『野口君とはどう!?』 美香のにやにやしている顔が思い浮かぶ。 はずんだ声は、少しだけイラっとする。 ベッドに寝そべりながらついため息をついてしまう。 「どーもこーも、普通だよ」 『えー!!デートとかは!?』 「あれから四日しか経ってないって」 『電話とか、メールは!?』 まあ、してないことはないけど、前からしてたし。 特に話す内容も変わってないし。 てことで、別にあれから、あいつと私の関係が変わったってことはない。 あれから一緒にでかけてもないし。 私は昼部活あるし、あいつは夜バイトがあるらしいし。 普通にメールが来て、普通に話したりするだけだ。 『嘘だ!』 「なんでだよ」 ああ、やっぱりあんな勢いで告白なんてするんじゃなかった。 美香がうざい。 もう激後悔。 内緒にしておけばよかった。 いつか知られるとしても、あんな風にしなきゃよかった。 「だから何もないの!本当に何もないの!」 『あったら教えてよ!絶対だよ!』 「分かった分かった!」 そうして私は無理矢理電話を叩き切った。 疲れる。 だって、本当に、あれから何もないし。 あいつも特に変わった様子ないし。 あれは、夢だったんじゃないかなって思うくらい。 告白して、手をつないで、一緒に夜の道を歩いて。 そこまでして頬に触れた冷たい感触を思い出して顔が熱くなっていく。 いやいやいやいやいや。 あれもきっと夢。 あれはきっと夢。 あいつにとって、あんなの絶対挨拶程度だし。 あの女たらしにとって、付き合うなんて、大したことじゃないんだろうし。 だから、別に変わることなんて、ないんだ。 いや、男たらしか? もうどっちでもいいや。 どっちにしろ、あんなの気にすることないし。 付き合うなんていっても、あいつにとって冗談みたいなもんなんだろう。 なんて考えていたら、持っていたケータイから音楽が鳴り響く。 この着メロ設定は野口だ。 なんだか水に石を投げ込んだみたいに、心臓が跳ね上がった。 これは急に大きな音がしたからびっくりしただけ。 びっくりしただけだ。 焦ってケータイを広げようとして、手が滑って取り落としてしまった。 別にメールなんだから急ぐ必要ないのに。 ようやく開けて、なんとかメールを確認する。 『目の前のおじさんのヅラがずれてるんだけど直してあげた方がいいかな?』 「ぶ」 そして噴き出してしまう。 何言ってんだよ、こいつ。 時々変なこと言うんだよな。 電車乗ってる時とか、暇らしくて変なことを言ってくる。 ポスターに載ってる新製品が美味しそうだとか、うたた寝したら目の前のおじさんにヘッドバッド食らわせそうになったとか。 なんかおじさんネタ多いよな。 ったく、本当にくだらねーな。 『直したら?素敵な出会いになるかもよ』 だから私も適当にメールを打つ。 返事はすぐに返ってきた。 『結構好みのおじさんだから、とりあえずヅラずれてますよ、って言う』 どんな出会い方だよ、とか、それは親切なのか、とかヅラしてるおじさんが好みとか、どんだけストライクゾーン広いんだよ、とか、そう言う前に、気が付いたら返信してた。 『浮気したら別れるからな』 そしてすぐに、自分が恥ずかしいことをしたことに気づく。 これは冗談。 冗談だから。 冗談だって、思ってくれるかな。 思うよな。 冗談だから。 重くないよね。 こういうの、あいつ、嫌いそうだし。 縛る女なんて、嫌いだよね。 私なんて、三番目に好きな奴だし。 うざったいとか、思ってないよね。 色々考えてたら、手の中の携帯が音楽と共に震える。 うわっとか思わず声を出してしまって、急いでメールを見る。 『別れられるのは怖いから見守ることにする』 よ、よかった。 冗談だと思ったよね。 別に重くないよね。 ていうか、普通だよね、これくらい。 しばらく考えて、3分ぐらい考えて、これ以上待たせても変だから、結局一言だけ返した。 『よし』 その後の返信はなかった。 多分駅について自転車に乗ってるところだろう。 大丈夫だよね。 変に思われてないよね。 ああ、なんか、疲れるな。 付き合う前の方が、楽だったかも。 まあ、気にしてるのは私だけなんだろうけど。 「はあああ」 肺にたまった空気を吐き出すように、おもいっきりため息をついた。 「あ、由紀、ほら彼氏」 「え?」 「ほらほら、野口」 部活の仲間の声で、校庭の向こうに目をこらす。 高い緑のフェンスの向こう、茂みに隠れて見えるのは、このクソ熱い夏の夕暮れですらどこか涼しげな青白い肌の男。 