気がつけば他の三人とははぐれ、橋本と鈴木、近藤と菊池の四人となっていた。 どうせ後から会うのだからと、この人ごみの中、特に探すこともせずぶらぶらと歩いている。 もうすぐ打ち上がる花火に思いを寄せ、辺りの熱気はいやおうにも高まっている。 「ね、橋本君、離れてくれない?怖いし痛いんだけど」 「俺はこの手を放さない、どこまでもお前と一緒だ」 「無駄にときめくセリフありがとう。だけどごめん、お前の気持ちには答えられない」 しっかりと鈴木の腕を握りしめた橋本が、嫌そうな声にもめげずに更に力を込める。 鈴木はさりげなく振りほどこうとするものの、しっかりと関節を決められた。 「いや、あなたと離れたくないの。そばにいて」 「俺よりも、君にはきっといい奴が見つかるよ。俺は、君にはふさわしくない男だ」 「あなたがいいの!あなたじゃなきゃいや!」 「いやあのさ、ていうかリアルに菊池の視線が怖くていや」 その言葉にちらりと橋本が菊池に視線を送ると、近藤の横で座った目でこちらを見ている男がいた。 思わず菊池の視線から逃れるため、鈴木の陰に隠れる。 菊池が一歩踏み出そうとした瞬間に、近藤がその腕を押えたのが目の端に見えた。 鈴木は軽くため息をつくと、眼鏡を直して問いかけてくる。 「で、何があったの?」 「………なんか、菊池が変だ」 「最近ずっと変じゃん。大丈夫大丈夫」 「それ何も大丈夫じゃないし!」 「恋は人を狂わせるんだって。昔の人が言ってたよ」 「恋とかいうな!普通にいやだ、それ!」 鈴木の腕にしがみついたまま、小さく抗議する。 眼鏡の男は心底嫌そうな顔をしているが、橋本には鈴木の都合なんて考える余裕はない。 「いい加減、お前らの痴話げんかに巻き込むのやめてよ。で、どこが変なのよ」 「なんか余裕ないというか、切羽詰っているというか、壊れたというか」 「いや、ここんとこずっとそうだよ。問題ない問題ない」 「なんかそこらの繁み連れ込まれてヤラれそうな勢いだったぞ。俺、今あいつの隣にいるだけで妊娠しそう」 「出産祝いは送るわよ。顔は菊池に似るといいわね」 「真面目に聞けよ!」 「聞いてるってば」 ちょっと本気で涙目の橋本の頭を鈴木はぽんぽんと軽く叩く。 後ろから殺気を感じた気がしたが、面白いので更に優しく髪をかきまわしてみた。 橋本は後ろの視線に気付きもせずに、鈴木に大人しく懐いている。 「つーかさあ、本当にお前もどこの処女だっての。いいからさっさとやらせてやれよ」 「処女なんだよ!間違いなく処女なんだよ!怖いだろ!不安と恐怖で押しつぶされそうだろ!」 「まあ、処女には恥じらいも必要だけどさ、あんまり焦らしてるとよそいっちゃうぜ。お前と違ってあいつは女に苦労してないんだしさ」 ちょっと声のトーンを落とした鈴木の言葉に、橋本は口を閉ざす。 情けなく男らしく太い眉を下げて、小さく呻く。 「う………」 「いやだろ?」 「まあ、そりゃ……」 「だったらさあ、一回ぐらいさくっとやらせてやれよ。そしたら菊池だってあそこまでギリギリにならないって」 「だって…」 「お前だってやりたいざかりの健全な男の子なんだから分かるだろ?」 「そ、それはまあ…」 もちろん、橋本だって菊池が他の奴とやるのは嫌だし、お預けくらってずっとそのままというのも辛いのはよく分かる。 ただ、やられるとなると、怖いというかこっ恥ずかしいというか、とんでもなくいたたまれなくて逃げ出したくなる。 いっそこのまま触りっこしてるだけでいいんじゃねーかな、と思ったりもするが、自分が菊池の立場だったらそんなこと言えないのはわかっている。 やりたい。 つっこみたい。 でも、つっこまれる方としては、やはり怖い。 と、そこまでぐるぐる考えて、ふと我に返る。 そして隣にいた鈴木に、つい漏らしてしまった。 「……なんつーかさ、この会話もいやじゃねえ?」 「何が?」 「なんか、彼氏が体ばっかり求めてくるの。こたえないと、私、嫌われちゃうかなてシチュじゃね?」 沈黙が落ちる。 一瞬後に、鈴木の口から漏れた声で、橋本は自分が失言したことに気づいた。 「ぶ」 「は、しまった!」 「ぶは、ぎゃっははははははは!