「喜美(きみ)、別れたんだって?」 「いつの話してんのよ!もう一ヶ月も前に別れたわよ!」 オフィス街から少し離れたところに位置するアジアン居酒屋。 薄暗い照明と落ち着いた内装で、しっとりとした雰囲気漂う店だが、中身はそこらの居酒屋と変わらず、酔っ払いだらけで騒がしい。 仕事帰りの若いサラリーマンが多く見られ、火曜だというのに込み合っている。 味と値段がまあまあなそこを、喜美はよく利用していた。 「なんでー?あんた超好物件だって言ってたじゃない?大手銀行の次期支店長。エリートで名家の出のお坊ちゃん、扱いやすくて高給取りって」 「言ったわよ、言ったけどね!でもあいつちょー!!!うざいんだもん!」 「えー、何が?」 大好きな生春巻きから香草を抜き取りながら、、話半分に聞く美智(みち)。 「すんげー、甘えてくんの!あいつ絶対マザコン!今にも『でちゅ〜』とか言い出しそうでマジきも!私はお前のママじゃねえっつの!メールが一時間ごとに入ってくるし。飲みに行ったら携帯にがんがんかけてくるし。10時には帰れ、ってうるせー!!!!」 たまりにたまった鬱憤を吐き出しながら、ウーロンハイを一気にあおる。 「すいませーん!ウーロンハイもう一杯!ピッチャーで!」 まだ飲み始めて一時間だというのに、すでに目は据わりろれつも怪しくなってきている。 「ちょっとあんたペース速くない?やめてよ、あんた家まで運ぶのやだからね!」 「いいじゃなーい、これくらい飲ましてよー。しかもあいつさ、アッチの方も超最悪!ほっとんど前戯なしでつっこんできやがんの!女が突っ込まれただけで感じるかっつの!なんであんな勘違いしてる男多いわけ!?」 「ちょ、ちょっと声でかいよ、喜美」 慌てて辺りを見回し、目の前の酔っ払いを止めようとする美智。 しかしまわりもほとんど酔っ払いだらけのせいか、こちらを気にする様子はない。 ほっと息をつく。 喜美はますますヒートアップしていく。 「しかもさ!そういう男に限ってなんか自信持ってんのよね!『僕のいい?いいでしょ?感じるでしょ?』とかさあ、もう本当に今思い出してもウザ!超ウザ!こっちが演技してんのぐらい気づけよ!『僕のでかいでしょ?』とかポークビッツの分際でなにかましてんだよ短小男!おっまえ他の奴の見たことねえのかよ!」 注文のピッチャーを持ってきたかわいらしい高校生バイトらしき女の子が、軽く顔をしかめている。 美智が慌てて注文を受けとり、礼を言った。 「ちょっとー…、本当にやめてよ。私帰るわよ」 喜美はふてくされた顔で頬杖をつきながら、手酌でウーロンハイを注いだ。 ため息をつき、少しテンションを下げた。 「やっぱり坊ちゃんはだめだわー。甘ったれすぎ」 「また合コン設定してあげるわよ。あんた別にもてないわけじゃないんだから」 もう一度大きくため息をついて、ウーロンハイを一気飲み。 飲み終えた後に、机にへたり込み切ない声を出す。 「でも私もう30前よー。いくら適齢期が伸びたっつってもさー、いい加減やばいでしょ。手に職もないしがない事務職よ?後少しで部署内最高年齢よ?課長が『君は寿退社はまだかね?』とか言っちゃってさ!あんのセクハラ親父!」 美智はなんとか、またヒートアップしそうな勢いの喜美の気を、なんとかそらそうとする。 「だ、大丈夫よ!次は良い男見つかるって!」 しかし喜美は、慰めようとする友人を机に突っ伏したままジト目で見つめた。 「あんたはいいわよねー。有名ホテルのチーフマネージャー。将来は女性初の運営陣になるのも夢じゃないバリバリのキャリア。恋人ともうまいことやっててさ、夢も希望も将来もあってさー!」 恨みがましい目線で見つめる喜美を少しむっとして見返す。 「あたしはそれだけ努力してるの。