下宿の廊下を曲がると、そこには『ひょっとこ』がいた。 「何言ってんの、お前…?」 友人の山本は胡散臭げな顔で、ラーメンをすすりながらそう言った。 ここは大学の食堂。 昼から少し時間がずれているためか、人はそういない。 ゆったりとメシを食うことが出来た。 俺も自分の350円のカレーをスプーンですくう。 「いや、本当にいたんだって!マジひょっとこ!俺も目を疑ったけど!」 「ひょっとこ〜?ていうか水谷、本当頭大丈夫か?」 「信じてねえな…。本当だって!今日朝起きて廊下歩いてたらさ、ひょっとこの面かぶった奴がいたんだよ!」 山本はすでに聞く耳持たず、ラーメンをかっ込んでいたが、その言葉で顔を上げる。 急に振り上げた箸から汁が飛んだ。 「て、きたねえな!おい!」 「ああ、分かった!そういや噂ではお前んちの辺りに住んでるって話だったわ!お前、それ『仮面の君』だ!」 今度は俺が山本の頭を疑う。 「仮面の君〜!?何言ってんの、お前?」 思いきり馬鹿にしたように鼻で笑った俺に、山本はそれでも気にした様子はない。 「お前知らねえの!?『仮面の君』」 「知らねえよ」 「すげー、お前『仮面の君』に会えたら一ヶ月はラッキーだって言うぜ!よかったな」 「だから誰だよ!」 うらやましそうに笑っている山本。 全く話が要領を得ない。 突っ込んだ俺に、山本は丼ごと持ち上げスープをすする。 そして一息をつくと、俺を真っ直ぐに見た。 「『仮面の君』ってのは、うちの大学の人間だよ。ただしその正体は誰も知らない」 「はあ?」 いきなりのぶっとんだ内容にすっとんきょうな声を上げる俺。 だいたい仮面の君ってネーミングはなんなんだ。 「どこの学部がも知られてないし、名前も知らない。声を聞いた人間もいない」 「なんだ、そりゃ。それ本当にうちの大学の人間なのか?」 「校舎内では何度か見られてはいるんだ。お前んち付近で発見されたという報告もあった。お前が下宿内で見たってことは、お前んちに住んでんのかな。うわ、すげー!!」 「……ていうか何者?そいつ?」 「だからそれは誰もわからない。分かっているのはおそらく『女の子』ってだけだ」 ……なんだそりゃ。 今日、俺が見た『ひょっとこ』はそいつだって言うのか? 驚きすぎて、体までは見ていないが、アレが女だっていうのか。 「あのお面は毎回かぶってんの?」 「らしいぜ。お前が見たのはひょっとこだっけ?いつもかぶってるお面は違うらしいけど。えーと、前にほら、語学で一緒の渋田。あいつが見たときはち○まるこちゃんのお面だったって。だから『仮面の君』」 「………」 なんつーか、言葉も出ない。 どういう変人だ。 それと、当然の疑問も浮かんでくる。 「でも授業とか見てたら出席とるだろうし、名前ぐらいは分からねえの?」 「それが授業で見かけた人間は誰もいないんだよ」 「はあ!?」 「校舎で発見されてるのは確認されているんだが、授業に出ているところを誰も見たことがない」 「………なんだそりゃ」 もうこの台詞も何回目だ。 この学校にそんな人間がいるなんて知らなかった。 「結構有名だぜー、この話。お前が本当そういうの疎いな」 「知るかよ、そんなの」 「いいなー、俺も見てみてー」 「そんなに見れないもんなの」 「見れないって!先輩ですら一回も見たことないって言ってたし。会うにはコツとカンとテクニック、それに運が必要らしいぜ」 「なんだそのレアモンスター」 「やったな、お前!経験値アップだよ!」 そんな馬鹿な話をした。 その日、早めに帰った俺は、さっさと風呂に入ることにした。 共同の風呂は、遅くなると込み合う。 まだほとんど人がいない、ゆったりとした風呂を堪能した。 その帰り道、濡れた髪を乾かしながら廊下を歩いていた。 今日の朝はここで未確認物体と遭遇したんだよな、と考えながら角を曲がる。 そこには『ひょっとこ』がいた。 「…いたよ」 ひょっとこは今朝と同じように普通に横を通り過ぎようとする。 「あ、おいちょっと待って」 慌ててそれを止めてようとする。 するとひょっとこは一瞬こちらを見てから…、 ダッシュした。 「おいこら!」 思わずひょっとこのセーターを掴む俺。 ひょっとこは急に後ろから引っ張られ、前のめりに転んだ。 思いっきり顔面(いや、お面か?)から突っ込む。 「あ、ちょ、ごめん!大丈夫か!?」 慌ててひょっとこを起こそうとする。 ひょっとこはそのままうつぶせで大の字につっぷしたまんまだ。 やばい、どこか打ったのか!? 俺がまずい!? 少々焦りながら、ひょっとこの様子を観察する。 背は、男にしたら小さいし、女にしたら結構大きい方かもしれない。 165〜70ってとこか。寝てるからよく分からないが。 服装は、ジーンズに大きめなサマーニット。 体系が分かりづらく、ケツも隠れているからこれまた男か女か分からない。 後ろ頭しか見えないが、髪形もショートだ。 て、そんなことを観察している場合じゃなかった。 「なあ、大丈夫か?」 ひょっとこは起き上がらない。 しかし、少し動きを見せた。 うつぶせになりながら、腕を上げる。 「ど、どうした?」 人差し指を伸ばし、どうやら俺の後方を指差しているようだ。 「ん、後ろ?」 つられて後ろを振り向く俺。 何もない。 「おい、なにが…」 と言いながらひょっとこをもう一度見る。 ……そこにはすでにひょっとこはいなかった。 「え、どこいったんだ!?」 左右を見回すと、俺が来た方向に向かって走っているひょっとこの後ろ姿。 急いで立ち上がると、その背を追った。 いや、別に追う必要はどこにもないのだが。 ひょっとこが角を曲がる。 少し遅れて、俺も角に辿り着いた。 曲がる。 すでにひょっとこの姿はなかった。 「くそ……はええ……」 一体なんなんだ、あいつ。 未知との遭遇に、俺は興味を引かれずにはいられなかった。 念のため、辺りを念入りに探す。 しかしやはりひょっとこはいない。 そのかわり、床に何かが落ちていた。 安産祈願のお守り。 これはひょっとこのものか…? それを手で握りしめながら、これからどうやってひょっとこに会うかの計画を思い巡らせていた。 |