■0歳

その日、菅野敏生がキッチンからリビングに戻ると、そこには小さな子供がいた。
5、6歳と思しき酷く顔の整った少年は、まるで最初からいたかのようにごく自然にそこに佇んでいた。
敏生は確かに3分前まではいなかった少年の姿に、事態の認識が出来ず辺りをきょろきょろと見渡す。

「菅野敏生だな」

すると少年が敏生を見上げて言った。
大人びた表情によく似合う、冷静な声だった。
敏生は混乱しながらも頷く。

「えっと、そうだけど、えっと、あの、君は」
「蛇神だ。娘を貰い受けに来た」
「え?」

少年の言葉に、敏生は呆けた声で目を丸くする。
娘と言うのは今は妻と一緒に病院へ検診に出かけている目に入れても痛くないほどにかわいい長女の事をさすのだろう。
それは分かるが、貰うと言うのが何を言っているのか理解できない。
蛇神を名乗った少年は大人の男の動揺に怯むことも気にすることもなく、もう一度冷静に告げる。

「娘が生まれただろう。かつての盟約通り、貰い受けにきた」
「え、え、え、うええ!?」

その言葉にかつて迷い込んだ山奥の村のことが思い出された。
しかし夢のような一夜のことは現実感がない。
今目の前にいる少年と共に、全く現実が認識できない。
けれど少年はあくまでも冷静だ。

「どうした?」
「えっと、えっとだね!」

混乱の極みに達した敏生の出した答えは一つだった。

「まだ娘は嫁にはやれません!」

腰に手を当てて仁王立ちで敏生は言い放った。
少年は困惑したように目を何度も瞬きする。

「なぜだ」
「まだパパとチューも、パパとお風呂も、パパのお嫁さんになるも経験していないんだ!」
「………」
「娘を嫁にしたいなら、僕を乗り越えて行け!」

その言葉に、わずかに顔をしかめて少年が首を傾げる。
そして、その瞳の瞳孔が人のものとは違う縦長にきらめく。
幼い少年から感じる威圧感に一瞬で室内の空気が下がったかのように感じた。

「いいのか?」
「あ、あ、駄目、やっぱ駄目!」

そして敏生はあっさりと前言撤回した。
手をぱたぱたとして一歩後ずさる。

「だって君、神様なんだろ!?」
「ああ」
「じゃあ、僕敵わないじゃないか!」
「そうだな」

あっさりと頷く少年。
自分で売った喧嘩ながら、なぜか敏生はそれはずるいと叫ぶ。
少年はますます困惑したかのように眉を顰める。

「お前が言ったのだろう」
「とにかくだ。まだ娘は幼い。君の嫁にするにもまだ早いだろう!ていうか年頃になったらって話じゃなかったか!?」
「村に慣れるのは、早い方がいいだろう」
「駄目駄目駄目ー!!」

まるで駄々っ子のように首をぶんぶんとふる。
その姿はとても成人し、一児を成した男性とは思えない。

「水葉は、パパと一緒にいるんだからな!」
「………」
「娘はまだ嫁にはやらん!やらんったらやらん!」
「………」
「あ、えーと、じゃあ、あれだ!蛇神君も一緒に暮らそう!水葉が年頃になったらその時考えようじゃないか!」

いい考えが浮かんだとばかりに顔を輝かせてうんうんと頷く敏生。
しばらく黙りこんでいた少年は、ふっと目を伏せてため息をついた。

「お前は、変わった人間だな」
「え?」

そして顔をあげ、けぶるように笑った。
それは綺麗な笑顔ではあったが、酷く疲れた大人のようにも見えた。

「娘の名は、水葉というのか」
「そう。蛇神のお嫁さんって印にね。水の神様の名前だ。そのままの字だとちょっと難しいからアレンジしちゃったけどね」

その言葉にまた蛇神と名乗った少年は笑う。

「お前は、やはり変わった人間だ。今日は帰る」
「え」
「それではまた」

敏生が瞬きした後には、もはやリビングには誰もいなかった。
訪れた時と同様に、蛇神の少年は唐突に姿を消した。



***




■1歳



「娘は大きくなったか」

その日敏生がトイレから出てくると、リビングには大人びた少年の姿があった。
一年前と同じようにで唐突で、脈絡のない登場だった。
一瞬驚いて言葉を失うが、敏生はすぐに笑顔になった。

「やあ、蛇神君じゃないか!元気だったかい!水葉は大きくなったよ!見て見て!かわいいんだよお!」
「引っ張るな」
「こっちこっち!」

リビングの片隅におかれたマットに横たわるピンクの服を着た愛娘のところまで、敏生は蛇神を連れていく。
そして満面の笑みで、大きな目を丸くして見上げている少女を手で指し示す。

