「この人でなし!」

そう言われたのは一度ではない。
確かに俺は、人が何を考えようと関係ない。
傷つこうが、泣きわめこうが、俺に得がないなら、どうでもいい。
他人なんて、俺に踏みにじられて、俺に利用されて、俺を賞賛するものだ。

それでもなあ、教えてくれよ。
俺は本当に人でなしか?



- 池 -




「じゃあ、次の個展はあの絵をメインでいくぞ」
「ああ」
「バランス的に、後一つぐらいあるといいんだけど、なんかないのか?」

ビジネスパートナーの鳴海典秀は、高校時代からの友人でもあるから遠慮はない。、
気安い口調で言われて、俺は自分の家にあった作品を思い浮かべる。
俺は多作な方だから、ストックはいつだっていくつかある。

「あー、そういやこの前作った塑像が」

あれなら、他の奴との兼ね合いもいいはずだ。
あれはどこやったっけかな。
思考を巡らせて、ふと思いだす。

「駄目だ、あれ、あいつにやったんだった」
「あいつ?」
「あの変態」

俺の作品に惚れこんでいる、変態。
先日なんか似合わない包み紙を持っていたので問い詰めたら、誕生日で友人からプレゼントをもらったとのことだった。
それでいつもの手間賃代わりに好きなのを選べと言ったら、それを持っていったんだった。
あいつの見る目だけは、本当に確かだ。

「お前、本当にあの子を可愛がってるんだな」

典秀がからかうように、笑い交じりで俺の顔を覗き込んでくる。

「可愛がる、ねえ」

動揺を期待しているのだろうが、特に心動かされない。
ソファに深く沈んで、背もたれに腕をかける。
可愛がっているつもりは、特にない。

「あいつのさ」

言いかけた時に、事務所のドアがノックされた。
典秀が返事をすると、事務員の女が来客を告げる。
俺が来ているのに通すってことは、断れないようなかなりな上客なのだろう。

「どうぞお入りください」

典秀が俺の許可も得ずに、返事をして立ち上がる。
俺もソファから背を起こして姿勢を正す。

「こんにちは、鳴海君」
「これは斎藤様、ようこそいらっしゃいました」

見るからに高そうな貴金属と服を見につけた、いいもの食ってそうな女が顔を出す。
金をかけているから、腕が回らなそうな胴周り以外、容姿はそう悪くない。

「うふふ、池君が来ているって聞いてね、顔が見たくて」
「こんにちは、わざわざ嬉しいです」
「池君!」

笑いながら立ちあがって頭を下げると、女は満面の笑みを浮かべた。
顔を赤らめ近寄ってきて、俺の手を取る。

「今度、個展を開くんでしょう?楽しみにしてるわ」
「ありがとうございます。勿論斎藤さんもお越しいただけるんでしょう?僕こそ楽しみにしています」
「もう、池君にそう言われたら来ない訳にはいかないわね」
「本当ですか?嬉しいです」
「うまいんだから!」

あんた、俺の作品、高く買ってくれるからな。
大好きだよ、そういう女。
笑顔だって自然にこぼれるさ。
甘い言葉だって、泉のように湧き出てくる。

「お見事。お前顔がひきつらないの?」

しばらく談笑してから、ババアは上機嫌で帰って行った。
それを見送り、完全にいなくなった途端に呆れて苦笑しながら典秀が聞いてくる。
こいつだって似たようなもんのくせに。

「札束に変わるんだったら、犬にだって全力で笑ってやるさ」
「その厚顔、せいぜい成功するまで保ってくれ」
「必要とあれば、あのババアの臭いマンコだって舐めてやるぜ?」

デブは別に嫌いじゃない。
舐めてつっこむなら、女なんてほとんど変わらねえだろ。
典秀は眉を顰めて、ため息をつく。

「体を張るタイミングは間違えるなよ。斎藤様の旦那さんに知られたら終わりだ。セックススキャンダルはリスクが高すぎる」
「へーへー。分かってるよ。せいぜいこの美貌で夢を与えてやるよ」

ただ笑ってやるだけで、たいていの女は満足だろ。
俺だって手を出していい女とそうじゃない女ぐらい弁えている。
ていうか黙っててもいくらでも寄ってくるのに、なんでわざわざリスクの高い女抱かなきゃいけないんだよ。

「ま、体を使えば天国までご招待してやるんだけどな」
「お前、本当にいつか刺されるな」

呆れかえった典秀が冷えたコーヒーをすする。
長い付き合いの中、痴情のもつれでトラブったことは一度や二度じゃない。
何度か巻き込まれたこいつは、それこそうんざりなのだろう。
それが分かってるからこそ、俺は笑って見せる。

