義也の悪夢が始まったのは、つい昨日のことだった。

水無瀬義也はもてる。

母方の祖母から4分の1だけ北欧の血を受け継ぎ、彫りが深い端正な顔と、日本人離れしたスタイル、緑がかった瞳を持っている。
文武両道、高校からモデルのバイトも始めたこともあり、言い寄ってくる女性は後をたたない。
モデルのバイトを始めた頃からストーカーじみたファンも増え、いい加減うんざりしていた。
玄関の前に立っている女も、そんな奴の1人だろうと思い、普段からの仏頂面が余計に不機嫌そうにゆがむ。
歳の頃は義也と同じぐらい、制服も着ているところから高校生だろう。
女は髪をゆったりと二つに結い、スカート丈も長い。
どこか垢抜けない印象を受ける少女だった。

玄関の前に立っている少女はこちらに気づくと、ぺこりと小さくお辞儀をした。

「あ、あの水無瀬さんですか…?わ、私、吉田桜(よしだ さくら)と言います!」

印象通りの頼りなげな声。
苛立ちがますますつのる。

「あんたの名前なんか聞いてないし。邪魔だからどいてくれる」

いつものように冷たくあしらう。
眉間のしわもマックスだ。
大抵のファンは、このあたりで夢と現実のギャップに気づき去っていく。
しかし、桜と名乗る少女は玄関の前からどいたものの、立ち去る気配はない。

「あ、す、すいません!」
「さっさと行けよ。警察呼ぶよ?」

そちらを見もせずに、家に入ろうとする義也。

「あ、きょ、今日からお世話になります」

しかし少女はめげずに再度深々とお辞儀をした。
思いがけぬ言葉を聞き、義也の動きが思わず止まった。

「は?」
「あ、今日からお世話になります。ふつつか者ですがよろしくお願いします」

聞こえなかったのかと、同じ言葉を繰り返し丁寧に頭を下げる。
義也は今度こそ桜に向かい合った。

「……何、あんた。ストーカー?ヤバイよ?頭大丈夫?」

こういう大人しそうなタイプほど、ヤバイ。
何をされても大丈夫なように、一応身構えておいた。
けれど桜はきょとん、とした顔をした。

「あの…、水無瀬さんの息子さんの義也さんですよね?私のこと聞いてませんか?」
「はあ?」

思いっきり馬鹿にした声をだす。
聞いてるも聞いてないもない。この女は頭がおかしい。
ケータイに手をかけようとしたその時、後ろから能天気な声が聞こえた。

「ああー!!!桜ちゃんもう来てたの!ごめ〜ん!!」

義也と桜は同時にそちらを振り返る。
着崩れたスーツを身に纏った、冴えない中年男がよたよたと走っている。
髪をぼさぼさにした、ひょろっとした細身の男だ。

「親父…」

認めたくはないが、紛れもなく義也の父、義彦だった。
どっから見ても冴えない男だが、会社を経営している。

「やー、ごめんごめん、仕事で遅くなっちゃって!」
「いえ、大丈夫です。この度は、無理を聞いてくださり本当にありがとうございました」

走ってきた義彦は、義也には目もくれず、息を整えると桜に向き合う。
桜もちょっとはにかんで丁寧にお辞儀をした。

「いやいやいや、そんないいんだよ。これからは僕を本当の父親だと思ってくれ。僕達は家族なんだから!」
「本当に、ありがとうございます…」

地味な印象の少女は感極まったように、目元を押さえる。
そんな少女を見て、義彦は照れくさそうに鼻の頭をかく。

「はは、桜ちゃんはかわいいな。むさい男所帯だけど、今日からは君の家だよ!遠慮はなしだ!」
「はい!」

そう言って、玄関に手をかけた。
桜もそれに続こうとする。

「ちょっと待て!」

しかし寸前で、義也が全力で止めた。

「ん、なんだ義也?」

義彦はさも不思議そうに自分の息子に向き合う。
桜もつられて振り返った。

「この女は誰だ。ていうか今の会話はなんだ」
「あれ、僕、義也に説明してなかったっけ?」
「一切聞いてない」
「あれ〜、そういえば一昨日決めたばっかだしなあ」

しまった〜といいながら朗らかに笑う義彦。
いつものことながらこのボケ親父の言動に殺意が沸いてくる。
義也は振り上げそうになる拳を必死で押しとどめながらもう一度問いなおす。

