「い、って」
「いってえな!てめえ、前見てあるけコラ!」
「す、すいません!」

でも前を見ないで走ってたのはそっちだろ、なんて言えない。
ぶつかる直前に見えたのは、校内でその名が知れ渡っている、有名な人物だった。
とても喧嘩を売りたい相手ではない。

「すいませんで済んだら警察いらねえんだよ!分かってんのか、あ!?」

完全にやくざの言い分だ。
しかしここは平謝りで許してもらうしかないだろう。
目の前に飛び散っていた星が、一つ一つ消えていく。
頭を押さえて緩く頭を振って、眼鏡を直す。
あれ、眼鏡がない。
どこかへ飛んでしまったのだろうか。

「ほんと、すいません………」

しかしなんとか、目を開けて目の前の人に頭を下げる。
どういうことだろう。
眼鏡がないのに、なんだか視界がいつになくクリアだ。
目の前の自分の顔の、睫の一本一本までくっきりと見える。
相変わらず面白みのない、ザ・十人並みの造作。
悪くはないと思うのだが、いかんせん地味すぎる。
もう少し華やかな顔立ちだったなら、俺の人生少しは変わっただろうか。

「て、あれ」

目の前、鏡だったっけ。
てことは、俺は鏡に話しかけていたのか。
そういうことなのか。

「いやいやいやいやいや」

目の前の俺は、何度も何度も目を瞬かせて俺を見ている。
俺も同じようにマジマジと自分の顔を見る。
ていうかなんで自分の顔が見えるんだ。
目の前の人間は、間違いなくこの17年間付き合ってきた、冴えない容貌だ。
でも鏡じゃなくて、俺の上に乗ってる無駄に高い背の体もちゃんと重量があり、触れている肌は体温がある。
ていうか、俺だ。
目の前にいるのは、俺だ。

「え、え………え!?」

俺は、というか目の前の俺っぽい何かは目を細めていきなり襟首を掴んでくる。
そして思いっきり揺さぶられた。

「おい、てめえ!なんでお前、俺の顔してんだよ!」
「し、知りません!ていうかあんたが俺の顔してるんじゃないですか!」
「ああ!?てめえ俺にいちゃもんつけてんのかよ!」
「いえ、すいません!」

その後、なんとか話を出来る状態になるまで、かれこれ10分はかかった。



***




人気のない教室の中で、俺達はとりあえず現状把握を終える。
俺の姿をした人は、ふっとため息をついて肩をすくめる。

「つまりアレだな。漫画とかでよくある中身が入れ替わっちゃったってあれか」
「………信じられないんですが、そうみたいですね」

先ほどトイレで確認したところ、俺は、俺でなく、先ほど俺がぶつかった人間の姿になっていた。
なんかもう自分でも何を言ってるんだかよく分からない。
お互い触ったりつねったり鏡を変えたりで何度も確認したりしたが、夢でもなく、これが特殊メイクでもなんでもないことも分かった。
そもそも体格からして違う。
いくら技術が進んでも背丈までは変えられるはずがない。
いや、なんかのドッキリとかそういうものじゃないのかな。

「ゆ、め、かな」

ドッキリならいい。
夢でもいい。
夢なら覚めてくれ、頼む。

「さっき散々確認しただろうが。いい加減面倒くせえ奴だな。現実見ろよ、トロくせえな」

隣の俺は、俺の財布から金を出したコーヒーを啜りながら吐き捨てるように言い放つ。
分かってる。
分かってるが認めたくないだけだ。

「………そんな簡単に、認められないです。なんでこんなことに………」

歩いていたら目の前から走ってきた人にぶつかって、気が付いたら人格が変わってました。
余りにもベタだ。
ベタすぎる。
いっそ笑ってしまうほど、ベタだ。
今時、物語でもないぐらいベタだ。

「………俺の体」
「なんだ、てめえ。俺の体が不満か!」
「いえ、そうではなく!」

ビビって思わず頭を抱えて縮こまる。
俺でかいから、怖い。
俺のくせに。
俺って、こんな怖い表情も出来たんだな。
なんか俺とは思えない迫力がある。

「てめえみてえな平々凡々な奴が俺の体使えるだけでもありがたいと思え!」
「え、は、はい!」
「ったく、俺はこんなイケてない顔かよ。ま、背が高いのはいいけどな」
「す、すいません」

