「鷹矢!」

黒幡がいつもの仏頂面に喜色を浮かべて、長身の男の元へ駆け寄って行く。
どこか頼りなげにきょろきょろと辺りを見渡していた青年は、その声にこちらを見てほっと表情を緩める。

「守」

穏やかに笑う顔は確かに二つ上の有名人の先輩に似通っているものの、受ける印象は全く違う。
長身とやや線が細いものの整った目鼻立ち、育ちの良さを感じさせる物腰はまさしく御曹司って感じだ。
池先輩の方も育ちの良さを感じさせる片鱗は見せるものの、野性味が勝っていて御曹司というよりはインテリヤクザって感じだ。

「迷わなかったか?遠かっただろ?疲れてない?メシは?」
「………」
「学食があるけど、あんまうまくないんだ。ちょっと外に出れば美味しいところあるから行こうか?何が食べたい?」

そこまで来て鷹矢と呼ばれた青年は、深く深くため息をついた。

「待て。お前、過保護が本気で酷くなってないか?俺はいくつだ?お前のなんだ」

呆れ切った表情と声で、鷹矢君が諭すように言う。
まるでオカンのように世話を焼く黒幡だが、その黒幡を鷹矢君は弟のように扱っている。
鷹矢君は話に聞いたところ年下だったはずなのだが。

「鷹矢は俺の大好きな人」
「な………」

黒幡は鷹矢君の言葉に、はにかむように笑ってきっぱりと言った。
そして成人した男としてはあまりにあまりのストレートな言葉に、言われた方が言葉を失った。
そりゃそうだ。

「ぷ」

俺も反応に困っていると、隣で噴き出す声がした。
一緒に成り行きを見守っていたレディ無神経大川が大きな口をあけて笑いだす。

「あははは、すごーい、愛されてるね!黒幡がこんなラブラブ光線出してるの初めて見た!あはは、すごい」

何がすごいんだかよくわからないが大川はツボにはまったように笑い続けている。
きょとんとしている黒幡とは別に、鷹矢君は顔をさっと赤く染めて居住まいと正す。

「あ、えっと」

そしてちらりと黒幡を見ると、薄情な友人はそれでようやく友人達の存在を思い出したようだ。
黒幡がまず大川を、その後俺を手で示す。

「あ、鷹矢、こっちが友人の大川。こっちが松戸」
「よろしく鷹矢さん?」
「よろしく」

大川と俺が苦笑しながら挨拶をすると鷹矢君もぎこちなく頭を下げた。

「初めまして、池鷹矢です。年下ですからさんはいいですよ」
「えっとじゃあ、鷹矢君?」
「じゃあ、それで」

にっこりと笑う屈託のなさは、本当にお兄さんは全く違う。
なんとも人当たりのいい優しげな好青年だ。
隣の大川も同じことを思ったようだ。

「本当に池先輩に似てるけど、性格全然違いそー!性格よさそう!」
「あんな人と一緒しないで大川」

ぴしゃりとつっこんだのは黒幡。
仮にも恋人にどういう言い草なのだろう。
というか黒幡は鷹矢君好き過ぎだろう。
最近話すことは鷹矢君一色で、初めてあったような気がしない。

「本当にお前は鷹矢君が好きだなあ」
「でもでも黒幡、最近鷹矢君に夢中で私達放置だよねー。ひどい、黒幡!私達のことは遊びだったのね!私はこんなに黒幡のこと好きなのにー!」
「俺も大川と松戸のこと、大好きだよ」
「な」

時折とんでもなくストレートな黒幡がやっぱりはにかむように笑ってまっすぐに俺たちを見る。
思わず言葉を失う俺と違い、大川は嬉しそうに笑う。

「えへへー、ありがと!私も好き!じゃあねじゃあね、今度豚の角煮とプリン作ってほしいなー」
「はいはい」

どういう食い合わせだ、それは。
でも、照れくささを誤魔化すには、ここは乗っておいた方がいいだろう。
俺も好きーなんて、ノリでも言えるはずがない。

「俺はオムライス!」
「いいよ」

黒幡は無表情ながらに嬉しそうにしている。
基本的に人の世話を焼くのが好きなのだろう。
俺たちが料理を強請ると嬉しそうに作ってくれる。

「守、ちゃんと友達いたんだな」
「へ?」
「………いや」

鷹矢君がそんな俺たちのやりとりを見て、苦笑していた。
なんだか本当に黒幡のお兄さんのようだ。
池先輩といるときよりもよっぽど親密な空気が流れている。

「あ、鷹矢も何か食べたい?勿論鷹矢も大好きだから。鷹矢が食べたいのあったらなんでも…」
「だからそれはもういいから!」

斜め上過ぎることを言いだす黒幡を遮って、鷹矢君は顔を赤らめた。
池先輩といる時の黒幡はおかしいと思っていたが、鷹矢君と一緒にいるほうが挙動が不審になるかもしれない。
俺たちといるときはそうでもないのに。
そんなこんなで日常会話を交わしていると、後ろから通りのいい思わず聞き惚れるような声がかかった。

