勝手知ったる他人の家のキャビネットを開け、ウィスキー瓶を取り出し掲げて見せた。
少々奮発してロイヤルハウスホールド。
おっさんの酒だけどな。

「飲むか?」
「ああ」

落ち着いた色合いで纏められた応接室のソファに、守の同居人はどっかりと座り込む。
他人の家だというのに全く怯んだ様子はなく、我が物顔で頷いている。
おっさんと泣きじゃくっていた守は話があるってことで、池を連れて別室に移った。

「ロックでいいか?」
「なんでも」

目上の人間への礼儀もなっていない若者。
意気軒昂で結構なことだ。
敵は多いだろうが、個人的にはこういう奴は嫌いじゃない。
備え付けの戸棚を開けると、そこには冷蔵庫が隠されている。
アイスペールと氷を取り出し、手早くロックを作って二つのグラスの一つを差し出した。
どうも、と軽く礼を言って池は受け取った。
俺も向かい側に座って、改めて礼を言う。

「悪かったな。遠かっただろ」
「まあな。後であいつに請求する」

そんなことないなんて謙遜は一切せず、偉そうに頷く。
どうやら調査通りの人間らしい。
ちらりと足の先から頭のてっぺんまで視線を巡らせる。
俺と同じぐらいありそうな上背、男臭い海外の血でも入っていそうな彫の深い顔、動じない自信に溢れた態度。
しなやかな野生の獣のような印象。
人間を無暗に襲いもしないが、だからといって媚を売る訳ではない。
ただ下等な生物だと見下し、隙あらば食らいつく、そんな傲慢で飼いならされない獣。

「どうやら、守とはうまくやっているようだな」
「ベッドの上で一緒に運動するぐらいには仲いいぜ?」

馬鹿にしたように口の端で笑うと、奥から牙めいた犬歯が覗く。
これは、俺を挑発しているのかな。
まあ、俺としては同意の上だったら全く問題ない。

「それは、あんまりあのおっさんの前では言わんでくれ」
「なんだ、知らないのか?」
「いや、知ってるんだけどな。だからと言って受け止められる訳ではないだろ」
「あいつの保護者にしては随分な常識人だな」
「君と守が非常識すぎるだけだ」

軽く肩をすくめると、俺の反応があまり楽しくなかったのか池はふんと軽く鼻を鳴らした。
まあ、俺は気にしないが、あのおっさんは改めてショックを受けて後々にまで響いて鬱陶しいことになるだろう。
同性同士の肉体関係なんて、保護者にまでオープンにしないでほしい。
今時の子ってのはこういうもんなのか。

「君は、守の事情については、知っているのか?」
「事情?」
「なぜあのおっさんが保護者なのか、とか」

体の関係付きの深い仲ってことは、知っている。
けれど、守はこの男にどこまで心を許しているのだろう。
身辺に問題がないのは分かっていはいるが、後々のトラブルのもとになるような事態は避けたい。
この男に、どこまで守を任せていいのか、見極めは必要だ。
ちびちびとスコッチを舐めながら何気なく問うと、池は特にためらう様子も見せずにあっさりと答えた。

「なんかいじめだか虐待だか受けてたって話か?」
「知っているのか」

守が話したのだとしたら、それは随分心を開いているのだろう。
あの家族の話は、俺やおっさんですらあまり聞くことはない。
けれど池は自分で二杯目を注ぎながら、首を横に振った。

「あいつから聞いてはないな」
「誰から?」
「誰からも。体に陰険な感じの傷跡が残ってたからな」

マドラーでグラスをかき混ぜる音が、カラカラと響く。
池は軽く肩をすくめた。

「あのおっさんに引き取られてるってことは、親の虐待かなんかだろ?親は健在だって言ってたしな」
「………ああ」

確かに、体を見れば、悪意を持って付けられた傷だということは丸わかりだろう。
でも、だとしたら余計に気になるのではないだろうか。

「守に怪我の理由を聞かないのか?」
「興味がない」
「守にか?それとも守の過去に?」
「過去とやらに」
「今の守がいれば、それでいいってことか?過去を知ることが、守のためになるとは思わないのか?」

