「朝倉、なんだか随分綺麗な髪の色してるな」

廊下で通りすがり様、長い髪を一つに束ねた化粧気のない長身の女性に、くいっと髪を引っ張られる。
その前をかけぬけようとしていた私は、前につんのめった。
その衝撃だけじゃなく、触れられたことに、私の心臓がびくりと跳ねる。

「あ、えっと」
「つい先週まで、もっと黒かった気がしたけど?」
「あ、塩素焼けですかねえ。ほら、最近は水道の塩素もきつくなってるし。よくないですよね。人体に悪影響です」
「そうだな。地球の未来が心配だ。そしてお前の未来も心配だな。後で理科実験室来い」
「う、うう」

クールに言いながら、葛城先生は私の頭をはたいて去っていった。
友達の前で泣きそうな顔を作りながらも、私は内心ほっとしていた。
ちゃんと気付いてもらってよかった。
もっと明るくしようかと思ったのだが、勇気が出なくて黒に限りなく近い茶色になってしまったのだ。
気付いてもらいたくてやったのに、気付いてもらえないんじゃ意味がない。

葛城先生が、気付いてくれてよかった。



***




安っぽいプラスチックのベージュ色の扉の前で深呼吸を二回、三回。
四回目はちょっとやりすぎな気がして、思い切ってノックをした。

「朝倉です」
「入れ」

女性にしてやややハスキーな掠れた声が響く。
掠れてるのはアルコールと煙草のせいだと、いつか笑っていた。
私は先生のこの声を聞くたびに、いつだってドキドキしてしまう。

「はーい、失礼しますー」

声が震えないように注意して、ゆっくりと扉を開く。
中では白衣を纏った葛城先生が実験台に腰掛けて待っていた。

「お前なー、教頭にバレてたぞ。すっごい怒られたんだからな」
「あ、えーと」

本当に怒った様子はなく、呆れたように肩をすくめる。
迷惑をかけてしまったと思うと、心が痛む。
でも、これしか思い浮かばなかったのだ。
遅刻もサボりも、これ以上は使えない。
小心者の私は一回怒られてしまうと、ビビってしまう。
お嬢様ばかりのこの学校で、そんなことする人もいないし。
葛城先生は口ごもる私にふっとため息をつく。

「そういうのは夏休みだけにしておけ」
「………夏休みならいいんですか」
「校則ってのは分からないように破るから楽しいんだよ。掻い潜れ」
「教育者としてどうなんですか、それ」
「とりあえず教育者として見つけてしまったからには、ほら反省文な」
「う、うう」

渡された反省文の記入用紙は欄がとても多い。
渋々実験台の前の丸い椅子に座って、反省文に向かい合う。
もう三度目になるので、慣れたものだが、そろそろ素行不良でまずいかもしれない。
上の大学いくためには、内申点も大事だ。
幸い小さな違反ばかりでそこまででもないようだが、続くのはまずいだろう。
でも、そうしたら、これからどうしたらいいのだろうか。

「朝倉」
「は、はい!」

反省文を前にぼーっとしていると、行儀悪く実験台に腰かけた先生が見下ろしてくる。
そしてからかう様子もなく、クールに言ってくる。

「お前な、いくら私と一緒にいたいからって、こういう真似はするんじゃない」
「な、な、な、何言ってるんですか!」

図星を刺されて、顔が一気に熱くなってくる。
ば、ばれてるのだろうか。
いや、ばれてないはずだ。
ばれるような行動していただろうか。

「私の評判を下げるな。教頭から私が怒られるからやめろ」
「そっちですか!?」

あまりに教育者としてどうかと思う発言に噛みつくと、先生は私の顔を見て軽く笑う。
そういう人を馬鹿にしたような笑い方がとても似合う人だ。
からかうような言葉と、馬鹿にしたような笑い方、いつだってふざけたような態度。

「いつでもここに来ていいから」

ぽんっと、白く長い指を持つ手で頭を叩かれる。
からかうような言葉と、馬鹿にしたような笑い方、いつだってふざけたような態度。
けれどその後に向けられるこの優しさに、私はどうしようもなくドキドキしてしまうのだ。
頭に意識が集中して、耳まで熱くなる。

「………」
「お、照れてるな」
「照れてないです!」

ただ、嬉しいだけだ。
ここに先生に会いに来る口実を貰って、嬉しいのだ。
ああ、顔が本当にあっつい、体もあっつい。
もしかして、バレバレだろうか。

「………い、いいんですか、来ても」
「これ以上教頭に怒られるよりマシだ」
「………」

その答えは、ちょっとさびしくて哀しい。
まあ、仕方ないんだけど。
確かに今までのやり方だと、先生に迷惑かけるだけだ。
本当に馬鹿だな、私。

「不満そうだな。なんだ、どう言ってほしいんだ?お前に来てほしい?」
「そ、そんなこと言ってないじゃないですか!」
「はいはい」

図星を刺されて噛みつく私に、先生は宥めるように頭を叩く。
子供やペットにするような態度が少しムカついて、でもやっぱり嬉しくなってしまう。
私単純だなあ。
そして馬鹿だなあ。

「あんまり親御さんを心配させるようなことするな」
「………うちは放任なんで」

全寮制な学校だからすぐに会うこともないけど、あっても退学になりさえしなければ何も言わないだろうなあ。
あんなのんきでいいのだろうか。
私がグレたらどうするつもりだ。

「髪が痛むしな。せっかく綺麗な髪なんだから」

ふっと笑って、朝にやられたように髪がつんつんと引っ張られる。
高校に入ってから、髪を伸ばし始めて、手入れもきっちりしている。
中々に自慢の髪だ。
目の前の人の、自然な栗色の長く綺麗な髪には適わないけれど。

「………その」
「ん?」
「ご、ごめんなさい」

いくら先生に会いたかったからといって、三度目の反省文は、さすがにちょっとやりすぎた。
とても、申し訳ないことをしてしまった。
葛城先生は意地悪そうに、にやりって感じで笑う。

「まあ、反省文5枚で許してやろう」
「5枚!?」
「自業自得だ」

まあ、そうなんだけどさ。
ああ、もう謝罪の言葉も尽きてきた。
なんて書けばいいんだろう。

「似合ってるけどな」
「………っ」

反省文を前にうなだれると、先生が私の髪に軽くキスを落とした。
髪に感覚なんてないはずなのに、そこから熱が溢れだす。
こういう外人みたいな仕草が、嫌に様になる人だ。
ああ、もう心臓がバクバク言って、痛い。

「ほら、書け書け」
「わ、分かってますよ!」

固まった私に、先生がくすくす笑いながら促す。
どこまで分かってやってるのだろう。
からかっているのだろうか。
それとも別の意味があるのだろうか。

ああ、この人を振り回したつもりで、今日も振り回される。
今夜はまた、眠れそうになかった。






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