「あ、そうだ。ねえ宮守、11月辺りの土日でさ、旅行行かない?」 「ええ!?」 昼の弁当を食べた後の一時、いきなり岡野がそんなことを言った。 女の子、旅行、泊まり。 そんなキーワードが頭の中をぐるぐる回る。 岡野の吊り上がった目が、呆れたように更に吊りあがる。 そういう顔をすると、岡野は本気で怖い。 「何赤くなってんの。あんた何想像してるの」 「え、いや、え、だって」 「ばーか、チヅとチエと藤吉と一緒にだよ」 「あ、そっか、そうだよな、うん」 そりゃそうだ。 でもいきなり旅行だなんて言われたら驚くだろう。 ただ驚いただけだ。 そういうことだ。 「宮守君、彩と二人で行きたかったの?」 槇がニコニコといちご牛乳を飲みながら聞いてくる。 落ち着くために飲もうとしたウーロン茶を吹き出しそうになる。 「ち、違!違うから!そんな訳ない!」 「は?すっごい失礼じゃね?何、私と二人じゃ行きたくないの?」 「違う!そういう訳じゃなくて」 「じゃあ、彩と二人で行きたいんだー」 「なんでだよ!」 そこで佐藤まで入ってくる。 咄嗟に言い返すが、今度はまた岡野が宮守のくせに生意気とか言ってくる。 じゃあ、どうしろと。 「宮守モテモテー。羨ましいなあ」 「助けろよ、藤吉!」 「いいじゃん、幸せじゃん」 藤吉は少し離れたところで、ひらひらと手を振っている。 ちくしょう、友達がいのない奴だ。 「で、どう?行かない?」 ひとしきり文句をつけられた後に、岡野は再度聞いてきた。 考える前もなく、答えていた。 「い、行きたい!」 友達と、旅行。 そのワードだけで、なんか心臓が痛くなってくるぐらい、嬉しい。 誘われたのなんて初めてだし、そもそも一緒に旅行行くぐらい仲がいい友達なんて初めてだ。 「あ、本当?どこ行こうか」 「海!海行きたい!」 「11月に?」 思わず何も考えずに出てしまった希望に、岡野が冷静につっこみを入れる。 確かにそうだ。 11月に海を行って、何があると言われれば、何もない。 何を馬鹿を言ってるんだ、俺は。 せっかく誘ってもらったのに。 「あ、そうだよな。………うん」 「別に、行きたいなら海でもいいけど」 「あ、ううん。別にどこでもいい」 皆といけるなら、どこでもいい。 皆と一緒なら、きっとどこでも楽しい。 旅行なんて、初めてだ。 「………あ、けど、駄目だ」 つい浮かれて頷いてしまったけど、なんで自分が旅行に行ったことないかを忘れていた。 普段は忘れることはないんだけど、すごくすごく嬉しくて調子のって行きたいとか言ってしまった。 「どうして?何か予定がある?」 槇がちょっと哀しそうな顔をして聞いてくる。 ああ、本当に一緒に行きたいって、思ってくれてるのかな。 嬉しいな。 槇って、本当に優しいよな。 「………ごめん。俺、いつでも誰か家の人間が来れるところじゃないと、いっちゃいけないんだ」 「へ、なんで?」 佐藤が不思議そうに聞いてくる。 佐藤はうちの事情、全然知らないんだよな。 なんて言ったらいいかな。 「えーっと、俺、なんていうか、持病があって、何かあったらまずいから、家族がいないと、遠出出来ないんだ」 「えー、宮守全然元気じゃん。体育とかもしてるし」 「うん、えっと」 岡野と槇は、ちらりと顔を見合わせる。 なんとなく、事情を察してくれたみたいだ。 さりげなく佐藤の追及を断ってくれる。 「そうかあ、残念だなあ。宮守君と一緒に遊びに行きたいんだけどな」 「日帰りでも駄目?」 「遠出が駄目なんだ。本当にごめん」 俺なんか誘ってくれてるのに、断るのなんて本当に悪いな。 いいな、旅行。 皆で旅行。 行きたいな。 「じゃあ、お前の兄弟誰か誘えば?」 「え?」 「誰かいれば、いいんだろ?」 諦めモードになったところで、藤吉が提案してきた。 思いもよらない発言に、思わず間抜けな声が出てしまう。 「あ、それいい!宮守の兄弟だったら誰が来てもいいよ!」 「うん、賑やかになるし、いいね」 「むしろ、三人とも連れて来いって感じだね」 女子三人が、途端色めき立つ。 なんだろう、さっき俺を誘った時より楽しそうだ。 分かってるけど、なんだろうこのもやもやとした気分。 ちくしょう。 「………」 でも、そっか。 