「ようこそ、カリスマ恋愛カウンセラーDr鈴木の部屋へ」
「………カリスマって古くないですか」
「そういうつっこみはいりません」
「はい」

学食の机を挟んで前に座った眼鏡の男が静かな顔と声でゆったりと話す。
すでにピークの時間は過ぎ、学食内は落ち着いて来ている。
何組か残ってはいるもののそれぞれ自分達の話に興じているため、こちらの話に耳を傾けるような様子はない。

「それで、ご相談はなんですか?」

周りを少しだけ見回して橋本は小さく俯く。
大丈夫だ、誰かに聞かれている様子はない。
それを確認して、それでも小さな声で話し始めた。

「恋人についてなんですが………」
「ええ、ええ、あなたが恋人に悩んでいるのがよくわかります。私になんでもお話ください」
「最近、恋人が出来たんですが………」
「ええ」

鈴木が眼鏡をくいっと直して、穏やかに聞いている。
橋本はちらりとその一見真面目な顔を見て、また俯いて自分の膝に視線を移す。
なかなかこう言った悩みは打ち明けづらい。

「………ちょっと言いづらいんですが」
「夜のことですか?短小?包茎?早漏?あ、それとも遅漏?体力ありすぎて困っちゃう、とか?」
「その辺、Drはご存じでしょう」
「フライング野郎ですよね」
「いや、あれ以来はそんなことなく、夜の生活は割と充実です」
「そこんとこ詳しく」
「それはまた後ほど」

二人とも真面目な顔で小さな声でひそひそと話し続ける。
それは一見深刻そうで、通り過ぎる人間は時折興味ありげに二人を見て通り過ぎていく。

「まあ、夜の生活の悩みもあるんですが」
「ええ」
「とりあえず、今の悩みは違くて」
「なんでしょう。なんでも言ってください。一人で悩まないで」
「その………」
「ええ」
「変な話なのですが」
「いい加減このキャラ疲れてきたからさっさとしてください」

そう言われて、橋本はようやく覚悟を決めた。
うだうだと言葉を濁していた悩みを、ストレートに告げることにする。
たとえ笑われてもかまうもんかと思った。

「恋人が、優しいんです」
「は?」
「なんかもう、優しすぎて辛いんです」

間違いなくシモの話だと思っていた鈴木は拍子抜けしたように目をパチパチと瞬かせる。
夏休みから付き合い始めた友人達は、新学期に入ってもラブラブそうでいつ詳しく話を聞こうかと機会を窺っていたところだった。
そこに今日になって相談したいことがあると橋本に連れ出された。

「え、あれ?若かったあの頃、何も怖くなかった、ただあなたの優しさが怖かったって奴?」
「なにそれ」
「神田川」
「なにそれ」
「説明するの面倒だから先にいって」

すっかり元の口調に戻って、鈴木はブリックパックのコーヒー牛乳を啜る。
橋本も同じようにいちご牛乳を啜る。

「で、どういうノロケなの」
「ノロケつーかなんつーかさ」

甘ったるい牛乳で喉を潤した橋本は、ゆっくりと話し始めた。



***




それはいつものように菊池の家でゲームをしていた時だった。
アクションゲームに勤しむ橋本の隣にぴったりと菊池がくっついている。
クーラーが効いているので暑さ的には別に問題ないのだが、アクションゲームをやってると自然と体が動いてしまう橋本には少々やりづらかった。

「………なんか近くねえ?」
「そうか?」
「………」

やんわりと離れろという意味を込めて言うが、菊池は全く気にした様子はない。
それどころか腕を回して、橋本の短くつんつんとした髪を指で優しく弄び始める。
時折耳にも触れ、そのたびに橋本は意識してしまってどんどん居心地が悪くなっていく。
いい加減ゲームにも集中できなくなってきたので、一言言おうと決意する。

