10/02/21 欲求

聡さんが、様子を見に来た。
酷い顔をしている、どうしたのか、と聞かれた。
彼をまた傷つけたようだ、と伝えた。
別れればいいよ、と言われ、それは嫌だと、答えた。

聡さんが笑った。
怒る、というかまたため息をつかれるかと思ったが、聡さんは笑った。
小さい頃と変わらず、子供を労わるように優しく笑った。
嫌だ、って言うようになったんだね、と。

欲しいものは欲しいと言っていいんだよ、と聡さんは言った。
彼に対しても欲しい、嫌だって、言っていいんだよ、と。
でも、彼を困らせて、嫌われるのは、怖い。
聡さんは、人と付き合うのは怖いものなんだよ、美晴、と諭すように言った。

美晴がそんな風に様々な表情を見せるようになってくれたのが嬉しい。
そうさせたのがあの子だっていうのが、気に食わないけどね。
欲しいなら欲しいって言ってご覧。
駄目だったら、また俺が慰めてあげる。俺はいつだって美晴の味方だ。

頭を撫でる手は相変わらず大きくて、頼もしい。
ずっと導いてくれた、大きな手だ。

僕が彼を求めるのは、許されるのだろうか。

10/02/22 瀬古

最近、表情が分かりやすくなった、と言われた。
瀬古が、何かあったのか、と聞いてきた。
彼をまた傷つけたみたいで、メールの返事が来ない、と伝えた。
何があったのかと聞かれて、彼が告白されたこと、彼の好きにするように言ったこと、彼が怒ったこと、実は図々しくも、彼が彼女と付き合うのは嫌だと思ったことを、全て言った。
最近、悩みは瀬古に話すのが習慣になっているようだ。

瀬古が心底嫌そうに、鼻に皺を寄せた。
お前って本当に大馬鹿だよな、頭でっかちの無神経野郎だ、と言われた。
その通りなので、黙って頷いた。
だから、なんでそこで頷くんだよ、怒れよ、と更に嫌そうな顔になった。
本当のことだから、怒る理由が見当たらないと言った。
瀬古がため息をついて、そっぽを向いてしまった。
気分を害したらしい。
どうも僕は人との会話がうまくない。

隣で聞いていた森本が、今のは、本音で話してよ、怒っても深山を嫌ったりしないわよ、馬鹿!って意味だよ、と言った。
ふざけんな、と言って瀬古が森本を殴っていた。

お前って、恋人にも同じ感じなのか、と言われた。
意味が分からなくて、どういう意味なのかと聞いた。

お前が誰か他の女に告白されたとする、それを恋人に伝えたとする、恋人に好きにすればと言われたとする、どう思う、と聞かれた。
僕は彼が好きだから、告白された女性を断ると思う。

森本が大笑いしていた。
瀬古がつっぷして、もうお前駄目だ、と言っていた。
僕はやっぱり、おかしいらしい。
だから、彼とも噛みあわないのだろうか。

森本が、嫌だって思ったって、その人に伝えればいいと思うよ、と言った。
伝えても、いいのだろうか。

10/02/23 メール

教室移動の際に、彼からメールが来た。
明日、会えるか、ということだった。
足の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。

隣にいた瀬古が、大げさに驚いていた。
どうしたのか、と聞かれて、彼からメールが来たと答えた。
それで腰が抜けたのかと、呆れた顔で言われた。
腰ではなく、膝の力が抜けた、と答えた。
大きくため息をついていた。
腕を掴んで起き上がらせてもらった。

お前ってやっぱり面白いわ、と言ってもらった。
ありがとう、とだけ答えておいた。
森本が隣で笑っていた。

彼に、会える。
怖い。
でも、会いたい。

10/02/24 本音

瀬古に、他の女に気をとられるなんてふざけんな、って言って殴れ、と言われた。
森本に、ちゃんと嫌だって言っておきな、と言われた。

出来るかどうか分からない、嫌われるのは怖い。
彼の気分を害すようなことは、言いたくない。
だが、彼らのそれはどうもアドバイスのようなので参考にしようと思う。

森本が、俺たちに嫌われるのは怖くないの、と聞いてきた。
君たちには最初から嫌われてるから別にどうも思わない、と答えた。
俺たち嫌いな人間にそこまで関わるほど、暇じゃないよ、と言われた。
では、君たちにとって、僕にはどんな利用価値があるのだろう、と聞いた。
瀬古に殴られた。
最近殴られてばっかりだ。

