女歴20年。 彼氏いない歴2年。 学校にバイトにと忙しくて日々充実してはいるけれど、やっぱりそろそろ彼氏が欲しいお年頃。 疲れて帰ったところで、お疲れ、なんてメールが入ったらどんだけ癒されることか。 眠る前に大好きな人とおやすみ、なんて言ってぎゅっとしたら嫌なことなんて忘れちゃいそう。 ハグして欲しい、キスしたい。 どっかに私のダーリンは落ちてないのかしら。 ようやく機材を片付け終わった頃には、もう終電ギリギリ。 今日もどれくらい眠れるんだろう。 でもこれも勉強勉強。 憧れのカメラマンである先生に頭を下げて無理矢理バイトさせてもらってるのだ。 文句を言っては罰が当たる。 「はい、先生、バレンタインのチョコです」 慌てて帰る前に、鞄につっこんであったチョコを取り出す。 先生の分は少しだけ奮発して、有名なパティスエリーの大人っぽいトリュフ。 大人の男の人は、ひげをかき混ぜてにやりと笑う。 「おお、そういえばお前も女だったんだな」 「どっからどーみても女じゃないですか!分からないんですか、この溢れかえる女の魅力!先生の目はファインダー越しじゃないと節穴なんですね!」 「口が減らないなあ、お前は本当に」 苦笑しながらこつんと、額を小突かれる。 こういう仕草も周りの男たちにはないもので、ちょっぴりドキドキしてしまう。 先生はひょいと私の手からチョコを取りあげて、天井にかざすように持ち上げる。 「にしても、随分早くないか?」 「大学が休み入っちゃうんで、友達には今のうちに渡すんです。ついでです」 「ついでってお前な。なるほどな」 呆れたようにため息交じりに笑う。 先生の写真が大好きなのは勿論なんだけど、顔も好みにドンピシャなんだよね。 背が高くて筋肉がついてる、ひげがセクシーな大人の男の人。 表情も仕草もひとつひとつが大人っぽくて、ときめいてしまう。 「お返し、期待してますね!先生の写真集でいいですよ!」 でも、競争率高すぎて本気にはなれない。 よく鳴る携帯、変わる香水、女の影がいつだってちらついてる。 私は大勢の中の一人でいいなんて思えないし。 彼氏には私一筋でいて欲しいし、私も彼氏にめちゃめちゃのめり込みたい。 まあ、先生の方が私みたいなガキのことなんて完全範疇外だろう。 「そこで自分の写真集出してくれるのでいい、ぐらい言わないと」 「うあー、それは厳しい!」 「はは。んじゃ、明日は本命と頑張れよ」 「いないの知ってるくせにー!」 本命なんていたらちゃんとバレンタインにデートするっての。 まあ、その日もバイトが入ってるけど。 ああ、侘びしい青春模様。 「学校の奴らとかどうなんだ」 「うーんうーんうーん」 男友達はいない訳ではない。 何人か思い浮かべる男たちの顔に、私は真剣に考え込んでしまう。 その様子を見て先生は肩をすくめて、煙草を咥えた。 「ま、頑張れ」 「美紀、はいチョコ」 友人の里美かわいくラッピングされた箱を差し出してきてくれる。 リボンといい箱といい、どうやらお手製のようだ。 「あ、ありがと!うわ、もしかして手作り?」 「そそ、ケーキだよ、感謝して!」 「きゃー、マジ嬉しい!大事に食べる!ケーキ久しぶり!」 一人暮らしでバイトに追われてカツカツの身としてはケーキは余り食べない。 飲み会とかで費やしちゃうので、甘いものより酒なのだ。 「あれ、そっちは?」 ケーキが入っていた紙袋には、もうひとつどでかい箱が入っていた。 友人はにやりと嬉しそうに笑う。 「こっちは彼氏用」 「あからさまに大きさ違くない!?」 「当たり前でしょ。なんで彼氏とあんたを一緒にしなきゃいけないのよ」 「ひどいいいいい」 あまりにも正直すぎる言葉に、叫び声を上げる。 女の友情なんてなんて儚い。 まあ、私も里美用のチョコレートはネタに走って面白チョコ詰め合わせだけど。 里美とぎゃあぎゃあ騒いでると、同じ学科の須田がやってきた。 チョコ配給人と化した私は、すかさずチョコレートを出す。 「須田、はい、チョコだよ」 「あ、ありがと、大川」 須田は普通に、特に感動もなく受け取った。 なんだ、つまらない反応。 こいつは彼女持ちだしなー。 そんなもんだよな。 彼女にも悪いし、須田には一目で義理だと分かる質素なチョコレート。 くれくれ言うからあげたけど、他の女からチョコを欲しがるとは何事だ。 「お返しよろしく!」 「はいはい、がめついなあ」 「きっちり取り立てまっせー」 須田は、ぼったりくり商人だと言って、口を尖らせた。 なんの見返りもないなら彼女もちの男になんてあげるもんか。 「はい、松戸、チョコだよ」 そしていつもの昼休み。 仲のいい友人は、チョコを差し出すと、飲みかけていたコーヒーを持ったまま動きを止めた。 松戸は割と骨格がしっかりとした体育会系。 顔もいかつい感じで、柔道なんかをやってそうだ。 しかし本人はいたってインドア。 スポーツは見る方が好きだと言う筋金入りだ。 「何、どしたの?」 松戸が動きを止めたままなので、問いかけてみる。 するといきなり目の前の男はテーブルにつっぷした。 「よかった………。よかったああ!マジ、妹からしかもらえないかと思った。貰えてよかった…」 「そこまで!?」 