「では、敬愛する恩師の回復を祝って」
「我が国の財政の要の帰還に、我が国の末永き繁栄を祈って」
「あ、えっと、その………」

秘書官は主と魔術師の口上に続こうと、慌てて言葉を探す。
その不器用な様子に、老財務官は穏やかに微笑んだ。

「別にかまわない、エリアス。無理をするな」
「は、はい。では、アルノ、お帰りなさい」

尊敬する人間の帰還に、エリアスは素朴ながら心からの言葉で祝った。
アルノは、顔に刻んだ皺をさらに深くする。
そして、円卓を挟んだ4人は、軽く手にもった木のグラスを掲げた。

「乾杯」

そしてミカは青い果実酒を一気に煽る。
ネストリは静かに杯を傾け、エリアスはちびちびと舐め、アルノは静かに杯を置いた。

「なんだ、飲まないのかアルノ」
「まあ、嗜む程度には飲みますが、病み上がりの人間を焚きつけないでください」
「はは、そういえば病み上がりだったな」
「これはなんの会なんですか、陛下」

ミカの薄情な言葉に、アルノは大きなため息をついた。
ネストリはにこにこと笑いながら、いつのまにか空けた杯に酒を注ぐ。

「まあ、陛下はお酒を飲む理由が出来ればなんでもよろしいですから」
「そりゃそうだ。そういえばセツコはどうした。呼べばよかったのに」
「久々に泣いて頭が痛いと言って、寝てしまいましたよ」
「可哀そうに」

ミカは先ほど泣きわめいていた異世界の女の姿を思い浮かべ、眉を顰めた。
女が泣いている姿は胸が痛む。

「誰のせいだと思ってるんですか!」

そこでアルノが立ちあがって円卓を叩いた。
突然立ち上がった師に、ミカは不思議そうに眼を丸くした。

「なんだ、アルノ、興奮すると体に障るぞ」
「あなたたちは本当に、放っておくとくだらないことばかり、というかくだらないことしかしない!人が目を離した隙にとんでもないことをしでかして!」
「本当に術が成功するとは思わないじゃないか、なあ、エリアス」

説教をうるさそうに聞き流して、ミカは部下に話をふった。
急に話をふられたエリアスは、ちびちびと舐めていたグラスを取り落としそうになる。

「は、はい!!」
「エリアス、お前もなぜ止めなかった」
「す、すいません」

アルノに責められ、エリアスは肩を落として小さく謝る。
更に言葉を重ねようとすると、ネストリがそこに割って入った。

「まあ、アルノ、エリアスを責めないでください」
「あなたが言うな、ネストリ」
「エリアスだって悪気はなかったんですよ」
「…………」

全く悪びれない主とその悪友に、アルノは何かを言おうとして、諦めた。
肩を落として深い深いため息をつく。
この二人を止められる唯一の人間ではあるが、だからといって二人を反省させられる訳ではない。
逆に、何をいっても無駄だということも、思い知っている。
この性格で、ついには国を立ちあげてしまった二人だ。

「本当に、あの娘も可哀そうに…」
「娘っていうには少しトウが立ち過ぎだろう」
「31ですからねえ」
「………」

好き放題の王と魔術師の言葉に、エリアスは困ったように黙り込む。
アルノは頭痛を抑えるようにこめかみを押さえた。

「贅沢言えばもっと若い女がよかったな」
「さすがにそこまでは細かい調整ができませんでしたね。難しいんですよ、あれ。私だから女性を呼べたんです」
「ま、男じゃなかっただけよしとしよう」

カラカラとおおらかに笑うミカ。
アルノは、静かな声と静かな目で、どうしようもない国の要に告げる。

「あなたたちは、一度あの子に死んで詫びなさい」
「ははは、冗談だ」
「なんなら私があなたを殺してあの子に詫びます。弟子の不始末は師の責任です」
「アルノも冗談がきついな」

あくまでもおおらかに、ばんばんと隣に座る師の背中を叩く。
アルノは、もう何度目か分からないため息をついた。
ミカはさらにもう一杯一気に煽ると、異世界の女に再び想いを馳せた。

「まあ、でもセツコはかわいいからいい」
「かわいいですか?」

その言葉に、ネストリが興味を惹かれたように聞き返した。
ミカは酒により上気した顔で、興奮したようにうんうんと頷く。

「ああ、あのたどたどしいしゃべり方が何とも言えないな。ちょっと気が強いところとの差がたまらない。今度、着飾らせて連れ歩きたいな。今は化粧気がなくてちょっと物足りないが」