あんたみたいに少しヤなことあったぐらいで投げ出したりしません。恋人ともちゃんと向き合うし、キャリアのためにスキルアップもかかしません」 ぴしりと言い放たれて、喜美は口をつぐむ。 確かにその通りだ。 学生時代から、夢に向かって頑張っていた美智を見ている。 喜美が何かいえるものではない。 それでもこんな時は、少しくらい労わって欲しかった。 美智からしてみれば、毎度のことなので勘弁して欲しいというものだが。 「もうあたしって不幸!男運はないし、友達は冷たいし!」 「あんたねー…」 別に喜美だって何もしてこなかったわけではない。 会社帰りのお料理教室に、駅前留学英会話。パソコンの資格だって持っている。 しかしそのどれもが明確なビジョンがあってやったものではなく、なんとなく持っていたほうがかっこいいかな、便利かな、という曖昧な根拠によるものになっている。 それなりには身になったが、何に役にたつわけではない。 料理は男を捕まえるのに、英会話は海外旅行に行くのに、少し役立っただけだ。 パソコンの資格は今では珍しいものでもなんでもない。 喜美は大きくため息をつくと、ウーロンハイをピッチャーごとあおった。 「あー、もう、セックスも愛もなくていいわよ!主婦業だって完璧にこなしてみせるわ!私を養ってくれる手間のかからない自立した男が欲しいー!!!」 大場(おおば)は疲れた顔で、生ビールを流し込んだ。 苦味のある炭酸が喉に流れ込み、乾いていた心とともに、潤う気がした。 深く深くため息をつく。 「お前、また女とダメになったんだって?」 渡辺(わたべ)はそんな大場のジョッキにビールを注いだ。 大場は泡の多いそれをもう一度流し込んだ後、しかめ面で頷いた。 「ああ」 「またかよー…、今回紹介した娘、かなり良い娘だったのによ。お前また仕事仕事でほったらかしにしてたんだろ?」 「まあ、そうだけど……」 目をそらし、気まずげに言葉を濁す。 大場の最優先事項はいつだって仕事にある。 「いい加減にしろよなー。結婚したいつーから紹介すんのによ。たまには仕事より恋人優先しろ!」 「そうは言ってもよ!あいつもヤバイって!そりゃ俺も最初は喜んだよ?料理好きで大人しくて、よく面倒見てくれる。こりゃ都合がいいと思ったよ?」 大場は外資の輸出入系企業に勤めている。 若いが、実力がすべての会社であるので、異例のスピードでの出世に成功している。 本社のあるアメリカにもよく赴く。 そちらでパーティーに出ることも多いのだが、あちらでは女性同伴が主だ。 結婚していて初めて、社会人として一人前と認められるお国柄である。 本社への栄転も狙っている大場としては、少しでも英会話のできる妻がどうしても欲しかった。 「お前の基準は相変わらず最低だな」 「あっちだって俺の肩書きしかみてねーだろ。それはいいとしてだよ、もんのすげーアニバーサリー女なんだよ!」 大きな音を立てて、手に持っていたジョッキを置く。 酒は弱くないが、この所仕事が立て込んでいたこともあり、疲れていてまわりが早い。 自分がぼんやりと酔っているのが分かった。 「アニバーサリー?」 「すんげーよ!付き合って半年で記念日が30超えたぜ?覚えてられねえっつの!なんだよ、初めて一緒に星を見た記念とか!分からねえよ!」 「ああー…、結構痛々しい娘だったのね…」 「そうだよ!マジ取引先電話番号全部覚えろって言われる方がマシだったぜ?毎日毎日が記憶力テストだよ!」 「あ、はははは、まあ、飲め。ほら飲め」 そんな子を紹介した手前、渡辺も少々気まずくビールを注ぎだす。 大場はこれも一気にあおる。 「携帯はいちいちチェックされるしさー、取引先が女性だってだけでアドレス消されたんだぜ?ふざけんなっつーの!それと仕事中にくだらねーことで電話かけてくんな!!」 