったら、どんなにかいいことだろう。 少女は、殴られながら、そう思う。 「………ただいま、帰りました」 少年たちに飽きるまで嬲られ、貧相な姿が更にみすぼらしくなりながら、置いてもらっている酒場に帰る。 酒場の女将は、少女の姿を見ていつものように眉を吊り上げる。 ふくよかな体を揺すらせて、顔を真っ赤にして怒鳴る。 「遅い!なんだい、そんなに汚して!本当にお前は役に立たないね!全く疫病神だよ!」 「す、すいません」 「今日の夕ご飯は抜きだ!さっさと裏を掃除してきな!」 「………はい」 買物したものを手渡し、少女はよろよろと裏手に回る。 薄い金の髪は泥と血と垢にまみれて薄汚れている。 店の裏に周り、ゴミを片付け掃除をすませる。 女将に見つかる前に済まさなければ、また怒鳴られ、叩かれる。 「お腹、すいたな」 普段から大した食料をもらっていない少女の胃は、きゅるきゅるとなって不満を訴える。 度重なる暴力に体中は痛み、少し動くのにも体力を要する。 痣と痛みがない日なんてない。 罵りの言葉と侮蔑の目がない日なんてない。 「あたしは、ドラゴンの子、なのかな。それなら、いつか、ドラゴンになれるのかな。そしたら、ドラゴンの仲間になれるのかな」 かじかむ手で掃除をしながら、少しだけ笑って夢想する。 それは、いつからか、少女の夢でもあった。 少女は、物心つくかつかないかのうちに、街の外れに捨てられていた。 ぽつりと一人立っている少女を、街の人間達は遠巻きに眺めた。 そんなに貧しくもない街だ。 孤児がいたなら教会に引き取られ、貧しくとも一人立ちするまでは育てられただろう。 しかし、少女は全ての人間から忌避された。 その深い深い、血のような赤い目は、伝承の悪魔の目と言われ、教会からも見放された。 扱いに困り、殺すまでもないが街から追い出そうという話が出た時に手をあげたのは、街の長老だった。 慈悲深い彼は渋々ながらも少女を引き取り、二年間面倒を見た。 特に愛情がある訳でもなく義務感から引き取っただけなので、扱いはよくもなかったが、少女にとっては平穏な日々だった。 お腹いっぱいという訳ではないがご飯を食べることが出来て、色々と手伝いはさせられたが、そこまで過酷なものではなかった。 風をしのげる家に、粗末ながらも温かいベッドを与えられた。 優しい声をかけられることはなかったが、罵声も暴力もなかった。 変わったのは、長老が死んだ、三年前。 それからは、少女の生活には苦痛しかなかった。 長老の家を追い出され、縁続きの酒場で引き取ってもらったのはいいが、こき使われ、満足に食事も与えられることはなかった。 酒場でも街でも化け物扱いされ、罵倒され、暴力を振われる日々。 それでも食べることが出来て、眠る場所がある。 それだけでありがたいと自分に言い聞かせながら、ただ日々を、少しでも痛みが少ないようにと祈りながら過ごした。 そんな少女の夢は、大人になったらドラゴンになることだった。 ドラゴンの子だと言われるのは、少女にとっては嫌なことじゃなかった。 昔長老の家で見た本で、ドラゴンは大きな翼を持って、空を飛んでいた。 空を飛べる、尊く、強い、生き物。 ドラゴンになったら、空を飛びまわり、星を見て、綺麗な川で水を飲み、木の実をいっぱい食べるのだ。 それが、いつからか、少女の夢になっていた。 <何用だ、娘よ> 初めて見たドラゴンは、想像以上に大きかった。 少女の小さな体なんて、一飲み出来てしまいそうな大きな大きな体。 街の富豪が自慢していた銀の首飾りよりも美しい、光り輝く銀の鱗。 低く響く声は、人間のものとは違う頭の中に響く不思議な声。 その姿は、街の誰よりも、美しく、尊く、少女には見えた。 手をぎゅっと握り、つばを何度も飲み込む。 緊張で、嫌な汗を掻いてくる。 「あ、あの」 <何用だ、食われたいのか?> 裏の山にドラゴンが来ていると、噂になったのはつい最近だ。 それも、ドラゴンの中でもっとも力を持ち、ドラゴンの王と呼ばれるシルバードラゴン。 