「おい、そこの変態」
「はい」

黒幡がなんの躊躇いもなく振り向く。

「………変態で振りむくなよ」

それは一体どういう自己認識なんだ。
いや、声で振り返ったのかもしれないけど。
そこにいるのは長身の鷹矢君や黒幡よりもさらに長身の野生的なオーラを放つ男性。

「あ、峰兄」

兄の出現に鷹矢君がなぜかわたわたと落ち着かないように視線を彷徨わせる。
池先輩はそんな弟を一瞥すると特に声をかけることなく近寄ってくる。
近寄られると威圧感があって、正直苦手だ。
傍にいるだけでなんだか息苦しい。

「セルリアンブルーとカーマイン9号。後フィルバード」
「豚の14号ですか?」
「ああ」
「メーカーは?」

池先輩は緊張する俺や興味津々で見ている大川とどことなくしょんぼりした鷹矢君を一切気にせず黒幡に話しかける。
端的で事務的な話は、甘さなんて全くない。

「今日は無理ですけど明日でいいですか?」
「いい。二日間出かける」
「忙しいですね。旅行ですか?」
「ああ、性欲持てあましたマダムのお伴だ。旦那に相手にされてねえ中年女は性欲強くて敵わない」
「お疲れ様です。お勤め頑張ってください」

本当にこいつらは恋人同士なのかと、本気で疑う時がある。
この年でパトロン持ちで有閑マダムのお相手をしているという非現実的な男もそうだが、それを平気で恋人に告げ、更にその恋人は全く顔色変えないというのも非現実的。

「あ、そうだ。この前高橋さんが家に来ました」
「あ?誰だその女」
「あんたが台所で裸エプロンした一年です。今は二年」

思わず噴き出しそうになる。
ああ、そういえば下の学年にそんな名前の女の子がいたような。
かなり可愛かった気がする。
あの子もこの人食ったのか。
羨ましい。
いや、女の敵。

「ああ、お前が珍しくキレた奴か」
「そりゃキレますよ。台所は汚された上に、育ててた鉄鍋台無しにされそうになったんですから」
「お前本当に変なところでネチネチ執念深いな」

目を細めてうんざりしたようにため息をつく。
俺なんかはそれだけでびくりとしてしまうが、黒幡は意に介さない。

「台所は主婦の聖域なんですよー。汚したら駄目ですー」

そこで横でじっと見ていた大川が茶々を入れる。
さすがレディ無神経、空気なんて読む気がない。
中々果敢なチャレンジャーだ。
池先輩は別に気を悪くした様子はなく、大川をちらりと見ると黒幡に視線を戻す。

「お前主婦なのか?」
「まあ、そんなもんですかね」
「ていうかお前ノリノリで自分で汚してたじゃねーか」

それが意味することが連想されて、複雑な気持ちになる。
この人達はどうしてこう、こういうことを。

「台所を汚すのも、裸エプロンも主婦の特権なんですよ。知らなかったんですか?」

黒幡が悪戯っぽく池先輩を見上げて言うと、対して先輩も楽しそうににやりと笑った。

「それは悪かったな。確かに俺に非がある」
「分かってくれればいいんです。高橋さんとより戻すなりきっぱり別れるなりしてくださいね」
「はいはい。新妻はうるさいな」

よりを戻してもいいのか、というつっこみはこの二人以外の心の中にあっただろう。
でもつっこむ暇がない。

「じゃ、土産は白レースエプロンだな」
「そういえばしたことなかったですね。裸エプロン」
「うわー、ベタベタ!卑猥ー!」

いや、つっこむ人間がいた。
レディ無神経、俺はお前を心から尊敬する。
ふと隣を見ると、鷹矢君が沈痛な面持ちで俯いていた。
仮にも実弟の前でする話なのだろうか。

「………鷹矢君、その………」
「………あ、いいんです………。俺とは違う星に住んでる人達だから」
「あ、うん………」

この子も苦労しているんだな。
散々見せつけられてきたのだろうか。

「そういやお前は松戸だっけ?」
「あ、へ、は、はい!」

なんとなく鷹矢君と無言で通じ合っていると先輩に急に話しかけられる。
慌てて顔をあげると、池先輩がにやりと笑った。

「こいつが世話になったな」
「い、いえ!そんな、とんでもない!」

随分前のことだが、確かに俺は黒幡を家に置いていた。
まあ、掃除とか洗濯とか食事とか全部やってもらってたから、世話されてたのはむしろ俺なんだが。
それにしてもこんなこと言われるとはびっくりだ。
やっぱり一応恋人なんだな。
曲がりなりにも。
多分。