「橋本」
「何?」

しかしその前に菊池に呼ばれて、橋本は隣に顔を向ける。
するとそっと色素の薄い目が近づいて、唇に温かいものが触れた。
軽い、触れるだけのキス。

「ん」

ゆっくりと唇を押しつけると、菊池はすぐに離れていった。
けれど橋本の顔を見つめたまま。
どこか熱のこもった眼で、じっと見ている。
橋本は弾む心臓と熱くなりつつある股間を抑えて、逃げるように目を伏せる。

「………ヤりてーの?」
「キスしたかっただけ」

ちらりと見上げると、菊池はなんだか優しげに笑っていたりする。
本当に嬉しい、というように。
むしろヤりたいと言われたほうがよほどマシだった。

「………」
「………」

もう一度、菊池の顔が近づいてくる。
そこで橋本は我慢の限界が達した。

「すいません、これからバイトなんで!」

そしてコントローラーを放り投げてケツをまくって逃げ出した。



***




「と言う訳で、大変なんというかアレな感じなんです」
「見事な色ボケっぷりですね」

鈴木の冷静なつっこみに、橋本は大きくため息をつく。
色ボケは別にいい。
自分だって菊池と一緒にいるのは楽しい。
浮かれてきてしまったりする。

「なんつーかさ、一緒にいるの辛いんだよ!恥ずかしいんだよ!何あれ!すげーケツがもぞもぞするんだけど!」
「嫌いになったの?」
「………いや、それはないけど」

別にそういうことはない。
嫌なこともされてないし、性格が悪くなった訳でもないし、えっちしたら飽きられたとかそういうこともない。
むしろ前よりずっと優しくなって、家にいる時なんかは橋本のワガママを気味が悪くなるほど聞いてくれたりする。
外でも奢ってくれたりする。
最初は楽しんでいた橋本だったが、1週間もたつとさすがに居心地が悪くなってきた。

「やっぱノロケじゃん」

それを告げると、鈴木は呆れたように肩をすくめた。
確かに自分で言っていておかしいと思う。
恋人が優しくなったからやめてほしい、とか。
けれど。

「ちげーんだよ!すいません、正直キモい!」
「うわぶっちゃけた」

そう、キモかった。
たまに鳥肌立ちそうな時もある。
今まで対等で馬鹿ばっかり言って喧嘩ばっかしてたのに、すっかり優しくなった菊池が別人のようでキモい。
基本的には前のままなのだが、明らかに甘さが当社比三倍ぐらいになっている。

「………なんかさあ、女扱いされてるつーか」
「お前女役だからじゃね」
「それがまた嫌なんだよ!」

いまだにリベンジは果たすことが出来ずに、ずるずると女役のままヤッてる。
挿入は体に負担がかかりすぎるから毎回ではないが、でもしごき合いの時もなんだか気付かないうちに組み敷かれたりしている。

「まあ、えっちに関しては、別に気持ちいいから女役でもなんでもいいんだけどさ」
「大人になっちゃったのね………」

鈴木が感慨深そうに眼鏡をはずして目頭を抑える。
確かにヤる前は男役だの女役だのでジタバタしたが、ヤッてしまえば別に気になることでもなかった。
むしろ受け身の快感は楽だしM的感じで変に興奮するし、後ろは慣れれば気持ちがいい。

「やっちまったら悩んでたのが馬鹿みたいだな」
「不潔!最低!」
「なんとでも言え、もう俺はあの頃の俺じゃねーんだよ!」
「あの頃の純粋でからかいがいのある橋本君を返して!」
「まあ、男役は今度絶対やるけどさ」
「うん」

それは譲れない。
とりあえず童貞のまま一生を終えるのだけは避けたい。
もしかしたら男役の方がめっちゃ気持ちいいかもしれないし。
絶対に何がなんでも一度は経験する。
とりあえずそこだけは譲れない。
でも、別に女役に今のところそれほど抵抗はない。

「なんか、えっちで女役やるのはいいんだけど、普段から女扱いされるのは違うつーか」
「あー」
「なんか違うんだよ!あいつのあの大事なもの扱うような態度が本当に心底キモい!」

