「はい」 「はい?」 隣を歩く先輩が、私に向かって無造作に何かを差し出してきた。 それは白い小さな袋で、可愛らしいピンクのリボンで結ばれている。 先輩と一緒に帰るようになって早1月。 いまだに緊張して、手をつなぐことはおろか隣さえ見えない。 弾む会話なんてものは存在せず、散文的な言葉を交わすだけだ。 私としてはそれで十分満足で楽しい。 先輩の隣にいれるだけで嬉しくなってしまう。 まあ、それが私の態度にでることはないのだが。 けれど先輩が退屈していないか、それだけが心配だった。 バレンタインデーのあの日にチョコと共に私の想いを受け止めてくれた先輩。 それは今思い出しても信じられないような、うきうきするような、不安になるような、ドキドキするような、走り出したくなるような出来事だった。 ただ、それから私たちの関係がどうなったということもない。 先輩の態度はあの日以前と以後でまったく変わることはない。 ただ並んで歩くようになっただけだ。 それでも私としては本当に幸せなのだが。 しかし、私が言えた事ではないが、先輩の考えてることも大概分からない。 先輩は割りと変人だと、思う。 「これはなんでしょうか?」 「マシュマロ」 「マシュマロ?」 何気なく受け取ってしまったそれは、思った以上に軽かった。 なるほど、マシュマロと言われれば分かる。 「そう、マシュマロ」 「私にくれるんでしょうか?」 「ああ、お前にあげる」 「はあ、ありがとうございます」 意図がよく読めない。 今までこんな改まってお菓子をくれたりすることはなかった。 急にどうしたのだろう、気まぐれだろうか。 しかし先輩がくれるというのなら、喜んで受け取る。 もったいなくて食べれないかもしれない。 でも痛ませるのはもってのほかだ。 一日一個、いや、一週間で一個にするか。 とりあえずマシュマロの賞味期限について帰ったら調べよう。 そしてこれを眺めながらベッドで転げまわることを心に決めた。 「喜んでる?」 「はい、心から感謝しています」 先輩が前を向いたままそういうから、私も素直に頷いて礼を言った。 正直、本当に嬉しい。 叫びだして万歳したいほどだ。 「結構緊張してたんだけど、素直に受け取ってもらえ何より」 「と、言われると?」 「がっかりはしなかった?そんなもので」 「がっかり?開けるとマシュマロと言ったくせに蛇人形が出てくるとかですか?」 「今回はしてないよ」 「それはよかったです」 まあ、たとえそんなものでも先輩に貰ったものだったら私は嬉しいだろう。 本物でない限り。 いや、本物でも好きになってみせる。 先輩は相変わらずのんびりと歩いている。 知り合ったときから、先輩はのんびりと歩いている。 この人の人柄を表しているようで、私は隣を並んで歩くたび嬉しくなってしまう。 「ところで、今日何日か知ってる?」 「知っていますが、今日は何かご用事でもあるんですか?」 「いや、特に。それで今日何日?」 「3月14日です」 「そう、3月14日だ」 「はい、ちなみに今5時56分です」 「結構遅くなったね」 「長引きましたからね」 「ああ」 もう少しで分かれ道だ。 まだもうちょっと話していたい。 ちょうどいいことに、先輩の問いかけはまだ続くようだった。 ただ、今日の先輩はいつにもまして言うことが変だ。 一体何を言いたいのだろう。 「それじゃあ、今から一ヶ月前は何日?」 「一ヶ月前ですか?2月は28日だから、正確に計算するのが結構難しいのですが」 「単純に一月減らしてくれればいい」 「それでは2月14日ですね」 「ああ、それで2月14日は何の日?」 「バレンタインデーです」 「うん、チョコありがとう」 「………はい」 「ちゃんと食べれた。美味しいと分類されると思う」 「それは何よりです」 顔が熱くなってくる、いまだにあの出来事について言われるのは心臓に悪い。 心臓が跳ね上がった音が聞こえなかっただろうか。 