「先輩、私は私!私だって世話したんですから!」
「いや、お前はむしろ黒幡に世話されて………」
「うるさい松戸」

挙手をする大川に思い切り蹴られる。
だからお前は力が強いんだからやめろ。

「あー、えっと、お前は」
「大川です!」

先輩は大川の元気な返事を聞いて、納得したように頷く。

「ああ、おっぱいが残念な大川」

空気が凍った。
そして凍りついた空気を打ち破ったのはやはりレディ無神経だった。

「おいこら、黒幡ああああ!」

今度は思い切り黒幡の襟口に掴みかかり、ゆさゆさと乱暴に揺さぶる。
黒幡は不思議そうに首を傾げている。

「え、あれ?」
「何言ってくれてんのよ!何言ってくれてるのよ!?」
「あれ?俺そんなこと言いましたっけ?」
「言ったな」

黒幡は不思議そうに目を丸くしているが、池先輩は同意する。
まあ、そんなこというのは黒幡だろうから確かに言ったのだろう。

「あのね!私は断じて残念おっぱいなんかじゃないんだからね!そりゃちょっとボリュームは乏しいけどね、その分形は中々のものなんだから!」

そしてまた何をいってるんだ、この女は。

「そりゃ是非見せてもらいたいもんだ」
「そうですよ!残念なんかじゃないんですから!」

そしてなぜここでそういう切り返しが出来るんですか先輩。
そしていい加減やめろ大川。

「駄目です。大川のおっぱいは先輩には絶対触らせません」

そこで大川を止めたのは元凶でもある黒幡。

「なんでだよ」
「もったいないからです」
「黒幡………」

感激したように顔を緩ませる大川。
いや、感激するところなのか、これは。
なんだこの世界は。
何かがおかしい。

「なんだお前が触りたいのか?」
「いえ、それはいいです。俺もうちょっとこう、ふわふわなおっぱいが………」
「おいこらてめえ」

そしてまた振り出しに戻った。
だからなんなんだこの世界は。

「………」

ふとまた隣を見ると、遠い目をした鷹矢君。
この学校がこんな変人ばかりだと思われても困る。
そしてなにより身内の醜態を見続けている鷹矢君が可哀そうだ。

「待ってくれ。みんな待ってくれ。ここは大学の構内だ。後鷹矢君が困ってるから本当にやめてくれ」

そういうとようやく皆発言をやめた。
というか黒幡と大川が黙ったので、先輩も自動的に止まった。
よかった。
池先輩がちらりと辺りを見渡す。

「そういや工藤とか言う奴は?」
「工藤ですか?今日は見かけてないです」
「ふーん」

どこか含むように笑う先輩。
工藤がいなくてよかった。
これ以上の混乱なんて、俺は見たくない。
男同士の修羅場なんて、もっと見たくない。
黒幡は分かってんだか分かってないんだか、先輩に聞く。

「工藤に興味があるんですか?」
「間男のツラを一回ぐらい眺めておこうかと思った」
「割とかっこよくて優しくていい奴ですよ。本当にいい奴です」
「セックスは?」
「優しくてうまかったです」

だからー。
お願いだからー。
もうやだ
家に帰りたい。
誰かこの異空間から俺を助けてくれ。

「今度、そいつ入れて3Pでもするか?」
「工藤と先輩とですか。その場合、どういうポジションになるんですかね」
「そりゃお前が上も下も咥えるんだろ」

あ、想像しそうになった。
するな。
したくない。
俺はそんなエグイ世界は知りたくない。

「あ、俺、先輩につっこんでいいですか!?」

そこで黒幡が飛び上がらんばかりに興奮して先輩に詰め寄る。
だからお前は何を言ってるんだ。

「だからそういうのはやめなさい!」

思わず後ろから頭をはたいた。
こいつは本当に池先輩さえ絡まなきゃ普通なのに、どうしてこうなるんだ。

「池先輩も頼むからやめてください!黒幡、お前も貞操観念とか性教育とかその辺を学び直せやり直せ!小学生からやりなおせ!」

勢いで言ってしまってからはっと池先輩を見る。
池先輩にじろりと睨まれて竦み上がるが、すぐに興味なさげに視線を逸らされた。
どうやら殴られたりはしないようだ。
よかった。
本当によかった。

