「………はあ」
「また野口君?由紀は恋する乙女だなあ」

机に突っ伏してため息をつくと、向かいに座る美香が小さく笑う。
からかう声に、反応する気力すらない。

「………うーん」
「薄い反応」

確かに私は悩んでいる。
恋に悩む。
恋なのか。
いや、恋だよな。

「まだえっちしてないの?」
「してない」
「キス止まり?」
「………っ」

もう、キス、だけではない。
野口の、お手伝いを、した。
グロくて、エグくて、汚くて、熱くて。
野口の声が、掠れていて、息が、湿っていた。
それで、野口も、お礼にといって、私に触ってきて。

「あ、顔が真っ赤。何考えてるの?」
「な、なんでもない!」

あの脳みそが完全にぶっ壊れてしまったような日のことは忘れてしまおう。
どうかしていた。
私はどうかしていた。
あんなの、正気な訳で、出来る訳がない。
なんかこう、膝の傷から細菌が入って頭おかしくなっちゃったんだ。

「何してるの、一体」
「な、何って!?」

頭を思いっきりふって、脳裏からあの記憶を押しだそうとすると、美香がじっと見てくる。
私の大げさな反応に、ますます目が細くなる。

「なんでそんな焦ってるの?」
「な、何もしてない!」
「どんなことするの、野口君。かなりディープぽいけど」
「………知らないっ」
「ねえねえ」
「知らないってば!」
「じゃあ、野口君に聞こう」
「それはやめろ!」

あいつは間違いなく正直に言うだろう。
それこそ私の反応とか、私が何をしたかとか、逐一詳細に。
そんなの、耐えられない。
仕方なく、少しだけ正直に、白状することにする。
この前のことだけは、絶対に黙秘だ。

「な、舐める」

ああ、顔から火が出てきてしまいそうなほど、熱い。
耳まで、痛いくらいに熱い。
視線を下に落として、古ぼけた机の木目を数える。

「は?」
「あいつ、すぐ舐める」
「………舐める?」

美香が、怪訝そうな声で繰り返す。

「か、顔とか、喉とか、手とか」
「うん」
「足の指とか、膝とか、へそとか」
「………」
「すぐに口移しで、もの食べさせようとするし、飲ませようとするし」

ああ、なんか、言えば言うほど、変態だ。
ていうかそれに付き合ってる私、大丈夫か。
なんかずるずる付き合わせられてるが、とんでもないことになってないか。
いつの間にこんなのが普通になってるんだ。
いや、普通じゃないけど、最初の方はもう、死ぬ気で抵抗していた気が。

「………」
「逃げるな!」

美香が無言でじりじりと後ずさっているので、がしりと腕をつかんだ。
するとどこか遠いところを見つめて、切ない声で言った。

「………由紀、遠いところにいっちゃたんだね」
「行ってない!」

私が行ってる訳じゃない。
野口が勝手に引きずり込もうとするだけだ。
それにまだ私は変態じゃない。
私はまだ、セーフだ。

「さすが野口君、ディープだね」
「かなり変態ぽい」
「ていうか普通に変態だと思うよ」

いや、そんな朗らかな笑顔で言われても。
この子は本当に、ある意味野口にとてもよく似ている。
時折怖いぐらいにストレートで、常識的なものが抜け落ちている。
美香はちょこんとかわいらしい仕草で、首を傾げる。

「ていうかなんでそれでえっちしてないの?」
「………」

それは、私としても、謎なところだ。
なんか、結構、濃いことをしている気がするのだが、最後まではいっていない。
これは、一般的に普通のことなんだろうか。
えっちにいくまでは、こういうことをするものなのだろうか。

「まだ嫌なの?そこまでやってて?」
「………うーん」
「ていうかもう、挿入するかしないかだけの差じゃない?」
「そういうことは言うんじゃありません!そしてそれはでかい差だ!」
「はーい」