「………」
「かわいいだろう」

蛇神はその小さな姿を見て、不思議そうに首を傾げる。
そして呆けたように言った。

「………まだ小さいな」
「大きくなったじゃないか!もうはいはいが出来そうなんだぞお!もうすぐ話しそうだしね!パパの顔を見て笑うんだぞ!」
「………大きいのか」

蛇神は胸を張る敏生を見上げて、やっぱり怪訝そうに首を傾げた。
その様子に、敏生も逆に不思議そうに聞き返す。

「そういえば、君はいくつなんだい?」
「私は生じてからまだ三年ほどだ。この娘とそう変わらない」
「娘じゃなくて、水葉だ!」
「………水葉とそう変わらない」

その人間の常識では考えられない言葉は、普通なら一笑にふすところだろう。
けれど一瞬の間に音もなくリビングに現れた少年に常識なんてといても仕方ない。
敏生はすぐにその言葉を受け止めた。

「へえ、蛇神君の家は成長が早いんだねえ。さすが神様だ」
「そうだな。そのうち変化期を迎えて成体となる」
「え、いきなり大人になっちゃうの!?」
「まあ、ある程度外見は自在に出来る」
「へえ、すごいな、神様は!でも水葉はちょっとづつしか大きくならないんだよ。ゆっくりなんだ。でもゆっくりがいいかな。すぐに大きくなられたら寂しいし。ほら、よく見てみて」

敏生の言葉に蛇神は水葉の横に座りこみ、その顔をじっと見る。
どこか不思議そうに、まじまじと覗き込む。
その少年の姿をした神の物慣れない様子に敏生が目を細めた。

「………小さいな。弱々しい」
「あはは。小さいだろう。でも、元気で結構強いんだぞ」
「………」
「どうかした?」

じっと見つめていた蛇神が眉を潜めたのに気付いて、敏生が問う。

「この娘は業が深いな」
「え」
「災厄を招く運命を持っている」
「………」

かわいい娘へ対する失礼な言葉へ一瞬憤るが、次の言葉で敏生は黙りこんだ。

「水葉は災難が多いだろう?」
「………確かに、この子、怪我とか病気が多くてね。それでなくてもトラブルが多くて………」
「そうだな。そういったものを引き寄せる業を持っている」
「大丈夫かな!?この子大丈夫かな!?辛い目にあったりしないかな!?」

他でもない神様の言葉に、敏生は慌てて蛇神に詰め寄る。
おでこがぶつかりそうなぐらい顔を近づけられて、蛇神は一瞬戸惑い身を引く。
その激しい感情の揺れに何度も瞬きする。

「ねえ、蛇神君!」
「………大丈夫だ。お前の持つ生命力は驚くほどに強い。娘の業を補ってあまりあるだろう」
「本当!?」
「ああ。お前が付いていれば問題ないだろう」
「そうなの!?そっか、パパが付いていれば平気か!」

蛇神の言葉にほっとしたように笑顔を見せる。
そんな敏生の様子に、蛇神が少しだけ表情を緩める。

「それに、他でもない私の嫁だ。お前でも補いきれなくなったら、私が守ろう」
「そっか!そうだね!神様のご加護があるなら最強だ!」

蛇神の言葉に、敏生は何度も何度も頷く。
そして水葉を抱き上げ、高くあげる。

「水葉!よかったね、お前は神様がついてるんだぞ!」

父に高い高いをされて、水葉楽しそうに朗らかに声をあげて手足をばたばたとさせた。
その様子をやはり不思議そうに見ていた蛇神に、敏生が水葉を差し出す。

「ほら、お前のナイトだ!」
「ナイト?」
「騎士様だろう!」
「私は水葉の伴侶だ」
「あははっ。それはまた今度考えよう。とりあえずほら、水葉、よろしくってしなさい」

水葉はやや乱暴に扱われてもぐずることなくじっと蛇神を見ている。
蛇神が恐る恐る小さな少女に手を伸ばす。

「………っ」

すると、水葉は小さな丸い手で、やはり小さな蛇神の手の指をきゅっと握った。
蛇神は驚いて息を飲む。

「………指を握ったぞ」
「結構しっかりしてるだろう」
「………」

まだ呆けたように自分の指をじっと見つめる蛇神に、水葉は指を握ってきゃっきゃと笑った。
敏生はその様子を見て、大きな声を上げて笑う。

「あはは、笑ったね。水葉も蛇神君が好きみたいだ!」
「………」
「ああ、そろそろ嫁が帰ってくるな。君のことを紹介しないとね!」

時計をちらりと見て、買物に出ている妻を思い浮かべる。
その言葉に、蛇神は静かに水葉から離れた。

「やめておけ。只人には受け入れられない存在だろう」
「へ、そうかな。うちの嫁さんだったら大丈夫だと思うけど」
「お前のような人間はそういないだろう」
「へ?」
「私の村には、心清きものしか訪れることは出来ない。昔はもっと人間が迷い込むことがあったそうだ。けれど今ではほとんど誰も訪れることはない。お前は稀な人間だ」

