「もう俺に関わるな!!」 放課後の夕暮れ。 誰もいない部室。 小さなくもりガラスの窓からは夕日が差込み、小さな部室を真っ赤に染めている。 「なんでですか?先輩」 後輩のくせに俺より背の高い目の前の男は、柔和に整った顔で笑っている。 細いフレームの理知的な眼鏡の下は、優しげに目元を和ませている。 優しく礼儀正しい、模範的な後輩。 そう、思っていた。 「お前……お前のせいで…っ」 赤く染まった部室、赤く染まった男。 何もかもが真っ赤で、どこか現実感がない。 けれど目の前の男へ対する憎しみも、焦燥も…本物だ。 「俺のせいで、何?俺は何もしてませんよ?」 壁を背にして追い詰められている俺とは逆に、柔和な顔は笑顔のままだ。 余裕を持って、眼鏡の下から俺の反応を見ている。 いつもと、同じように。 どちらが弾劾しているのか分からない。 「先輩が彼女に振られたのも、レギュラー落ちしちゃったのも、部員やクラスメートの信頼を失っちゃったのも、全部先輩のせい」 どこか弾むように、謳うように続ける男。 一歩近づいてくる。 「あれはっ…あれはお前が!恵理の時も!部活の時も!委員会の時も!」 俺は壁に張り付く。これ以上逃げられないことを思い知る。 ああ、俺はこの男が怖い。 俺の焦りを楽しむように、目元を下げながら一歩一歩近づいてくる。 「俺は何もしてませんってば。恵理さんには話しかけただけで、別に口説いてもなんにもしてませんし。第一好みじゃありません、彼女。部活は単に俺の実力でしょう?委員会の時も。勝手に先輩が自滅しただけ。勝手に信頼を失っただけ」 そうしむけたのは、誰なのか。 徐々に徐々に俺の周りを壊し、追い詰める。 この男は楽しみながらそうしていた。 整った顔も、人好きする態度も、回転の速い頭も、自分の魅力をすべて分かった上で使いこなす男。 こいつに出会った3ヶ月前から、すべてが壊れ始めた。 「俺が、何をしたんだよ……っ」 近づく男の威圧感に耐えられず、その場に座り込む。 膝を抱え込み、そこに顔を埋める。 そうしていても、逃げられないことぐらい分かっているのに。 「もう、頼むから近づかないでくれっ……」 泣きそうな声、情けない。 けれど、もう沢山だった。 「先輩は何もしてませんよ?」 思いのほか、近くから声が聞こえた。 恐怖で体がすくみ上がる。 顔を上げることは出来ない。 気配が、俺の目の前に座り込むのが分かった。 耳元に息と共に吹き込まれるように囁かれる。 「でも、先輩逃げるじゃないですか。最初はあんなに仲良くしてくれたのに」 そう、俺はこいつから逃げた。 最初はいい後輩だと思っていた。かわいかった。 でも、完璧なこいつがむかついて、コンプレックスを刺激することしかしない、こいつが大嫌いだった。 「俺は、あんたには優しくしていたのに」 素直に、懐いてきていた。 俺のために色々としてくれたのは知っていた。 けれどそのすべてが、俺には勘に障るものでしかなかった。 「……ごめん。でももう許してくれよ……。お前に嫌われたのは分かったから…」 小さなかすれた声になってしまった。 もう、勘弁して欲しかった。 耳元で笑った気配がした。 「いいえ、先輩。俺はあんたを嫌ってなんかいませんよ」 意外な言葉に、顔を上げる。 相変わらず優しげな顔をした後輩の顔が、目の前にあった。 レンズの下から、真っ直ぐにこちらを覗きこんでいる。 とても怖いのに、思わず見惚れてしまった。 優しい声で謳うように続ける。 「俺はあんたを嫌ってなんかいません。でも先輩逃げるでしょう?だから逃げないようにするしかないじゃないですか。あんたの逃げ場を全部つぶして、俺のところにくるようにするしかないでしょう」 言っている意味が、よく分からなかった。 目の前の男は笑っていて、俺は座り込んでいる。 背はそんなに変わらないのに、長さが圧倒的に違う腕が座り込んだままの俺に絡みついてくる。 「ね、先輩、逃げないでよ。俺にすがり付いて、俺のものになって?俺はあんたを幸せにするからさ」 年下の男の腕に強く抱きしめられて、学ランの胸に顔を埋めた。 頭は相変わらず混乱したまま。 恐怖と混乱。 しかしその中に、俺はどこか安堵を感じていた。 このままにしていれば、俺はもう追い詰められることはないのだろうか。 力強い腕に、すべてが楽になっていく気がした。 |