新興国カレリアの英雄王ミカ=オラヴィ=ヴァリス。
その首席秘書官であるエリアス=ハイラの朝は早い。

夜明け前に起き出し、一番鳥が鳴く頃には身支度を整え終わる。
白々と夜が明け始め、城の中で下働きの人間が忙しなく動き始めると同時に、昨日の仕事の整理と本日行うべき仕事の予定を立てる。
一通りの業務の整理を終えた頃には、朝食の時間になる。
そして朝食を取る前に一仕事。

「陛下!陛下、お目覚めください!陛下!」

城で一人寝している時は、ミカの起床を促すのもエリアスの仕事だ。
勿論愛妾などと共寝している時は、愛妾付きの女性使用人がその役目を担う。
しかし、一人熟睡しているミカを起こすのは容易なことでない。

「陛下!陛下!本日はトロンヘイムからの使者が来る日です!早く起きてください!」

何度声をかけても、睡眠を貪る王が起きることはない。
ため息一つ、仕方なく従者は主の横たわる寝台に手をかける。
その瞬間、寝台の主が起き上がり布団を跳ねのけ飛びずさる。

「はっ」

キイィンと、微かに伸びる金属が合わさる音が響く。
エリアスは王が飛び跳ねると同時に凪ぎ払った護身用の剣を、自らの懐剣で受け止めていた。
戦場で長く生き抜いてきた王は、寝起きはよく寝ぼけて攻撃的になる。
今のところはまだ怪我人だけで済んでるが、下手したら死人が出る可能性もある。
女性が横に寝ている時は熟睡することがないので問題ないのだが、一人寝の時はまるで野生の動物のように近づく気配を害そうとする。
そのために、エリアスがミカを起こすことになっていた。

「おお、エリアスか。いい朝だな」

当の王は、ようやく目が覚めたのかエリアスの姿を認めて、にっかりと笑う。
無精ひげは伸びきって、ブラウンの髪は寝乱れているが、それでもその力強い容貌は魅力的だった。
恥ずかしげもなく晒した裸身は、それ自体が鎧であるような堅い筋肉と、隙間ない傷跡に覆われている。

「毎朝毎朝、いい加減にしてください!朝から剣を振り回すようなことをさせないでください!」
「やっぱりお前が一番起きやすいな。ネストリやレイノだと爽やかな目覚めといかないしな」

ネストリや、ミカの親衛隊隊長であるレイノは、王であろうと容赦はない。
むしろ永遠の眠りにつかせようとする勢いで、王を起こす。
それはさすがに問題なので、仕方なくエリアスはこの役目を続けている。

「はー、もう」
「しかし、せっかく王様になったってのに、好きに寝てもいられないってのはどういうことなんだろうな。俺は王になったら好きなだけ食って飲んで寝て、女を侍らせて酒池肉林の日々が出来ると思ってたんだが。むしろ兵士やってた頃より忙しくないか。あー、可哀そうだな、俺は。こんな働かされたらいつか過労死するな」

無精ひげをかき混ぜながら、王は己の身を嘆く。
戦に出て、地方を見て回り、確かにミカは身を置く場所を定めることすらできない。
最近は外政を子供達に任せ、内政に力を入れているため首都にいることが多いが、それでも多忙を極める日々だ。
エリアスは申し訳なさそうに眉を顰める。

「陛下がいなければこの国はたちゆかないのです。残念ながら、今のところ、あなたの力がなければ、瞬く間にこの国は瓦解するでしょう。陛下の負担が大きいことは、よく分かっているのですが………」

言葉を飲み込み俯くエリアスに、ミカは呆れたように苦笑した。

「分かってるさ。ただの愚痴にそんな真面目に答えるな。お前は本当に冗談が通じないな。しっかり働くさ。旧カレリアの馬鹿共のようになるのは御免だ」

寝台から立ち上がり、その大きな手でエリアスの肩をポンを叩く。
それでエリアスも表情を緩める。
敬愛する聡明な王は、普段はふざけているが腐敗しきった旧権力者達とは違うのだ。

