「………ふう」

野口の家のリビングで、ソファに座りながらついため息をついてしまう。
眼鏡の男は淹れてきてくれたお茶をテーブルに置きながら、私の隣に座る。

「どうしたの、そのいかにも話を聞いてほしいっていうため息」
「………お前のそういうところは本当に変わらないよな」
「ごめんね。人間そう中々変われないから。で、どうしたの?聞くよ」

こういう底意地の悪い言い方は、出会ってからの三年間全く変わらない。
まあ、これが野口なんだろうけど、今はそれに付き合ってられない。

「………なんでもない」

つい、拗ねたような声で返事をしてしまう。
こんな時ぐらい、少しぐらい優しくしてくれたっていいだろう。
眼鏡の男は猫のようにソファに上で片膝を抱えて丸まりながら、にやにやと笑う。

「そうだな、卒業して進路が離れて、友達も俺もいなくなるし、不安でいっぱい。俺が心変わりしないか心配。俺も何も言ってくれないし、どう思ってるんだろう。いい機会だから別れようとか思ってるのかな。でもそんなの聞けないし」

私の顔を覗き込みながら、甚振るように意地悪く言う。
本当に、こいつのこういうところはちっとも変わらない。

「とかベタベタなこと考えてたりする?」
「………っ」
「三田は本当にお約束通りで安心するなあ」

悪かったな。
どうせ、私はベタでつまらない女だ。
ちょっと離れるぐらいで不安で不安で仕方ない。
ずっと一緒にいたのに、離れてしまう。
それがこんなにも寂しくて、怖い。

こいつは、不安にならないのだろうか。
野口の余裕が憎たらしくなる。

「三田、こっち」
「………」

手をひいて、野口が私の体を引き寄せる。
野口の薄い体にもたれかかるように、その胸に顔を埋める。
腰をひねった無理な体勢で、ちょっと苦しいけれど、野口の匂いについ安心してしまう。

「不安?」
「………」
「一緒にいられない間、寂しい?俺が心変わりしそう?」

野口は、大学に通いながらバイトして、最初のうちに出来る限り単位をとって、二年目か三年目からダブルスクールにすると言っている。
将来店を開きたいって言って、そのための勉強をするらしい。
だから忙しくて中々会えないかもと言われた。
せっかく受験勉強が終わったのに、また一緒にいられないのだ。
将来のことなんて全然考えてなくて、ただ流されるように大学へ行く私としては、なんだかんだでしっかりしている野口に、取り残されていくようで、それも悔しくて寂しくて焦る。
こいつばっかり大人になって行く。
いつまでも意地っ張りで子供な私のことなんて、嫌いになるかもしれない。

「俺のこと、信じられない?」
「………あんたが、粘着質で執念深くて痛い奴だってことぐらい分かってる」
「うん。俺は本気で好きになったら、ふられない限りふることはないと思う」

こいつの重すぎる痛い愛は、身を持って知っている。
心変わりなんてしないと思っている。

「でも、下半身は、別なんでしょ」
「うん、まあ、そうだね」

でも、こういうことを言うから不安になる。
心変わりをしないと思っていても、やっぱり不安で仕方ない。
このドロドロとした感情はなんなのだろう。
野口といると、ずっとずっと気が休まる暇がない。

「あー、不安がってる三田かわいいなー」

野口はしみじみとそんなことを言う。
それから私の顔を両手で挟みこみ持ち上げて、覗き込む。

「じゃあ、俺が浮気しないように、会った時は腰が立たなくなるぐらいドロドロで濃厚なえっちしようね。そしたらそれをオカズに俺は右手で我慢するから」
「アホか!!」
「三田もそれを思い出してオナニーして?それを想像して俺はまたオカズにするから」
「死ね!本当に死ね!」

どうしてこいつは本当にこういうアホなことしか言えないんだろう。
たまには真面目に慰めるような言葉の一つや二つくれてもいいじゃないか。
くれないのが野口だけど。

「俺より三田の方が心配だけどね」
「なんでだよ!」
「三田が俺の手元で、俺の目の届くところにいるならいいけど、あんた目を離した途端、ちょっと優しい男とか、目立つタイプのイケメンとかにすぐなびきそうだから」
「なっ」

淡々と言われて、頭に血が上る。
でも、野口は冷たい笑顔で、私の怒りなんて意に介さない。

「今は俺が毎日監視してるからいいけど、そもそもあんた、俺みたいなのタイプじゃないだろうし、ベタでお約束な乙女だしね。サークルとかでかわいいとか言われて、ちょっと優しくされたらすぐ惚れそう。俺もあんたがふられて弱ってるところを優しくしたから惚れたんだろうし」

そこで我慢できなくなって、野口の手を振り払った。
そして思い切りその頭をはたく。

「ふざけんな!」

興奮して、頭が熱くなって、目に涙が浮かんでくる。
怒りで、体が震える。
人を馬鹿にするにも、程がある。

「そんなちょっと言われたぐらいでなびいてたらあんたとなんか付き合ってない!ていうか優しくしたって、いつ優しくしたよ!あんたが普通に優しくしたところなんて見たことないし!そうだよ、あんたなんてタイプじゃないよ!意地悪だし性格悪いし変態だしちっとも優しくない!それでも三年近く付き合ってるんだよ!ちょっとやそっとの覚悟であんたの傍になんていられる訳ないでしょ、この変態!あんたみたいな面倒な奴、嫌えるものなら嫌いたいよ!」