「刃傷沙汰で死ぬ芸術家なんて、らしいだろ?」

そんなくだらない理由で死ぬ気なんて、さらさらないけどな。
典秀は何を言っても無駄だと思ったのか、話を変える。

「お前、今日メシどうする?なんか食いにいくか?」
「あー、今日は帰るわ」

外出続きで、胃も疲れた。
久々に貧相なものでも食べたい気分だ。
即断即決。
携帯を取り出して、目的の電話番号を選び出し発信する。
3コール目で、相手は出た。
遅せえよ。

『はい』
「メシは?」
『今日は帰るんですか?』

相変わらず感情の見えない、静かな声。
俺の挨拶も何もない不躾な言葉に、動揺する気配もない。
全く可愛くねー奴。

「じゃなきゃ聞かねえよ」
『今日は酢豚の予定ですけど』
「コーンスープ食いたい。ちゃんと裏ごしした奴。後ロールキャベツ。ホワイトソースな」
『また遠慮なく最高に面倒なものを言ってきますね』

さすがに嫌そうに息をつく音が耳元で響いた。
あの能面ヅラがわずかに嫌そうに歪むところを思い出して、頬が緩む。
あいつの嫌がる顔は、好きだ。

「できんだろ?後二時間で帰る。用意しとけ」

返事は聞かずに、通話を切った。
文句は言おうが、あいつは逆らわないだろう。

「お前、本当にどんだけ人でなしだよ」
「そりゃどーも」
「あの子もよく耐えてるな、本当に」
「はっ」

耐える、ね。
笑ってしまう。

「あいつは、イカれてんだよ」

とりすました大人しい、地味で目立たない男。
周りからの印象は、そんなものだろう。
それは、間違ってはいない。
ただ、全てではない。
典秀はあいつのことをほとんど知らない。
周りから見たら、俺があいつをいいように振り回しているように見えるんだろう。

「お前が男に手を出すとは思わなかったがな」
「あいつのあのスカした面、ぐちゃぐちゃにしてみたくてさ。無理矢理犯した」
「………おい」

俺も別に男に興味はなかった。
何度か男に誘われたこともあったが、食指が動くことはなかった。
女に不自由しないのに、何が楽しくて男なんて抱かなきゃいけないんだ。
ただ、便利だからあいつは傍に置こうとした。
そんで暇つぶしに、あの無表情を歪めてやりたくて、犯してみた。
怒るか泣くか喚くか。

「でも、すぐに慣れやがった。本当につまんねーやつ」

さすがに最初は抵抗して文句も言ったが、直に抵抗はしなくなった。
嫌がるのは楽しいが、反応のないセックスなんて楽しくないから、すぐに飽きるかと思った。

「ただ、あいつセックスが面倒とか言いながらかなり淫乱なんだよな。そのギャップが、悪くない」

あの無表情が崩れる、数少ない時間。
俺の手に惚れこんでいるあいつは、なんだかんだ言っても俺が触れればすぐに欲情する。
ただ肌をなぞるだけで、イくぐらいの変態だ。
普段の取り澄ました仮面をかなぐり捨てて、俺にむしゃぶりついて腰を振る。
快感に蕩けるように笑って、縋りつくあいつは嫌いじゃない。

「お前、本当に最低の鬼畜だな」

静かに、典秀がそう言った

「そりゃどーも」
「まあ、いい。それでスケジュールだけどな」
「ああ」

その後いくつか取り決めて、典秀のアトリエを辞することにする。

「んじゃ、彫刻の件はなんか考えておく」
「ああ、決まったら連絡してくれ」
「分かった」
「ロールキャベツ、今度俺にも食わせてくれ」
「嫌だね」

笑って、ガラスで出来たドアを押す。
帰ってあいつの貧相なメシを食おう。
そんでもって、貧相なあいつを食うとしよう。
たまには粗食も必要だ。

「峰矢!避けろ!!」

切羽詰まった典秀の言葉に、直観的に右を向いた。
そこにはナイフを持った、鬼のような形相をした女がいた。



***




「ははは!本当に刺されるとかマジ受けるな!」
「受けてる場合か。誰だよ、あの子」
「さあ?」

まあ、俺が食い散らかした誰か、なんだろうな。
マジ思いだせない。
幸い反射神経のいい俺は咄嗟に避けることが出来たから、胸の辺りを薄皮一枚切られるにとどまった。
警察には突き出したが、面倒事はごめんだから俺は怪我をしたとしてひとまず帰宅。
典秀の事務所で手当てをしたところだ。