「この、女は、なんだ」
「いやあ、僕の友人が借金で首が回らなくなってねえ、中東で石油掘るって言ってたから娘さんを僕んちで引き取ろうと思って」
「………」
「僕んちは幸い余裕あるし、二人暮らしで部屋も空いてるしね。僕、娘が欲しかったんだよ〜」

殴った。

「何するんだ義也!父親に手をあげるなんて!」

義也より頭一個分小さい義彦が、殴られた頬を押さえながら非難する。

「お前が父親なことが俺の人生最大の汚点だ!ふざけんな!」
「なんてこと言うんだ!君は僕の人生最大の宝なのに!僕は君をそんなこと言うような子に産んだ覚えはない!」
「お前に産んでもらった覚えはねえ!」
「収穫はママだけど、種付けは僕だ!!」

もう一回、今度は容赦なく殴った。

「いたーい!!!ひどいぞ義也!君は僕より力があるんだから!」

涙目になりながら、ジト目でこちらをにらんでくる父親。
この30も後半な男と話していると、どんどん論点がずれていく。
クールを地でいく義也が、1人調子を崩されるのがこの男だった。
沸騰する脳みそを落ち着けるように、深く深く深呼吸をした。

「話を戻すぞ。こいつは誰だ」

おろおろとことの成り行きを見守っていた桜を指差す。

「僕の友人の娘さんの桜ちゃん」
「で、こいつをどうするって」
「今日から僕達と一緒に暮らす。あ、義也とおない年。高校2年生だよ」

また拳に力が入ったが、殴ってばかりでは意味がないと、理性で必死に押しとどめた。

「俺の家にはお前と俺しかいない」
「うん」
「こいつは女だ」
「そうだね。かわいいよね。パパって呼んで欲しいなあ」

軽く殴っておく。

「色々とつっこみたいことは山ほどあるが……、とりあえず男2人のところに女1人はおかしい」
「えー、なんで?男所帯だからこそ女の子がいたほうがいいじゃないか!ママが死んでもう10年以上たつんだし……」

悲しげに目を伏せる義彦。
痛む頭を押さえて、もう一度気持ちを落ち着ける。
血管が切れそうだ。

「常識的に考えろ!しかも女子高校生だと!お前そのうち捕まるぞ!」

その言葉に、義彦が言い返そうと口を開いた。
しかしそこで、ずっと事の成り行きを見守っていた桜がたおずおずと控えめに口を開いた。

「……あの、やっぱりご迷惑ですよね」
「めいわくなんかじゃ……」

ない、と言おうとした義彦の声を遮って、義也がきっぱりと言い放った。

「迷惑だ。だいたいあんたも常識ないのか。赤の他人の家に上がりこむなんて。家あんだろ、だったらこいつの悪ふざけに付き合ってないでさっさと帰ったら?」

本当に心から迷惑だという感情あらわに、眉間に皺をよせる。
桜は慌ててもう一度頭を下げた。

「ご、ごめんなさい、本当に!家はもう差し押さえられてしまって…。ご迷惑かと思ったんですが、つい……おじ様のご好意に甘えてしまって…!すいません!やっぱり亀田のおじさんが誘ってくれた公園のホームレス団地に行きます!」

そうしてくるりと踵を返し、走り出そうとする。
その肩をそっと押さえて止める義彦。

「ちょっとちょっとー、だめだよー、僕が吉田君に君をよろしくって頼まれたのにー。亀田のおじさんなんかに負けないよ!渡さないよ!僕の娘にするんだから!」
「おじさま……」

涙で目を潤ませながら、義彦を見つめる桜。
義也はもうどこからつっこんでいいのか分からない。
義彦は自分よりはるかに育った息子をじろりとにらむ。
いつもの義彦からは想像もできない威圧感が生まれる。
にらまれた義也は少しひるんだ。

「義也!僕はこんな不運な少女を見捨てるような息子を持った覚えはないよ!家主命令だ!桜ちゃんは僕の娘にする!」
「ありがとう……おじさま。でも私はその言葉だけで十分です。義也さんと仲違いしないでください。義也さんの言うことも分かりますから」
「いや、いいんだよ!この家の家主は僕だ!こんな寒い季節に公園生活なんてダメだよ!」
「でも……いいんです。差し押さえられてはいますけど、まだ鍵持ってるから自宅には入れるし!燃やすものだっていっぱいあります!一週間くらいはどうにかなります!」
「分かった!」