「ありがとうございます。朝食はどうなさいますか?」
「そうだな。タイストが来るまでまだ時間があったはずだな」
「はい、朝食ぐらいはゆっくり取れる時間があります」

簡単に身支度を整えたミカが、にやりと笑った。

「よし、じゃあ、セツコのところに行こう!」
「え」
「ほら、お前も行くぞ!あの馬鹿が来る前に気分転換だ!」

そしてずるずると従者の手をひっぱり部屋から出ていく。
敬愛する聡明な王は腐敗しきった旧権力者達とは違うが、普段は結構ふざけている。



***




「………朝から、うるさい」
「………また飲んでたんですか、セツコ」

朝食をセツコの部屋の近くの大きめの部屋に運ばせ、ミカが無理矢理寝ていたセツコを起こして連れてきた。
青い顔色をして気分が悪そうに机に突っ伏す女性は、わずかに酒気の気配がした。
就寝用の服から着替えることもなく、化粧をすることもなく、年齢相応の疲れが出た顔。
最初は取り繕おうとする気配も見えたが最近はミカやエリアスが来ても、特になんの反応をすることもなく、勿論羞恥心を見せることもない。

「悪い!?飲んだら悪い!?酒ぐらい飲ませろってのよ!」

体を起こして顔を赤くして、声を荒げる。
そしてその声が自分の頭に響いたのか、頭を抑えて再度机に突っ伏す。
セツコの機嫌が激しく上下するのは珍しいことではないので、エリアスは慌てずその背中を優しく摩る。

「体に障ります」
「………真面目に、諭される、辛い」

セツコがちらりとエリアスを見上げ、沈痛な顔でつぶやく。
いまだにたどたどしいその言葉は、おぼつかない発音とつたない単語がなんだか子供のように頼りない。
普段は強気で王を怒鳴りつけているセツコだが、そんな態度と言葉遣いに庇護欲がそそられる。

「分かってる。分かってるわ。酒、少なくする。こんなの、よくない」
「はい。そうしてください。あなたの体が心配です」
「エリアス!」
「うわあ!」
「ありがとう、ありがとう!****、******!」

そしてまたいきなり感情が爆発して、エリアスに抱きつく。
母国の言葉らしきもので、何かを繰り返す。
大分うまくなったが、やはり興奮すると母国の言葉が出てしまうようだ。
もう抱きつかれるのにも慣れてきたが、この感情の揺れ幅の大きさは、周りの女性にはないものだ。
人によってははしたないと顔を顰めるだろう奔放な仕草と、子供のような純粋さを兼ねそろえた不思議な女性だとエリアスは思う。

「セツコ、俺にも」
「死ね、馬鹿王!」

ミカがくいくいと、自分を指さすとセツコは冷たく切り返した。
気の強い女性が好きな王だが、ここまで直截に発言する女性は初めてらしく、そこがお気に入りのようだ。
面白がって、その態度を楽しむために、こうしていつもちょっかいを出す。

「今度、酒を持ってこよう」
「うるさい、邪魔、するな!死ね!」

ミカとネストリとばかりいっしょにいるせいか、セツコの言葉はどんどん汚くなる。
基本が宮廷の言葉なので綺麗と言ったら綺麗なのだが、語彙に罵詈雑言の単語ばかり増えていく。
エリアスはふっとため息をついて、間にそっと入る。

「セツコ、そういう言葉遣いはあまりよくないです」
「ああ、私の、癒し。エリアス、だけ」

するとセツコが目を輝かせて、またエリアスに抱きつく。

「エリアス、代われ」
「代わってください!」

そんな、朝食の風景。



***




「よく、おいでくださった」

朝食を終え正装に着替えた頃に、トロンヘイムの使者が訪れる。
神経質そうな眉間と、後ろに撫でつけた銀髪が冷たい印象の男。
中央にいる頃に面識があったミカは、親しげに笑って見せる。

「久しぶりですね、タイスト殿。むさくるしいところだが、くつろいでくれ」
「辺境の地とはいえ、トルスティ陛下の収める地だ。一領主が口出しすべきものではない」

宗主国トロンヘイムの使者らしい横柄な態度。
指先まで綺麗に磨かれた貴族らしいその姿は、カレリアではあまりみなくなった人種だ。
ミカは、あくまで鷹揚と笑って見せる。