そりゃまあ、確かにこの体に比べれば俺の体なんて月とすっぽん、ダイアモンドと石炭だ。
自分で言っててへこむ。

「ていうかそもそもお前誰」
「………同じクラスの関口です」
「え、お前俺と同じクラスなの?」
「………はい」

いや、いいんだ、俺なんて存在感全然ないし。
うん、気にしてないからいい。

「関口歩って言います」
「名前までインパクトねえなあ」
「………すいません」

どうせ何もかもが平凡ですよ。
俺の方が普通なんだよ、お前の方が異端なんだよ。
なんてことは絶対言えない。

「あ、俺は藍沢凛」
「はい。知ってます」
「まあ、俺のことを知ってんのは当然か。俺はお前のこと知らねえけどな」

そう言ってゲラゲラと笑う藍沢は、確かに俺なのに全く俺っぽくない。
中身が違うと、こうも印象は違うものなのか。

「はあ」

藍沢は、学校内でもかなりな有名人だ。
下手な女の子より全然綺麗な整った顔立ちは、まず出会う人全ての目を引く。
なおかつ文武両道に秀で、家も結構裕福な家庭らしい。
その時点で有名人になるのはもう決定事項だ。
しかしそれ以上に、その外見にそぐわないある意味男らしすぎる振る舞いで、更に注目を集めていた。
近寄ってきた女の子たちをうざいといって泣かす。
からかってきた男子を徹底的に叩きのめす。
女の子はとっかえひっかえで遊ぶ。
夜も外で派手に飛び回っているらしい。
目立たない、平凡、十人並みが枕詞につく俺としては、絶対に近づきたくない人物だった。
ていうか近づけもしない人物だった。

「俺の顔でそんなうざってえ顔してんじゃねえよ!」
「す、すいません!」
「ほら、行くぞ」
「え、ど、どこに?」

藍沢がすたすたと歩き出してしまう。
俺は慌ててその自信に満ちた背中を追う。
ていうか俺の背中なんだけど。

「家に決まってんだろうが!」
「え、い、家!?」
「このままでいられないだろうが。さっさと親に説明するぞ」
「え、え、え!?」
「なんだ、はっきり言え!」
「す、すいません!む、無理ですよ!」
「何が!」
「し、信じてもらえませんよ、こんなの!」
「やってみえねと分からねえだろうが!」
「すいません!」

条件反射に謝ってしまう。
仕方なく、藍沢の後を追いかけていくけれど、胸の中は不安でいっぱいだった。
こんなの絶対、おふざけだと思われておしまいだ。
そうしたら俺はどうしただりいのだろう。
今日はどこで寝るんだろう。

先のことを考えると、目の前が真っ暗になる勢いだった。



***




「………あんなにあっさり信じるなんて」
「当たり前だろ。俺がてめえみてえな女々しい態度とる訳ねえ。どっからどうみても別人」
「………俺の親まで」
「はっは、私の息子はこんなに男らしくないとか言ってたしな」

藍沢がげらげらと下品に大声をあげて笑う。
確かに、俺はこんな笑い方はしない。

「………だからってこんな非常識な」
「うっせーな!結果がよかったんだから愚痴愚痴言うな!」
「は、はい!」

確かに父と母がすぐに俺が俺じゃないと気付いてくれたのは、嬉しかった気がする。
まあ、その理由が、大声で笑って乱雑な態度を取る藍沢に、歩はこんな男らしい態度は取れない!と確信したからだそうだが。
藍沢の両親も同じようなものだ。
おどおどと話す俺を見て、凛がこんなに殊勝な態度を取るはずがない!となった訳だ。
お互い、息子をよく見ている親でよかったのかもしれない。
それにしても順応性ありすぎだ。
パニックになってるのは俺一人ってどういうことだ。
お前ら皆、絶対おかしい。
普通なのは絶対俺だ。

「ま、とりあえずはしばらく共同生活するんだから、あんまり愚図な態度取るなよ。殴り倒すからな」
「あんたの体ですよ!」
「そういやそうだったな。じゃあ、この体殴るか」
「あんたが痛いでしょう!」
「………ち、面倒くせえな」

よかった。
とりあえず殴られないようでよかった。
ていうかなんで俺同学年に敬語なんて使ってるんだろう。
でもなんか藍沢に対してはタメ語なんて使えない。
不思議だ。
なんだろうこの絶対的威圧感。
俺なのに。

