「先輩、自分好きな男が出来ました!」 サークル棟の片隅の部屋に駆けこむと、相変わらず人のいない室内では先輩が一人で難しそうな本を読んでいた。 私が飛び込んできたことに、面倒くさそうに目を細める。 「フォーリンラブっすフォーリンラブ!胸がキュンでドキュンで脳内お花畑です!」 先輩が分厚い本をパタンと閉めて、小さくため息をつく。 痩せぎすで黒髪ロングで眼鏡と言う萌え要素満載の先輩は、恋愛シュミレーションならクールお姉さんポジションのツンデレといったところだ。 女性向け恋愛シュミレーションなら主人公の頼れる女親友。 「で、どんな男なんだ」 「もうやべー、マジやべー、石田○ボイスで外見うさぎド○ップのダイキチなんすよ!もうハアハアっす!」 「それマジでお前の好みドンピシャな」 「はい!親父マンセー!自分、これからリア充の仲間入りします!デートでお洒落なカフェでスイーツで自分へのご褒美です!」 「じゃあ、家の薄い本も漫画もゲームも全部捨てろよ」 クールに言われて、一瞬想像する。 自分のこれまで生きてきた軌跡の全てを捨てる。 それは想像しただけで、身を引き裂かれる苦痛だった。 「………っ、俺には、できません!」 「リア充は無理だな」 しかしここで諦める訳にはいかない。 いつもクールな先輩に食いついて、私は当初の目的を思い出す。 「そんなことじゃないんっすよ、先輩!自分恋愛初心者であるからして、ヲタの分際で彼氏持ちの先輩にご教示いただきたく!」 先輩は美人だからか高校の頃から彼氏は切らしたことがないらしい。 ヲタの彼氏もいれば、一般人の彼氏もいる。 そのリア充ぷりをいつも妬ましく思っていたものだ。 しかし今はそのリア充ぷりが大変に頼もしい。 他の友達は私と似たりよったりのコミュニケーション能力だ。 「何?デートの場所とか?」 「いえ、どうやって出会えますか!」 「は?」 「学食で見かけただけなんで、知り合いでもないんです」 「………ストーカーじゃねえか」 まだつけ狙ってないから規制法案でひっかかるほどではない。 ていうか仲良くなればストーカーでもなんでもない。 「あれっすかね、やっぱ角で走ってパン咥えるとか!」 「リアルにやったら奢ってやる」 「自然な出会いってどうするんっすか!幼馴染以外と付き合うにはどうしたらいいんっすか!野球やろうぜとか言った方がいいですか!芦ノ湖の端で第九でも歌ったらいいんすか!」 デジタルな世界では老若男女を食い荒らす私だが、出会いがなければどうにもできない。 そういえば出会いから始まるゲームはそうはなかった気がする。 出会ってからが勝負だった。 「ていうかお前知り合って何話すんだよ」 「………えーと」 「一般人と何話すの?」 言われて、脳細胞をフル稼働させて会話を考える。 会話なんて、いつも話してることでいいじゃないか。 この前知り合った人と、私は何を話したっけ。 「………夏は何日目に参加ですか、とか」 「馬鹿野郎、一般人にとって夏のゆりかもめは東京国際展示場じゃなくてお台場合衆国と東京湾花火大会のためにあるんだよ」 「………マ○カカップリングは何ですか、とか」 「魔法少女なんざク○ーミーマミとプ○キュア知ってれば十分だ。つーかカップリング話なんてヲタでも荒れんだからやめとけ、コミュ障」 私の精一杯の軽い会話は、先輩に一蹴される。 困難だらけで、半泣きでその細い腕にしがみつく。 「じゃあ、どうすればいいんっすか!リア充の会話なんてクラブでイベントとかバーベキューとかカラオケとかしか思い浮かびませんよ!自分クラブなんて小学校の頃の絵本クラブで、イベントつったらオンリーイベントしか浮かびません!カラオケでアニソン以外って何歌えばいいんすか!会いたくて会いたくて言ってればいいっすか!?」 「じゃあ、諦めろ。一般人に迷惑かけんじゃねーよ」 「せっかく運命の人と出会ったと思ったのに!」 「それ盛大に勘違いな。二次元で我慢しとけよ」 私の涙に心を動かされる様子はなく、先輩は本に目を落とした。 「あ、隣空いてる?」 それでもなんとかストーキングを繰り返し、彼が出ている授業を探しだした。 若干犯罪臭いけれど、一途な恋には全てが許される。 先生にあてられたりばれたりしないように大部屋の授業で、一人座っていた彼の隣に座る。 「ああ、うん、空いてるよ」 彼は気軽に軽く笑って、わざわざノートを寄せてくれた。 ああ、腰に来る低音ボイス。 二十代には見えないおっさんくさい外見。 