目の前で勝手にドラマを繰り広げる二人を義也が止めた。
二人はぴたりと動きを止める。

「分かった。話は分かった。あんたが行くところないっていうのも分かった。とりあえず今日はうちに泊まれ」
「え、いいんですか……?」
「義也!やっぱり僕の息子だね!」

不安げに顔を曇らせる桜と、輝かせる義彦。
しかしまたそこで義也は二人を遮った。

「だけどな!それは少しの間だ!普通に考えてこのメンバーで暮らすのはおかしい!しかも親父はほとんど家に帰ってこねえ!俺達二人は色々問題がある!」
「えー、僕は義也を信じてるよー」
「そうじゃねえ!俺がウザイし、近所の目が痛いんだよ!主婦業やってる身にもなれ!

進まない会話に苛立ちを募らせ、声にだいぶ棘が入っている。

「お前は無駄に金持ってるんだから、そいつにマンションでも探して来い!そんであんたは見つかるまでここにいろ!それが俺のできる最大の譲歩だ!」
「えー」

肩で息をしながらそこまで一気に言い切る義也に、しかし義彦は不満げだ。

「なんか文句あるか」

低い声で自らの父親をねめつける。
いまだに不満げだったが、義彦はそれで口をつぐんだ。

「あんたは?」

義彦から更に頭一個分小さい桜を今度はにらみつける。
元から硬派なタチであるし、色々な経験から女嫌いの域にまで至っている義也に、女性だからと手加減する気はない。
整った顔だから余計に迫力のある義也の視線に、けれど桜はひるまず微笑んだ。

「私は、それで結構です。本当にどうもありがとうございます。ごめんなさい。でも、新しい家までお世話になることはありません。バイトでお金をためたら、すぐ出て行きますから。それまでどうか、ご迷惑でしょうがお願いいたします」

そうして深々と頭を下げる。
義也は自分で言った事ながら、少し決まりが悪くなる。
相手は自分と同じように父親に振り回されているただの少女に過ぎないのだ。
けれど、自分のテリトリーに入ってくる人間は、あまり好意的にはなれなかった。

「そんなこと言わないでもいいよ!そんな約束なんて、やぶっちゃえばいいんだから!」

録でもないことしか言わない男は、腹に一発いれて黙らせた。




***





バイトで疲れた上、とんでもなく疲れるようなことに遭遇して、義也は疲労の頂点だった。
いつものように、帰宅後すぐにシャワーを浴びる。
疲れた時や、気分転換したい時の義也はシャワーを浴びるのが習慣となっていた。

疲れた…。本当に疲れた……。

上を向いて、顔から熱めのお湯をかぶる。
疲労を吹き飛ばしてくれる気がした。
しかし、思考はすぐに明日からの生活に向かう。
テリトリー意識の強い義也は、自分の生活に入ってくる異物に不快感を覚えている。
しかも大嫌いな女という生物だ。

でも、あいつもなんか複雑そうな身の上だったしな。

少しずれているけど、控えめで大人しそうな桜は義也に近づいてくる女よりは好感は持てた。
とても不快だが、しばらくの間は耐えようとは思う。

これも人助けだ。

そう結論づけて、ひとつ息をついた。
こうなってしまったからには、仕方ない。
覚悟を決めることにした。
そうして更にシャワーを強くする。
濡れた柔らかい栗色の髪を掻き揚げた。

と、ガチャリ、と音がした。
そちらを見ると、バスタオル姿の桜。
結わいていた髪を下ろして、印象が違って見えた。
化粧気のない清楚な顔立ちは、きょとん、としている。
制服を着ていたときには気づかなかったが、結構胸がある。
日に焼けていない白い肌が、蛍光灯の下で輝いてみえた。

「お、おおおおおお、おい!!!!」

混乱して声が上ずる義也。
桜は義也の姿を上から下までじっくりと見るとにっこりと笑った。

「あ、すいません。義也さんが入ってたんですね」
「だ、だだだ、だから!」
「お風呂広いんですねー」
「ふざけんなー!!!出てけ!!!」

そう言って近くにあった風呂桶をドアに向かって投げ飛ばす。
桜は桶にぶつかる前にドアを閉めた。

混乱した頭のまま、義也はその場にしゃがみこむ。

やっぱり、やっぱり、やっぱり、同居なんて絶対イヤだー!!!!!!