何その揺れる恋心なシチュエーション!乙女、乙女がいる!!は、はしもと、く、最高!ぶは!!あっはははは!!」 「うるせー!元はと言えばお前がな!!」 笑う鈴木を止めようと、殴りかかる橋本。 けれど笑い上戸の鈴木は一向に止める気配もなく笑い続けた。 仲睦まじくじゃれあっている橋本と鈴木の後姿を眺めながら、菊池のテンションは地の底まで下がっていく。 目を細くして無口になり、今にも二人の後ろから殴りかかりそうだ。 そんな菊池の隣にいた近藤が、普段と変わらぬ静かな声で話しかけた。 「なあ、菊池」 「あ?なんだ、近藤」 「はい」 「あ、サンキュ」 思わずぶっきらぼうになってしまう返事も気にせず、近藤は持っていた串焼きを差し出す。 一瞬面食らうが、菊池は素直にそれを受け取った。 大きな豚のバラ肉が刺さった串を口にすると、肉汁が口に広がる。 少々脂っぽくて冷えてるが、食べざかりには十分おいしく感じる。 食べ物を口にしていると、イライラが少しだけおさまった。 無言で、しばらく肉を食べる。 そうして色とりどりの屋台の間を黙って歩く。 風がなく、じっとりと蒸し暑くてシャツに汗をかく。 テキ屋の威勢のいい声や、女の子たちのはしゃぐ声が、流れては消えていく。 「あのさ」 「うん?」 ぼんやりと菊池が肉を食いながらそんなものを見ていると、近藤が何気なく菊池に話しかけた。 菊池は咀嚼したものを飲み込んで、隣の背の高い男を見上げる。 「押すだけじゃなくて、引くのも大切だよな」 「……は?」 近藤が何を言っているのかわからず、間抜けな声を思わずあげてしまう。 このタイミングで、菊池に、何を訴えたいのか。 菊池は水を浴びせられたように一気に寒くなった。 「やっぱさ、あんまりテンション高すぎるとひくよな」 「………」 「自分がテンション下がってる時ってなおさら、相手のテンション上がってると辛い」 「……待った、近藤」 「相手のペースに合わせるのって、必要だと思う」 どう考えても、近藤は特定の目的があって菊池にこんな話をしているように聞こえる。 もしかして、もしかするのか。 菊池は認めたくない現実に、必死に目をそらそうとする。 「なあ、近藤、お前…」 「まあ、俺が言うのもなんかアレなんだけど、仲良くやってほしいし。まだ、焦んなくてもいいんじゃないか」 「いや、待って、とりあえず」 「それだけ。俺、射的やってくる。鈴木」 菊池の問いかける隙を与えずにそれだけ言うと、近藤は前にいた鈴木に歩み寄る。 長身の男を、止めることもできなかった。 その背中を見ながら、近藤の言葉の意味が、ゆっくりと沁み渡る。 焦るな、と言われた。 自分は、焦ってなんかいない、と思う。 確かに少々迫ったりはしたが、仕方のなくないか。 というか今更逃げ回る橋本が悪くねーか。 でも。 でも、さっきの本気で怯えて鈴木に向かって一目散に逃げて行った橋本が思い浮かぶ。 もしかして、自分の焦りっぷりは、今から考えると少々アレだっただろうか。 ぐるぐると菊池が自問自答している間に、前の二人に近づいた近藤は、鈴木の襟首をつかむと、さりげなく橋本の腕からはぎとる。 あまりに自然だったので、橋本は自分の盾となる男が奪われるのを止めることができなかった。 鈴木の方は、猫のようにつまみあげられながらも嬉しそうに近藤に応える。 「はい、なあにー。あなたの鈴木、鈴木君ですー!ご指名ありがとうー、サービスしちゃう!」 「サービスはいらない、射的やってこよう」 「おっけー!あなたのハートを射ぬいちゃうわ!」 「射抜くっていうのは、矢の時じゃないか?」 「え、そうなの?じゃあ、あなたのハートを撃ち抜くわ!」 「撃つのは的だけにしてくれ」 「近藤君つまんなあいー!つっこみスキルたりない!」 「修行不足でごめんなさい」 「うん、もう、そんなに素直に言われると許しちゃう!お詫びはあなたでいいわ!」 「一生許してくれなくていい」 鈴木の軽口に特に気分を害すことものることもなく、冷静に返す近藤。 ちぐはぐに見える二人だが、なんだかとても息があっているように見える。 射的をすることで合意したのか、鈴木は近藤の横に行くと橋本にひらりと手を振った。 