「典秀、お前超能力あんじゃね?」
「お前の行動見てたら誰だって予想がつくさ。投資した金回収するまで、死なないでほしいね」
「夭折した早熟の天才ってことで、今までの作品に高値がつくんじゃねーの?そこはお前ら画商の腕の見せ所だろ」
「お前の名前がもっと売れてたらな。もう少し売れてからにしてくれ」
「投資に恥じないように働きますよ」

俺の悪びれない態度に、典秀は深く深くため息をついた。
本当に苦労症で、かわいそうな奴。

「ああ、そうだ。黒幡君に連絡したからもう少ししたら来ると思うよ。かなり驚いていた」
「へえ」

驚いていた、ね。
あんまり想像できない。
典秀もたまにはいいことをする。
あいつは一体、どんな顔で現れるのだろう。
それは少し楽しみだ。

「あんまりあの子を心配させるんじゃない」
「心配、ねえ」

一体なんの心配をするのやら。
その後しばらくして、パタパタと廊下を駆ける音がした。
足音は部屋の前で止まると、ノックもなくドアが乱暴に開け放たれる。

「先輩!!」

最近、一番見慣れてしまった顔。
髪を振り乱して、顔を上気させ、息は荒く、焦った声で俺を呼ぶ。
いつもの無表情はどこへやら、完全に取り乱して、部屋の中に入ってくる。

「先輩、先輩、大丈夫ですか!?」

黒幡君、と呼ぶ典秀の声も聞こえず、うわ言のように繰り返して俺に近付いてくる。
そして俺の手を取ると、ぺたぺたと確かめるように触る。

「腕、腕、手、手は!」

しばらく好きなように撫でまわし、俺の腕がなんともないか確かめる。
ひとしきり触って満足したのか、ほっとしたように肩から力を抜き息をつく。

「よかった、腕は、無事だ。あ、頭は!?」
「人の頭がイカれたみたいに言うな」
「よかった、頭も無事ですね」

俺の抗議も聞きもせず、その場にずるずると座りこむ。
そして我慢していたように大きく大きく、肺から息を吐き出した。

「はあ」

目尻には、安心からか、涙がうっすら滲んでいる。
その様子だけ見れば、俺のことを心底心配していたように見える。
健気に、俺の身を案ずるかわいい後輩に、見えなくもない。

「心配させないでください」

けれど、こいつの心配は、そんなかわいいものじゃない。
床に座りこむ後輩を見下ろして、俺は皮肉げに笑って見せる。

「お前の心配は俺の腕だけか?」
「頭も心配でしたよ」

本当に、こいつは心底イカれてる。
心配しているのは、腕と頭だけか。
まあ、こいつの関心は正しくそれだけなのだろう。

「お前、俺が手使えなくなったらどうすんの?」

少し気になって、戯れに聞いてみる。
変態は、パチパチと何度か瞬きする。
そしてすぐに答えは返ってきた。

「左手があるから大丈夫ですね」
「左手も使えなくなったら?」
「足があります」
「足が使えなくなったら?」
「口で作ればいいじゃないですか。何年かかっても。よければ俺が付き合います」

ためらいなく、表情一つかえずに言いきった。
筋金入りだ。

「ああ、そう考えると、首から下はどうにかなってもどうにかなりますね。生命維持出来るぐらいに内臓が無事なら」

そして考え込むように、不穏なことを口にする。
後ろで典秀がドンビキしている。

「先輩、頭だけは大事にしてくださいね」

そしてうっすらと優しく笑って言った言葉は、完全に他意のない純粋な気持ちなのだろう。
こいつにとって、俺の価値はどこまでも俺が作り出す作品だけだ。
俺の顔も体も性格も、その一切に興味はない。

「は、ははっ!」

どこまでもまっすぐで壊れた言葉が小気味良くて、思わず笑ってしまう。
本当におかしい。
だからこいつは飽きない。
無表情が崩れる、数少ない時間。
それは、セックスの時間と、俺の作品のことに触れている時間。

「まあ、確かに頭と、お前につっこむモノさえあれば、ことは足りるな」
「はい、その他の生活は俺がなんとかします」

先輩を養えるぐらい稼げるかは分かりませんが、と言い加える。
外に出なくなって作品だけを作り続けるようになれば、それこそこいつは満足だろうな。

「なあ、典秀」

後ろで見ていた典秀に、問う。
その困惑した表情が、楽しくって仕方ない。

心配をかける?
こいつがかわいそう?

なあ、教えてくれよ。

「一体誰が人でなしだ?」

典秀は、また深い深いため息をついた。






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