「おや、お忘れか。カレリアはトルスティ陛下自ら冊封を認めてくださっている土地。いかに属国とはいえ、ここは私の国だ。偉大なるトルスティ陛下のお言葉もお忘れかな、タイスト殿」
「ふん。田舎者が偉そうに」

元は農民上がりの一兵卒だったミカを見下している態度を隠そうともしない。
後ろにトロンヘイムがいると思えば、堪えるしかないのだが、それでも敬愛する王に対するあまりな態度に、エリアスは苦い唾を飲み込む。
一通りの茶番じみた挨拶を終え、使者が本題を切りだす。

「貴殿はクリスチーネスタッドの反乱の件を聞いているか」
「ああ、結構な規模になっているとか」
「隣国の事とはいえ、あそこは我がトロンヘイムにとっても主要な地。カレリアとも遠くはない。反乱が成功したら貴殿も困るだろう」
「さあて。他国のことに私は口は出したくはないのですが」
「そんな態度をしていてよいのか。今ならトロンヘイムが手を貸すこともやぶさかではない。貴殿の心がけ一つで力添えするとの言葉を偉大なるトルスティ陛下からいただいている」

ようは邪魔な隣国の反乱を抑えるのに、カレリアの力を使いたい、ということだ。
わずかな支援で、あまり歓迎できない隣国の内乱に手を出し、疲弊するのはカレリアのみ。
そして、その隙に思わくば漁夫の利を貪りたいのだろう。
あまりに見え透いた申し出に、エリアスは唇を噛みしめる。
けれど曲がりなりにも宗主国の言葉を無碍に断る訳にはいかない。

「それでは、検討しておこう。エリアス、タイスト殿がお帰りだ」

結局兵を出すか出さないかは、保留となった。
けれどそう長く考える暇はないだろう。
タイストは案内するために傍に寄ったエリアスに視線を移し、顔を歪める。

「ふん、お前がカレリアの赤い悪魔、か」
「………」

馴染んだ呼び名に、エリアスはそっと目を伏せる。
眼鏡をかけ大人しげな容貌のエリアスを、タイストは上から下まで眺めると、鼻で笑った。

「名前負けだな。カレリアの人間は偽りを広めるのも得意と見える」
「………恐れ入ります」

エリアスはあくまで従者として頭を下げる。
そこに後ろにいたミカが声をかけた。

「私の従者が何か?」
「ふん。カレリアの人間はどいつもこいつも生意気な顔をしているな」
「申し訳ない。辺境の田舎者ゆえ、都会人を見ると緊張して顔が強張るのであろう」
「ふん!」

タイストはミカを憎々しげに睨みつけ、足音荒く部屋から出ていった。
ミカが革張りの椅子に深く腰かけ、エリアスに笑いかける。

「よく切りかからなかったな」
「しませんよ、そんなこと!」
「5、6年前のお前ならやってただろう」
「や、やりませんよ。多分」

ぼそぼそと声を小さくする従者に、主はまた一つ笑う。
けれどその後すぐに顔を改めて、小さくため息をついた。

「さて、クリスチーネスタッドか、どうするかね」

出来ればあまり手を出したくないところだが、確かにクリスチーネスタッドはカレリアにとっても主要な地になる。
反乱が成功することが吉と出るか凶と出るか、いまだ読めない。

「しかし、まずは、内政をどうにかしたいですけどね。マーリスの動きが最近活発です」
「そっちも頭の痛いところだな」

内憂外患。
戦乱が続き情勢が動き続ける世界は、落ち着く暇がない。

「はあ、まったく。王様ってのは楽させてもらえないもんだ」
「早く陛下が楽が出来る国を作り上げましょう」

エリアスは半ば本気で、告げる。
するとミカもにやりと力強く笑った。

「そうだな。さっさと国を落ちつけて、アレクシスに王座を譲って、俺は隠居で酒池肉林だ!現役の間に100人切りぐらいはしないとな!」

エリアスは王の言葉に深く頷く。
100人切りなんてもうしているでしょう、という言葉は飲み込んだ。



***




「エリアス」
「ネストリ、どうかされましたか」

廊下を歩いていると、同僚であるネストリが呼びとめる。
滅多に見ないほどに美しい金髪と青い目。
女性でも敵わないほどの繊細な美貌は、出会ったころから全く変わらない。
影で<ノイタ>、魔物と呼ばれるのも仕方ない、とエリアスは思っている。
決して口には出さないが。

