■朝


「ティーモティモティモ、*******」

ティモ=ユハニが最近護衛として側付きになった異世界の女性のもとへ行くと、女性は部屋の中で機嫌よさそうに歌っていた。
なにやら机の上に酒瓶を並べてニコニコとしている。
名前を歌われているようだ。

「それは、私の歌ですか?」
「うはああ!」

ドアが開け放たれていたので声をかけてみたが、存在には気づいていなかったようで、部屋の主であるセツコが変な叫び声をあげて飛び上がる。
後ろを振り返って、目を白黒させながら、何かを叫んでいる。

「*****************、**************!?」
「………」

セツコが住んでいる異世界の言葉のようで、ティモ=ユハニにはさっぱり理解が出来ない。
だから、じっと見つめて興奮が冷めるのを待つことにした。

「******!!!***********!?」
「………………」

興奮しているセツコは、バンバンとティモ=ユハニを叩いてきたりする。
なぜそうされるのかは、ティモ=ユハニには分からない。
しばらくじっと見ていると、だんだん興奮が冷めてきたのか、セツコがふうっと息をつく。
そして照れくさそうに少しうつむくと、きょろきょろと視線を彷徨わせる。

「あ、えっと、えっとね」
「はい」
「あのね、これ、えっと、私の世界、歌」
「私の名前が出てましたか?」

聞き違いかもしれないと聞いてみると、セツコはこくこくと頷いた。

「えっと、そういう、物語?に、ティモって人?がいた?」
「そうなんですか」
「そう、えっと、人違う?魚?違う?半分魚?」
「そうなんですか」

話している本人が疑問形だらけな上に、訛りもひどく、言葉もたどたどしい。
言っていることがやっぱりよく分からないが、ティモ=ユハニはとりあえず頷いた。
半漁人は、この世界にも存在するとされている。
半漁人の中に、ティモという人間がいた、そういうことなのだろうと納得した。

「あ、魚もいた」
「はあ」

セツコが思いついた、というようにパッと顔を輝かせる。
ティモ=ユハニが知る同年代の女性よりも、ずっと感情の起伏が激しくて素直だ。

「えっと、ファイティングティモ!」
「ふぁいてぃんぐてぃも、ですか」
「あれ?なんか違う?」

セツコの言葉をそのまま復唱すると、セツコは眉を顰めて首を傾げる。

「戦う?いや、戦ってない。あれ………、なんか、違う?ティモと、戦う?ティモ戦ってる?」
「私は戦っておりませんが、戦記物なのかですか?」
「せんきもの?」
「えっと、戦う、物語なのですか?魚が戦う話?」
「………」

セツコが黙り込んで、難しい顔で呻く。
首をひねって不思議そうにしてからしばらくして、にこっと笑った。

「そう!魚のティモ、戦う話!」
「魚の戦記物ですか」
「そう!とにかくそういう、物語、あった」
「分かりました」

頷くと、セツコはちょっと申し訳なさそうに眉を下げる。
この国の女性よりもだいぶ背が低く、長身のティモ=ユハニの胸のあたりまでしかないので、上目づかいに首を傾げてくる。

「興味ない?」
「いえ、興味深かったです」

自分と同じ名を持つ魚が戦う物語。
それは、中々楽しそうな話で、興味が沸く。
自分は違う世界でも戦っていたのか。
そう思うと、遠い世界の魚のティモにも親近感が沸く。

「どうしたんですか、随分楽しそうですね」
「隊長」

そこにお茶を片手にエリアスが現れた。
以前の上官である人間を前に、ティモ=ユハニは少し居住まいを正す。
今は穏やかに微笑んでいてその頃の面影はないが、剣を持ち戦場を駆けるエリアスは年少ながらも尊敬できる上官だった。

