止める前もなく、ジンさんはさっさと美香にメールを送ってしまった。 5分もしない内に、美香からは返信があった。 すぐに来る、だそうだ。 「………」 もう逃げないって思っても、やっぱり気が重い。 美香に本当に嫌われてたらどうしようって思う。 自分が悪いのに、私は嫌われたくないのだ。 本当に、最低だ。 どこまで卑怯で卑屈で最低なんだろ。 自己嫌悪で、押しつぶされそうだ。 「ほら、由紀、こっち向け」 「な、何」 うつむいていると、いきなり大きな手に顔を取られた。 呼び捨てにされたことに抗議の声を上げる間もなく、ぐいっと顎を無理矢理引き上げられる。 間近に無駄に整った顔があって、びっくりして飛び上がる。 「さ、触んないでよ!」 「変なことはしねーよ。お前みたいなガキに興味はない」 「あんたに興味なんてもたれたくもねーよ、おっさん」 「口が悪いなあ」 「はにふんだ!」 ぐいぐいっとほっぺたをつねられる。 間近で見るおっさんの顔は、思ったよりも繊細な作りをしていた。 睫が長く、二重で、目が結構大きい。 けれどジンさんみたいに中性的ではない、男の色気ってものを感じる大人の男。 「ジン、オリーブオイル。それとおしぼり」 「はいはい」 おっさんが偉そうに命令すると、ジンさんは笑ってカウンターに戻っていく。 なんだ、何をするんだ。 「目、つぶれ」 「だ、だから、何」 「その不細工な面、ちょっとは良くしてやるから」 「な!」 あんまりな言い草に噛みつこうとすると、ジンさんがカウンターから戻ってくる。 手には何か色々持っている。 「はい、どうぞ」 おっさんは礼も言わずに受け取ると、オリーブオイルを手に取ると私の顔に塗りたくった。 ぬるぬるとした感触に逃げ出そうとするが、顎を掴まれてそれが出来ない。 「何!?な、何?」 「そのぐちゃぐちゃなメイク落とすんだよ。メイクして泣くんじゃねえよ」 「え、え?」 まあ、確かにマスカラもアイラインも全部落ちて、ひどい顔だっただろう。 パンダ状態だったんじゃないだろうか。 しかし、何をいきなりし始めたんだ、この男は。 「………」 とりあえず何を言ったらいいか分からないので、されるがままに目を瞑る。 おっさんは以外に器用な感じで、顔をマッサージしていく。 いつも私がメイクオフする時よりも、ずっと丁寧に。 そしてたっぷりとお湯で濡らしたおしぼりで拭っていく。 「化粧水は持ってるか?」 「も、持ってない」 「じゃあ、まあ、代用品だな。」 そして今度は何かをぺたぺたと塗られるつんと鼻につくアルコール臭。 でも、割としっとりとした感触。 「な、何これ」 「日本酒を薄めた奴。まあ、肌は強そうだから平気だろ」 「え、へ、平気なの?」 「平気だよ」 そんなものを塗られて平気かと思っていたが、横からジンさんの優しい声が聞こえてほっとする。 ジンさんが言うなら、きっと平気だろう。 「お前は本当にジンの言うことはよく聞くな」 「だって、ジンさんは優しくて信用出来る」 「だとよ、ジン。よく騙したなあ」 「人聞きの悪い」 そんなことを言いながら、おっさんは私の顔を冷たいおしぼりで冷やしたり、なんかのクリームをつけてマッサージをしたりしている。 自分でする時よりもずっと気持ちよくて、なんだか眠くなってきてしまう。 「ん」 最初は緊張して入っていた力が、徐々に抜けて行く。 なんだか悔しいが変なことはされなさそうなので、じっとすることにする。 「………おっさん、なんでこんなうまいの」 「手遊びの一つだ。芸が多いとモテるからな」 てすさびってなんだろう。 分からなかったが、どうせ真面目な答えじゃないっぽいので聞き返さないでおいた。 「お前、化粧道具持ってるだろ?」 「………少しだけ」 「貸せ」 「………」 黙ってバッグから、メイク直し用のポーチを取り出す。 