「アルノを見かけませんでしたか」
「いえ。私は見かけていませんが」
「そうですか」

頭もよく力もあり建国に尽力した功労者の一人だ。
中央にいる頃からの王の友人でもある。
けれど、その有能さは、気まぐれな性格によって打ち消されることが多々ある。
むしろその有能さによって引き起こされる様々な気まぐれは、国を混乱に陥れることがある。

「何かご用事ですか」
「ああ、少し予算を組んでもらいたいことがありまして」
「………変なことには使わないでくださいね」
「ははは」

ネストリは穏やかに笑って、そのまま去っていく。
その背中に、嫌な予感がして仕方がない。

「ヴァルト、ネストリの動向には気をつけておいてくれ」

隣にいる部下に、短く告げる。
ヴァルトは暗い顔で、頷いた。

「………は、はい」
「………すまない」
「いえ、誰かがやらなければいけない、ことです」

こんなことに人員を割いてはいられないのだが、放置しておくのも恐ろしすぎる。
国に致命的な損害を与えることはしないが、致命的ではない損害を与えることはある。

「これぞ内憂外患、だな」

そしてエリアスは小さくため息をついた。



***




「エリアスエリアスー!お酒、飲もう!」

部屋にいきなり飛び込んできた異世界の女性は、すでに酔っているようで顔が赤くなっていた。
朝に酒を控えると言ったばかりだった気がするが、いつものことなので小さくため息をつくにとどめる。

「セツコ、私は、今日はまだ仕事が………」
「仕事終わりー!はい、終わりー!」

興奮した様子で、グラスを二つ取り出し机に置く。
困ってどうしようかと視線を彷徨わせると、セツコは一つ頷く。

「でも、仕事大事。大事ね。エリアス大変。エリアス、仕事してて、いい。私、飲む。そこいて。どーせ、私は*****」

にーと、という響きの言葉の意味は分からないが、とりあえず仕事することは許された。
エリアスは苦笑しながら、机に乗った書類に目を通す。
その間にも目の前の女性の愚痴は延々と続いている。
最初は戸惑ったものだが、真剣な返事は期待していないようなので適当に相槌を打つ。
多少うるさくて鬱陶しいが、仕方ない。

「今日も、悪魔、嫌い。嫌。あいつ、本当に嫌い!」
「まあ、ネストリは、はい………」
「ミカも馬鹿!酒、やめる、言ってる。邪魔する!」
「その酒は陛下からですか………」

適当な相槌にも全くめげず、酔っ払いは愚痴を言ったりいきなり笑いだしたり。

「あはははは!あははは!*********、でもね、私、楽しー!」

酒がいい感じに回ってきたのか、母国語も混じり始める。
けれど最近ではこちらの言葉に母国語が混じるという感じで、こちらの言葉に馴染み始めたようだ。
以前は酔うと完全に母国語で話していた。

「…………*****、なんで、私ばっかり、***********」

そしていきなり泣きはじめたりもする。
ここまで感情をあらわに酔ってみっともなく泣きわめいて笑う女性というのが近くにいなかったので、エリアスにとっては新鮮だ。
正直、なんだか珍種の動物のようにも感じる。

「エリアス、だいすきー!」

だから、こんなことを言われても苦笑をしてしまうだけだ。
そんなこんなで仕事がようやく片付く頃。
静かになったと思ったら、長椅子に横になりセツコは寝息を立てていた。

「………また寝てしまったんですか」

色気とかは一切感じない、だらしのない寝相。
涎すら出ていて、酒臭い。
時折これに嘔吐が入ることがある。
けれどその無防備な姿に、ついつい苦笑してしまう。

「本当に、あなたは飽きないですね」

異世界でもたくましくまっすぐ生きる姿に、つい微笑ましくなってしまう。
きっと王やネストリもそうなのだろう。
こちらの世界のしがらみがないこともあるのだろうけど、あの二人があんなに心を揺するのも珍しい。

「さて、じゃあ、部屋に戻りますか」

そして今日もエリアスは、とっぷりと夜が更けた頃に、セツコを自室に送ることで一日を終える。



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