世界が赤く染まっていた。 陽が、沈もうとしていた。 日中を支配していた太陽が消えていく、最後のあがきのような、強い強い光。 赤く染まる世界を、カイムは嫌いではなかった。 すべてを燃やしつくし、すべてを血の色で染めていく。 高台の上から、カイムは目を細めて大地のすべてが赤く染まっていくのを眺める。 かつてカイムは、その色を見るたびに、湧き上がる衝動とともに昂揚していた。 心地よくどす黒い復讐の念に、酔った。 すべてが赤に染まる。 それはいつだって、カイムの本能を揺さぶる。 心のうちでいつも自分を追い立てる声が激しくなる。 もっと燃えろ。 もっと、血に沈め。 殺せ。 殺せ。 殺せ。 もっともっともっと。 すべてを滅ぼしつくせ。 そう急きたてられ、カイムはその声に身を委ねる。 肉を切る感触。 耳をつく悲鳴。 跳ねる血しぶき。 燃え尽きる世界。 夕暮れの赤に、カイムはずっと心地よい衝動を覚えていた。 それが、いつからだろう。 赤い色が、別の意味を持ち始めたのは。 夕暮れの赤が、カイムの目を焼く。 すべてが、赤く染まる。 自分の身もすべて赤く染まり、飲まれる。 赤に包まれ、カイムは目を閉じる。 かつて身を掻き立てたその赤に、心が穏やかになっていく。 瞼の裏に焼きつく赤は、もはや血の色ではない。 ≪……カイム…≫ しわがれた低い声がカイムの名を呼ぶ。 聞こえるのではない、心に響く。 姿は見えない、けれどいつだって鮮やかにその姿を思い出すことができる。 孤高で尊大で口うるさい、人間なんて馬鹿にしきっていた、気高いドラゴン。 聞こえてくる声は共に空を駆け巡ったあの時よりも、かすかで遠く、弱々しい。 けれど、かわらず尊く、誇りを湛えている。 そして、労わりと温かい情に満ちていた。 カイムはそっと、自分の半身の名を呼ぶ。 ずっとカイムを駆り立ててていた殺戮の衝動が、徐々に薄れていく。 剣をふるい、血肉を切る感触を楽しみ、骨の砕ける音に歓喜した狂気が、消えていく。 全てをなくしたカイムにとって、自分の生きる意味であった、衝動。 けれど、今確かに、それを失いつつあった。 生きる意味を、自分を導く感情が消えていくのを感じていても、もはやカイムは焦りを感じなかった。 ≪……カイム…≫ ただ、この声が聞こえる。 それだけで、カイムは満ち足りる自分を感じた。 自分に残された、ただ一つのもの。 最後に残った、唯一であって、そして至高のもの。 カイムをここにつなぎとめている、全て。 目をゆっくりと開き赤く染まった大地を眺める。 世界は気高い半身と、同じ色をしていた。 人間を見下していたドラゴンが、守った世界。 ちっぽけな復讐者を救うためだけに、わが身のすべてを犠牲にした愚かなドラゴン。 世界を美しいと、その時カイムは感じた。 両親を殺されたとき以来、感じた事のない穏やかな感情だった。 けれど、その赤を、何よりも美しいと思った。 赤い色が、愛しいと感じた。 心に響く声が、笑ったように感じた。 らしくないカイムの心をの動きを、からかうように笑う。 つられて、カイムも自嘲する。 世界なんて滅んでしまえと、思っていた。 すべて殺しつくしてしまえ、と思っていた。 ただ血にまみれている時だけ、落ち着くことができた。 両親を失い、故郷を失い、多くの同胞を失った。 さらに世界は、妹を犠牲にして、親友を殺し、そして半身を奪った。 すべてが憎かった。 すべてをこの手で切り刻みたかった。 それなのに、たった今自分は、世界を美しいと思っている。 そんな自分がおかしくて、笑う。 けれど、赤い色をした世界。 ドラゴンが守った世界。 この世界のどこかにただ一つの大切なものが、存在している。 半身の息吹を、感じる。 ただ、それを感じるだけで、満ち足りた気分になる。 カイムは自分の感情の動きに戸惑いながらも、穏やかだった。 ただ、安らぎに包まれていた。 再度笑い声が響く。 けれどそれは、嘲笑ではなく、優しさに満ちたものだった。 苦笑に似ては、いたけれど。 カイムとドラゴンは、お互いの穏やかな心を感じていた。 ただ、それだけでよかった。 世界が赤く染まっていた。 |