久しぶりに、彼の家に訪れた。
心拍数と脈拍が上昇し、思考が停滞し、胃のむかつきが増した。
彼の暗い、辛そうな顔を見ると、余計にキリキリと胃が痛んだ。

彼が何も言わなかったので、なぜこの前彼を怒らせたのか聞いてみた。
どんなに考えても分からない、聞かなければ、分からないから。
彼が誰と付き合ってもいいのか、と聞かれた。
嫌だけれど、それは僕が決めることではなく、彼が決めることだ。
僕に選択権はない。

そう言ったら、俺のことはいいから、お前の気持ちを言え、と言われた。
言ったら彼に嫌われるかもしれない。
けれど、瀬古達のアドバイスを思い出して、玉砕覚悟で、勇気を出して言ってみた。

嫌だ、と。
僕の個人的感情としては、彼と一緒にいたい、彼が僕よりも親しい人間を作るのは嫌だ。

そう告げると、彼は馬鹿、がり勉野郎、鈍感野郎、と罵りながら泣きだした。
気分を害したのかと思って怖くなったが、そうではなかったらしい。
なんでもっと早く言わないんだよ、それを聞きたかったんだ、馬鹿、しょうがないから許してやる、と言われた。
そして、彼は泣きながら、恋人なんだから、本音を話せ、してほしいことを言え、と言われた。

本音で、話しているつもりだった。
でも、僕は本音じゃなかったのだろうか。
そうか、今回は僕の気持ちを、伝えていなかった。
いや、これまでも、伝えないで、僕は気持ちをしまいこんでいたのだろうか。

本音とは、なんなのだろう。
彼が気分を害さないようにしまい込んだ気持ちは、本音なのだろうか。
彼に話して嫌われないのは、どこまでなのだろう。
彼にどこまで甘えていいのだろう。

彼が馬鹿、ふざけんな、と言いながら、抱きついてきた。
久しぶりに触れたその体は、少し痩せたような気がする。

彼は、僕が嫌だと言ったから、自分の意思を曲げたのではないだろうか。
本当は横井さんのことが好きなのではないだろうか。
分からない。
でも、許された。
安心して、力が抜けた。
彼の意思を尊重したいと思うのだが、彼が許してくれるなら、彼の側にいたい。
僕は、とても図々しく我儘だ。

彼はとても温かかった。
こんな風に感情をぶつけられたことは、今までない。
彼の感情はとても怖いが、とても心地よく、とても新鮮で、とても好ましい。

腕の中で泣く彼が、とても好きだと思った。

10/02/25 我儘

聡さんに、彼と仲直りができたことをメールした。
瀬古と森本にも、彼と仲直りが出来たことを話した。
世話になってので、一応報告しておくのが義務かと思った。

よかった、心配してたんだ、と森本に言われた。
瀬古はつまらなそうにそっぽを向いていた。
二人とも世話になった、ありがとう、時間を割いてもらってすまない、と伝えた。
二人とも、僕なんかに付き合ってくれて、とても出来た人間だ。

そう告げると、森本に、なんで深山ってそんなに自信がないのかと、聞かれた。
勉強出来て、スポーツ出来て、色々な雑学もあって、人望もあるのに、どうしてそこまで自分に自信がないのかと聞かれた。
僕は、自信がないとは思わない。
勉強は努力に基づいた結果を出しているし、スポーツも日々の積み重ねの上の成果がある。 常に周りの情報収集と、思考の停滞はないように考えることは怠らない。
そうして出来た自分には、一定の自信を持っている。

そうではなく、自分が好かれている自信、と言われた。
最初は自信満々で悠然としてて嫌な奴だと思ってたのに、どうしてそこまで人に好かれているという自信がないのか、と。
そもそもの問題として、勉強やスポーツと別次元のところで、根本的に僕はつまらない人間だ。
人に好かれるような性格はしていない。

そう言うと、瀬古に殴られた。
森本にも殴られた。
また何か変なことを言ってしまったのだろうか。
最近よく殴られるし、馬鹿だと言われる。
彼らの気分を害していないといいのだが。

今日も、彼の家にお邪魔した。
自然にまたこの家に来ることが出来るようになったのが、嬉しい。
彼と一緒にいることが出来て、嬉しい。

彼に、また好きな人や嫌いな人を聞かれた。
前にも同じことを聞かれた気がする。
僕には嫌いな人はいないし、周りの人間は全員好ましいと思う。
そういうと、彼はなぜか不満そうな顔をした。

そして、我儘を言え、と言われた。
前に、同じことを聡さんにも言われただろうか。
そもそも彼と一緒にいたいというのが我儘だ。
これ以上望むことはない。
十分に満足している。
僕は割と我儘な人間だ。