「ありがとうございます、松戸さん………。俺より先に止めてくれるなんて」

鷹矢君が横で目を潤ませて俺を見ている。
ああ、この子も苦労してきたんだな。
分かる、分かるぞ、俺には君の苦労が分かる。

「いいんだ、いいんだよ、鷹矢君」
「いえ、俺、松戸さんに会えてよかったです」

可哀そうに、今までどんな目にあってきたんだ、鷹矢君は。
本当に一度黒幡は常識を学び直した方がいい。
当の本人は俺たちを見て、眉を潜めて複雑な顔をしていた。

「何変な顔してるの?」
「松戸と鷹矢が仲良くなるの嬉しいけど、なんか、寂しい。どっちに嫉妬したらいいのか分からない」
「かわいいー!」

大川がきゃらきゃら笑いながら黒幡の髪をくしゃくしゃにしていた。
ていうかこの場で一歩も動じないって、やっぱり大川は規格外だ。
そんなことをしていると、また後ろから声がかけられる。

「おい、そこの変態」
「はい」

そしてやっぱり振り返ったのは黒幡。

「だから変態で振り向くなって………」

今度は池先輩でもないぞ。
その証拠に、振り向いたものの黒幡は不思議そうに首を傾げている。

「どなたですか?」
「あんたに話しかけてないんだけど」

話しかけた方も率先して振り向いた男に怪訝そうな顔をしている。
細めの雰囲気イケメン風の男だ。
誰だろう。
どうやら上の学年のようだが。
でもどっかで見たことあるような。

「じゃあ、誰のことですか?」
「私変態じゃないよ!」
「お、俺だって!」

大川が主張するからつられて俺も主張した。
そんな俺たちに、突然現れた男はますます不愉快そうな顔をする。

「俺が言ってるのはそこのそいつだ!」

そしてヒステリックに、池先輩を指さした。
刺された方は飄々として、驚く様子もない。
黒幡が池先輩を見上げる。

「先輩変態なんですか?」
「お前が一番知ってるんじゃねーの」

その言葉に、視線を落として考え込む。

「サディズムという点では変態ですかね?」
「常識の範囲内だろ」
「先輩の口から常識って言葉が出るとすごく違和感です。でもまあ、ソフトSMレベルですし変態でもない気もします。鬼畜ですけど」
「むしろセックス中はお前に仕える忠実な下僕だろ、変態」
「軽いサディズムは変態ってあまり言われませんけど、マゾヒズムは軽くても変態って言われますよね。不公平です」
「お前のマゾヒズムが軽かったら世の中はサディストしかいなくなるな」

そしてまた異空間な会話が開始した。
話しかけてきた男はなんだか泣きそうに顔を歪めている。

「あ、あの、二人とも、この人が完全に置いてけぼりなんですけど」

なんだか気の毒で、思わず間に入ってしまった。
池先輩は一旦会話を打ち切ると、もう一度雰囲気イケメンを一瞥した。

「で、誰?」

男は、さっと羞恥と屈辱に顔が赤くなる。

「お、覚えてないのかよ!」
「悪いな」
「何度か話しただろ!お前、その度に人の絵のことめちゃくちゃに言いやがって!」
「いつの話だ?」
「………っ。もういいっ」

あまりに無碍な言葉に、男は今度は真っ青になって足早に去って行った。
これ以上言葉をかけることもできなかったらしい。
そしてその後ろ姿を見て、思い出した。
どっかで見たことあると思った。

「あ、あの人、この前の卒制展で優秀賞だった人ですよ」

最優秀賞は、池先輩の作品だった。
そういう因縁だったのか。
一方は全く存在すら覚えてなかったが。
と思ったが、先輩はあっさりと言った。

「知ってる」
「え、知ってたんですか!?」
「ああ」

酷い、酷い人だ。
あの人すごい哀しそうだったぞ。
顔色一つ変えずに存在をシカトしたぞ。

「………可哀そう」
「ね」

大川も思わず切なそうな声を出す。
そんな俺たちの戸惑いには気付かず、ていうか気にせず池先輩は黒幡の顎を掴む。

「じゃあな。いい子で待ってろよ」
「はい、精のつくもの作って待ってますね」

そして顔を持ちあげると、ちゅっと音を立ててキスをする。
目を逸らす暇もなかった。
まあ、そんな見るだけなら嫌悪感もないけれど。
けれど横には実弟がいるのに。

「………鷹矢君大丈夫?」
「慣れてますから………」

ああ、気の毒だなあ、鷹矢君。
俺もだけど。

「きゃー、ラブラブ!いいなー」

そしてお前はどこまで強いんだ大川。






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