「ちょ、お前酔ってる?ハイになりすぎだって!」 飲ませすぎたかとピッチャーを遠ざけようとしたが、大場は自分でピッチャーを奪い取り、勢いよく注ぐ。手元が怪しいせいか、半分以上こぼれた。 「人が疲れてるつーのに、セックス要求してくるしよー。やらないっつーと、『私のこと嫌いなんだ』と来るもんだ!ああ、嫌いだよ!俺は寝たいんだよ!それくらい気遣え!」 赤くにごった目で次々とジョッキを空けていく。 渡辺はもはや止めることを諦め、チンゲン菜の炒め物をつついている。 「だいだいなんで結婚なんて必要なんだよ。いいじゃねえか、仕事が出来れば…」 大場は深く深くため息をついた。 「あー!!!家事やらないでも養ってやるから、セックスなしでいいって言う英会話の得意な女はいねーのかよ!」 偶然背中合わせに座っていた大場と喜美の叫びは重なった。 思わず同時に後ろを振り返る。 「あの…、今のあなた?」 喜美が後ろでこちらを向いていた微妙にネクタイのセンスが悪い男に問う。 「あれ、じゃあ、今の君?」 大場も、こちらを振り返っている少々化粧が濃い女に問い返す。 喜美はにっこりと笑って椅子を後ろへ向けて座りなおした。 大場も席はそのままに、背もたれを前にするように座りなおす。 「そーそーあたしあたし!ねえねえあたしどう?あたし。英会話できるわよ!家事だって出来ちゃう!えっちなしでいいから!」 酔いに任せてぺらぺらとしゃべる喜美。 喜美の後ろでは美智が青い顔をして何かを言おうとしてはやめる。 「マジ、ほんとマジ?それ完璧、マジ完璧!俺出世頭よ?年収この歳にしてはいいよ?家事はできればして欲しいけど、1人暮らし長いからなんでも出来ちゃうし!手間かからないよ」 嬉しそうに手を叩いて喜ぶ大場。 大場の後ろではこれまた渡辺が青い顔をしている。 「えー、うそ!やだ、本当完璧じゃん!いくついくつ?あ、後長男?土地付きは大歓迎なんだけど、ジジババはちょっと遠慮」 「大丈夫大丈夫!俺三男!ジジババは兄貴が見てるし、土地はないけど。俺27!」 「三男ー!!!嬉しいー!!!でも私もう29−。年上はダメー?」 「それぐらいなら全然おっけーおっけー!年上の女房は金の玉をつけてでも探せだよ!」 「なにそれー!金の玉ー!!!卑猥ー!!!」 後ろで渡辺と美智が、金のわらじだよ、と突っ込んでいる。 もちろん酔っ払いは聞いていない。 二人同時にため息をついた。 そしてお互い、真ん中の馬鹿二人を挟んだ後ろに似たような顔をしている人間を認め、笑いあった。 お互い苦労しますね、という諦めの表情だ。 「じゃあさ、じゃあさ!お姉さんと結婚しない?もうマジ焦ってんの!」 「俺も焦ってんだよ!お姉さん名前なんてーの?」 「喜美ー!!!」 「きみ?」 「そう」 「君喜美ー?なんちゃってー!あははははは」 「きゃーあははははは!!!君馬鹿ー!喜美馬鹿ー?やっだー!!」 後ろの言葉では自分を指して大笑いしている。 「俺、俺は大場っていうの!」 「大場かー、大馬鹿!なんちゃってあはあはははは!!!」 「お姉さん、じゃなかった喜美さん面白いなー!あははははは!!!」 「大場さんもおもしろーい!ねえねえ、二人で飲みに行こうよ!」 「あ、いいねいいねえ!二人の将来について話し合おう!」 慌てたのは後ろに控えていた二人。 「ちょっと喜美!?」 「大場!?」 しかしそんな友人達の焦りも気にせずに、さっさと立ち上がり帰り支度を始める二人。 「じゃ、いこっかー」 「いこいこ!」 すでに仲良く腕を組んで、おぼつかない足取りで二人店を出て行く。 『ちょっと支払い!』 振り回された二人の声は、届かなかった。 残された二人は思わず顔を見合わせる。 「……飲みましょうか?」 「そうですね……」 同時にため息をついた。 |