誰か付いてきてくれたら、俺も旅行、いけるのか。 「な、誘ってみれば?」 藤吉が、もう一度促してくる。 その優しい笑顔に、後押しされた気がする。 藤吉の笑い方は、好きだ。 「う、うん」 だから俺は、思い切って頷いた。 「………どうしよう」 皆の前では誘ってみると言ってはみたものの、そんな図々しいこと、中々言えない。 あの時は意気揚々としてテンション上がって出来るって気になったけど、帰ってきてちょっと冷静になると、難しい。 一兄も双兄も天も、みんな忙しい。 誰に頼むのも、気がひける。 ただでさえ俺は役立たずのみそっかすなのに、休日を潰して一緒に遊びに行ってくれ、なんて言いづらい。 みんな、たまの休日ぐらい、友達とかと過ごしたいよな。 知らない奴らと旅行なんて、つまんないよな。 そもそももう予定入ってるかもしれないし。 「やっぱり、駄目かな」 でも、旅行、行ったことない。 旅行なんて行く家庭じゃないし、修学旅行とかも全部欠席。 誰かとわいわい旅行するとか、すごい、楽しいんだろうな。 それに、友達に誘われるなんて、初めてのことだ。 行きたい。な。 でも、我儘だよな。 ただの、甘えだ。 みんな忙しいのに。 でも、やっぱり、行きたい。 岡野や槇や佐藤や藤吉と一緒に旅行、行きたい。 「………」 駄目で、元々だ。 断られたら、それまでだし。 聞くだけなら、いいよな。 ものすごい暇で、旅行とか行きたいかも、しれないし。 なさそうだなあ。 いや、うん、聞くだけ、聞こう。 もしかしたら、本当にもしかしたら気が向くかもしれないし。 そうだ、なにせ女子高生だし。 となると、やっぱり、 「あの、あのさ、双兄」 「ん、何だ?」 二日後、ようやく双兄を捕まえられた。 学校から帰ってきたと思ったらもう出かけるらしい。 お洒落をして、きっと女の子なんだろうな。 夜も朝も昼もいないから、捕まえるのは本当に大変だ。 「あ、あのさ」 「だからなんだよ」 双兄だったら、女子高生と旅行って行ったら、付いてきてくれないだろうか。 遊び好きだし。 三人の中では一番可能性が高い気がした。 「その」 でも、なんて言おう。 旅行、行かない、とか。 それで、いいかな。 「10秒以内に言え、10、9」 「あ、えっと!」 「以下省略、0」 「ええ!?早!」 ピシっとデコピンを食らわせられる。 そしてにやりと笑った双兄は軽やかに玄関から出て行ってしまった。 「はい、時間切れー。終了ー。じゃあ俺はこれからデートですからー」 残されたのは、双兄の大人っぽい香水の匂い。 俺は、その場にへたり込んだ。 「………うう」 次、双兄に会えるのは、いつだろう。 「一兄、お帰り」 「ああ、ただいま、三薙」 そして更にその二日後、今度はなんとか一兄を捕まえることが出来た。 土曜日だっていうのにびしっとスーツを着て、仕事に行ってきたのだろう。 管理者としてではなく、おそらく副業の方だ。 男らしい端正な顔に、色濃く疲労が滲んでいる。 「お疲れ様。………大丈夫、顔色悪いよ?」 「ああ、会社の方でトラブルが起こって、ようやく解放されたところだ」 「そっか。じゃあ、早く休んだ方がいいね」 「どうした、何か用事があるんじゃないのか?」 疲れてる一兄をこれ以上付き合わせるのは忍びなくて、早々に立ち去ろうとすると、大きな頼もしい手が頭に載せられる。 深くて綺麗な黒い目が、優しく俺に向けられている。 「………えっと」 「うん、なんだ?」 一兄は俺の言葉を、辛抱強く待っていてくれる。 すごいすごい疲れてるだろうに、そんな様子を見せたりしない。 強くて優しい、一兄。 管理者としての仕事も、副業の方も、すっごい忙しいだろうに。 「………一兄、忙しいよな」 「お前の話を聞く時間ぐらい、いくらだってあるぞ」 「………ありがと、一兄」 やっぱり、一兄に無理は言えない。 休日には、休んでほしい。 疲れてるんだろうから、息抜きしたり、ゆっくりしてほしい。 俺の我儘なんて、聞いてもらう訳にはいかない。 「えっと、また今度でいいや」 「いいのか?」 「うん、ごめん、お休み。ゆっくり休んで」 「ああ、ありがとう。お休み」 一兄はくしゃくしゃと俺の頭を撫でて、にっこりと笑った。 