「え、ええ!?」 思わず整地していたトンボを投げ出して、そちらに駆けていく。 近付くにつれてやっぱりそれが間違いなく野口だと分かる。 ぶつかる勢いでフェンスにしがみつく。 「何してんの!?」 「近く通りかかったから、ついでにあんたの部活姿見てこうかと思って」 「え、え、えっと」 何でいきなりそんなこと言うんだ。 なんて返事すればいいんだ。 言葉に詰まっていると、汗一つ掻いていない男は軽く首を傾げる。 「いつ終わるの?」 「あ、後は片付けだけだから、15分ぐらい」 「じゃあ、待ってる」 「え、ええ!?」 「嫌?」 喉が詰まって、変な声が出る。 声が出せなくて首を思い切り横に振った。 別に嫌ではない。 嫌ではないけど。 えっと。 「で、でも、暇じゃないの?」 「あんたの太腿が目に眩しいです」 「へ、変態!」 「膝から下は細いけど、太腿は筋肉ついてて結構しっかりしてるところ、好き」 「褒めてねえ!!!」 人のコンプレックスガスガス付きやがって。 ソフトボールをやってる私は二の腕と太腿がかなりがっしり。 くそ、気にしてるのに。 野口はくすくす楽しそうに笑っている。 やっぱりこんな堅そうな女、嫌だよね。 美香みたいに細くて柔らかくて抱きしめたら壊れてしまいそうな女の子の方がいいよね。 「いいの?」 「あ、えっと」 「呼んでるよ?」 言われて後ろを振り返ると、怒った顔のナオが何か叫んでいる。 やばい、任せきりだった。 「あ、野口………」 「待ってる」 駆けだそうとして野口を見ると、小さくそれだけ言われた。 いつもの無表情だが、どこか柔らかい。 気のせいかもしれないけど。 「………あ、ありがと」 振り向きざまにそう言って、私は友人の元へ走った。 野口がどんな顔をしていたかは、分からない。 ものすごい急いで着替えてきたけど、日はすっかり落ちそうだった。 けれど校門の横の花壇に座って、野口はのんびりと待っていてくれた。 私を見て薄く笑う性格の悪い男に、なぜか心臓が跳ね上がる。 「早かったね」 「………ナオとかが早く帰れって」 「いいお友達だね」 その代わり野口とどうなったのか詳しく教えろと言われた。 まったくどいつもこいつも、野次馬根性なんだから。 「じゃあ、帰ろうか」 「うん」 野口は当然のように、私の隣に立つ。 私は一歩野口から距離を置く。 野口は一歩近づく。 もう一歩隣にうつる。 また近づかれる。 もう横は民家で、これ以上は離れられない。 観念して、正直に頼む。 「あ、あんまり近づかないで」 「なんで?」 「………」 野口が楽しげに意地悪そうな表情で私の顔を覗き込む。 相変わらずこういう時は本当に楽しそうな表情しやがって。 「照れてる?」 「ち、違う!」 「じゃあ、なんで?」 じっとその冷たそうな切れ長の目で見られて、じんわりとまた背中に汗を掻く。 ああ、なんて言ったらいいのか、分からない。 「あ、汗臭いし、今日は化粧もしてないし………」 部活の後で髪はぼさぼさ。 汗ふきシートで拭いたとは言え、代謝のいい体は汗を掻き続ける。 絶対汗臭い。 化粧もしてないから肌の荒れとか分かるし、目が小さいのも分かるし。 とにかくボロボロで、こんな顔、見られたくない。 いつでもかわいい美香とは違うんだ。 なんで可愛い子って、いつでもかわいいし、いつでもいい匂いなんだろう。 素材の違いって、ずるい。 「だ、だから」 正直に言ったら、野口は口元を手で隠す。 何かと思うと、小さくくすくすと笑っていた。 「なんだよ!」 「いや、別に気にしないし」 「私が気にするんだよ!」 本当にこいつはデリカシーがない。 少しは女心を分かれってんだ。 いや、分かっていて追い詰めるのがこいつか。 「そういう風に照れてる姿はかわいい」 「………」 くすくす笑いながら、楽しそうに言ってくる。 ああ、もう、顔が熱くって、もっと汗かきそう。 なんか、脂汗が出てきそう。 「そんでもって、汗臭いのとか燃えるよね」 「この変態!」 そしていつも通りの変態発言に、私は思い切り平手うちを食らわせた。 「乱暴だなあ」 「誰のせいだと思ってる!」 いつも通り殴って怒鳴りつけながら、その裏では色々考えてしまう。 でも、こんな風に乱暴な女、やっぱり嫌かな。 女の子らしい女の子じゃないと、嫌かな。 ああ、駄目だ。 考えないようにって思ってたけど、駄目だ。 美香、変わったよ。 変わっちゃった。 私は、野口に嫌われるのが、怖くなったよ。 |