なんかもう、自分的にもここまできたら一緒なんじゃないかなって気は正直している。
でも、そういうことを口に出すな。
本当にこいつはかわいい顔してもう。

「野口君が嫌?」
「………なんか、もういっそ、押し倒してでもくれればいいのに。あいつ結局最後には引くんだもん」

そしたら何も考えなくて済むのに。
野口を一発殴って怒って、それでいい。
それできっと、楽になれる。
こんなぐるぐる悩むこともない。

「なんだ、もう由紀もやる気なんじゃない」

けれど美香はあっさりと言い切る。
また何を言っているんだ。

「へ?」
「押し倒されてもいいんでしょ?じゃあ、もういいんじゃん」
「いや、いいって………」
「私だったらなんでもない男の子に押し倒されるとか絶対に嫌だよ?」
「………」
「たとえ好きでもそんな気にならない人だったら、押し倒されてもいいなんて思えない」

それは、確かに、そうだ。
私だって、クラスの他の男子に押し倒される、なんて思ったら半殺しにしてでも抵抗するだろう。
なんとも思ってない奴に、押し倒されるなんて、嫌だ。

「………」
「ああ、また由紀にノロケられちゃった。悔しいなあ」
「ノロケてなんかっ」
「あるよね」

私の抗議はあっさりと聞き流される。
ノロケ、なのか、これは。
絶句していると、美香は拳をぎゅっと握ってかわいらしい顔をふぐのように膨らませる。

「ああ、悔しい!私もノロケる!あのね、この前藤原君がね………」

美香の話を半分聞き流しながら、さっきのことを思い出す。
好きでもない奴に押し倒されるのは、嫌だ。
ああ、まあ、確かにそうだ。

きっと、私はもう、野口を受け入れてはいるんだ。



***





「………こんにちは」
「こんにちは」

黒いシックな扉を開くと、昼なお薄暗い照明の店内にはほっそりとした綺麗な男性がいた。
相変わらず外の世界とは切り離されたような静かな世界。
覗き込むと、昼だと言うのにカウンターに座る一人の男性。

「よお」
「さようなら」

端正な顔をした、自信に満ちた表情の大人の男が、軽く手を上げる。
私はくるりと踵を返した。

「まあまあ、そんな邪険にするなよ」

けれど、スツールから一歩立ちあがった男に肩をがっしりと掴まれる。
くそ、なんでこのおっさんがいるんだ。
絶対にこのおっさんにだけは会いたくなかったのに。

「………ジンさん」

そんなこと、メールでは全然言ってなかった。
思わず恨みがましい声が出てしまう。
あの日の恥ずかしさと悔しさは、今でもよく覚えている。
ジンさんは申し訳なさそうに、眉を顰める。

「ごめんね、君にメールをレスした後に来ちゃって。嫌なら追い出すけど」
「おいこら」
「あなたが突然来るから」
「俺が悪いのか?まあ、いいから座れって」

無理矢理そのままおっさんの隣に座らせられてしまう。
逃げようかとも思ったが、ジンさんには用があるのだ。
仕方ない、今を逃したらもう勇気が出ないかもしれない。
ジンさんがドリンクはお任せでいいかというから、大人しく頷いた。

「良は元気か?」
「………元気です」
「かわいい反応だな」

そっぽを向いて、頷く。
なんかこの人から野口の名前が出ると、無性にムカムカとする。
親しげに名前なんか呼ぶのが、すっごいイラツく。

「まあ、そうつんけんするなよ。俺たちは兄妹みたいなもんじゃないか」
「離せ、おっさん!」
「口が悪いな」

頭をぽんぽんと大きな手で撫でられて、その子供扱いにも腹が経つ。
兄妹とかふざけるな。

「はい、どうぞ」

ジンさんが小さめのかわいいグラスを私の前に置く。
オレンジ色の飲み物。
一口のむと柑橘系の爽やかな酸味がした。

「良、この前風邪ひいて寝込んだって聞いたけど、もう治った?」
「あ、知ってたんですか。はい、すっかりよくなってます」
「良がこの前飲みに来た時、由紀ちゃんに看病してもらったって大喜びしてたよ」
「………」

あいつは何を言いふらしてるんだ。
しかも大喜びとか、全然想像がつかない。
多分ジンさんが大げさに言ってるだけなんだろうが、なんか胸の辺りがもぞもぞとする。
少し恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。