「セツコ様の世界にはティモという戦う魚がいるそうです」
「は!?」
「半漁人のティモという生物もいるそうです」

ちょうど話していた話を説明すると、エリアスは少し繊細な作りの眉を顰めてみせる。

「ティモという名前はそんなに一般的な名前なのか?」
「どうなんでしょう」
「………お前は複雑な気持ちにはならないのか」
「なぜですか?」

エリアスが何を問うているのか分からず、ティモ=ユハニが問い返す。
すると元上官は、引きつった笑いで、目を逸らした。

「いや、なんでもない」

ティモ=ユハニは不思議そうに首を傾げた。



■昼


並べていた酒瓶は、どうやら昨日出かけた市場で買ってきたもののようだ。
昼の語学の勉強が終わると同時に、いそいそと蓋をあけ始めた。
まだ日が明るいが、いつものことなので、そのことについては誰も何ももう言わない。
たまにノーラが苦言を呈するぐらいだ。

「セツコ、そんなに飲むと太りますよ」

相伴に預かっていたネストリは、もう何杯目か分からないセツコを見て、さすがに呆れて目を細める。
セツコはその言葉に、ぴくりと眉を跳ね上げる。

「………なんか、言った?」
「太りますよ、と」

重ねて言うネストリに、セツコは立ち上がって机を叩いた。

「***********、********!!!*****************、**********!!!!」
「そんな本当のことを言われたからって怒らなくても」
「この、くそ悪魔!*******、*******!!!!」

ところどころはこの世界の言葉だが、およそ王宮は使われないスラングも含まれている。
セツコ様は言葉が達者だなと思いながら、ティモ=ユハニは二人のやりとりをじっと見ていた。
勿論、手にはグラスがあり、二人が話してる間に勝手にお代わりを注ぐ。

「蒸留酒、太らない。大丈夫。醸造酒と違う」
「あなたはそういう単語だけすぐ覚えますね」
「興味がある。すぐ覚える。いいこと」
「酒瓶に単語でも書きましょうか」
「いいわね、それ」

ネストリの提案に、セツコは顔を輝かせる。
逆にネストリは、目を逸らした。

「………すいません、冗談です。そんな目を輝かせないでください」

それからふうっとため息をついて、じっと立ち上がったセツコを見上げる。

「でも、酒が太らないのは確かですが、あなたつまみも食べるでしょう」
「………」
「最近、少しふくよかになってきたんじゃないですか?」
「うっ」

セツコは言葉に詰まって呻く。
ネストリがにっこりと綺麗に笑って、ティモ=ユハニに視線を向ける。

「ティモ=ユハニ、あなたはどう思いますか?」

一人酒を楽しんでいたティモ=ユハニは、その言葉にセツコの方を向く。

「女性は少しふくよかな方がいいのではないですか?」
「そうよね!そうよ!そうそう!」
「はあ」

ティモ=ユハニの言葉に、セツコは手を叩いて喜んだ。
しかし一瞬の後、眉を寄せて険しい顔になる。

「て、あれ、それ、私、太ってる、言ってる?」
「セツコ様はその方が素敵ですよ」
「な、あ、う………」

ティモ=ユハニは酒をぐびぐびと飲みながら、あっさりと告げる。
セツコはその言葉に、顔を真っ赤にしてたじろいだ。
けれどすぐにまた、険しい顔になる。

「あれ、でもやっぱり太ってる言ってる!?」
「私はもう少しふくよかな方が好みです」
「………」

今度は、セツコは黙り込んだ。
なにやら難しい顔で、隣のネストリに、何かを問う。

「ネストリ、***********」
「彼はそういう人なんです」

ネストリの言葉に、セツコは、黙ったまま席に座った。
お代わりをしながら、ティモ=ユハニはふと思いつく。

「ああ、飲んでばかりでも体に悪いですから、一緒に運動しますか?」
「え」
「装備を持って、城の周りの森を走って、あとは剣の素振りと」

何を言われたのか分からなかったのか、セツコはまたネストリに、おそらくティモ=ユハニの言葉の意味を問う。

「**************?」

ネストリは、術で話しかけたのだろう、黙って二人見つめあう。
ティモ=ユハニはその様子を酒を飲みながらただ見ている。
しばらくして、セツコは、疲れたようにため息をついた。

