私は昔から、『性』というものを嫌悪していた。 男も女も醜すぎた。 女をセックスの対象としか見ない男。 男を自分のステータスとかしか見ない女。 どちらも計算高く、どちらも欲望にまみれている。 それを見るたびに吐き気がして、自分の性を捨ててしまいたくなった。 私は中性でいたかった。 性別なんて、いらなかった。 けれど月に一度、どうしても私は自分の『女』を意識する。 流す血を見るたび、死にたくなる。 怪我をした時の赤く綺麗なものではない、どす黒い血。 私の醜さを表しているような気がしてならなかった。 血と共に訪れる痛みは、歪な私を罰しているように感じた。 私は『性』を嫌悪していた。 「しっつれいします!」 私の後ろにあった扉が突然開き、静寂を切り裂いた。 美術準備室で1人、絵を描いていた私にかけられた声。 明るく少し舌ったらずな、女性らしい声。 私は私の空間であるこの場所を侵されて、不快感と共に後ろを振り向く。 そこにいたのは周りのことに疎い私でも知っている人間だった。 一つ年上の女性。名前は…覚えていない。 ただ彼女の行状は有名で、私ですら耳にしていた。 男好きで遊び好きな、私のもっとも嫌悪する『女性』。 知らず、眉間にしわが寄った。 「ごめんねー、ちょっとお邪魔しまーす」 彼女は私の不快感に意を解さないまま、もしくは気づかないまま、こちらへ近づいてくる。 甘い花のにおい。 吐き気が、する。 「何か御用ですか?」 「んーん、そうじゃないの。ただちょっとここで匿ってくれないかなーって」 「匿う?」 「えへへ、水谷に追われてるのよ」 水谷とは風紀委員の教師だ。 素行について何か言われているのだろう。 「長くかかりますか?」 「いや、ちょっとだけでいいと思う」 それなら、無理に追い出すほうが面倒だろう。 彼女から興味を失って私は絵に向かい合う。 「……いいの?」 「ご自由に。ここは私の部屋ではありませんから」 後ろを見ないまま言い放つと、彼女は小さくお礼を言った。 私は何も返さなかったので、準備室には沈黙が落ちる。 静寂の戻った空間で、私は色を重ね続ける。 「ね、なんの絵なのそれ?」 いつのまにか後ろに回っていたらしい。 すぐ後ろから声が聞こえた。 それと共に彼女のつけているらしい香水の臭いを感じ、不快感がよみがえる。 唇を噛んで、無視をすることにした。 「すごい色使いだねー。なんかこう迫力ある。これってあれ?チューショーガって奴?私ゲージュツとかよく分かんないんだけど、なんか綺麗ね」 無言で絵を描き続ける私に、それでも彼女はしゃべり続ける。 基本的に空気を読む能力にかけているのかもしれない。 「これ油絵だよね。すごい匂い。気持ち悪くならない?」 私は油絵に使う油の独特の匂いよりも、彼女の身に着けている香りのほうが気に障る。 「天使」 無視を決め込んでいた私に、彼女はぼそりとつぶやいた。 天使。 それは私の書いている絵のモチーフだ。 驚いて思わず後ろを振り返る。 彼女は私の態度なんて気にもせず、にこにこと笑っていた。 綺麗に手入れされた、ダークブラウンの髪が光を反射している。 「あんたの髪、天使の輪っかね」 髪。 どうやら私の髪のことだったらしい。 反応してしまった自分に恥じて、少し笑ってしまう。 「天使の輪?」 「綺麗な髪で光反射するとほら、ここんところに輪が出来るのよ」 彼女は自分の頭を指してぐるりと輪を描いてみせる。 「それが天使の輪っていうのよ」 「そうなんですか」 それは初耳だった。 特にあまり手入れもしていない髪だが、逆に加工もなにもしていないので、私の髪は確かに質がいい。 天使は好きだ。 どこかで、何かの本だったか、天使は中性だと聞いた。 それ以来、私の中で天使は美の象徴だ。 真実はどうなのかわからない。 それを知ってから見た宗教画などには、性別のある天使もいた。 だが私は、中性だと思いたかった。 だから私の中で、天使は中性。 それでよかった。 それ以上深く調べるのは止めた。 「綺麗な髪ね」 「それはどうも」 彼女は子供のようにこにことしている。 一つ年上とも思えない。 なぜかさっきほどの嫌悪感を感じなかった。 褒められたせいか。 それとも想像よりもずっと子供っぽく無邪気な彼女のせいか。 どっちにしろ、私も単純だ。 まあ、だからと言って好意を感じるわけではないが。 「そろそろ大丈夫なんじゃないですか」 嫌悪感はなくなったものの、私は私のテリトリーに人が入るのは好きではない。 この異物にはさっさと出て行って欲しい。 「あ、そうね。じゃあそろそろ行くね。匿ってくれてありがとう」 「別に何もしていませんが」 そうして私はまた絵に向き直る。 彼女が扉に向かって歩いていったのが分かった。 扉を開く音。 「じゃ、また来るね。ばいばい」 そう一つ残して、消える気配。 またくるね…? 不安と異物感を残し、扉は閉じられた。 |