普段から女扱いされて気が付いたら歩道の内側歩いてたり、水しぶき跳ね上がりそうな時に手をひかれたり、ふいにキスされたり、優しく微笑まれたり。
思い出せば出すほどのたうちまわりたくなるほど恥ずかしく気持ち悪い。
友達だった男が、何か別の生き物になってしまったようだ。
鈴木がうーんと唸って首を傾げる。

「つーか本人に言えば」
「なんか言いづらい」
「俺にどうしろと」
「それとなくあいつに言ってくれ!」
「えー、めんどーい」
「友達だろ!」

心底嫌そうに顔を顰める鈴木に詰め寄っていると、後ろから声が聞こえてくる。
うんざりするほど聞きなれた、涼しげな声。

「何話してんの?」
「き、菊池!」
「はーい」

鈴木は橋本の後ろに視線をやって手をひらひらと振る。
橋本が恐る恐る後ろを振り向くとそこには菊池の姿があった。

「………なんでここに」
「山本がお前ら学食行ったって言うから」

追ってきたのかよ!
こえーよ!
ストーカーかよ!

「で、何話してるの?」

しかし橋本がつっこむ前に、菊池は隣の席に座りこんでしまう。
鈴木が肩をすくめてコーヒー牛乳をすする。

「橋本君がたまには女とやりたいって」
「おいこら!」

とんでもないことを言い出す鈴木に橋本が慌ててその口を塞ぐ。
付き合い始めてから知ったが、菊池は存外嫉妬深い。
橋本がクラスの女子と話すだけでも機嫌を悪くするほどだ。
ウザいと思いつつ、ちょっと嬉しくなってしまう自分が橋本は嫌だった。

「い、言ってないぞ」
「知ってる」

ちらりと横目で菊池を見て弁解すると、あっさりと菊池は頷いた。
つまらなそうに鼻に皺を寄せる鈴木。

「何その余裕」
「こいつが他の奴とヤるような余裕与えてない」

こいつが、のところで自然に橋本の頭に手を回して髪をいじる。
最近よくされる仕草。
ギリギリ友達とのじゃれあいともとれるかもしれないが、かなりギリギリなラインにある仕草。
恥ずかしさとか驚きとか怒りとかなんかで橋本が固まる。

「………」

それを見て鈴木が心底呆れたように目を細めた。
そして大きく大きくため息をつく。

「………うん、分かった、橋本君」
「分かってくれたか!」
「分かった」

橋本は理解を得て嬉しくて、身を乗り出して鈴木の手をがしっと掴む。
やっぱり持つべきものは理解のある友達だと喜ぶが、鈴木は迷惑そうに言う。

「分かったからとりあえず手を離して、隣の人の目が怖い」

その言葉に橋本が隣に視線を向けると、不機嫌そうな菊池がつないだ手を見ていた。
慌てて手を離すが、さすがにこの程度で怒られても理不尽すぎる。
今まではごく普通にやっていたことだ。

「あのな、菊池!」
「何?」
「お前さ、ちょっとはさ」
「うん」

何もやましいところはない、というように菊池はまっすぐな目をしている。
だから、その、えっと、ともごもごと言葉を続けた後。

「………なんでもない」

橋本は諦めた。

「もうちょっと頑張れよ!」
「だからなんだよ、お前ら」

鈴木の言葉に自分でもふがいないと思うが、この変わってしまった友人兼恋人に何をいえば元に戻ってくれるのかが分からない。
椅子に座りこんで頭を抱えた橋本に、鈴木が情けないわね!と一喝する。

「菊池君!あのね、ここ学校だから少しは自重して!」
「してるだろ?全然触ったりしてねーし、学校でヤったりしてねーし」

やはり菊池はまっすぐな目をしている。
鈴木はその穢れのない純粋な目を見て、優しく笑った。
そして慈愛に満ちた微笑みで、橋本に視線を戻す。

「駄目だこりゃ。頑張れ、橋本」
「見捨てないで!」

縋りついても、鈴木はしらなーいと言って逃げ出してしまった。





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