でも、一緒にいたいと望んでしまった。
こんな面倒で馬鹿な変態と離れたくないと思ってしまった。

「タイプじゃないって言ったらあんたの方が、私のことタイプじゃないでしょ!おっさんとか藤原君みたいのが好きなら、わ、私なんて、タイプじゃないし、それなら、おっさんみたいの出てきたら、絶対、そっちが好きになるんだろうし………」

とうとう、涙がこぼれてしまった。
私なんてやっぱり可愛くなくて余裕もなくて、おっさんみたいなんてなれない。
でも、それでも、野口が、好きだと言ったのだ。
だったら、撤回するなんて、許さない。

「で、でも、そんなの許さないんだから!私のこと好きにさせたんだから、私のことふるなんて、許さないからな!あんたはずっと、私のものなんだから!」

泣いてしゃくりあげながらみっともなく喚いて、野口の胸を拳で叩く。
今まで積もり積もった不安が、爆発してしまった。
離れたくない、嫌われたくない、置いていかれたくない、一緒にいたい。
大丈夫だよって、一言言ってくれれば、それでいいのに。

「あー、本当に三田ったら男前」

それなのに野口はそんな言葉はくれやしない。
泣く私を見て、嬉しそうににやにやと笑う。

「そんなに俺を好きって言われると、このままイっちゃいそう。これ以上好きにさせないで?本当に拉致監禁しちゃいそう」
「あ、あんた、また、私のことからかって」
「からかった訳じゃないよ。不安は俺も一緒だよ。今まですぐ近くにいたのに、離れちゃう。目が届かないと不安で仕方ない」

それからまたぎゅっと抱きしめられる。
不安で苦しくてこんなに辛いのに、でも、一緒にいたい。
野口が不安なんて信じられない。
こんなに余裕なのに、嘘ばっかりだ。

「でも、ごめんね、待ってて。俺がちゃんと大人になるまで待ってて?」
「………」
「よくあんたのこと閉じ込めたいとか言っちゃうけど、所詮無理なんだよね。俺はなんの力もない親に扶養されてるガキで、拉致監禁どころかあんたを養うことすら出来やしない」

野口が私の髪を優しく梳く。
思いのほか真面目な声で、話す。

「だから、俺がちゃんと大人になるまで待ってて」
「………野口」
「あんたが俺から去ろうとしたら、いつでも拉致監禁して縛り付けられるだけの力を持てるまで、待ってて」

ぎゅっと胸が締め付けられる。
ああ、いっつもそうだ。
私が感情的になって泣きわめいて、こいつがこんな風に宥める。
結局私は納得してしまう。
悔しい。
でも、それだけじゃない。

「………」
「嬉しくなっちゃった?」
「………この変態」

こんな言葉に嬉しくなる私が、変態だ。
こいつは自分が三田の奴隷だ、なんて言うけど、そんなの嘘だ。
いつだって私は野口の手の平の上で転がされている。
いいように弄ばれて一喜一憂。

「不安でいてよ。安心なんてしないで。会えない時間も俺のこと考えて。常に俺のことを考えて。狂うほどに俺を求めて。会えない間、不安で不安でたまらなくなって」

大丈夫、なんて言ってくれない。
安心して、なんて言ってくれない。

「大好きだよ、三田。俺は考えるよ、三田のこと。ずっと不安でたまらない。今御飯を食べてるのかな、風呂に入ってるのかな、寝てるのかな、他の男に気をとられてるかな、他の男と寝てないかな、それとも俺のこと考えてオナニーしてるのかな」
「やめろ!」
「ずっと一緒にいれるようになるまで、会えない不安を楽しもう。それも好きじゃないとできないでしょ?」

それなのに、私は嬉しくなってしまうのだ。
本当におかしくなってしまった。
野口と一緒にいて、変えられてしまった。
不安になれって言われて嬉しくなってしまうなんて。
苦しいほどに胸が締め付けられるなんて。

「三田、好きだよ」
「………この、馬鹿!」
「うん」

顔を上げて罵ると、野口が笑う。
本当に嬉しそうに笑う。

「変態!」
「うん、その通り」
「性格悪い!」
「確かにね」
「女の子を不安にさせるなんて最低!」
「俺だって不安だし、男女平等だろ?」

細くて綺麗な指が、私の頬を濡らす涙を拭う。
それから目を覗き込んで、挑むように言う。

「そんな俺は嫌い?」

でも、その眼鏡の奥がどこか不安が滲んでいるから、私は正直に言ってしまう。
悔しくて仕方ないけれど、言ってしまう。

「………好き、だよ!」

だってそうすると、野口は嬉しそうに笑うから。
不安が少しだけ、消えるから。

「俺も好き」

お互いの心を疑って、不安に与えあって、不安を抱えながら一緒にいる。
それでも、安心もこいつしか与えてくれない。

「じゃあ、忘れられないぐらい濃厚なえっちしようね」

熱い舌が、私の頬を舐める。
冷たい手が服の中から入り込んでくる。

そして私達は、一瞬だけ一つになって不安を忘れる。
一時の安心を手に入れる。

きっとずっと。







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