必要最低限のものは入っているが、細々としたものは家に置いてあるからそんなにない。 けれどおっさんは特に気にする訳でもなく、そのポーチからファンデやらなにやらを取り出す。 「ほら、目閉じろ」 「………」 何、素直に従ってるんだろ、こんなおっさんに。 まあ、ここで抵抗しても、無理矢理押さえつけられそうだ。 それに、おっさんの以外に器用な手は気持ち良くて、なんだかちょっと離れがたい。 「ブスでもデブでも、自分に自信のある奴ってのは、モテるだろ?」 「え」 「なんでこんなブスがこんなモテててんだ、ってのよくあるだろ?逆もな。なんでこんなデブ男が、こんないい女と付き合ってるんだ、とかな」 まあ、たまに見かけるかな。 なんでこんな美人な人がこんな男と付き合ってるの!?みたいな。 美香と藤原君みたいな美男美女のカップルもいるけど。 「自信持ってる奴って、なんか変なパワーあって、圧倒されんだよ。そんで人も惹きつけられる。ああ、空気読めないってのと、自信があるってのは別もんだけどな。まあ結局、自信に満ちてる奴は、強くて魅力的なんだよ」 「………何?」 何を言いたいんだか、分からなくて首を傾げる。 すると動くなと言われて顎を固定された。 「だから、根拠がなくてもいいから自信もっとけ。若いってだけで、すでにものすごいアドバンテージだからな。どんなに美人でも若さには適わなかったりする。だから、自信もっとけ。そしたら、もっとかわいくなれる」 最後は耳元で、囁くように言われて体が跳ねた。 なんとも思ってなかったが、よく聞けばおっさんの低い声はとても通りがよくてしっとりとしていた。 じわりと、耳から入り込むような、響く声。 「お前は、自分で卑下するほどブスでもない」 終わりっと言って、おっさんが手を放した。 目を開くと、おっさんが至近距離で笑った。 それになぜだか変な風に心臓が跳ねる。 「………っ」 「自信を持って、笑っとけ」 そして、目を細めて、なんだか気のせいかもしれないけど、優しげに私を見つめる。 なんかものすごい変な感じがして心臓によろしくない感じだったから顔を思い切り逸らした。 誤魔化すようにポーチから取り出したミラーで顔を確認すると、いつもよりずっと綺麗にメイクが施されていた。 目と頬の腫れも気にならなくなっている。 私がするのなんかより、ずっとうまい。 なんだか悔しいような、むずむずするような、へんな感じ。 「ま、若さがなくなった時にふんばれるかで価値が決まるけどな」 そしてにやりと笑って、疲れたように肩をぐるぐるとおっさんくさく回す。 ジンさんがテーブルに残された色々な道具を片付けながら、笑って肩を竦めた。 「どうしてあなたはそう一言多いんでしょうね」 「優しいだけじゃつまらないだろ。ギャップ萌えだ、ギャップ萌え」 馬鹿なことを言っているおっさんに、ジンさんが呆れたようにため息をついた。 私は、しばらく考えて、何度も迷って、それからやっぱり観念して口を開くことにした。 「………お、おっさん」 そう言えば、化粧を覚えた当時は、化粧をするだけでなんだか世界が違って見えた。 自分が少しだけ綺麗になれると、少しだけ自信がつくような気がした。 そして自信を持った自分は、少しだけ強くなれる気がしたのだ。 そして強くなった自分は、いつもより少しだけ綺麗になれた気がした。 今、鏡の中にいる自分は、いつもより少しだけ綺麗。 それだけで少しだけ、力が沸いてくる。 自信がほんの少しだけ、沸いてくる。 「………あ、ありがと」 目を逸らしながら言うと、おっさんは喉の奥で小さく笑った。 そして私の髪を掻きまわして、立ち上がってカウンターに向かった。 「ジン、カレドニアン」 「はい」 ジンさんも色々なものを手に、カウンターに戻っていく。 その大人の男の人達の背中を見て、私はまた一つ、じわりと胸が熱くなる感じがした。 |