問い詰めるように立て続けに聞くと、面倒くさそうに池は眉を顰めた。
ソファの背もたれに背を預け、偉そうに踏ん反り変える。
そんな仕草が、嫌になるほど絵になる男だ。

「なんで俺があいつのためとか考えなきゃいけないんだよ」
「君は守の恋人なんじゃないのか?」
「笑わすなよ。あいつは俺の物なんだよ。俺の所有物。俺の奴隷」

ふん、と鼻で笑い飛ばして、犬歯を覗かせる。
所有物、奴隷、ね。
しかしその割に、池の守へ対する態度も言葉も、甘さが勝る気がする。
ただの照れ隠しなのか、子供なのか。
今度は俺が挑発するように馬鹿にして笑ってみる。

「そんな憎まれ口叩く割には割には随分優しいじゃないか。こんなところまで連れてきてやって」
「生憎俺は根が善良でね」
「そりゃ見かけによらないことで」

そう言うと、池はくっと喉の奥で笑った。

「あいつは優しくした方が堪えるだろ」
「え?」
「あいつは殴っても、より反抗的になるだけで堪えない。優しくした方が嫌がる」

背もたれに肘をつき、手に顔を載せる。
確かに守は、傷つけられることには、強い、というか鈍感な子だった。
高校でトラブルがあった時も、加害者に対してなんの感情も見せなかった。
守にとって、暴力などで傷つける人間というのは、その時点で敵以下のどうでもいい存在になり下がるのだ。

「………だから優しくしてるのか?」
「根は善良だけど、大部分は見た目通りなもので」
「随分器用なことだな」
「優しくすると泣いて嫌がるんだよ。やめてってな。コウスケさん以外に懐くのが嫌なんだろ。身持ちが堅くて結構なことだ」

守は確かに、おっさんとおっさんの身近な人間以外の人間を、ほとんとシャットダウンしていた。
友人はいたようだが、そこまで深く心を許すことはないようだった。
自分の時間のほとんどを、おっさんのために捧げていた。

「だからどろっどろに甘やかして優しくて、俺がいなきゃどうにもできないようにするんだよ。その方がこれから一緒にいるにせよ、捨てるにせよ、楽しいだろ?」

にやりと笑う池は、殴り倒したくなるほど憎たらしい面をしていた。
全くふてぶてしい、ケダモノだ。
俺も肩をすくめて笑う。

「………それもおっさんの前では言わんでくれ」

脱力して言うと、意外そうに目を丸くした。

「あんたはいいのか?」
「まあ、あいつも大人になったし、自分で自分の行動に責任がとれるだろ」

あいつが池を選んで、あいつの意志で池の傍にいる。
あいつはもう逃げられる、歯向かえる、状況に流されるしかない子供ではない。
もう振り回されることしか出来なかった、力のない子供ではない。

「それに、守はそんなに弱くない。逆に君を振り回すぐらいに強くて図太いさ」

俺やおっさんだって、振り回されっぱなしだ。
池なんて、振り回すつもりが振り回されるのがおちだ。
反論するかと思ったが、池はさも楽しそうに肩を震わせて笑っていた。

「違いないな」

それがとても愉快そうだったので、俺は苦笑してしまう。
どうやら心配することは、そんなになさそうだ。
いずれ別れるにしろそうでないにしろ、それなりにうまくやっているのだろう。

「まあ、今回みたいに脆いところもあるから、ほどほどに手加減してやってくれ」
「検討しておく」
「あいつに何かあったらおっさんが半狂乱になるからな」

それこそ何をするか分からない。
養い子に関することでは、途端に頭の血が上る。
現役の頃はあんなに冷徹とまで言われる奴だったのにな。

「それに、泣かしたら俺も殴りにいくから、奥歯の一本ぐらいは覚悟しとけ」
「そりゃ怖い」

全く怖く思ってなさそうなふてぶてしい態度で、皮肉げに笑う。
と、その時、胸ポケットに入っていた携帯が微かに揺れる。
相手は邸内にいるはずの、この家の主。

「どうした、おっさん?」

通話にすると同時に聞くと、おっさんの弾んだ声が響いた。



***




「ここで眠りこんじゃってね。悪いが部屋に運んでくれないだろうか。風邪をひいてしまう」

書斎に戻ると、おっさんの膝の上では守が気持ちよさそうに寝息を立てていた。
涙の跡が頬には幾筋も残るが、その顔は穏やかで気持ちよさそうだった。
守がこの家にいた時よく見た光景。
書斎で話しこんでいるうちに、養い子は養い親の膝でよく眠ってしまっていた。
そこがどこよりも安心できる場所なのだとするように。
おっさんは下がりまくった目尻と、緩んだ頬で、一応困ったと口にする。