俺も笑って、部屋から出る。 「………はあ」 部屋を出てから、つい、ため息が漏れてしまった。 「四天、ちょっといいか?」 「どうぞ」 四天は、さすがに仕事がなければ結構すぐ捕まる。 部屋を訪ねると、勉強をしていた。 でも、これは本当に最終手段だ。 いつも文句ばっかり言ってるのに、こんな時だけ頼みごとするって、本当に図々しいよな。 でも背に腹は代えられない。 「あの、さ」 「何?」 「お前、その、旅行とか、行ったりしたいなーとか思ったりしない?」 「特に思わない」 もし行きたいって言ったら、じゃあ一緒に行かないかって話にもっていけたのに。 弟はあっさりとぶった切る。 空気読めよ、馬鹿。 駄目だ、ここでくじけたらおしまいだ。 俺は愛想笑いを浮かべて、なるべく穏やかに続ける。 「ほら、休日とか、遠出したいなー、とか」 「仕事で遠出よくするから」 「仕事抜きで出かけたいとか思わないか?」 「栞といるなら別にどこでもいいし」 「………そっか、そうだよな」 そういえば、こいつ彼女持ちだしな。 そうだよな、忙しいんだし、休日には彼女といたいよな。 無理矢理誘って時間奪うのは、栞ちゃんにも申し訳ない。 二人で、いたいよな。 「うん、彼女と過ごすのが、一番だよな」 「兄さんも彼女でも作れば?」 「作れるもんなら作ってる!」 俺だって彼女がいたらそりゃもうどんだけいいことか。 一緒に出かけたり、遊んだり、ご飯食べたり。 あ、想像してたら涙が出そうだ。 四天が軽く肩をすくめて笑う。 「どうしてできないのかね」 「うるさい!お前みたいなのと一緒にするな!」 「失礼だな」 「少しくらい背が高くて顔がいいからっていばるな!」 「いばってないけど。何、褒めてくれてるの?」 「褒めてない!」 ああ、むかつくむかつくむかつく。 ちょっとばっかり俺より背が高くて彼女がいるからって偉そうに。 「もういい!」 「何しに来たの?」 「うるさい!」 感情のままに、弟の部屋から出て行く。 どうしてあいつは何もかもがムカつくんだろう。 そして部屋に帰ってきてから、なんで四天の部屋にいったのかを思い出す。 「………何やってるんだろ、俺」 ああ、なんか、ものすごいへこむ。 結局、何も進まないまま一週間経ってしまった。 今日は珍しく、朝食に兄弟四人が全員揃った。 父さんと母さんは、所用で出かけているけど。 「そうだ、三薙」 「何?」 味噌汁を啜っていると、一兄が箸を置いて話しかけてくる。 今日もワイシャツが似合ってて、かっこいい。 「今はちょっと忙しくて無理だが」 「うん?」 「11月になったら休日には管理地を見て回ろうと思う。お前も勉強のために付いてくるといい」 「………あ」 11月。 旅行。 でも、どうせ、行けないしな。 三人を付き合わせるなんて、無理だ。 やっぱり、申し訳ない。 「どうした、何かあるのか?」 「………あ、ううん」 「そうか。宮守の者として、管理地を知っておくことは大事なことだ」 「………はい」 旅行、行きたかったな。 でも、俺の我儘だし。 しょうがない、よな。 また、いつか、機会があるよな。 うん。 学校で藤吉に言おう。 残念がってくれるかな。 せっかく、誘ってくれたのにな。 また、誘ってくれるかな。 皆が行ったら、写真とか、見せてもらおう。 「ぶは!ぶははははは!」 そこでいきなり、盛大な笑い声が食卓に響いた。 びっくりしてご飯を吹きそうになる。 「なっさけねえ顔!」 「な、何、双兄?」 「お前、いい年こいて泣いてんじゃねーよ!」 「な、泣いてない!」 泣いてないはずだ。 慌てて目尻に手をやると、それが更につぼにはいったのか双兄が腹を抱えて笑う。 「うちの三男坊は、ほんっと、へたれなあ!」 「いきなりなんだよ!」 そんな情けない顔してないはずだぞ。 泣いてないし。 なんか笑わせるようなことしたか、俺。 「三薙、本当にいいのか?」 「え」 今度は向かいの一兄が、そんなことを聞いてきた。 一兄も、どこか面白がるような意地の悪い笑い方をしている。 「11月から12月にかけては管理地を見て回る予定で、休日は空けてある。まあ、一週ぐらい余裕はあるだろう」 「え、え」 俺のテンパる様子を見て、双兄が笑っている。 