「由紀ちゃんみたいな彼女が出来て、本当によかった」

ジンさんが穏やかに目を細めて笑う。
背は高くて、男の人にしか見えないのだけれど、女性のような顔立ちのジンさんはそんな風に優しく笑うと、ますます綺麗だ。
とても優しい、柔らかい表情。

「ジンさんは、野口のこと、なんか、大事にしてるんですね」

なんだか、お兄さんのように、心配している感じだ。
友人とか、バイトの上司とか、そういうこと以上のものを感じる。
そう言うと、ジンさんは苦笑する。

「大事っていうかなんていうか、責任は感じてるかな」
「責任?」
「あの子が、なんか変な方向性に成長しちゃった責任、僕にも少しはあるかな、って」

ふっと、ため息をついて、軽く肩をすくめる。
そして私に向かって聞いてくる。

「あの子、少し変でしょう?」
「………あいつ、変です。すごい変態です」
「変態?」

ジンさんがその言葉にくすくすと笑う。
少しじゃない、全然少しじゃない。
あいつは沢山変だ。

「すぐにヤりたいって言うし、痛がる顔が見たいとか言うし、素直に褒めないし、変なことばっかりするし」
「初恋で刺傷事件起こすぐらいだからね」

くすくすと笑いながら、ちらりと私の隣の男に視線を移す。
そういえば、あいつはこのおっさんとお揃いにしたくて、自分を刺したんだっけ。
腹に残る、引き攣れた傷跡。
愛おしそうに傷を撫でる、野口。

「あの子ももう少し、普通の年頃の男の子ぽかったんだけどね」

普通の男の子みたいな野口。
藤原君みたいな野口。
そんなの、まったく想像がつかない。

「人恋しくてウロウロしてたら、何も分からないままに下半身にブレーキのないおっさんに捕まって、色々行程すっ飛ばして、恋愛なんだか依存なんだか分からない内に肉体関係でずるずるに引きずられて、ちょっとおかしくなっちゃったんだよね」
「いやあ、ひどいことする奴がいるもんんだ」

おっさんが武骨な形のグラスに入った薄い紅茶色の飲み物を啜る。
きっと、強いお酒なのだろう。

「ねえ、本当に」

ジンさんはどこか棘のある声で、おっさんに微笑みかける。
口は笑ってはいるが、その目は笑っていない。
それに気付いたのか、おっさんは悪びれずに肩をすくめる。

「いや、だってあんな必死な顔して、一緒にいて、俺ともセックスして、なんでもするから傍にいてとか言われて、縋りつかれたらヤるだろ、普通。男として」
「立派な犯罪ですね」
「本当にかわいかったなあ、あれは」

縋りつく、必死な野口。
必死な野口なんて、知らない。
私はそんなの見たことない。

「………」
「お、ヤキモチか」
「うるさいおっさん」

くしゃりとまた頭を撫でられるから、おもいっきり振り払った。
そしてとうとうおっさん呼ばわりしてしまった。
けれどおっさんは楽しそうににやにやとしている。
くそ、笑い方が野口そっくりだ。
心底ムカつく。

「良はなんかこう、正しい恋愛のステップを踏む前に、こんなのにひっかっちゃったから、あんななんだよね」

確かにこのおっさんの影響が、あいつにはものすごく出ているのだろう。
それは分かる。
分かるからこそ、気持ち悪いぐらいムカつく。
なんで、こんなおっさんに捕まったんだよ、あの馬鹿は。
もっとマシな人間にしておけよ。

「最初に由紀ちゃんみたいな子に会っていたら、あんな風にならなかったと思うんだけどな」
「………ジンさん」

今度はジンさんが私の頭を優しく撫でる。
なんか、あのおっさんと違って、この人に撫でられるのは、平気。
むしろ、なんか嬉しくて、落ち着く。

「で、ユキちゃんは何を悩んでるんだ?」
「………別に」

せっかくちょっといい気分になってたのに、隣のおっさんがぶち壊す。
ユキちゃんとか呼ぶな、馬鹿。
顔を逸らすと、くすくすと楽しそうに笑う声が響く。

「良について何か悩んでなきゃ、こんなところ来ないだろ?」
「………」
「どうしたんだ?」
「………」

答えずに顔を逸らしていると、ジンさんが優しい声で聞く。

「どうしたの、由紀ちゃん?」
「えっと、その」
「かわいくねえな、本当に」

自分でも子供っぽいって思うし、目上の人に失礼だと思うが、このおっさんとは絡みたくない。
この前笑われた悔しさは、ずっと消えない。
人のこと馬鹿にしたような態度がすっごく嫌い。
野口のことならなんでも知っているというような余裕も、嫌だ。
ずっと会ってなかったみたいなのに。
きっと、今は私の方が、野口とずっと一緒にいる。

