ガシャーン! 今日も今日とて、ベルナール家は賑やかだ。 あまり人の踏み入らない森の中。 そこには小さな、けれど立派なお屋敷がある。 住むのは二人、と一匹。 無口で気難しいお館様。そしてお館様をお世話する1人の召使い。 お館様の使い魔である、しゃべる黒猫。 二人と一匹で住むには大きすぎるお屋敷。 けれど、いつだってここ、ベルナール家は賑やかだった。 「今度は何やった」 眉間に皺をよせ、この世のすべての罪悪を抱え込んだような声で問う。 お館様は今日も今日とて不機嫌だった。 「お館様の大事にしていたクリスティアンのグラスを割ったようですねえ」 対して膝の上にいる使い魔のサッジは、それを逆なでするように飄々とした声で応えた。しっぽをゆらゆらと揺らし、眠たげだ。 お館様の眉間の皺が一本増える。 「あの馬鹿を呼べ」 「言われなくても来るんじゃないんですか?」 その言葉を言い終えるか言い終えないか。ドタバタとせわしない足音が聞こえる。 お館様の顔がますます曇った。 バタンと大きな音をたて、乱暴に重い扉が開かれる。 「ごめんなさぁい!!お館様ごめんなさぁい!」 すでに半泣きになって、顔をくしゃくしゃにしているのはベルナール家に使える召使い、キリエだった。 かわいらしいエプロンドレスがガラスの破片できらきらと光っている。 お館様は深く深くため息をついた。 「だいたい、お前は落ち着きが足りないといつもいつも言っているだろう」 「ふええ、すみませぇん」 簡素ながら質のいい椅子に深く腰掛けながら足を組むお館様。 目の前に立っている小柄な召使いは、後から後から流れてくる涙と鼻水で顔が濡れている。 エプロンで顔をぬぐうが追いつかない。 「泣いてすむものじゃないだろう。あのグラスはな、先代の領主様に頂いた大事な物なんだぞ」 「はいぃ」 ますます萎れるキリエ。 面白そうに机の上でその様子を見ていたサッジが、そこでようやく仲裁に入った。 「まあまあ、お館様、その辺でいいでしょう。だいたいあんた、あれくらい自分で直せるくせに」 お館様は近隣に知れ渡る、名のある魔法使い。 壊れたものを直すくらいはお手の物だった。 だからと言って毎度毎度、物を壊されてばっかりでも困る。 「…サッジ。お前がそうやってこいつを甘やかすからだな…」 「はいはい、でもこれぐらいにしとかないと夕食にありつけなくなっちまう」 黒猫は机から身軽に飛び降りると、キリエの足に擦り寄った。 「嬢ちゃん、早く飯の用意をしておくれ。背中と腹がくっついちまう」 そうしてチロリと自分の主人の方を見る。 それに釣られて、キリエも不安げにお館様を見つめた。 お館様はまた深く深くため息をつくと、右手を振る。 「……さっさと用意して来い」 キリエは一瞬にして表情を輝かせる。 「はい!ごめんなさい、お館様。ありがとうございますぅ、サッジさん」 キリエはしゃがみこんでサッジの頭を優しくなでる。 サッジは気持ちよさそうに首をごろごろとならした。 「じゃあ、頑張ってお夕飯つくりますねぇ!」 気合を入れて腕まくりすると、ばたばたと騒がしくお館様の部屋を去っていった。 「……だから落ち着けと」 「今更でしょ」 いつのまにか足元にきていた黒猫は、尻尾で主人の足を3度叩いた。 「きゃあああああ〜!!!チキンが、チキンが〜!!!!」 「……今度はなんだ」 「どうやらメインのチキンが焦げたみたいですねえ」 魔法使いとその使い魔はそろって目を伏せた。 その日、お館様は不機嫌だった。 嫌な客が嫌な依頼を持って来たからだ。 しかし領主様の使いとあっては、無碍にも断れない。 眉間の皺を最高潮に多くして、しぶしぶ依頼に取り掛かっていた。 何時間もかかる作業の後、一息いれようとお館様は鈴を鳴らした。 繊細な作りの金の鈴は、館中に鳴り響く。 「おや、嬢ちゃんを呼ぶので?」 「ああ、一息入れる。茶をもってこさせよう。お前はミルクでいいな」 嬉しそうにみゃあ、と鳴く黒猫。 キリエを呼ぶと騒がしくなるが、くるくると表情がかわり、感情豊かに楽しそうに話をする召使いと過ごす時間が、お館様は嫌いではなかった。 一息いれるにはちょうどいい。 しかし、いつまでたってもキリエは来ない。 館の中にいるのは分かっているので、無視してるとしか思えない。 お館様はイライラともう一度鈴を鳴らす。 その後三度鈴を鳴らしても、召使いは姿を現さなかった。 「私が呼んで来ましょうか?」 不機嫌という言葉をそのまま現したようなお館様に、おそるおそるサッジが尋ねる。 「……いい。全くあの役立たずが」 はき捨てるように言うと、魔法使いは作業に戻る。 サッジは肩をすくめて息をついた。 