いや、聞こえるわけないのだが。 恋する乙女というのは、本当に下らないことを考えるものだと、先輩と出会ってから知った。 「それでさ」 「はい」 まだ続くのだろうか。 今日の先輩は、本当にちょっと変だ。 「今日は何の日?」 「何の日…?3月14日ですから、ああ、ホワ……」 その時ようやく、手にした小さな白い包みの意味が分かった。 そう、今日は3月14日、ホワイトデー。 バレンタインのお返しをする日だ。 もしかして、結構重要なイベントではなかろうか。 思わず立ち止まってしまった私に、一歩前にでた先輩が振り返る。 先輩はわずかに口角を上げた笑いかたをして肩をすくめた。 「あ……その、先輩……」 「全く期待されていないというのは、そこはかとなくショックだな」 「いえ、そのあの…」 「忘れられているとはさすがに思わなかった」 「いや、えーと」 「俺はお返しもしないほど薄情な人間に見えたのか。それとも1月持たないと思われていたのか、俺からのお返しなんてどうでもよかったのか。さあどれだ」 先輩は心なしか悲しそうに目を伏せる。 それまで言われて、私は慌てて反論した。 そんなことはない。 ありえるわけがないのだ。 私は先輩に一歩近づいて、その目をまっすぐに見つめ返す。 「先輩、それは間違っています」 「というと」 「私は確かに、先輩のお返しを期待していませんでした」 「傷つくな」 「先があります。とりあえず聞いてください」 「了解」 「それは先輩に期待していなかった、とイコールではありません。、先輩と一緒にいるのが幸せすぎて、これ以上の何かを望んだりすることを考え付かなかっただけです。私は先輩といれるだけで、満足なんです」 先輩に口を挟ませる隙を与えないまま、そこまで言い切った。 まっすぐに見つめた目は、変わらず少し細められているだけだった。 空いていた半歩の距離を、先輩が前に出て、つめる。 何ごとかと思う間もなく、意外としっかりした腕に抱きこまれた。 「熱烈な告白だな」 「せ、先輩」 耳元に息がかかって、ダイレクトに心臓に声が届いてきた。 腕を掴んだ手に、堅い筋肉の感触が伝わってくる。 熱い体温が、徐々に移ってくるような気がした。 「俺もそれを聞けて満足だ。お前といれるだけで、俺も嬉しい」 「……怒ってはいませんか?」 「最初から別に怒ってない。そんなことだろうと思ったし」 「じゃあ、なぜ」 「つついたら嬉しいこと聞かせてくれるかな、と思ったから」 それはさすがに、いくら先輩でもムカッとくるのですが。 けれど抱きしめてくるその腕に、私の不満などかき消せれてしまう。 だから私はせめてもの抵抗に、不機嫌そうな声を作る。 「先輩は、たまに性格が悪いです」 「俺は元々性格が悪い」 「開き直らないでください」 「お前がどう思ってるかは知らないが、俺は性格が悪くてガキだ」 そういう面があることは知っている。 真面目かと思うと、子供みたいな悪戯をするときもある。 そんなところもかわいいと思ってしまう私ももう、手遅れだ。 「ちょっと知っています」 「それならよかった。だから、意地悪したくなるんだ」 好きな子には。 そう耳元に吹き込まれて、私は思わず息が止まった。 この距離ならば、心臓の音も聞こえてしまうかもしれない。 こんな高速で波打つ心臓は、体に悪くないのだろうか。 これで死んだら、先輩は殺人犯だろうか。 しかし結構幸せそうな死に方だ。 そんな下らないことを考えて、少しでも感情を沈めようとする。 「また無表情になったな」 「先輩のせいです」 「たまには笑ったところを見たいんだけど、俺の前だと笑えないしな」 「鋭意努力します」 「けど実は、そんなところがすごいかわいいと思ってる」 「………」 「また堅くなったな」 「………反則です」 これだから、先輩には、かなわないのだ。 私はきっとこれから一生、ホワイトデーを忘れることはないだろう。 |