理性を持つ高貴なドラゴンは見境なく襲ったりはしないが、気まぐれで人を害すことはある。 街に下りてきたらどうしようかと、街の中に不安が広がっていた。 シルバードラゴンがその気になれば、街の一つや二つ、簡単に滅ぼすことが出来るだろう。 そんな気を起こすことが、稀なだけなのだ。 人なんて歯牙にもかけない、ただのちっぽけな獣や虫と同等にしかみなさない存在。 事実、少女を見下ろす目は、虫けらを見るかのように冷たく鋭い。 それでも少女は勇気を振り絞って、震える声で話しかけた。 「あ、あなたが、王様のドラゴンですか?」 <………然り、私はドラゴンの中のドラゴンと呼ばれるシルバードラゴン> 無視されるかと思ったが、ドラゴンは面倒くさそうに返事を返してくれた。 それに、力づけられて、少女は、問いかける。 「ねえ、ドラゴンさん、あたしは、ドラゴンでしょうか?」 ドラゴンは美しいサファイアのような目を細める。 睨みつけられたようで、少女は竦み上がった。 <何を?> 「み、みんなが、あたしをドラゴンの子だと言いました。だから、あたしはドラゴンじゃないのかなって思ったんです」 酒場の手伝いをしながら聞いた噂話に、少女はいてもたってもいられなくなった。 ドラゴンは、自分の仲間かもしれない。 会えば、受け入れられるかもしれない。 自分も空を飛べるようになるかもしれない。 とうとう今日、お使いの合間に抜け出して、裏山を駆けあがった。 そして日が暮れるまで、ドラゴンの姿を探したのだ。 出会った時の感動は、言葉には表せないほどだった。 しかし少女の問いにドラゴンは呆れたように尻尾をぱたりと揺らした。 大きな尻尾は、わずかに振るだけで風を起こす。 <………生憎と、人の形をしたドラゴンは見たことがないな> その答えは、半ば予想できていた。 人間の姿をしているドラゴンのことなんて、聞いてことはない。 それでも、少しの希望にかけたかったのだ。 目の前の美しいドラゴンと、同じ存在だったら、とそう思ってしまったのだ。 「………じゃあ、あたしは、ドラゴンじゃないのでしょうか?」 <私はそう思うがな> 「………そう、ですか」 無慈悲に返される言葉に、希望も何もかも、打ち砕かれた。 細い肩をがっくりと落とし、少女は涙ぐんだ。 結局彼女は、ドラゴンでもない、人間でもない、化け物なのだ。 ささやかな希望は失った。 自分がドラゴンかもしれない、いつかドラゴンになったら空を飛び自由になるのだ、と、そう夢想することすら、これからは許されない。 明日から、どうやって日々を過ごせばいいのか、分からなかった。 <………娘、怪我をしているのか?> 「え、はい?」 ドラゴンが不意に問いかけてきた。 少女は今日も体に痣を残し、血をにじませた生々しい傷跡がみえた。 顔も僅かに腫れている。 服もボロボロで、髪もボサボサだ。 折を見て川で洗濯をして体を洗っているとはいえ、わずかに匂いもするだろう。 <街の人間に傷つけられているのか?> 「はい、いっつも、石を投げられて、殴られます。あたしが、化け物だから。ドラゴンの子って言われてました。でも、ドラゴンじゃないんですね」 <………> 「ドラゴンだったら、大人になったらドラゴンになれるのかなって思ったんです。そしたら、ドラゴンの仲間に、入れてもらえるかなって」 そうしたら、こんな痛い思いも、ひもじい思いもしないかな、と思ったのだ。 慣れているとはいえ、やっぱり痛いのもお腹が空いているのも、嫌だ。 お腹いっぱいでなくてもいいからご飯をちゃんと食べて、痛い思いをせずに、ベッドで眠りたい。 ドラゴンになったら、そうできるんじゃないかと思ったのだ。 「………やっぱり、あたしは、ただの化け物なんですね」 それでもやっぱり、自分はそんな輝かしい存在ではなかった。 誰も仲間がいない、忌み嫌われる、化け物だ。 「ドラゴンさんは、とっても、綺麗。あたしとは、全然違います」 対して目の前のドラゴンは、自ら光り輝いて、とても美しかった。 