陽も沈み始め、窓から入る日差しが橙に染まる頃、お館様の作業は終了した。 しばらくして、ばたばたと騒がしい足音が聞こえる。 バタンと相変わらずノックもなしに開かれる扉。 「お館様〜!」 そこにあるのは当然ながら、小柄な召使いの姿。 お館様はちらりとそちらを一瞥すると、本に目を戻す。 その眉間に寄った皺に気づかず、にこにことしながら話を続けるキリエ。 「あのですね、あのですね!」 「下がれ」 「え」 冷たい言葉と冷たい態度に、言葉を失う。 「……お館様?」 「用のある時に来ない召使いなど使えない。邪魔だ。下がれ」 「あの……、でも……」 不安に顔を曇らせながら、それでも言葉をつなげようとする。 「聞こえなかったか!下がれ!」 強い口調に、横で見ていたサッジも身を震わせる。 キリエは一瞬泣きそうに顔をゆがませると、ぺこりと頭を下げた。 「失礼します!」 そうして顔を見せないように、素早く踵を返すとドタバタと去っていった。 「お館様?」 「なんだ」 相変わらずお館様の機嫌は悪い。 本に目を落としながらも、指でつくえを叩いている。 苛立ちが如実に現れていた。 「嬢ちゃん泣いてましたねえ」 「……あいつが泣くのはいつものことだろう」 「でも今回泣かしたのはお館様ですねえ」 机の上で、責めるようにこちらを見ている黒猫。 トントンと机を叩く指にあわせて、こちらも尻尾を振っている。 お館様が本から目を離し、自らの使い魔をにらんだ。 「何が言いたい」 「いいえ、なーんにも。ただ、なんでお館様はさっき以上にイライラしてるのかなあ、と」 ますます険しい顔をするお館様。 しかしそれでも怯まない黒猫は、伏せていた身を起こして伸びをした。 「私はお腹が減ったので厨房を見てきます。それでは」 そして、するりと机から飛び降りる。 お館様は持っていた本を乱暴に閉じると、無言のまま立ち上がった。 「おや、どうしたんで?」 「うるさい」 そうして主従連れ立って、部屋を後にした。 厨房には誰もいなかった。 その代わり、甘い香りが漂っている。 甘い、焼き菓子の匂い。 厨房の大きな台の上には、綺麗に焼き目のついたパイが乗っている。 台の上に乗ったサッジが、髭をぴくぴくとさせて匂いを嗅ぐ。 「これは…、お館様が好きなライカの実のパイですね」 「………」 「嬢ちゃん、パイ作り苦手でしたからねえ。熱中してたのかな」 「………使えない奴だ」 ぼそりとつぶやくお館様。 しかし眉間の皺はなくなっている。 「で、どうするんです?私は食べちゃいたいんですけど」 「部屋に戻る」 「え?」 くるりと踵を返すと、大きな歩幅で厨房から出て行った。 残された黒猫は慌てて後を追った。 りり、ん。 透明感のある、涼やかな鈴の音が屋敷に響き渡った。 しばらくして、ドタバタと忙しない足音が部屋に近づいてくる。 バタンと乱暴に扉が開かれた。 「ご、御用でしょうか!?お館様」 息を切らせ、崩れたヘッドドレスも気にしないまま主人の前に立つ召使い。 その目と鼻は赤く、泣いていたのが分かる。 お館様は少し気まずけに目をそらす。 「落ち着けといっているだろう」 「は、はいぃ!ごめんなさい!」 ものすごい勢いで頭を下げるキリエ。ヘッドドレスが床に落ちた。 一つ息をつくと、目をそらしたまま口を開く。 「……その、甘いものが食べたくなった。お茶と一緒に持って来い」 膝の上で笑っている使い魔を軽くはたく。 爪を立てて抗議された。 「は、はいぃ!今すぐもってきますぅ!」 先ほどまで地の底まで届きそうなほど沈んだ顔をしていたキリエは、夏の日の太陽のようないっぱいの笑顔を見せる。 ぺこりと一礼して、慌てて部屋から出て行った。 後に残されたのはヘッドドレスと魔法使いと召使い。 「まったく、あいつは落ち着きのない…」 そう言いながら、口元が緩んでいるお館様。 黒猫は肩をすくめると、顔を伏せた。 ほとんど待たずにまた落ち着きのない足音が聞こえる。 開け放たれたままだった扉に、パイとティーセットの乗ったトレイをもった召使いが現れた。 「お待たせしましたぁ!お館様のお好きなパイを焼いたんですぅ!」 顔いっぱいで笑いながら、ぱたぱたと小走りで近づくキリエ。 その足元には滑らかなつるつるとした素材で出来たヘッドドレス。 「おい、危な……」 「嬢ちゃん!」 言う暇もなく、予想通りに足をとられるキリエ。 「きゃああああ〜!!!!」 がちゃーん!!! 後には床に仰向けに倒れたまま、パイを顔面に乗せた召使い。 散乱する無残な姿のティーセット。 深い深いため息をつく主従。 今日も今日とてベルナール家は賑やかだった。 |