心からの叫びは、誰に届くこともなかった。



***




それから長いこと風呂場にこもり、のぼせる寸前まで熱いお湯を浴びていた。
なんとか心を落ち着けることができると、ようやく浴室から出る。
服を身につけ、廊下に続くドアを開けると、ドアのすぐ横に桜が座り込んでいた。

バスタオル姿で。

「あ、義也さん」

ドアのところで固まる義也を座り込んだまま、見上げてにっこりと笑う半裸の少女。
義也は思いっきりその少女の背中を蹴り付けた。

「服を着ろー!!!!!」



***




「義也さんて繊細なんですね」

なんとか服を身に着けた桜が、並んで歩きながらおっとりという。
脱衣所に服を置いてきてしまったので、着替えられなかったということだった。
義也はまだ心臓が落ち着かず、隣が見れない。

「そういう問題じゃねえだろ!ていうかなんで俺が悪い風なんだよ!」
「あ、そうですね、ごめんなさい。私が悪かったです。私ってどうもドジで……」

すまなさそうに、素直に謝罪する桜。
そうこられると、義也も強く出れない。
反省しているなら少し注意して、終わることにするかと考える。
少しの間でも一緒に暮らしていくなら、ルールは必要だ。
特にこの少女は危機感がないというか、天然というか。
と、考えていた時、桜が義也に向き直り、手をとった。

「でも大丈夫です!私、義也さんの○○○が○○だなんて誰にも言いませんから!」

真っ直ぐな目で見つめられて、固まる。
思考が止まった。

「大丈夫ですよ!日本人男性は多いそうですし、今は保険がきくそうです。手術も痛くないって!」
「ふざけんなー!!!!!!誰が○○だー!!!!」

思わず手を振り払って、絶叫する。
隣近所にも聞こえそうな勢いだ。

「え、義也さんが…。そんな、照れないで下さい。恥ずかしいことじゃないですよ?」

桜の視線は痛いほどにまっすぐだった。
それは本当にひたむきで、気遣いに満ちている。
だからと言って、義也にはありがたくもなんともない。

「だからなんの心配をしている!俺は○○じゃねえ!」
「またまた〜」
「ちょっと○○○○気味なだけだ!!!」
「ああ、そうなんですかー」

手を叩いて、桜はほっと息をつく。

「よかったです。それならそんなに心配じゃないですね。じゃあご飯にしましょう」

そう言って、義也が何か言う暇を与えず、さっさとリビングに向かってしまった。
後に残されたのは義也1人。
呆然として、しばらくそこから動けなかった。



***




入浴で回復したはずの体力を更に消耗させた義也は、その後だいぶたってからリビングへ向かった。
二人暮らしにしては広すぎるリビングでは、クールな義也の調子を狂わせっぱなしの二人がなごやかに談笑している。
その光景を見て、どっとまた疲れがでた。
こちらに気づいた義彦がにこにこと、義也に微笑みかける。

「あ、義也、お風呂出たんだ」
「………ああ。そこの女のせい気分最悪だけどな」

顎で不機嫌そうに桜をさす。
するといつでも朗らかな30後半男は今度は指された先を振り返る。

「あれ、どうしたの?」
「ええ、間違って義也さんが入ってるところに入ってしまって」
「あははは、それは困っちゃうね」

二人とも和やかな雰囲気を崩さない。
義也はまたまた血圧が頂点に達した。

「ふざけんな!!!お前も俺の習慣は知ってるだろ!この女に言っておけ」
「あれ〜、僕言ったんだけどな〜。今義也お風呂入ってるよ、って」
「は?」

義彦は首を傾げて、義也は端正な顔をもったいないくらいゆがませて、二人でソファに座っている少女を見た。
桜は控えめな仕草で赤らめた頬を押さえる。
それはどきりとするほど女らしい仕草だった。

「ごめんなさい。つい忘れてしまって…。私ってドジだから……」
「はっはっは、桜ちゃんはうっかりさんだな〜」

にこにこと楽しそうに笑う義彦。


「ふざけんなー!!!!!!」

義也の叫びは、夜の静寂を引き裂いて響き渡った。



それが、昨日の出来事だった。






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