「んじゃ俺達射的してくるから、後はしっかりねー」 口をはさむ隙すら与えられず、嵐のように近藤と鈴木は人ごみの中に消えていく。 いや、正確に言うなら嵐のようなのは鈴木だけだったが。 後に残されたのは、どことなく気まずい二人。 盾をなくした橋本が、この場をどうしようかと上を向いたり下を向いたりして思案する。 もういっそ逃げてしまおうかと思った瞬間、大きなため息が菊池の口から洩れた。 びくりと傍目で見てもよく分かるくらい体を震わせた橋本に、後ろから静かな声がかかる。 「橋本」 「うはい!!」 驚きとわずかな恐怖で声が上ずる。 いつでも逃げられる体勢をとりつつ、ゆっくりと引き攣った笑顔で後ろを振り向く。 だが、菊池は予想に反して落ち着いた様子で近藤と鈴木が消えた方向を見ていた。 「はぐれちゃったな」 「あ、ああ」 「なんか食べたい物ある?」 「あ、えっと、あー、俺腹にたまるもの食べたい」 「焼きそばでも食うか」 「賛成!」 とりあえず先ほどのように迫られることもないようで、橋本は安心した。 ヤルヤラナイの話をしなくなった菊池を歓迎して、笑顔になる。 それを受けて、菊池も表情を緩める。 そうして、二人はようやく祭りを心から楽しむことになった。 たこ焼き、綿あめ、かき氷、落書きせんべいにポテトに水あめ。 射的にダーツ、輪投げにくじ引き金魚すくい。 成長期の少年らしく、旺盛な食欲で具の少ない焼きそばを平らげ、そのまま二人で夜店を渡り歩く。。 全部を楽しむには昨今の屋台事情は懐に厳しかったが、ところどころ立ち止まってははしゃいだ。 「このへたくそ、あと一歩でとれそうだったのに!」 「あれはお前が無駄に動くからいけねーんだろうが!」 「なんだと!お前のテクニック不足だろうが!」 懐かしさに駆られてスーパーボール救いなんかをやった後、さすがに疲れて二人は木陰に腰をおろした。 柔らかい下草に直接腰を下ろすと、湿気からか少し湿った感触がした。 緑の多い場所は蚊も多いせいか、少し外れたこの場所はあまり人がいない。 座ってると足が重く、ようやく自分達が思いのほか歩き回っていたことを知る。 一個も掬えなかったものの、おまけでもらったスーパーボールを橋本がもてあそんでいると、先ほど夜店で買ったジュースを菊池が差し出す。 「ほら」 「サンキュ」 ありがたく受け取って一口飲むと、乾いた喉に沁み渡った。 菊池が時計を見ると、時刻はあと数分で花火の打ち上げ時間にあることを告げていた。 少しの間、沈黙が落ちる。 ざわざわと辺りの喧騒だけが耳に入る時間。 しばらくして、口を開いたのは菊池だった。 「なあ、橋本」 「あ?」 「……そんなにいや?」 「何が?」 「俺と、やるの」 「ぶはっ」 橋本は口に含んでいたジュースを思わず噴き出した。 今の言葉が誰にも聞かれていなかったか、慌てて辺りを見回す。 幸い辺りにいる人間は思い思いに自分達の会話などを楽しんでおり、木陰にいる二人に木を払うこともない。 「な、なななな、お前、何いってんだよ!」 「真剣な話。そこまでイヤだったら、やめるか?」 顔を赤らめて菊池のほうを向くと、薄茶の目をした男は真剣な顔をしていた。 気圧されて、橋本も黙り込む。 そこで、あたりから歓声があがった。 それと同時に、腹に響くような重い音が響き渡る。 「……あ、花火」 つられて見上げると、木の切れ間から大きな赤い花火が広がっていた。 続いて、様々な色の花火が次々と打ち上がる。 花火の音と歓声で、一気に辺りは賑わう。 けれど、菊池の静かな声は橋本の耳に届いていた。 「俺、お前とやりたい。でも、お前が嫌がってるのに、やるつもりはない」 橋本と同じように座り込んだまま上を見上げる菊池。 つい先ほどまでの壊れっぷりとはと全然違う、かといっていつものようなどこか大人ぶった態度とも違う。 静かだけれど、真剣で想いのこもった声だった。 「…んで」 「ん?」 「なんで、いきなりそんなシリアスな上に優しいモードになってるんだよ」 「そりゃ……」 橋本が隣の男を見ると、菊池は一瞬口ごもる。 ひときわ大きな音がして、菊池の顔が黄色に染まる。 