「困ったこと、あるの?」
「………なんか、変なんです。野口、嫌な奴だし、性格悪いし、人のことからかってばっかり振り回してばっかりで、本当にムカついていらつくのに」
「うん」

ジンさんがお代りのカクテルを作ってくれて、空いたグラスと交換してくれる。
優しい目は、見ているとほっとする。

「最近、なんか、それが嬉しいって思ってる自分がいて、そんなのなんか変だし、私、そんな変態じゃないのに。あいつにからかわれて、でもひねくれた褒め方されて、嬉しくなっちゃって、変なことされても、なんか段々、慣れてきちゃって、そんなの変なのに、でも、嫌じゃなくて、野口がちょっとなんか言うだけで、嬉しくなっちゃって」

まとまらない言葉で、自分でも意味の分からないことを言っていると、急に頭がくしゃくしゃと撫でられた。

「じ、ジンさん?」
「かわいいなあ」

にこにこと笑って、優しい顔で私を見ている。
いや、なんかこんな綺麗な人にかわいいって言われても、本当かよってちょっと思う。

「それ、単にあいつに惚れてるってことだろ、モノ好きだな」
「………」

隣でお酒をお代りした男が口出してくる。
うるさい、黙れ。
なんでこの人に言われるとこんなにムカつくんだろう。

「それが、嫌なの?」
「………それが嫌、だし」
「うん?」
「………多分、怖いん、です」
「怖い?」

もう一口おいしい柑橘系のフルーツジュースを飲む。
すっきりとした甘さは、口の中に爽やかに広がる。
少しだけ仕えた胸が、すっと解ける気がした。

「あいつ、すぐ、ヤりたいとか言うんですけど」
「うん」
「あいつと、その、えっちとか、していいのかな、って」
「え、まだしてねえの?」
「あなたは黙っててください」

おっさんの驚きの声を、ジンさんが遮る。
私も気にせず先を続ける。
最初の目的は、これをジンさんに、聞きに来たのだ。
後、一歩、勇気を出すために。
情けないけれど、私は一人じゃ、自信がないから。
背中を、押してほしかったのだ。

美香じゃ駄目だ。
藤原君も足りない。

「あいつ、ヤりたいって言うけど、ヤったら飽きられるんじゃないかな、とか、あいつ経験豊富そうなのに、私なんかつまらなくないかな、とか、でもヤらせなきゃやっぱり飽きられちゃうかな、とか、そもそもそんな勿体ぶるものでもないし、でもなんか簡単にヤらせるのも、軽い女みたいだし………」

最後まで、あいつに明け渡す、勇気がない。
明け渡して捨てられてしまったらと思うと、怖気づいてしまう。
それでも大丈夫だと信じるほど、自分に自信がない。
私は所詮三番目。
かわいくもなく、スタイルもよくない、そこそこな女。
こんな私を、野口はずっと好きでいてくれるだろうか。
今は逃げるから、追いかけてるだけじゃないのか。

「処女は面倒くさいな」
「黙ってろおっさん」

もう一度口をつっこんできたおっさんに、ジンさんが切り捨てる。
その綺麗な笑顔から繰り出された言葉に、一瞬耳を疑う。

「じ、ジンさん………?」
「仕方ないんじゃないかな、それは。初めては誰でも怖いものでしょ。由紀ちゃんがしてもいいって思うまで、時間をおいていいと思うよ。焦ってやることでも、義務感でやることでもないでしょ?」
「………でも、待ってて、くれるかな」
「あいつは絶対待てるよ。あいつの執念深さは尋常じゃないから。一度のめり込むと本当にしつこいから」