「いいか、俺の体大事に使えよ」
「………藍沢君も、お願いしますね」
「ま、適当にな」
「ちょっとお!?」
「うるせえ!」
「はい!」

ああ、こんなで共同生活なんて出来るのだろうか。
離れていたら元に戻るチャンスもないかもしれないということで、藍沢の家で一旦同居することになった。
なぜ藍沢の家なのかというのは、藍沢の家が金持ちで部屋が広いからだ。

とりあえず今まで体験したこともないふかふかの布団に横になりながら、それでも俺は中々睡魔が訪れなかった。



****




そして入れ替わり二日目にして、この状況。

「おい、藍沢。てめえ、この前俺の女ヤリ捨てしたらしいじゃねえか」

俺の人生に今まで関わりのなかった金髪ピアスのヤンチャしている感じの兄ちゃんたち三人が俺を取り囲んでいる。
くそ、いい気になりやがって。
頭悪そうな外見してるくせに。
お前らなんて、将来ロクなことにならないんだからな。
最後に勝つのは真面目な奴なんだからな。
なんて、絶対口では言えないけれど。

「ひ、人違いです!」
「何言ってんだ、このオカマ野郎!女見てえなツラしてレズかてめえ!」

藍沢は一体どこで何やってんだ。
ていうか噂通りそんなヤリまくってるのか。
羨ましい。
いや違う。

「あー、えっと、謝ります!謝りますから!」
「いつもの態度はどこにいったんだよ、お前」

せっかく謝っているのに、頭の悪そうな奴らは俺の襟首を掴んでくる。
こんな状態になるのは、人生初めてだ。
無視される、陰口を叩かれるなんていう軽いイジメに遭ったことはあるが、人に本気で殴られたことなんてない。

「え、いや、でも、ぼ、暴力反対!」
「ふざけてんのかよ!」
「ふざけてないです!」

ふざけてなんかない。
暴力反対。
ガンジー万歳。
憲法第9条マーべラス。
殴られるなんて絶対御免だ。

「てめえ、何してんだ!」
「あ、藍沢君………」

そしてそこにやってきたのは、購買に行っていた藍沢だ。
到着早々、俺に絡んでいた馬鹿から俺を庇うように引き離してくれる。
高い背も相まって、惚れ惚れするほど頼もしい。
その頼もしさに、ほっとして、情けなくも涙が出てきてしまう。
俺なんだけど。
外見は俺なんだけど。

「てめえ、俺の体に何してくれてんだよ!」
「え、お、俺の体………!?」

藍沢の言葉に、不良どもが顔を真っ青にさせて俺と藍沢を交互に見る。
その態度で、今の台詞がどんだけまずいかに思い至る。

「あ、藍沢君、その言い回しは色々まずい!」
「うるせえ!てめえも大人しくやられてんじゃねえよ!男なら殴り倒せ!」
「す、すいません!」

だって殴ったら拳が痛いし。
殴り返されたら色々痛いし。
痛いの嫌いだし。

「なんだよ、てめえ。誰だよ!」
「部外者はひっこんでろよ」
「ヒーロー気取りかよ!」

三人の金髪の兄ちゃん達が、俺の体を取り囲んで小突く。
まあ、そうだよな。
藍沢を庇おうとして俺が来るって、意味が分からないよな。
そもそも俺の存在なんて、こいつらに知られてないだろうし。
俺目立たないし。
混乱するよな。

「うるせえ!」

しかしファシズム藍沢は人間に与えられた言葉というものを活用することはせず、原始的な手段で物事を解決させるに至った。
つまり何かを言わせる前に、三人を殴り倒した。
反応出来ない三人が我に返る前に、それはそれは手際よくボコ殴りにした。

「ひっ」

思わず悲鳴をあげてしまう。
殴られるのも嫌いだが、殴られているのを見るのも嫌いだ。
なんで殴ったりできるんだ。
猿なんじゃないか、こいつ。
人間は話しあいで解決できる生き物なんだぞ。
この野蛮人。

「おい行くぞ」
「は、はい!」

なんてことは絶対に言えない。
三人が動けなくなるのを見届けてから、その場を立ち去る。

「ああ、手の皮剥けたじゃねえか!やわすぎ!視界も悪いし!この体使いづれえ!この愚図!」
「すいません!」

運動神経は悪くはないと思うが、喧嘩なんてしたことないし、特別に運動なんてしていない。
常に動きまわっていた藍沢の体に比べれば、そりゃ確かに使いづらいだろう。
俺はこの体になってからとっても快適なのだが。
眼鏡もいらないし、体は軽いし、何より見た目が綺麗だからなんとなく気分がいい。
まあ、元の体が一番なんだけど。
藍沢はなおもぶつぶつと言い募る。