一兄が、黒い厳しく優しい目で、俺をじっと見ている。 「ほら、何か言いたいことはないのか?」 「え、え、え!?」 何が、言いたいんだろう。 まさか、いや、でも。 「藤吉君が連絡をくれた。三薙から何か頼みごとがあるはずだってな」 「あ、あいつ!!!」 そういえば、この前の一件で二人は連絡先を交換していた。 何を勝手にやってるんだ、あいつ。 顔が熱くなってくる。 そんな、我儘で、一兄たちを振り回す訳にはいかない。 「そんな、嘘だから!いいから!」 「お前は俺に付いてきてほしくなかったか?」 「違う!」 一兄が付いてきてくれるなら、どんなに嬉しいだろう。 でも一兄は忙しくて、ゆっくり休む暇もなく働いてるのに俺の我儘に付き合わせる訳にはいかない。 「で、でも、一兄はいいよ!」 「なんだ、俺より双馬の方がいいか?四天か?」 「一兄がいい!」 誰がいいと言われたら、一兄がいいに決まってる。 咄嗟に正直に答えてしまうと、双兄が隣から蹴ってくる。 「なんだと、おい、俺様をふるとはいい度胸だな」 「ち、ちが!」 「じゃあ、兄貴よりも俺を選ぶな」 「え」 「おい」 「えっと、でも」 「お前な、そこはお世辞にも少しは迷えよ!」 「だって!」 「だってじゃねえよ!」 不機嫌そうに、更に何度も蹴ってくる双兄。 ああ、もう、行儀悪いな。 でも一兄か双兄か選べと言われたら、そりゃ一兄を選んでしまう。 そんなの仕方ないだろう。 けれど次兄は納得いかないようで、自分の向かいに座って黙々と我関せずで飯を食っていた末弟に話しを振る。 「四天、お前もなんか言ってやれ」 「何を」 「俺より兄さんを選ぶのね!ひどい!傷ついた!って感じで」 「俺より兄さんを選ぶのね。ひどい。傷ついた」 末弟は面倒くさそうに言われた通りに繰り返した。 双兄はそんな天の態度に、鼻白む。 「お前は本当につまらない奴だな!」 「ごめんね」 向かいに座る四天を蹴ったようだが、それでも弟は動じない。 それが気に入らなかったのか何度も蹴っていたら、反撃されていた。 机の下で、静かな攻防戦が広がっている。 「やめろ、二人とも」 「はい」 「はーい」 長兄の言葉に、二人の短い戦いは終わりを告げる。 それから一兄は、楽しそうに俺の顔を覗き込んでくる。 「三薙、今回は皆付いていけるよう、予定を調整しよう」 「え、本当に!?」 「たまにはいいだろう。お前は旅行とか行ってないしな」 嬉しくて嬉しくて、胸がふつふつと熱くなってくる。 これ、夢かな。 でも、さっき双兄に蹴られた時、痛かった。 じゃあ、夢じゃないのかな。 「いいの!?本当にいいの!?」 「ああ、お前の友達は、部外者がついてきて鬱陶しいかもしれないけどな」 「た、多分平気!皆で行けるの!?」 皆は、俺の兄弟なら大歓迎だと言っていた。 多分女子たちは本当に歓迎してくれるだろう。 「ああ。まあ、火急の仕事が入らない限りな。でも誰か一人は必ずいけるようにしよう」 「う、うん!」 一兄と、双兄と、四天と、藤吉と、岡野と、槇と、佐藤。 皆で、旅行だ。 皆で。 「まーた泣きそうになってやんの」 「な、泣いてない!」 「嬉しいか、三男坊?」 からかうような双兄の言葉に、本当に涙が出てきそうになる。 ああ、本当に俺、なんでこんな涙腺緩いんだろう。 でも、駄目だ。 「………嬉しい」 本当に、嬉しい。 どうしよう、嬉しい。 「じゃあ、藤吉君に言っておいてくれ」 一兄の言葉に、全力で頷く。 ああ、早く学校に行きたい。 皆に、このことを告げたい。 「うん!」 「いつ、どこにいくか決まったら、宿泊先なんかは融通できるかもしれないから相談しろ」 「分かった!ありがとう、ありがとう!ありがとう、一兄!」 「礼なら、友達に言うんだな」 「うん!」 ああ、学校に行ったらまず、藤吉に礼を言おう。 藤吉が一兄に言ってくれなかったら、俺は絶対頼むことは出来なかっただろう。 それから。 そうだ、それから、日にちを設定して、行く場所を決めて、泊まるところとか決めて。 後、旅行の準備って何をするんだろう。 色々調べなきゃな。 それで決まったら、カレンダーに大きな丸をつけよう。 皆で一緒の、旅行の日に。 |