やっぱり好みにドンピシャだ。 たまらん。 濡れる。 「ありがと」 座りながら、静まらない心臓に、一回だけ深呼吸。 ああ、これが恋の痛みか。 二次元での恋人は数多くいるが、三次元でときめいたのはこれが初めてだ。 ようやくPCの起動音を三○ボイスから変更できる日が来たかもしれない。 「………」 さて、次の段階だ。 一応私は髪型と服だけはなんとか普通なつもりだ。 ジーンズにTシャツ、バックパックにひっつめという格好でうろついていた私を、姉がマジギレして全部服を捨てられ美容室と服屋に連れて行かれた。 あの時は父親に殴り飛ばされるぐらい暴れたが、初めて会った人にヲタクだとは思わなかったとよく言われるので、今では感謝している。 「やば、テキスト忘れちゃった。見せてもらってもいい?」 自然を装って、私は隣の彼に笑いかける。 「え、このクラステキストないけど?」 「………」 頭が真っ白になった。 「先輩、三次元ってどこにフラグスイッチあるんすか!」 「二次元に帰れ」 また泣きながらサークル部屋に入り込むと、先輩はクールに切り捨てた。 その腕にしがみつきながら、自己嫌悪で死にそうになる。 「最初からやり直したいっす!リセットしたいっす!」 「人生にセーブとロードはない」 「選択肢が見えないんす!正解の選択肢ってどれですか!?もう攻略wiki出来てますか!?」 「三次元に攻略本はねーんだよ」 「よく恋愛攻略マニュアルとかあるじゃないですか!」 「あれ読んでモテてる奴を連れてこい」 彼と会う前に色々と想定していた会話選択集は、予想外の出来事で全て吹っ飛んだ。 あの後、自分が何を会話したかも覚えてない。 二次元だったら選択肢を間違えたらすぐにセーブ&ロードなのに、それすらも許されないシビアな世界だ。 自分のテンパった行動が恥ずかしくて、死にたくなる。 「あー、もう先輩、チートコード教えてください!」 「地道にレベル1から経験値積んでこい。いつかは魔王も倒せるだろうよ」 「スライムってどこで倒せるんですか!?」 リアル恋愛初心者は、いまだ街の外に出ることすらできない。 「あ、この前の」 「ここここ、こ、こんにちは」 それは全くの偶然だった。 学食でメンチカツ定食を食べるため並んでいると、後ろにいたのが彼だった。 いきなり始まる強制イベント。 想定していた会話集はまたもや全く役に立たない。 まるで説明書なしで初期ファミコン時代のゲームを攻略しているようだ。 「この前は平気だった?気分悪いって言ってたけど」 「あ、へ、平気。ありがとう。ちょっとお腹痛くて」 テンパって何を言ってるんだ、自分。 ああ、やばい、これじゃ私は下痢女。 なんとかリア充女らしいアピールをしなければいけない。 「あ、えっと、えっと、気分悪くてさ。前日も飲み過ぎて、酒弱すぎワロタって感じだよね」 ワロタとか一般人つかわねーよ。 マジ死ねよ自分。 一般用語とヲタ用語の境目が分かりません! 内心泣きそうなほどに焦っている私の言葉はさらっとスルーして、彼が笑う。 「結構飲めるの?」 こんな私に話しかけてくれるなんて、あなたが神か。 もうマジ、ここで死んでも悔いはないっす。 「あ、う、うん。友達とよく飲みに行ったりするからさ。昨日もあの、学校の向かいのビルに新しい飲み屋入ったじゃん、あそこいったんだよね」 「ああ、出来たな。あそこどうだった?」 「えっと、かなりお洒落な感じでさ、カップルばかりで。私、友達と行ったんだけどマジリア充爆発しろって感じで」 また何言ってるんだよ、自分。 もう嫌だ。 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。 L5発症だぞ、この野郎。 金属バッド持ってこい。 誤魔化せ! 全力で誤魔化すんだ、私。 「え、えっと、あー、ごめん、名前なんだっけ?」 「ああ、俺、山辺っていうんだ。文学部。あんたは?」 「そうなんだ!私も文学部の住吉っていうんだ!」 よし、同じ文学部。 ていうか名前聞いちゃった名前聞いちゃった。 いやっほうう! 勝ったぞー、私は勝ったぞー! 「住吉、この前の授業って出てるの?」 「うん。また次会えるかな」 「うん、俺もとってるから」 嘘だけどね。 知ってたけどね。 「あ、ほら、順番来たぞ」 「うん、またね。この前は本当にありがとう!」 「先輩大変です、山辺君、マジコミュ力パネエ!長○なみっすよ!」 