「よお、男前だな」

久しぶりに会う友人は、左頬を見事に腫れあがらせて秀麗な顔を歪めていた。
それをつけるに至った経緯は、聞くまでもなく想像通りだろう。
なので俺は軽く手を上げる。

「聞いてくれよ、日野!!ひどいんだよ!」
「そっか、大変だったな。で、店どこ?」
「一言も聞かずにスルー!?」
「女に最低とか言われて殴られた、女の男に殴られた、女の親に殴られた、女のバックの怖いお兄さんに殴られた、どれだ」
「………2番です」
「そっか、大変だったな、で、店どこ?」
「同情もなし!?」
「してるだろ。だから、店どこだって」
「ひどい!人でなし!鬼!悪魔!」
「じゃあ、鬼は帰るわ」
「嘘です、ごめんなさい、こちらです」

重田はしょぼんと肩を落として、予約してあるという店に足を向けた。
高い背、ほどよくついた筋肉、広い背中。
甘めの二枚目で、頭もよく、運動神経もいい。
料理洗濯裁縫、家事全般も完璧で、手先も器用で日曜細工も普通にこなす。
学生時代から、こいつが女に困った所は見たことがない。

「今度は水商売の女か?」
「そう、ソープのお姉さん。可愛くて優しかったのになあ」
「男付きはやめとけって言っただろ」
「ついてると思わなかったんだよ!」
「可愛くて優しい水商売の女に男の影がないことをまず疑え」
「お金もいっぱい持ってたのになあ」
「お前それでよく今まで生きてこれたよなあ」

非の打ちどころのない男前。
それがこの高校時代からの友人、重田。
ただ一つだけ、最大にして致命的な欠点を除けば、完璧な男。

「今度こそ、養ってもらえると思ったのに……」

重田のいつものお決まりの言葉に、俺は大きなため息をついた。



***




「だって、あの子が一番お金持ちの家の子だし」

高校の頃、仲間内での他愛のない会話だった。
クラスの中の女の、誰がいい、なんていうくだらない話題。

重田が示したのは、あまり目立たない地味な印象の子だった。
取り立ててかわいくも、ブスな訳でもない。
苛められている訳でも、特別馬鹿でも頭よかったりする訳でもない。
平凡すぎて、逆に全く目立たない女子。

その頃俺は、そこまで重田と特別仲がいいという訳でもなかった。
大勢いる仲間の中の一人。
悪いやつではなかったが、完璧すぎて男としてのプライドを刺激されるので、一緒にいるのはあまり好きではなかった。
その顔も頭も人当たりのいい性格も、完璧すぎて鼻につく。
嫌いではないが、まあ、高校生男子の自然な心の動きだ。

「なんだ、お前財産狙いかよ!」

別の友達が、笑いながらからかう。
優しい印象の甘い美貌をただし、重田はその先を続ける。

「俺さ、出来れば一生働きたくないんだよ」
「は?」
「彼女に養ってもらいたい。遊んで暮らしたい」
「………」
「俺は、ヒモになりたい」

真面目な顔で言いきった重田に、辺りは静まり返った。
この学校はそこまで偏差値低くもない。
進学率もそこそこよく、その中でもこの男前はどの大学でもいけると期待を一身に背負っている。
いい大学入って、そのまま一流企業にでも入るかベンチャーで自分の力を試すとかして金稼いで嫁さん養って平凡よりやや上の生活をして幸せに一生を終える。
そんな輝かしい未来が、まざまざと浮かぶ男だった。
俺たちの中でも、ぼんやりと描く将来像はそれよりちょっとランクを落とした感じのものだっただろう。

しかし、完璧な男はにっこりと笑って再度言いきった。

「ヒモにしてくれる、自立した金持ちの女の子がいいなあ」

ああ、こいつ、頭いいけど馬鹿なんだな。
俺はその時、素直にそう思った。

そして、それから俺は重田と仲良くなった。



***




それから、違う大学に入って、社会人になって、それでも付き合いは続いている。
俺はまあ、そこそこの大学入って、真面目に勉強して、堅実に公務員になった。
こいつは一流と呼ばれる大学に入って、秀才と言われ続け、無職になった。
人間、勉強でも学歴でもないな、と重田を見ているとしみじみ思う。

綺麗な仕草で、ウイスキーを煽る。
テーブルマナーも、煙草を吸う仕草さえも完璧な男だ。
明らかに線対照じゃなくなっている、今の顔じゃなければ見とれてしまうぐらいだろう。
今は格好付けてもコントにしか見えない。

