小話3 フォモネタ注意




「もう俺に関わるな!!」
放課後の夕暮れ。
誰もいない部室。
小さなくもりガラスの窓からは夕日が差込み、小さな部室を真っ赤に染めている。
「なんでですか?先輩」
後輩のくせに俺より背の高い目の前の男は、柔和に整った顔で笑っている。
細いフレームの理知的な眼鏡の下は、優しげに目元を和ませている。
優しく礼儀正しい、模範的な後輩。
そう、思っていた。
「お前……お前のせいで…っ」
赤く染まった部室、赤く染まった男。
何もかもが真っ赤で、どこか現実感がない。
けれど目の前の男へ対する憎しみも、焦燥も…本物だ。
「俺のせいで、何?俺は何もしてませんよ?」
壁を背にして追い詰められている俺とは逆に、柔和な顔は笑顔のままだ。
余裕を持って、眼鏡の下から俺の反応を見ている。
いつもと、同じように。
どちらが弾劾しているのか分からない。
「先輩が彼女に振られたのも、レギュラー落ちしちゃったのも、部員やクラスメートの信頼を失っちゃったのも、全部先輩のせい」
どこか弾むように、謳うように続ける男。
一歩近づいてくる。
「あれはっ…あれはお前が!恵理の時も!部活の時も!委員会の時も!」
俺は壁に張り付く。これ以上逃げられないことを思い知る。

ああ、俺はこの男が怖い。

俺の焦りを楽しむように、目元を下げながら一歩一歩近づいてくる。
「俺は何もしてませんってば。恵理さんには話しかけただけで、別に口説いてもなんにもしてませんし。第一好みじゃありません、彼女。部活は単に俺の実力でしょう?委員会の時も。勝手に先輩が自滅しただけ。勝手に信頼を失っただけ」
そうしむけたのは、誰なのか。
徐々に徐々に俺の周りを壊し、追い詰める。
この男は楽しみながらそうしていた。
整った顔も、人好きする態度も、回転の速い頭も、自分の魅力をすべて分かった上で使いこなす男。
こいつに出会った3ヶ月前から、すべてが壊れ始めた。
「俺が、何をしたんだよ……っ」
近づく男の威圧感に耐えられず、その場に座り込む。
膝を抱え込み、そこに顔を埋める。
そうしていても、逃げられないことぐらい分かっているのに。
「もう、頼むから近づかないでくれっ……」
泣きそうな声、情けない。
けれど、もう沢山だった。
「先輩は何もしてませんよ?」
思いのほか、近くから声が聞こえた。
恐怖で体がすくみ上がる。
顔を上げることは出来ない。
気配が、俺の目の前に座り込むのが分かった。
耳元に息と共に吹き込まれるように囁かれる。
「でも、先輩逃げるじゃないですか。最初はあんなに仲良くしてくれたのに」
そう、俺はこいつから逃げた。
最初はいい後輩だと思っていた。かわいかった。
でも、完璧なこいつがむかついて、コンプレックスを刺激することしかしない、こいつが大嫌いだった。
「俺は、あんたには優しくしていたのに」
素直に、懐いてきていた。
俺のために色々としてくれたのは知っていた。
けれどそのすべてが、俺には勘に障るものでしかなかった。
「……ごめん。でももう許してくれよ……。お前に嫌われたのは分かったから…」
小さなかすれた声になってしまった。
もう、勘弁して欲しかった。
耳元で笑った気配がした。
「いいえ、先輩。俺はあんたを嫌ってなんかいませんよ」
意外な言葉に、顔を上げる。
相変わらず優しげな顔をした後輩の顔が、目の前にあった。
レンズの下から、真っ直ぐにこちらを覗きこんでいる。
とても怖いのに、思わず見惚れてしまった。
優しい声で謳うように続ける。
「俺はあんたを嫌ってなんかいません。でも先輩逃げるでしょう?だから逃げないようにするしかないじゃないですか。あんたの逃げ場を全部つぶして、俺のところにくるようにするしかないでしょう」
言っている意味が、よく分からなかった。
目の前の男は笑っていて、俺は座り込んでいる。
背はそんなに変わらないのに、長さが圧倒的に違う腕が座り込んだままの俺に絡みついてくる。
「ね、先輩、逃げないでよ。俺にすがり付いて、俺のものになって?俺はあんたを幸せにするからさ」
年下の男の腕に強く抱きしめられて、学ランの胸に顔を埋めた。
頭は相変わらず混乱したまま。
恐怖と混乱。

しかしその中に、俺はどこか安堵を感じていた。
このままにしていれば、俺はもう追い詰められることはないのだろうか。

力強い腕に、すべてが楽になっていく気がした。