力強く美しく、汚い自分が触れるのもためらうような存在だった。 考えてみればわかることだ、こんな自分が、ドラゴンのはずがない。 「………すいませんでした。帰ります」 ぺこりと頭を下げて、少女は礼をいった。 泣きそうな顔をドラゴンに見られないように俯いたまま踵を返す。 そして、痛みしかない街に、走る。 ドラゴンは少女を食べることもせずに、ただそれを見ていた。 いっそ食べて欲しかったと、少女はちらりと思った。 「痛いよ、痛い、やめて!やめてやめて!」 それはドラゴンと会ってから数日後。 お遣いの最中、いつもの柄の悪い少年たちに捕まった。 昔と比べて逃げるのはうまくなったが、集団で来られるとやはりうまく逃げられない。 「うるせえな、黙れ!」 顔を殴られ、手足を抑えられ、服を引きちぎられた。 替えなんてほとんどない服を破られ少女は悲鳴を上げた。 けれど、その後小さな胸を掴まれ、足を広げられたところで、いつもの暴力と少し違うことに気付いた。 「いやだ、やめてやめて!」 本能的な恐怖に体が冷たくなり、よりいっそう手足をばたつかせる。 いつものように痛くはある。 しかしそれ以上に、体が撫でまわされることに生理的な嫌悪感を覚えた。 なんとなく、何をされようとしているのか、分かった。 酒場で客を取っている女が、店の裏でしていたような、ことだ。 それがどういう意味を持つのか分からないが、それを自分にされると思うのは吐き気がするほど嫌だった。 「嫌、嫌だ!嫌!」 どうしてこんな目に遭わなければいけないのだろう。 自分が化け物だからいけないのだろうか。 だから、何をされても我慢しなければいけないのだろうか。 何も分からず、少女はただ混乱して暴れる。 「おい、そっち押さえろ」 「黙れ!」 興奮で上気し、呼吸を荒げた男たちに、口を抑えられ、腕を抑えられる。 気持ち悪さと恐ろしさで、涙がボロボロと出てくる。 もう、痛いのも怖いのも、嫌だった。 最近では思うことのなかった、誰か助けて、という言葉が脳裏に浮かぶ。 助けてくれる人なんて、いないのだけれど。 「………っ」 その時、空を見上げる形になっていた少女の目に、空を覆い尽くすほどの影が映った。 <………何をしている> その低く響く不思議な声は、いつか聞いたことのある声。 ばさりと音を立てて翼を翻すと風が起こり、男たちは地面に転がった。 拘束がなくなったその隙に少女は体を起こす。 「………王様の、ドラゴンさんっ」 それはいつか会った、美しい銀色のドラゴンだった。 今まで自分の身に起こっていたことも忘れ、その気高い存在に少女の心はいっぱいになる。 笑顔すら浮かべて、少女は地面に舞い降りたドラゴンに駆け寄る。 <………一応聞いておく。こいつらは、お前のつがいの相手か?> 「つがい?」 <こいつらを、お前は好きなのか> 少女は素直に首を横に力一杯振った。 街の人間が好きだと思ったことは、一度もない。 最初に面倒を見てくれた老人には、感謝をしていた。 義務感だけでも、それでもあの人は少女に痛いことは何もしなかった。 それ以外の人達は、みんな少女に嫌なことをするばかりだった。 <そうか> 少女の反応にドラゴンは軽くかぶりをふると、無造作にその鋭い爪のある手を振りおろした。。 恐怖に震えていた少年たちを、その手は簡単に切り裂く。 「ぎゃああ!」 「うが!」 一振りで、四人の少年は、肉を切り裂かれ、血にまみれ、地面に倒れ落ちた。 辺りに鉄に似た匂いが混じり、地面に赤い池だまりが出来る。 <下衆が> ぴくぴくと痙攣を繰り返す少年たちを見下ろして、ドラゴンは冷たく言い放った。 少女は肉の塊と化した少年たちを見て、引き攣れた喉で、悲鳴を上げる。 「ひっ」 初めて見る血まみれの人間に、体が自然と震えてくる。 痛そうにうずくまり呻き声を上げている少年たちが、恐ろしかった。 <………> その姿を見て、ドラゴンはばさりと翼を広げた。 一回羽ばたくと、その体が宙に浮く。 それで、ドラゴンが立ち去ろうとしているのだと気付いた。 