「ああ、本当にいい子だったのになあ」
「そこで反省して、真人間として堅実に生きるっていう考えはないのか」
「真面目に働くくらいなら、俺は死ぬ!」

何がここまでこいつを駆り立てているのかさっぱり分からない。
いい学校出てるぐらいだから、勉強とか地味な作業が嫌いなわけでもない。
決断力もある、行動力もある、話術も巧みだ。
仕事をすれば、それなりいいポストにもつけるだろう。

「お前、今資格いくつ持ってたんだっけ」
「えーと、16かな。今はカラーコーディネートと、韓国語習ってる」

英会話も完璧、フランス語もしゃべれる。
大型免許や、船舶免許、なぜか危険物取扱免許なんかも持っている。
元々頭もよく要領がいい重田だ。
資格を取るのは簡単なようだ。

「無駄だよなあ」
「無駄じゃない!女性に好かれるには俺はいくらでも努力する!」

それもこれも、すべては自分の夢のためだ。
馬鹿っぽいのが好きな女には馬鹿っぽく接し、アクセサリ感覚で男を連れ歩きたい女には完璧なエスコートをしてみせる。
そのための努力だ。

ああ、本当に馬鹿だなあ。
なんで神様ってのは、こんなのにこの無駄な才能を与えたんだろうなあ。
宝の持ち腐れっていう言葉がここまでぴったりくる男もそういない。

「ねえねえ、日野。お前の周りに金持ちな女いない?」

重田はきらきらと期待に満ちた顔でこちらを見てくる。
子供のような無邪気な瞳で、言ってることは最低だ。

「下は10から、上は80までどんとこい!」
「頼むから10はやめろ。後いない。いてもお前には紹介しない」
「なんでだよ!ひどいな!友達の夢に協力しろよ!」
「友達?誰が?」

そう言い放つと、重田は傷ついた顔をして黙り込んだ。
視線を下に移すと、テーブルをみつめて動かなくなる。

「………おい、恥ずかしいから本気でショックを受けるな」
「友達だよな、なあ、日野、俺達友達だよな!?」
「分かった、友達だ。友達でいいから。俺たちは友達だ」
「だよな!驚かせるなよ!」

途端に元気になって、俺の背中をばんばんと叩いてくる。
ああ、うぜえ。

「日野に見捨てられたら、俺マジで友達いなくなっちまうじゃん」
「いっぱいいるだろ」
「でも、俺に呆れずにずっと付き合ってくれるのは、日野だけだ」

俺は思わず黙り込む。
ムカつくぐらい完璧な頭のいい馬鹿。
最低な男のくせに、たまにこんなに子供のようなことを言う。
だから、女もすぐにころっといっちまうんだろう。
マジうぜえ。
俺はため息をつく。

「とりあえず10はやめろよ。犯罪者の友達は持ちたくない」
「分かってるって。あーでも10歳かあ。いいなあ」
「………おい」
「いやいやいやいや、ほら、光源氏みたいに育て上げるんだよ。完璧な教養と美貌を兼ねそろえた女に」

意外な言葉に、目を丸くする。
女に養ってもらうことしか考えてないこの男が、人を育てるとは。

「ヒモの男が人を養育しようなんて図々しい」
「で、育て上げたら、俺を養ってもらうんだ!完璧じゃねーか」

ああ、やっぱり重田は重田だった。
馬鹿だなあ、本当にこいつ馬鹿だなあ。

「うん、安心したよ。お前が変わらなくて嬉しいよ。で、その養育費はどうするんだ」
「俺が肉体労働でもして稼ぐ」
「…………」

いつまでたっても分からん。
こいつの価値観がさっぱり分からん。
そこで働くのはセーフなのか。
つっこみどころがありすぎて、つっこむの馬鹿馬鹿しい。

「他の女から金もらって育てりゃいいじゃねえか」
「それは駄目だろ。二股は駄目だ」
「ヒモのくせに変なところだけ常識人だな。お前は女によく二股かけられてるじゃねえか」
「それはいいんだ。俺はヒモだから」