彼は、僕のことをもっともっと知りたいと言った。
僕のことを知りたくて、満足なんてできない、僕に触りたい、僕に好きになってほしいと言った。

とっくに彼のことは好きだ。
触られるのは、全然構わない。
むしろ嬉しい。
それでも彼を満足させることは、できないのだろうか。
どうしたらいいのだろうか。
望む全てを、彼にあげたい。

10/02/26 守る

彼の喫茶店に久しぶりに顔を出した。
マスターと娘さんに怒られた。
泣かすなって言ったでしょと言われて、侘びとして珈琲をご馳走させられた。
けれど、それで僕の存在を受け入れてくれる人達がとても温かくて、嬉しかった。
彼は本当に素晴らしい人たちに囲まれている。

店を出ると、聡さんが待っていた。
本当になぜか聡さんは彼に対して攻撃的だ。
あまりにも言葉が過ぎるので口を出そうとしたところで、彼が感情を爆発させた。

聡さんが嫌いだが、僕の叔父だから我慢してやる、でも、恋人が苛められているところを黙って見てるな、恋人を守ってみせろ、と言われた。

聡さんが大笑いしていた。
彼に手をひかれて、聡さんから遠ざかった。

彼が、自分のことを好きか、と聞いてきた。
勿論好きだ。
大事かと聞いてきた。
とても大事だ。
なら守れ、と言われた。

その通りだと思った。
聡さんのことはとても尊敬していて大事だが、彼が苛められて黙っているのは恋人ではない。
なにより彼が傷つくのは、とても嫌だ。
彼が笑っているところをずっと見ていたい。
彼の笑顔を守るためなら、何をしてもいい、と思う。

守る、と誓った。
そうしたら彼はちょっと笑った。
そして、僕を守る、と言ってくれた。

また、熱い胸の中にたまっていくような不可解な何かがこぼれそうになった。

10/02/27 名前

彼の家で、クレープやホットケーキを作って食べた。
横井さんにこうすると美味しいのだと聞いた、と言った。
彼の口から彼女の名前が出ると、不快感に襲われる。
恐らくこれは嫉妬なのだと思う。
彼に告白したというのは、きっと彼女のことだろう。
彼は、その答えをどうしたのだろうか。
聞きたいと思うが、そこまで踏み込んでいいのか分からず、聞くことが出来なかった。

彼は楽しそうにクレープに納豆やキムチを挟んでいた。
探究心が豊かなのはいいが、納豆はどうかと思う。

前に喫茶店で名前の話をしたと言って、僕の名前の由来も聞いてきた。
特に由来はない、と告げると、きっと綺麗な晴れた日だったのだろう、僕の雰囲気にあっている、とても綺麗な名前だ、と言ってくれた。
そんなことを言われたのは、初めてだった。

名前を特別に思ったことはない。
産むつもりもなく、忙しい時期に生まれた僕は、男か女かも分からず、名前も決めていなかった。
冬の字ははもうつけられないし、その日はたまたま晴れていたから、美晴にしようって決めちゃった、と昔母が笑っていた。
何も考えずにつけたから、一人だけ仲間はずれなのだと、そう言っていた。
だから、僕の名前は一人、仲間外れだった。
一人だけ浮いている名前の由来を誰かに聞かれる度、父と母は、笑ってそう説明していた。

価値も意味もない名前。
でも、彼はとても綺麗な名前だと、言ってくれた。
きっと綺麗な晴れた日だったのだろう、と言ってくれた。
心が浮き立って、温かい感情で、溢れていく。
不思議な、感じたことのない感触に、侵食されていく。

僕は我儘を言った。
彼が我儘を言っていいというから、甘えた。
迷惑だと思われないか心配だったが、つい言ってしまった。
名前を呼んで、と。
彼は呼んでくれた。

美晴、好き。

何度も何度も言ってくれた。
囁くような、少し震えた低い声が、心にいくつも降ってくる。
儚い温かい想いが、大きくなっていく。

だから僕も、返した。
この溢れそうな想いが、少しでも伝わるように。
彼の名前は、本当に彼にぴったりだ。
和を志す。
彼がいると、和やかに、場が繋がっていく。

彼と一緒にいたい。
名前を呼んでほしい。

この溢れていきそうな感情は、一体なんなのだろう。
彼の声が、しんしんと心に降り積もる。

美晴、大好き、大好きだよ、美晴。

初めて、自分の名前を、大切なものだと思った。




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