少女は風圧で転びそうになりながらも、慌ててドラゴンの体に捕まろうとぴょんぴょんと跳ねる。 「待って、ドラゴンさん、待って、待ってください!」 ドラゴンはその必死な声に、宙に浮きながらちっぽけな少女を見下ろす。 血に溢れた光景の中、少女は満面の笑みを浮かべている。 「助けてくれて、ありがとう。ありがとう、ドラゴンさん」 とてもとても嬉しそうに笑っている少女に、ドラゴンはそっと地面にもう一度降り立った。 少女は勢いよくその美しい銀色の体の元へ駆け寄る。 「ありがとう、ドラゴンさん!」 <お前は、私が恐ろしくないのか?> 少女はぶんぶんと力一杯首を振る。 そして嬉しそうに笑ったまま、ドラゴンに恐る恐るもう一歩近づく。 「誰かに、助けてもらったのは、初めて、です。ありがとう」 痛い思いをしているところを、助けてもらったのは初めてだった。 地面に転がっている人間達に、同情の気持ちはこれっぽちも沸いてこない。 血は怖かったが、痛いことをする人間がいなくなって、少女は嬉しくすらあった。 「お願いします、ドラゴンさん、王様のドラゴンさん」 そして、その強大な力に、惹かれた。 強く気高い、軽々と男たちをやっつけてしまった美しいドラゴンに、近づきたくて仕方なかった。 だから、言った。 「あたしをドラゴンにしてください」 ドラゴンは、魔術が使えると聞いている。 風を火を水を、簡単に操ると聞いている。 だったら、自分をドラゴンにすることも出来るのではないか。 少女は、そう思った。 <………お前、名は?> ドラゴンは愚かな質問に、呆れもせずにそう問う。 少しだけ首を傾げて、正直に少女は答えを返した。 「名前は、ありません」 誰にも、名前を呼ばれたことはない。 あれ、とか、それ、とか言われていただけだ。 または、化け物、ドラゴンの子、そう言われるのが常だった。 自分の名前なんて、知りはしない。 <そうか、私はスラオシャと言う> ドラゴンは、一つ頷いて、自分の名を名乗る。 美しいドラゴンの名を知って、少女は興奮で顔を上気させた。 「………スラオシャ、さん」 宝物のように、その名前を繰り返す。 ドラゴンはもう一度頷いて、少女に顔を寄せた。 鱗におおわれた顔が目の前に来ても、少女はひるむことなく、むしろ嬉しそうに笑う。 <一緒にくるか、娘> 「え?」 言われた意味が理解できずに、呆けた声を上げる。 ドラゴンは怒りもせずに、淡々と先を続けた。 <ドラゴンになりたいと言う娘よ。私は、人間になりたいと思っていたのだ。その方法を探しに行くが、一緒に行くか?> 迷う暇なんて、一瞬もなかった。 少女は、気が付けば、大きく頷いていた。 「………行く!」 そして、その美しい体に、飛びついたのだった。 「ねえ、スラオシャ」 <どうした、もう眠れ> 少女とドラゴンは、旅を続けている。 少女はドラゴンになるために。 ドラゴンは人間になるために。 この世の英知を全て知るというマナフという魔術師を求めて旅を続けている。 「あのね」 <ああ> 冷たい体に寄り添いながら、少女は目を瞑る。 大きな大きな存在は、温かいベッドよりもずっと安心して眠ることが出来た。 「あたしね」 少女はドラゴンに、なりたかった。 強く気高く美しい存在になり、空を飛びたかった。 けれど、今はちょっと考えている。 スラオシャが、人間になるのならば、人間のままでいいと思っている。 スラオシャがドラゴンのままなら、ドラゴンになりたいと思っている。 少女はドラゴンになりたかった。 けれど今は、スラオシャと同じ存在になりたかった。 「ううん、なんでもない」 けれどそれを言ったらスラオシャが呆れるかもしれないので黙った。 ドラゴンになりたくないのならいらないと言われたくなかった。 だからもう一度堅い鱗に頬を摺り寄せ、目を瞑った。 「おやすみなさい、スラオシャ」 <ああ、おやすみ> そしてドラゴンも少女の金髪を優しく顔で撫でる。 暗い暗い森の中、一人の少女と一匹のドラゴンは寄り添い眠った。 |