うん、わかった。
理解しようとした俺が馬鹿だった。
重田は重田。
理解しようとしてはいけない。
こいつは、俺とは違う生き物なんだ。

ピピと、俺のデジタル時計が小さな音を立てた。
そろそろ終電の時間のようだ。
俺がちらりと時計を見たのに気付いて、重田は焦った顔を浮かべる。

「え、日野もう帰るの?もう一軒いこうよ!」
「いやだ」
「え、考える間もなく却下!?」
「金がもったいない」

このバーでさえ、俺の基準からしたら贅沢すぎる。
俺がいくのは居酒屋がせいぜいだ。
それももったいなくてどうしても外せない付き合い以外は断るようにしている。
今日だってこいつのおごりじゃなきゃ誰が来るか。

「俺と金、どっちが大事なんだよ!」
「金」
「これまたタメなし!………なあ、俺もうちょっと話したい」
「家飲みなら付き合ってやる。いくぞ」
「え、マジ!?いくいく!」

24時間営業のディスカウントストアがまだ開いているはずだ。
コンビニで買うのももったいない。
伝票を重田に押し付けて、身支度を整えようとする。

「本当に倹約家だよなあ」
「お前のような人生舐めきった浪費家と一緒にするな」
「そういえば、いくらたまったの?」

俺は鞄の中から三枚の通帳を取り出し、重田の前に突きつけた。
計算の速い男は即座に、その3つの数字を計算したようだ。
目を何度も瞬かせて、通帳と俺を交互に何度も見る。

「う、おおおお。お、おい、公務員ってそんなに稼げるのか!?いつのまにか出世とかしてたの!?」
「馬鹿が。公務員の生涯年収はほぼ決まってる。下がることはあっても上がることはない。これは俺の地道な倹約生活と堅実な運用の結果だ」

生活費を切り詰め、外れのない運用を心がけた結果、同世代の人間よりは多めの貯蓄を持っている。
人間、地道が一番だ。
こいつとは全く相いれない人生観。

「すげえな、日野。本当にお前すげえ」
「俺はお前の方が色々な意味ですごいと思うがな」
「え、俺すげえ!?」
「ああ、色々な意味で」

無邪気に喜ぶ馬鹿を尻目に、俺はさっさと店を出た。
店の外は、珍しく温かかった昼とは裏腹に冬の冷たい風で凍りついていた。
温かい室内から出た俺は、安いマフラーに顔を埋める。

すぐに後ろから、長身の男が追い付いてきた。
俺のその辺の量販店のものとは違う、最高級のコートを身にまとったモデルのような外見の男。
行き交う女性が、重田に目を奪われるのが分かる。
俺は小さくため息をついて、さっさと家に向かった。
後ろからひょいひょいとついてきた男が、唐突に気持ちの悪い甘えた声を出す。

「ねえねえ、日野」
「生活費はもらうからな」
「うわ、すげえ、お前エスパー!?」
「これだけ毎回同じ行動されれば、犬だって反射を覚えるわ」

どうせ女に家を叩きだされて行くところがないのだろう。
こいつが俺に連絡してくるのはだいたいそんな時だ。
まあ、メシ作ってもらえるし、金をもらえるなら問題はない。
でかい図体が、俺の狭い部屋にはちょっと邪魔だが。

「お前、今はいいけど、年取ったらどうすんだよ」
「大丈夫、俺50代ぐらいまではイケる自信があるから」
「50代のヒモってもう、救いようないな。本気で」
「安定したヒモになるために、俺頑張るよ!」

ああ、本当に馬鹿だなあ。
どうしてこんな馬鹿になったんだろう、こいつ。
ご両親はどこでこいつの育て方を間違ったのか。

「じゃあ、60代になったら?ヒモの老人介護する親切な女がいるかね」
「うーん……」

珍しく重田は黙って考え込む。
眉を寄せて黙り込む姿は、本当に男前だ。
左頬が崩壊してなければ。
しばらく無言になってから、重田はふっと笑う。
とても優しげに。
楽しそうに。

「そしたら日野に養ってもらう。一緒に老人ホーム入ろうぜ。お前の金で」
「死ね、このクズ」

俺はロクでもない発言を切り捨てて、足を速めた。
どこまでいっても馬鹿は馬鹿だ。

「あ、待ってよ、日野!日野!」

本当に馬鹿は馬鹿だ。
頭のいい、完璧馬鹿。
ロクデナシのヒトデナシ。
最低野郎。

この大バカ野郎。
俺がなんのために貯金してるのかなんて、わかりもしないんだろうな。

熱くなった頬を見られないように、俺はマフラーに顔をうずめると、更に足を速めた。





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