まっすぐに見つめられ言われて、敏生は慌てて手をぱたぱたと振る。
さすがに十分大人になった今、心が清いと言われるのは抵抗がある。

「え、えええ、心清きって、言いすぎだよ。僕だって一応経営者だしね、綺麗なことばっかりやっている訳じゃないよ」
「お前は揺れず囚われない心を持っている。絶えず定まらず流されやすい人としては珍しい」

蛇神はそんな敏生を見て、縦長の虹彩が特徴的な目を細める。
そうすると無表情などこか硬質な少年がとても人間らしく見えた。

「やだなあ、褒めすぎだって」

照れて頭を掻く敏生に、ふっと蛇神が笑う。

「昔はお前のような人間も沢山いたらしい。だから人の種を貰うのも容易だった。今では中々難しい」
「種って!」
「別にとり殺したりはしないぞ。一晩村の女の相手をしてもらい種を貰うだけだ」
「うええええ!?」

まだ10にも満たない少年が口にするにはふさわしくない言葉に、敏生があとずさる。
けれど蛇神の少年はあくまで冷静だ。

「本当ならお前にも種を貰うはずだったのだがな。侍った女にお前がずっと嫁の話をしていたのでさすがにうちの村の女も手が出せなかった」
「そ、そうだったのか。それはもったいな…いや!僕は嫁さん一筋だから!ていうか子供がそんな話しちゃだめー!!」
「………なぜだ」
「子供には早い!」

敏生の言葉に、蛇神は不可解そうに眉を潜めた。
とりあえず黙ったものの、理解は出来ていないのが伝わってきた。

「全くもう」
「種の保存は生物として当然の行為だろう」
「だからー!!………て、あれ、それじゃなんで君は嫁探ししてるの?」
「本来なら村の男は村の女と結ばれる。時折女が外から種を貰い血を薄める。女は割と開放的だが、男が閉鎖的だ。私は神の血を引く一族の直系で、父は村の長をしている。男も女もどちらももっと外と交わるべきだと、父は考えている。だから息子の私が率先して外の人間と交わることになった」
「それじゃあ、一族のためってこと?」
「そうだな」
「うーん………」

蛇神の言葉に、敏生は黙りこむ。
それから困ったように、天井を見上げてふっとため息をついた。

「なんていうか大時代的だなあ」
「否定はしない。我々は人とは違う理に生きている。だがそれだけでは取り残される。たまに外の血を取りこまなければいけない」

実は革新的らしい蛇神の言葉に、意外に思うやら不思議に思うやら理解ができないやら。
うううう、と敏生は腕を組んで呻く。

「うーんと、あれ、でもそれじゃあ、お嫁さんはある程度人の世になれてる方がいいんだよね」
「ああ」
「それにしては君、迎えに来るの早かったじゃないか!」
「それは………」

常に冷静だった蛇神が敏生の問いかけに黙りこみ俯く。
どこか気まずそうに目を彷徨わせる。
その態度で敏生はどういうことなのか思い至った。

「ああ、自分のお嫁さんが早く見たくて仕方なかったんだ!」
「………」
「なあんだ、君も可愛いところあるじゃないか!」

蛇神が口をへの字にして黙りこむ。
不機嫌そうに見えるが、その態度で敏生の言葉が的を射ていたことを顕著に表わしていた。
子供の姿をしながらもまるで子供らしくない蛇神の、思わぬ子供らしい姿に敏生がにやりと笑う。

「まあ、いいさいいさ!うちの水葉食べちゃいたいぐらいかわいいからね!そりゃ見たくなるだろう!」

その言葉に、やっぱりふてくされたように唇を尖らせた。蛇神は黙りこんだ。

「あ、でもそんななんか女の人が子供産むだけのものみたいになってるところで嫁にやって、水葉もそんな真似をさせられるのかい!?」
「いや、これからは徐々に外の血を取り入れ、一夫一婦制にしたいと考えている。随分時間はかかるだろうが。とりあえず水葉が死ぬまで、私は他の女を娶ることも、水葉を他の男と交わらせることもない」
「死ぬまでって。死んでからはするつもりなのかい!?」
「蛇神の直系である我が一族の寿命は長い。水葉が死んでからも私は長い時を生きる。その先のことは約束することは出来ない」
「………」

やはりどこまでも敏生の常識とは違う話に、眉を顰める。
他国の文化を卑下したりしてはいけないとは思っている。
けれど受け入れられる訳ではない。

「………また来る」

悩みこんだ敏生に、蛇神は不意に言った。

「もう帰っちゃうのかい!?」
「ああ、お前の妻も帰るだろう」
「待っていればいいのに」
「そういう訳にもいかないだろう」

それから敏生の腕の中でうつらうつらとし始めた水葉の頬に、そっと触れるか触れないかの距離で手を添える。
柔らかな白い肌の感触に、蛇神は目を細めた。

「………またな、水葉」
「ふふ、次はきっともっとかわいくなってるよ。次は来る前に言ってくれ。嫁がおいしいお菓子を用意して待ってるよ」

敏生の言葉に、蛇神は苦笑した。

「お前は、本当に変な奴だ」






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