「また今度ね」
「はい、いつでも」
「………あなた、残念な人」
「そうですか?」

ティモ=ユハニは不思議そうに首を傾げた。



■夕


酒をほどよく飲んで昼寝をした後、メイドが入浴の準備が整ったとセツコを呼びにきた。
寝ぼけて目を擦りながら、セツコは楽しげに歌を歌う。
妙齢の女性らしからぬ、すっぴんでよだれの跡まであるが、それももう慣れたのでティモ=ユハニは何も言わない。
元々何も言う気はない。

「お風呂ー、お風呂ー」

よく歌っているから、基本的に歌が好きなのだと思われる。
そして入浴の時はとても機嫌がいいので、おそらく風呂も好きなのだろう。

「風呂、お好きなんですか?」
「大好き!」

にこにこと笑って頷くセツコは、その後も異世界の言葉で何かをぶつぶつと上機嫌に言っている。
独り言が多い人だな、とティモ=ユハニは少し思うが、やはり何も言う気はない。

「よーし、セツコ、一緒に入るか!」

廊下を歩いていると、唐突に表れた国の最高権力者が、セツコの前に立ちはだかり手を広げる。
上機嫌だったセツコは途端に全力で顔を顰める。

「消えろ、馬鹿王」
「どうしてお前はそんなつれないんだ!」

冷たく吐き捨てるような言葉に、ミカ王は大仰に傷ついて見せる。
セツコはミカ王を見上げて睨みつけながら、毛を逆立てる猫のように噛みつく。

「あんたみたいな******、*****、絶対、嫌!」
「ただお前と、隔てるもののない場所で、二人で語らい、触れ合い、感情を高めたいだけなのに」
「*********、************!」

最後の方は異世界の言葉で分からなかったが、何やら抗議をしているらしい。
ミカ王は普段は戦場育ちらしい粗雑な言葉を使っているが、女性に対する時は詩人のような美しい言葉を使ってみせる。
演技がかった仕草で、ティモ=ユハニを振り返る。

「どう思う、ティモ=ユハニ!俺のこの切ない恋心も跳ね除ける、心無き処女神を!俺は心から溢れる血潮で沈み、息絶えてしまいそうだ!」
「セツコ様処女なんですか?」
「ぶ!」

ティモ=ユハニの純粋な問いに、ミカ王が噴き出す。
その反応に、首を傾げていたセツコが、ミカ王に問う。

「何?」
「い、いや」

ミカ王がごほごほと咳払いしながら視線を逸らす。
眉を顰めたセツコは、今度はティモ=ユハニに問いかける。

「何言ったの?」
「セツコ様は、えっと、男性と」
「うん?」

簡単な単語はなんだろうと、脳内から知識を引っ張り出す。
だが元々武人であるティモ=ユハニには、ミカ王のような豊富な語彙は持ち合わせていない。

「男性と、性交をしたことないんですか?」
「性交?」
「お、おいティモ=ユハニ」
「どういう意味?」

セツコは単語が分からなかったようで、重ねて聞いてくる。
ミカ王の制止は黙殺する。

「ヤる、はスラングか。犯す、はちょっと違う」
「………」

セツコの眉間に皺が更による。
目を細めて剣呑な空気を漂わせる。

「ああ、男性と、ベッドを共にしたことはないんですか?で、どうでしょう」
「………」
「確か、いいお年でしたよね。あ、まだ単語分からないでしょうか?」

そこで、ティモ=ユハニの腹にいきなり衝撃が走った。
突然だったとはいえ、武人であるティモ=ユハニもとっさに反応が出来ない鋭さだった。

「ぐっ」
「死ね!消えろ!消え失せろ!**************!!!!」

驚いている間に、セツコは更にもう一発腹に蹴りを入れると、流れるようにミカの脛も蹴りつける。

「つ!」
「た、って、おい、なんで俺まで!」
「***********!!!」

目を吊り上げて顔を真っ赤にして、何かを怒鳴りつける。
そして最後にもう一度二人を睨みつけると、足音荒く、風呂に一人で向かっていった。
残されたのは情けなく蹴りつけられたところを抑える男二人。