「全く、ここで寝てしまう癖は変わらない。駄目だと言ってるのに」
「やに下がった顔で言っても説得力が全くないぜ?」

自分よりも大きくなった養い子でも、かわいくて仕方ないらしい。
にやにやにやにやと、以前の部下達が見たら嘆くこと請け合いなだらしのない顔でひたすらに守の顔を見ている。

「じゃあ、新堂君」

俺の言うことは綺麗にスルーして、促してくる。
はいはいと言って守の体を抱えようとする前に、その薄い体は宙に浮きあがった。

「よっと」

たくましい腕が、守の体を抱えあげる。
そういやさっきも肩に抱えあげていたし、どうやら筋肉は飾りじゃないらしい。

「悪いな、池君」

池は特に気にした様子をなく、軽く抱え直す。
おっさんがにこにこと笑いながら、座ったまま礼を言う。

「悪いね、うちの守が迷惑をかけて。後で君にもゆっくりお礼をしないとね」
「構わないさ、自分のものの始末は自分でつけるさ」

全くおっさんも大人げない。
娘を嫁に出す父親そのものの態度だ。

「ん、せ、んぱい?」

もう一度抱え直したはずみで目が覚めたのか、守がうっすらと目を開ける。
そして自分を抱き上げている人物を、寝ぼけた口調で問いかける。

「捕まってろ」
「はい」

池の簡潔な命令に、やっぱり寝ぼけた口調で返して、その腕を池の首に巻きつけた。
そして安心しきった様子で、体をもたれかけさせる。
どんな言葉よりも、その仕草が、守の池への信頼を表わしている気がした。

「重いだろう、やっぱり私が運ぶよ!」
「おい!」

おっさんがその様子を見て、椅子から急激に立ち上がるとする。
止めようとするが、一歩遅かった。

「たったたたたた」

自分がなんで足にギプスをはめているのか忘れていたらしいアホは、呻きながらもう一度座り直す。

「あほか、無理するな」
「新堂君、お客様に運ばせたら申し訳ないだろう。うちとは全く関係のない方なんだし」
「大人げねえな、おっさん」

守自身がよさそうなんだから認めてやれよ、なんて今言っても無駄なんだろうな。
池は池で、挑発するように、鼻で笑い飛ばす。
ていうか挑発してるんだな。

「ああ、俺が関係あるのはこいつだけだし、気にしなくていいぜ、コウスケさん」
「いやいや、泣きつかれて眠ってしまった原因は私だしね、君にそんな手間をかける訳にはいかないだろう」
「慣れてるから大丈夫だ。ベッドの上以外で運動して疲れて眠っちまうのはよくあることだからな」

ああ、だから慣れた様子なのか、と納得した。
しかし納得できない養い親の目が、細くなる。

「………新堂君、私の部屋にある木刀を持ってきてくれないか」
「何するつもりだ」
「いや、やっぱり養い親としては爛れた私生活は見過ごせない。教育をしなおさないといけないと思うんだ」
「やめとけ」
「日本刀を持ってこいとは言ってないだろう!」
「落ち着けおっさん!」

本当に守が絡むとどうしようもなく馬鹿になるなこのおっさんは。
自分の息子にだってここまで過保護じゃなかっただろう。

「あーもう、池君、さっさと行ってくれ。部屋を案内する。君の部屋も用意しよう」
「こいつと一緒で構わないぜ?」

その言葉で、またおっさんの頭に血が上る。
このままだと足の痛みを無視してでも日本刀を取りに行くまで時間はそうかからなさそうだ。
俺はさっさとドアの方に池を誘導する。

「君も病人をあんまり刺激しないでやってくれ」

小さな声で囁くと、池は守を抱えたまま鼻で笑った。





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