「ったく、仮にも俺の姿してんだから、あんな奴らに謝ったり負けたりしてんじゃねえよ」
「す、すいません………。お、俺、喧嘩とかしたことなくて………」
「どこまで愚図なんだよ、お前は!」
「ご、ごめん!」

お前みたいな野蛮人と一緒にするな。
俺は平和を愛する現代人なんだ。
なんてことはやっぱり言えない。

「………」

藍沢が俺を見下ろして黙りこむ。
俺の心の声が聞こえたのか、なんて馬鹿なことを考える。
いや、体が入れ替わるって時点ですでにこれ以上ないほどに馬鹿馬鹿しいんだけど。

「あ、藍沢君?」

何かまた怒らせたのかと思ってもう一度機嫌を取るように聞くと、藍沢は俺の顎を持ち上げた。
そして眼鏡越しの目で、俺をじっと見る。
ていうかどこから見ても俺でしかないのに、俺っぽくないのはなぜだ。

「やっぱ俺、かわいいな」
「は?」

藍沢の言った言葉が理解できなくて、俺は首を傾げる。
と同時に、何かが口に触れた。

「ん!?」

一瞬で離れて行ったそれは、わずかな温もりを唇に残していた。
すぐ目の前には、自分の唇を舐め取りにやりと笑う、俺の顔。

「あ、藍沢!?」
「いやあ、俺の美貌はよく分かってたんだけどさ。やっぱこうして見るとしみじみ美形だわ、俺。好みだわ」
「な、何言ってんすか、あんた」
「俺が女だったら絶対犯して孕ますわとか思ってたんだけど、もう男でもいい気がするな」
「へ、変態!」
「ああ!?」
「す、すいません!」

変態だー!
変態だー!
変態だー!

「んー!」

なんて思っていると、いきなり抱き寄せられて、もう一度口をふさがれた。
何がなんだか分からずじたばた暴れても、俺の体のくせにびくともしない。
ちくしょう俺のくせに。

「ぅん!?」

舌!
舌!
舌入ってる!
さすがに耐えられなくて、渾身の力で目の前の体を押しのける。
藍沢の体は力強くて、なんとか俺の体を払いのけることが出来た。
さすが藍沢の体。

「ぷはっ!な、な、な、や、やめてくださいっ」
「お前童貞なの?」
「ど」

何言ってんだ、こいつは。
童貞だよ。
童貞で悪いか。
てめえみてえなケダモノと一緒にするな。
高二で童貞なんて普通なんだからな。
多分。

「これくらいで赤くなるなよ」

藍沢がにやにやと俺を見下ろす。
へたれな俺の顔のくせに心の底から憎たらしい。
口を腕で乱暴に拭って、さっきの気色悪い感触を忘れようとする。
ちくしょう、ファーストキスが俺なんて。
ていうか藍沢は絶対ファーストじゃないけど、これはファーストキスになるのか。
嫌、体で言えば、俺のファーストキスは藍沢になるのか。
もう意味が分からない。

「な、な、なんで、なんで、こんな」
「泣くなよ」
「泣きますよ!そもそも、これあんたの体ですよ!?ていうか男だし!自分の体に欲情するんですか!?」
「してんだから仕方ねえよな」
「へ、変態!」
「うるせえ!」
「ひっ」

怒鳴られて自然に体が竦んで縮みあがる。
頭を抱えて自分をかばった俺を見て、藍沢が納得したように一つ頷く。

「ああ」
「な、なんですか?」

藍沢がにやっと笑って、俺の顔をもう一度持ち上げる。

「あれだな。俺の外見プラスお前のそのきょどった態度だ。そんな風に涙目で見上げられたりおどおどされると、イジメ倒して泣かせたくなるっていうか」
「へ、変態!」

サディストでホモでナルシストって三重苦にもほどがある。
まさに変態のデパートメント。

「とりあえず男も、自分に押し倒されるのも、俺は御免だああ!」

俺は渾身の力で藍沢を殴り倒し、その場から逃げ出した。
後ろでは藍沢の大声で笑う声が聞こえる。

こんな生活もう嫌だ。



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