「○友のコミュ力なめんじゃねーよ」 ホントはがっつりメンチカツ定食を頼もうと思っていたので、うっかりスパゲッティなんて頼んじゃったぐらいドキドキした。 女子らしい選択っていったらそれしか浮かばなかった。 そしてこんな私にもあんなフレンドリーに接してくれる山辺君はおっさんくさい容姿のくせして最高だ。 「自分みたいなヲタ丸出しの痛い女でも普通に話してくれました!もうこれで十分です!自分、ここで旅を終えても悔いはないっす!もう、頑張らなくていいよね!」 「随分志低いな、おい」 だって、あれ以上何をすればいいのか分からない。 ていうかもう恥を掻きたくない。 この二つのイベントだけで、自分から好感度フラグを叩きつぶしまくっている気がする。 「でも、偶然でも会話出来るってことは十分イベントフラグたってんじゃね?」 「そうっすかね!そうっすかね!好感度あがってますかね!」 「いやそれはない」 ですよねー。 「ああ、もう!隠しパラメーターが見えるようになる裏ワザってないんすか!」 「ねーよ」 もしくは好感度が上下した時に、パラメーター音が鳴ってくれればいいのに。 一定以上に好感度があがったら顔を赤らめて欲しい。 下がった時に顔を顰められるのはリアルでも一緒だが。 「次のイベントまでには後どれくらいパラあげればいいんすか!」 「とりあえず普通の会話が出来るようになれ」 「東京都の人口とライバルの仲のいい人でも覚えてればいいんすかああ」 一般の人は、彼氏とどんな話をしているのか、教えてほしい。 「あ、山辺君」 「住吉」 先輩にも唆され、結局出てしまった授業。 山辺君は私を見ても顔をしかめたりはしなかった。 なんて人間が出来てるんだ。 本当に神だよ。 「隣平気?」 「うん、どうぞ」 なおかつにっこり笑って机を開けてくれる。 こいつ本当のダ○キチなんじゃねーの。 人間出来過ぎてる。 「あ、山辺!」 軽く話をしていると、山辺君を呼ぶ声が聞こえる。 そして私とは反対隣りの席にその声の持ち主が座る。 「望月」 山辺君が顔を上げて軽く笑う。 それは山辺君の友人と思わしき、やや小柄な男の人。 「やっべー、この前出られなくてさ、ノート貸して」 「しょうがねーなー」 口では毒づきながらも、苦笑して山辺君がノートを出す。 望月君と言われた人が、山辺君の隣に座っていた私に不思議そうに首を傾げる。 「あれ、知り合い?」 「ああ、うん。住吉さん」 紹介してくれる山辺君に、望月君は子供のように無邪気に笑った。 その笑顔はとても人好きのする爽やかななもので。 「へー、どーも、俺、望月」 「あ、ど、どーも」 私はドキドキと逸る胸の鼓動を抑えることが出来なかった。 「先輩、先輩、先輩!」 「なんだよ」 そして今日も泣きながらかけ込んだ部屋で、先輩が嫌そうに顔を顰める。 椅子に座る先輩の足元に跪いて、私は顔を覆う。 「自分もうダメっす!」 「おお、ふられたか」 なんだか嬉しそうに言う先輩の言葉を無視して先を続ける。 本当にショックだったのだ。 「今日、山辺君の友達の望月くんってのと会ったんですけど」 「うん」 ちらりと見上げるとは先輩は首を傾げている。 もう、自分は駄目だ。 「もう、駄目です」 「だから何が」 「望月君、これがまた小柄で目がぱっちりの小動物系で、山辺君の隣に並ぶとマジお似合いなんです!真正受け!総受け!総受けすぎてちょっとつまらないから逆に体格差攻でも楽しいかも!結構天然鬼畜ぽかったから山辺君受けでいいんじゃね!?そうなると、私は山辺君にストーカーする痛女で、物語中盤ですげー嫌な女として退場するんだな!つーか二人が幸せならそれでいいよ!私の妨害のおかげで二人は真実の愛に気づいてくんづほぐれづハアハアな展開バンザーイ!」 身長さといい、外見といい、二人の相性は完璧だった。 マジでツボにドストライクだった。 「まで一秒で考えました!そんで萌えました!私なんかよりずっとお似合いでした!」 「………お前もうほんと三次元から去れよ。二次元帰れよ」 「二次元への行き方をおしえてくださいー!!」 先輩が汚物を見るような目で見下してくる。 三次元でのBL萌えはいけないとは思っていても止められない。 ていうか自分の恋愛対象までそんな目で見る自分は芯の芯まで腐ってる。 「先生、俺はリアルな恋愛がしたいです!」 「まるで成長していない」 その言葉に、私は床につっぷした。 「三次元難しいっすーーーーー!!!」 |