そのまま感動で泣き出しそうなほど声を震わせて、松戸がうるうるした目で見上げてくる。 いい年した男のそんな姿は滑稽であり、哀れで切なくなってくる。 「だってさ、高校の頃ってクラスの女子が義理でもくれたけど、大学って本当に自分でなんとかするしかないじゃん!」 「サークルの子とかは?」 「他の奴らと一緒にばらまきだよ!マジで詰め合わせセットとかだよ!」 まあ、松戸の入ってるサークルは結構人数も多いし、そんなものなのかもしれない。 ここまで感激されるのは、悪い気分ではない。 私は偉そうに笑って、チョコレートを掲げて見せる。 「じゃあ、盛大に感謝してちょうだい」 「ありがとう、大川!ありがとう!仏様!女神さま!」 「もっと崇め奉って!」 「お美しい美紀様!心根優しい聖女様!」 わざとらしい賞賛の言葉に笑いながら、私はチョコレートを松戸の手に置いた。 松戸のチョコは須田よりも上で、先生よりも下。 でも、私が好きなメーカーで、味は保証付きだ。 「これから一か月は感謝してよー」 「勿論です!」 ははーと土下座せんばかりに頭を下げる。 私が笑っていると、松戸はゆっくり顔をあげた。 笑っているのかと思ったら、意外にも真面目な顔をしていた。 少しだけ面喰ってしまう。 「本当に、ありがとな、大川」 「うんうん。感謝するのはいいことね」 「あ、でさ、お礼なんだけどさ」 「ホワイトデーは期待してるからね!」 「あ、うん、ホワイトデーもするんだけどさ」 「うん?」 何が言いたいのか分からなくて、首を傾げる。 すると松戸がなんだか登山している人のように、酸素が足りなくなったのか何度も呼吸を繰り返す。 どうしたんだろう。 チョコが嬉しすぎて呼吸困難になってしまったのだろうか。 何度か深呼吸してから、松戸はゆっくりと話し始める。 「あ、その、もしよかったらさ」 「うん」 「その、なんていうか、一緒に、えいがとか………」 その時松戸の後ろから、もう一人の仲のいい友人の姿が見えた。 私は自然に、手を大きく振って存在をアピールする。 「あ、黒幡!」 「悪い、遅くなった」 黒幡は軽く謝りながら、松戸の隣に座る。 チョコ配給人の私は、勿論黒幡にもチョコを差し出す。 ちなみに中身は松戸を一緒だ。 「はい」 黒幡は相変わらず表情筋を働かせることを放棄したまま首を傾げる。 まあ、なんとなく感情は伝わってくるんだけどさ。 黒目がちな目といい、青白い肌といい、ガリガリの体といい、なんだか人形のようだ。 顔は悪くはないと思うが、髪も手入れしないし、服もなんかもっさりしてるし、地味で目立たない。 勿体ないとたまに思う。 「何?」 「チョコ」 「なんで?」 「バレンタインデー!」 「………ああ、なるほど」 思わず怒鳴りつけてしまうと、黒幡は一拍無感動に遅れて頷いた。 相変わらず変なところで、抜けている奴だ。 「何よ、いらないの!」 「いや、欲しい」 予想外に、黒幡は私の手からチョコレートを取った。 その台詞はなんとなく意外だった。 「欲しいとか思うんだ」 「普通にバレンタインにチョコレート貰ったら男として嬉しいだろ?」 「う、うーん」 こいつに男として、とか言われてもなんか違和感がある。 まあ、背も松戸よりも高いし、男にしか見えないっちゃ見えないのだが。 黒幡は小さく微かに笑う。 「嬉しい、ありがとう」 「私みたいに男らしい女からでも嬉しいんだー?」 真顔のストレートな言葉になんとなくくすぐったくなって、からかうように言ってやっても、黒幡はやっぱり表情筋を一つも動かさない。 「大川、女らしくて可愛いじゃん。ああ、でも確かにしっかりしててかっこよくはあるな」 そしてそんなことを私の目を見たまま言った。 「………」 顔が、じわじわと、熱くなってくる。 どうしてこいつはこういうことを言うんだろう。 いつか、可愛いと言われて上半身裸のまま抱きしめられた時のことを思い出す。 あの時は不覚にも、黒幡相手にドキドキしてしまった。 「何?」 黒幡は黙り込んでしまった私に、不思議そうに首を傾げる。 可愛いなんて言葉は、彼氏にも言われたことはない。 お前と一緒にいると楽だよな、とか美人だよなとか言われることはあるが、可愛いってのは、ない。 ああ、もう本当に勿体ない。 「なんで、本当にあんたゲイなの!ずるい!卑怯!」 「別にゲイじゃないけど。多分バイ」 「うるさい、非処女の非童貞!ああ、もったいない!」 周りにいる男共は、女にだらしなかったり、彼女がいたり、彼氏がいたり。 本当に私って男運ないのかも なんかへこんでくるなあ。 「大川?」 「お返しは手作りのフォンダンショコラでいい」 「俺、洋菓子って作ったことないんだけど」 「後一カ月あるから大丈夫!」 「………努力する」 腹立ち紛れに無茶ぶりをして、そっと気付かれないようにため息をつく。 まあ、仕方ないか。 しばらくはバイトと勉強が恋人だ。 「あ、そういや松戸、なんか言いかけてなかったっけ?」 「………いや、なんでもない」 「そう?」 松戸はなんだか暗い顔で、そう言った。 バイトと勉強が恋人で、毎日忙しくて充実している。 それでもやっぱり寂しくなるの。 ハグしてほしい、キスしたい。 だから早く迎えに来てね、私のダーリン。 |