それは褒め言葉なんだろうか。
でも、大丈夫かな。
本当に大丈夫かな。
私はまた捨てられたりしないだろうか。
もう、ふられるのは、嫌だ。

「………普段は人の意志なんて無視して振り回す癖に、最後は絶対、私に選ばせるんです、本当に、性格悪い」

私が自分から落ちてくるのを待っている。
だから言い訳すら、させてくれない。
あいつのせいだって言うこともできない。
振り回したんだから責任取れ、だなんて言えない。

「単に臆病なんだよ、あいつは」
「え?」

おっさんが、グラスを傾けながら静かに言う。
臆病?
野口が?

「結局、あいつは確証が欲しいんだよ。これ以上押しても引かれないか。本当に受け入れられるか、逃げられないか、試してる。自信がない。強気に見えて、臆病だ」

自信がない、なんて、野口には似合わない。
野口はいつだって、嫌になるほど自信たっぷりで、私を振り回す。

「あいつ、いっつもそれで失敗してたからな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「さあな」

ジンさんのつっこみに、肩をすくめるおっさん。
野口の恋はいつだって失敗だったと、本人も言っていた。
一番大事な人は、愛が重すぎて壊してしまうと。
だから、三番目に好きな私なのだ。

「まあ、ユキちゃんもヤってもいいけど、理由付けが欲しいだけだろ。面倒くせえな、減るもんじゃないし、一発ぐらいヤっとけ」
「減ります、ミツルさん。あなたの使いすぎて無価値な下半身と一緒にしないで」
「お前さっきから棘が激しいな」

綺麗な顔で笑いながら、厳しく下品なことを言うジンさん。
実はこの人、結構きつい人なのか。

「もうセックスしてもいい気にはなってんだろ?寝たいんだろ、本当は。勿体ぶってないで、素直になれ」
「十代の普通の女の子を、あなたやあなたの周りにいる人達と一緒にしないでくださいね」

びしりとたしなめて、ジンさんが打って変わって私には労わるように微笑む。
ほっとするような、優しい笑顔。

「由紀ちゃんがしたいようにすればいいと思うよ。良ならきっといつまでも待つし、セックスしたとしても、飽きたりしない。大丈夫」

その白くて長い指で、私の前髪を掴んで弄ぶ。
そっと頬を撫でて、欲しい言葉を、くれる。

「由紀ちゃんはすごいかわいいよ。いい子。自信を持って」

誰かに肯定してほしい。
臆病で卑怯な私は、誰かの保証がなきゃ、動けない。
絶対に大丈夫だっていう、保険が欲しい。
傷つくのが、嫌だ。
もう傷つきたくない。

「良に触りたいって思うのか?」

おっさんに聞かれて、ちょっと考える。
普段はなんともない。
けれど野口に触っているともっともっとと気が急いてくる。
もう触っているのに、もっと触りたいと思ってしまう。
喉が渇く。
体が熱くなる。

「………うん」
「キスしたいって思う?」
「………うん」
「夜に思い出してオナニーしたりしてる?」
「変態セクハラ親父!」
「っは」

思わず野口にするように殴りつけると、おっさんは楽しそうに息を吐き出して笑った。
怒ったりもしないで、チェシャ猫のようににやにやと笑って私を見つめる。

「発情してるならヤればいいだろ?若いんだから感情のままにヤっちまえよ。迷うだけ、勿体ない」
「迷うのもまた恋愛の楽しみだと思うけどね。そうやって悩むのも、若さの特権」

おっさんは下品な言葉で、ジンさんが優しい言葉としたり顔でさとしてくる。

「由紀ちゃんが思うように、悩んで、進めばいいと思うよ。でも、きっと良もビクビクしながら待ってるから、申し訳ないけど、よかったら優しくしてあげて」

きっと野口はそんなことはないだろう。
けれど確かに、待ってはいるだろう。
ずっと、辛抱強く、待っていてくれている。

「ヤったって世界が変わったりする訳じゃねーよ。安心しな」

私の臆病を嘲笑うように、おっさんはにやりと笑った。





BACK   TOP   NEXT