ミカの脳裏にセツコの姿が浮かぶ。
化粧気がなく、さすがに年齢が肌に表れているが、悪くはない。
決して美人ではないが、表情豊かに自分につっかかる姿は中々にかわいい。
元々気の強い女が好きだ。

『ミカなんて、嫌い』
『馬鹿、死んじゃえ!』
『黙ってて。うるさい』

下手くそな言葉で、上目遣いで文句をつけるのは、小動物のようでとてもかわいい。
もっともっとつついてからかいたくなってしまう。
そして酒を与えると、途端に顔を輝かす。

『お酒、大好き』
『お酒、ちょうだい?』

その全開の笑顔は、頬をふくらませて拗ねる姿と同じくらいかわいい。
貞操観念がしっかりしており、簡単に身を委ねないかたくなさもいい。
簡単になびく女も嫌いじゃないが、芯の強い女も嫌いじゃない。
王たる自分になびかない女は、少ない。
その気高さは賞賛に値する。
多少手が早いのも、照れ隠しだと思えば長所だ。

「はあ、なるほど」
「なんだ、ネストリ」
「いえ。陛下も妄そ、いえ、いい歳して夢見が、いえ、なんでもありません」
「ものすごいなんでもあるな。不敬罪で処罰するぞ、こら」
「いえ、まあ、早くセツコが言葉を覚えるといいですねえ」
「ああ、そうしたら楽しいだろうな」
「はい、とても楽しみです」

ミカは鷹揚に笑う。
ネストリはにっこりと笑って頷いた。
そして、隣でまだちびちびと一杯目を舐めているエリアスに話をふる。

「エリアスはどうなんですか」
「あ、わ、私も、環境の違い負けずに頑張っていらっしゃるセツコは偉いと思います」
「よく、からかわれていますが」
「あ、あれはやめてほしいですが、母性本能の強い方なんですね。弟みたいなんでしょうか、私は」

エリアスはよくセツコに抱きしめられ、よく頭を撫でられる。
その度に女性慣れしていないエリアスは逃げるが、セツコはやめてくれない。

『エリアス、かわいい』

正直26の男性にやることではないが、母性本能の強い女性として、年下の男が弟のように思えるのだろう。
自分を弟として扱って、少しでもこの世界での寂しさを忘れてくれると嬉しい。
少し、いや、盛大に照れくさいが。

「なんでセツコはお前ばっかりかわいがるんだろう。俺の方がかわいいじゃないか」
「え、そ、その」
「いい歳して張り合わないでください。みっともない」
「かわいい生徒を捕まえて、それはないだろうアルノ」

大人げなく部下に絡む王に、アルノが冷静につっこみを入れる。
ネストリは、小さく咳払いを繰り返していた。

「どうした、ネストリ」
「い、いえ、なんでもありません。ぶ」
「本当にお前は人の神経を逆なでるのがうまいな」
「ありがとうございます」

にっこりとほほ笑んで礼をいうネストリはいつものことなので、特に構わずミカは鼻を鳴らした。
そして、最後にネストリはアルノに水を向けた。

「アルノは、どういう印象を持ちましたか」
「印象といっても、私は彼女と今日初めて会ったからな。泣いている彼女しか知らない。とりあえず彼女が帰る日まで、付き合うことになるだろう。少しでも支えになってあげたいと思っている。生徒の不始末で、彼女には大変申し訳ないことをした」
「さすがアルノ。冷静すぎてつまりません」
「あなたを楽しませることができなくて嬉しいよ」

肩をすくめて、アルノは静かに杯を傾けた。
ネストリが楽しそうに頷いていると、今度は興味深げにミカが返す。

「そういうお前はどうなんだ」
「私ですか?」
「ああ、セツコの考えることがすべて分かるんだろう。どんなこと考えてるんだ?」
「あんまり話すと、私が彼女に殺されます」

それに、いづれ言葉を覚えた彼女から真相を聞かされる方が楽しそうですから。
という言葉は飲み込む。
ミカはつまらなそうに鼻を鳴らす。

「ち、つまらないな。そういえばお前も、珍しく楽しそうじゃないか」
「まあ、楽しいですね」

ネストリはにっこりと笑った。
人間なんて知りつくしている。
どの人間も、考えていることはほとんど一緒だ。
だから、ネストリはあまり人間に興味を持つことはない。

けれど、ネストリは楽しそうに笑った。

「これからもとても楽しみです」

そして男たちの夜は更けていく。





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