一瞬視線を下に逸らして、でもまっすぐに橋本を見返す。 「お前が好きだから」 花火のせいだけではなく、一気に橋本の顔を赤くなる。 菊池も言った後に自分で照れくさかったのか、視線をそらす。 「…………」 「…………」 また沈黙。 花火の音だけが響いている気がする。 気まずさに身じろいた菊池の地面についた手に、そっと触れる熱を感じた。 驚いて見ると、橋本の手が菊池の手に覆いかぶさっていた。 それは汗ばんでいてかさつく固い手だったけれど、不快ではない。 「………橋本」 「……別に、いやじゃねえよ」 「………」 「まあ、女役ってのは色々物申したいこと沢山あるけどさ」 顔を赤く染めてた橋本は、菊池のほうを向きながらも視線をそらして、いったん言葉を切る。 周りの人間は花火に夢中で、誰も二人を見ていない。 そのまま、3つぐらいの花火をやり過ごしたあと、小さな声で橋本がつぶやくように漏らす。 「俺も、お前のこと好きだし」 菊池の手の上におかれた手に、力がこもる。 菊池も橋本も、ただ黙りこんだ。 再び二人は、空を見上げる。 「……ただ、なんかさ、関係変わりそうなのも、怖いんだよな」 「関係?」 「終わった後気まずくなったりしたら、いやじゃね?」 「確かに。でも、やってみなきゃ、わからないだろ、そんなの」 「そうだけどさ……」 「お前は、やったら、かわると思う?」 「わかんねえよ」 「まあ、俺もわかんない」 何を伝えたいのか、何が怖いのか、なんでためらうのか理由は沢山ある。 けれど、うまく言葉にははならいもどかしさに、橋本は口ごもる。 そんな橋本を横目で見て、菊池は静かな声で告げる。 「無理は、しなくてもいいからな。お前がまだ駄目ってんなら、待つ」 「待ってたら下半身に理性のないお前だから、浮気すんだろ」 「男の下半身に理性を求めるのが間違ってんだろ」 「まあな、でも……」 菊池だって焦っている。 焦るくらい、キャラが壊れるぐらい、橋本とやりたがっている。 でも、待つと言ってくれる。 やりたくないなら、橋本の意思を尊重するという。 その言葉で、橋本は改めて覚悟を決める。 一旦は決めた覚悟だ。 逃げ出す選択肢も時間もたっぷりあった。 それでも、選んだ答えだ。 今更じたばたしてもしょうがないと、ようやく改めて腹を決める。 だから、笑った。 笑って、隣の見慣れた茶髪の男に答えを返した。 「浮気されんのもムカつくからやるよ」 「え?」 「俺の処女、今夜やるからありがたく受け取れ」 そう言って、菊池のシャツの襟首をつかむと、思いきり力をこめて引き寄せた。 勢いままバランスを崩した菊池の唇に、ぶつかるようにキスをする。 乱暴な突然のキスは歯がぶつかって、甘さの欠片もなかったけれど。 「は、しもと…」 「花火大会終わった後だからな」 驚いたように見開いた眼で、見返す菊池に橋本は朗らかに笑ってみせる。 その笑顔に、菊池は顔を泣きそうなように一瞬歪めた。 「……おっけ」 「せいぜい、満足させてみせろよ?」 「前向きに努力します」 「処女なんだからな」 「俺、処女慣れてないんだよな。こんなことなら食っとけばよかった」 「この外道!」 菊池の言葉に、橋本は本気で頭をはたいた。 ようやく菊池も声をあげて笑う。 笑って、かぶさった手から一度手を引くと、自分から手をつなぎ、指をからめた。 愛撫するように、優しく指をもて遊ぶ。 橋本も特に抵抗はしなかった。 「痛くしないってのは、たぶん無理だけど…」 「………」 「優しくする」 小さな細かい花火が沢山の夜空を飾る。 空を埋め尽くす小さな花を見ながら、沈黙が落ちる。 しばらくの後。 橋本が身を引いて、空いてるほうの手で頭を抱えた。 「お、まえ……、ちょ、本気で今こっぱずかしいぞ。まずい、かゆい、むずむずする!」 「人がせっかくシリアスに決めてんだから、茶化すな」 「だってこっぱずかしいんだよ!無理だろ!普通に!お前恥ずかしくないのか!」 「勿論言った直後に後悔してるに決まってるだろ!橋本相手に何言ってんだよ!俺!」 「なら言うな!」 しっとりとした雰囲気をぶち壊しにし、二人はいつものようにまたじゃれあう。 地面に置かれた手は、繋がれたまま。 |