「どうして怒ったんでしょう」
「………だからお前はすぐフラれるんだ」
「はあ」

ティモ=ユハニは不思議そうに首を傾げた。



■晩


セツコは風呂に入って夕食を食べ、酒をまた飲み、少し機嫌が直った。
けれど、アルノの部屋に訪れると、拗ねたように訴える。

「アルノ、あのね、ひどい、ティモもね、ミカもひどい」
「どうしたんだい」
「意地悪ばかり、いう。ひどいの」

アルノが苦笑しながら、優しくセツコの頭を撫でる。
セツコはまるで年端のいかぬ少女のように頬を膨らませる。
しゃべり方まで幼く甘えるようで、ティモ=ユハニは一瞬何かを言いたげに口を開くが、すぐに閉ざした。

「そうなのか。悪い人たちだ。可哀そうに」

アルノは仕事の邪魔をされてもまったく気にした様子はなく、目を細めて微笑んでいる。
甘く諭す様子は、慈愛に満ちている。

「何を言ったんだ、ティモ=ユハニ」

困ったように笑って、隣に立っていたティモ=ユハニに問いかける。
問われて、正直に答えた。

「セツコ様は処女なのかと」
「………」

アルノは表情の選択に困ったような顔で、一瞬黙り込む。
それから、沈痛な面持ちで深いため息をついた。

「どういう話の流れでそういうことになったのかは大変興味があるが、その前に、君は本当に、正直なのはいいが、感情の機微に気づくことや、気配りが必要だ」
「気配り、ですか」
「女性の扱いかもしれないね。男性同士ならいいけれど」
「女性、ですか」

それはティモ=ユハニにとっては、あまり得意な分野ではない。
女は好きだし、それなりの付き合いはあるが、その感情や態度は分かりづらく難しい。
近づいてくる女性も多いが、ティモ=ユハニの言動に怒ったり泣き出す女性も多い。

「まあ、戦場暮らしが長かったらから仕方ないが………」

アルノは苦笑しながら、もう一度ため息をついた。
それから、セツコに向き直り、頭を撫でる。

「セツコ、すまないね。ティモ=ユハニは、少し、気が利かないんだ。男の中でずっと暮らしてきてね、女性の扱いを知らない」
「そうなの?」
「ああ、だから、少し大目に見てくれるとありがたい。心根は優しい男だから。陛下やネストリと違って」

最後の二人の名前のところで、セツコはちらりとティモ=ユハニを見る。
それからうんうんと頷いた。
なにやら納得したらしい。

「なんか、気分を害されたようですいません」

どうやら自分の言動がまずかったようなので、ティモ=ユハニはとりあえず謝った。
周りの人間を自分の言動で怒らせることは、少なくない。
セツコは口を尖らせながらも頷いてくれた。

「次、気を付けて」
「かしこまりました。ただ、何が悪いのかあまり分からないので、悪いことを言ったら、言ってくれるとありがたいです」
「………」

セツコは、不可解そうにティモ=ユハニを見上げる。

「セツコ様が教えてくださるとありがたいです。あなたはとても話しやすい女性なので」
「どういう意味」
「女性は難しい。あなたは割と分かりやすい」
「………」
「陛下に文句を言ったり、酒をあんなに飲んだりする女性も見たことがない」

そこで、セツコとアルノは、同時にため息をついた。
怒っているというよりは、呆れているようだった。

「………悪かったわね」
「………ティモ=ユハニ」

ティモ=ユハニは謝るセツコに首を軽く横に振る。

「いえ、そういうところが、とても話しやすくて好ましいです」

感情がはっきりしていて、言葉もまっすぐで、行動も中々分かりやすい。
やっぱり分からないところは多々あるが、大人しくすぐに泣いて傷つく女性よりもずっといい。
傍にいて楽だし、見ていて楽しい。

「私は、あなたのような女性は好きです」

まっすぐにセツコを見つめて言うと、セツコは呆れたようにアルノを見た。

「どうにか、ならないの、この人」
「………すまない」

謝るアルノに、ティモ=ユハニは不思議そうにやっぱり、首を傾げた。






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